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第18話
緋嶺が気が付くと、いつもの雨漏りの跡がある天井が見えた。いつの間に帰ってきたんだ、と起き上がると、何やら怒鳴り声が聞こえる。緋嶺は声のする方向へ行くと、リビングに天使族の少年がいた。
「立場が悪くなる前に見捨てろって……ふざけてんですかっ!?」
「ふざけていない。豪鬼を殺してしまった以上、鬼との衝突は避けられない」
今のうちに俺とは一切関係ないと言え、と鷹使は少年の頭を撫でる。すると少年はあっという間に目に涙を浮かべ、ボロボロとそれを落とした。
「嫌だ……、ねぇ、ヒスイ……」
「その名前で呼ぶのはやめろ」
「どうして!? みんなでここまでやってきたのに……っ」
緋嶺は二人の近くに行くと、少年は緋嶺を睨んだ。
「そこの混血さえいなければ、サラさんだって死ぬことは無かったし、ヒスイさんだって……」
「コハク。それ以上言うならお前も俺の敵だ」
鷹使は少年の言葉を遮る。少年の名前はコハクというらしい。しかし彼は更に言い募る。
「僕は! サラさんとヒスイさんだからついてきたんです! 他のみんなもそう!」
それを聞いた鷹使は目を伏せた。
「……サラを殺したのは俺だ」
「僕たちはそう思っていません!」
「帰れ!」
珍しく鷹使は声を荒らげたかと思うと、コハクは足を進めた。しかし本人の意思ではないことが、表情で分かる。
「ちょ! ヒスイさん!」
騒ぎながらコハクが家を出ていくと、しんとした空気が流れた。
何だろう? 鷹使はいつになく頼りない雰囲気だ。そう思って、緋嶺は思わず彼を抱きしめる。いつも人をからかってばかりの鷹使が大人しくなると、何だか放っておけない。
「俺がお前を護っていれば済む話だと、そう思っていたのは間違いだったな……」
「何だよらしくない」
最初はあれだけ強引に、緋嶺を自分のそばに置くという態度だったのに、今の鷹使はそれが揺らいでいるように見える。
緋嶺はそっと、かかとを上げた。そして彼の薄くて綺麗な唇に、自分のを重ねる。
「なぁ、俺ちゃんとお前の話聞いてない。どういう経緯で俺を護る事になったのかとか……」
「……そうだな」
そう言ってから、自分から鷹使にキスをした事に気付き、顔が一気に熱くなった。慌てて彼から離れると、鷹使は珍しくからかわずに苦笑しただけだった。
鷹使はリビングで、と言うので移動すると、二人でコタツに入る。と言っても、もうそろそろ暖かくなるので片付けてもいいかな、と緋嶺はぼんやり思った。
「俺の夢に入った時の事は覚えているか?」
「ああ」
「あの時はもう、逃亡生活だった」
それはその時に聞いた。緋嶺が人間界に落とされるまでに何年かあるので、長い逃亡生活だったようだ。
「俺は……族長の立場でありながら、私情でお前たちを匿っていた」
でも、と鷹使は続ける。
「時間が経てば経つほど、隠し通すのは難しくなってな。ついには俺が匿っていることもバレた」
族長会議で、サラを突き出せば匿った事を不問にすると言われ、ふざけるな、と喧嘩を売ったのだ。彼らに他の部族を攻撃する意思はない。本当に、ただ愛し合っているだけだというのに、なぜ殺されなければいけないのか、と。
「当たり前だが、そうしたら天使族全体の立場が悪くなって……みかねたサラが自ら処分される事を望んだ」
「……っ」
緋嶺は息を飲んだ。鷹使がサラを殺したのは自分だと言い張るのは、そういう事だったのか、と。
「もちろんそれは拒否した。けど昔からこうと決めたら曲げない性格でな。緋月にも説得できなかった」
だからサラは遺言で、緋嶺を絶対に護ってねと言ったのだ。
「そうしたら緋月まで、俺の立場を心配して緋嶺と共に行方を眩ませた」
すると緋月はすぐに、豪鬼に処刑されたと聞く。緋嶺は行方不明だとも。
鷹使は再三族長会議で掛け合った。しかし結果は変わらず、鷹使は族長の座をコハクに譲り、緋嶺探しに世界を飛び回ったと言う。
「……って、あの子が族長?」
あの、年端もいかない少年が? と思っていると、鷹使は苦笑した。
「天使族の見た目は人間にしてみれば、若作りらしいからな」
あれでまだ百六十歳だと言われて、若作りどころの話じゃないと緋嶺は狼狽える。それでは鷹使は一体何歳なのだろう? 聞いてみたらコハクの倍だと言われた。聞かなかった事にしよう。
「鬼の見た目と寿命は、人間とそれほど変わらないんだったな」
鷹使はどこか寂しそうに呟いた。なぜ、と思って鷹使を見ると、彼はじっと緋嶺を見ている。
「そ、それは別にアンタとは関係ないだろ?」
それよりも、大切なサラの遺言を守る方が先決だろ、と慌てて視線を逸らすと、それはそうだが、と歯切れの悪い返事がくる。
「ってか、遺言だけでそこまでするって、よっぽど母さんのこと大事なんだな」
俺には記憶が無いから、よく分からないけどさ、と言うと、鷹使は緋嶺を見つめたまま僅かに眉間に皺を寄せた。
「何か勘違いしていないか?」
「へっ? 何が?」
「まさかとは思うが、お前……まだ自覚していないのか?」
「自覚って何だよ……?」
すると鷹使はため息をついて、緋嶺の隣に来る。警戒して身を引くと、おい、と不機嫌な顔をされた。
「サラは俺の妹だ。大切な存在ではあるが、嫁にする対象ではない」
「……はぁ……」
「いくら妹の遺言でも、それ以上の付加価値が無ければ自ら探しに行ったりしない」
でなければ人を遣って探す、と言われ、それ以上の付加価値とは、と緋嶺は考えた。そしてサラが鷹使の妹だと知って、どこか安堵している自分がいる。
「俺はお前が産まれた時に、どうしようもなく愛おしいと思ったんだ」
そう言われて、緋嶺はカーッと顔が熱くなるのを自覚した。そしてその反応に戸惑う。
「そっ、それは……妹の子供だからじゃないのか?」
そう言って緋嶺はハッとした。妹の子供という事は、鷹使は自分の伯父ということになる。
初めて自分の家族に親 い存在を知って、緋嶺は憧れていた家族への気持ちが一気に満たされた気がした。
「……本当に、俺の家族なのか……」
母の兄という間柄ではあるけれど、血縁はちゃんといた。それが嬉しくて緋嶺は熱くなった顔を片手で隠す。しかし鷹使はまた眉間に皺を寄せていた。
「鷹使は、俺の伯父さんなんだな」
緋嶺はそう呟くと、鷹使は不機嫌な顔をしたまま、ため息をついた。
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