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第20話

 依頼主は若杉(わかすぎ)貴子(たかこ)だ。  鷹使の説明によれば貴子の息子、憲二(けんじ)が眠ったまま目を覚まさないという。一応、きちんとした検査は受けたものの、眠っているだけで特に異常はないらしい。しかし心配になった貴子は、色々調べているうちに、鷹使の何でも屋の存在を知ったそうだ。こうなったら息子がこうなった原因を、とことん調べてみようと思ったのが、依頼に至った経緯らしい。 「寝てるだけなんだろ? 起きるまで待てば良いのに」 「……眠っている期間はそろそろ一ヶ月になるそうだ」  お前がうちに来た時期と重なるな、と鷹使は呟く。緋嶺はドキリとした。豪鬼の時もそうだったけれど、こうも自分が動いた時期と重なるのは偶然なのか、と。 「……つまりあんたは、俺を探している奴の仕業だと考えてるって事か?」  緋嶺がそう聞くと、鷹使は肯定した。 「豪鬼が悪魔の存在を(ほの)めかした。もしかしたら、手を組んでいたのかもしれん」  それに、と鷹使は続ける。  理想の夢を見せ夢の中に閉じ込めて、永遠に醒めたくないと思わせる悪魔の存在があるという。 「人を(たぶら)かして、堕落させたり破滅させるのが目的だからな。けど……」  その人間を一ヶ月もそのままにしておくのは妙だ、と鷹使は言う。  豪鬼の敵討ちに来ないのも、もしかしたら悪魔が絡んでいるのかもな、と呟いた鷹使は、いつになく緊張を含んでいた。 「珍しいな。あんたがそんなに警戒するの」  緋嶺はそう言うと、お前はもっと警戒しろ、と睨まれる。 「悪魔はどうやって近付いてくるか分からないからな」  今までに接触した人全員疑った方が良い、と言われ、緋嶺は面食らった。それが警察関係者でもか、と聞くと彼は頷く。 「姿は自由に変えられるし、とにかく心を惹き付けるのに長けている」  厄介な相手だ、と鷹使はため息をついた。 「その悪魔も、お前の知ってる奴だったりしないのか?」  それだったら、ある程度検討はつけられそうだけれども、と緋嶺は言うけれど、鷹使は首を横に振る。 「族長会議でも、毎回違う姿、名前で来ていたから、そもそも単体で動いているのかすら分からない」  族長とも限らないしな、と鷹使はため息をついた。 「だからお前にも、ある程度自衛をして欲しい」  そう言われて、緋嶺は欠伸をしながら分かったよ、と返す。緊張感の欠けらも無い態度に、また鷹使に睨まれた。 「いや、この車乗り心地良いから、やたら眠くなるんだよ」  前の車は何も無いのにガタガタと揺れて、とても寝られる状態じゃなかったので、この車は静かでいい、と目を閉じる。 「おい、お前が寝たら俺が暇だろ」 「何だよ、結局自分の事優先なのな」 「だったらお前が運転しろ。免許持ってるだろう?」 「やだね」  緋嶺がそう言うと鷹使は急に進路を変え、裏路地に車を停めた。何でこんな所に、と思っていたら胸ぐらを掴まれ引き寄せられる。しかしシートベルトに阻まれ鷹使は舌打ちし、緋嶺と自分のそれを外すと再び引き寄せた。  少し乱暴にキスをされ、緋嶺は肩を震わせる。何でここでキスなんだ、と鷹使の胸を押すと、彼の琥珀の瞳とぶつかってドキリとした。 「本当に、お前は可愛くない」  そう言われ、カッと顔が熱くなる。どうしてこんな反応するんだ、と戸惑っていると、鷹使は再び車を走らせた。しかし鷹使からは怒っているどころか、機嫌が良さそうな雰囲気が漂ってきて、訳が分からなくなる。 「っていうか、いきなりキスとかするなよな」 「そうか。じゃあこれからは許可を取る」 「そういうことじゃなくて!」  大体俺もお前も男だろ、と言うと、鷹使はフッと笑った。 「今更だな。どうしても嫌なら全力で拒め」  そう言われて、緋嶺は鷹使の蜜のように甘いキスや、クラクラする程の血の味を思い出してしまった。あれに逆らうなら、相当な自制心と忍耐力が必要だ。鷹使もそれを分かって言っているのだろう。 「【契】をしてから、お前は割と安定しているだろう?」  そう言えば、お腹が空くこともなくなったし、力が暴走しそうになることもない。明らかに鷹使のおかげたと思い知らされ、緋嶺は居心地が悪くなった。そして、そんな事を考えていると察しているのか、鷹使はご機嫌そうに笑うのだった。  依頼主の自宅に着くと、貴子は待ち構えていたように出迎えてくれた。早速息子の憲二の部屋へ行き、様子を見せてもらう。  憲二は自室だという部屋のベッドで、静かに眠っていた。歳はやはり緋嶺と同じくらいで、ある日を境に目覚めなくなってしまったという。  緋嶺は部屋を見渡した。学生だという憲二の部屋はシンプルで、娯楽らしいものは見当たらない。 「……何の夢を見てるんだろうな……」  緋嶺は呟く。それが分かれば、彼を目覚めさせるヒントになるかもしれない。 「あの、どうでしょうか? 何か分かりますか?」  貴子は心配そうに緋嶺たちを見守り、聞いてくる。この一瞬で分かるかよ、と思うけれど、鷹使は冷静だった。 「息子さんの人となりを聞かせて頂いても良いですか?」 「はい……。憲二は真面目で優しくて……私が言うのも何ですけど、とても優秀な息子です」  医大も現役合格しましたし、無事に進級できると思った矢先にこんな事になってしまって、と貴子は言う。 「このまま目覚めなかったらと思うと、彼の人生どうなってしまうのか、それが心配で……」  そう言って胸を押さえた貴子は苦しそうな表情をしていた。緋嶺は彼女の言葉に少し違和感を持つものの、黙って鷹使がどう動くか見守る。 「彼の、日常生活が分かりそうなエピソードはありますか? 例えば、何が好きかとか」 「ええ、勉強がとにかく好きな子です。帰ったらすぐに部屋にこもって、夜遅くまで……」 「それから? 食べ物とか、交友関係は?」 「食べ物は……私が夜食で作るおにぎりが美味しいと……友達は、塾や学校で先生とこんな話をしたとか……よく聞きますけど……」  言いながら、貴子は息子の事をあまり知らない事に気付かされたようだ。だんだん歯切れが悪くなり、とにかく、早く目覚めて欲しいんです、と締めくくった。  鷹使は少し憲二の様子を見て、また貴子に向き合う。 「若杉さん、これは十中八九悪魔の仕業です。彼は夢の中が楽しくて、現実に戻ってこられません」  なので彼の好きな物を知りたいんです、と鷹使は言った。  すると貴子ははぁ? と声を上げる。 「悪魔? あなた何でも屋ですよね? 何をしてでも息子を目覚めさせるんじゃないんですか?」  何を詐欺師みたいな事を、と貴子は呆れた様子で言った。しかし鷹使は動じず、静かに頷く。 「ええ。だから息子さんに、現実逃避している事に気付いてもらわないといけません」  パシッと、乾いた音がした。貴子が鷹使の頬を叩いたのだ。 「憲二は夢に向かって頑張ってたのに、これが現実逃避だというの!?」  すると貴子は我慢できなくなったのか、鷹使と緋嶺を部屋の外に押し出した。 「帰って。こんな詐欺めいた事でお金を取るなんて……あなた達それでも人の心を持ってるの!?」 「……依頼をキャンセルされますか? キャンセル料が発生しますが」 「そんなの払うわけないでしょ! もう帰って!」  貴子はそう叫ぶと、玄関から二人を追い出し、ドアを思い切り閉めた。

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