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第21話

 貴子に追い出されるようにして家を出た二人は、丁度通りかかった女の子にチラリと見られる。緋嶺はいたたまれなくなって、さっさと車に乗ろうとする鷹使の後を追いかけようとして、足を止めた。そして女の子をじっと見る。  すると彼女はさっと影に隠れてしまった。けれどここから離れる気配はなく、じっと緋嶺たちが去るのを待っている。  緋嶺は勘で動いていた。 「ねぇ、その紙袋、もしかしてお見舞いか?」  女の子を覗いてみると、彼女は慌てた様子で頷いた。持っていたのはケーキ屋で作ったお茶菓子だったからだ。彼女は苦笑して俯く。 「憲二さんに会いに……でも、会わせてもらえなくて……」 「緋嶺、どうした?」  鷹使もやってくる。緋嶺は彼女が憲二に会いに来たと説明すると、憲二の事を知っているらしいと悟った彼女は、お茶菓子を緋嶺に突き出した。 「あの、これを渡してもらえないでしょうか? 憲二さんが好きだったお菓子なんです」 「いやー、それが俺たちも今、追い出された所で……」  緋嶺がそう言うと、彼女はあからさまに落ち込んでしまった。  鷹使が言う。 「私は何でも屋の天野と申します。こっちはアシスタントの鬼頭。憲二さんを目覚めさせてとご依頼を頂いたのですが、キャンセルされたところです」  失礼ですが、憲二さんとはどのようなご関係ですか? と聞くと、彼女は花菜(はな)と名乗り、少し頬を赤らめて、お付き合いをさせて頂いてました、と言う。緋嶺と鷹使は思わず顔を見合わせた。 「でも、毎回会わせてもらえなくて……」 「それは、どうしてですか?」  鷹使が聞く。彼女は苦笑した。  貴子が、憲二に彼女がいるはずない、そんな事をしている場合じゃないんだ、と言っているそうだ。 「現実逃避させてんのはどっちだよ……」  緋嶺は呟く。とりあえず、もう一度彼女を連れて話をしてみよう、と鷹使はインターホンを押した。  しかし、カメラ付きなので顔を確認したのか、出てくる気配がしない。緋嶺は次第にイライラしてきた。 (鷹使をひっぱたいておいて、自分が悪くないみたいな発言ばっかしやがって) 「おい! いるのは分かってんだよ! ドアを開けろ!」  緋嶺は玄関ドアを激しく叩きながら叫ぶ。さすがに鷹使が止めに入った。 「緋嶺……取り立てでもするつもりか」 「だって! ……おい! 聞いてんのか!?」  緋嶺が更に叫ぼうとすると、勢いよくドアが開く。そこにはこちらを睨む貴子がいた。 「人の家の前で叫ばないでください」  緋嶺はチャンスだと言わんばかりに、開いたドアに身体を滑り込ませる。ちょっと! と貴子は叫んだけれど、強引に花菜の手を引っ張り、中へと入っていく。  憲二の部屋に行くと、花菜は彼に飛び付くように抱きついた。余程会いたかったのだろう、ぎゅうぎゅうと力強く彼氏を抱きしめる花菜を見て、緋嶺は胸の辺りがキュッとする。 「憲二さん……」  涙ぐむ花菜。すると今まで何も反応が無かった憲二が、身じろいだのだ。そしてゆっくり目を開ける。 「……っ、憲二さんっ」 「おはよう……あれ? 何でここに? どうして泣いてるの?」  どうやら憲二はどこにも異常は無いらしい。普通に目覚めたという感じで、状況が読めないでいる。 「憲二!」  すると貴子が部屋に入ってきた。さっと顔を強ばらせた憲二は上半身を起こす。 「お母さん心配したのよ!? あなたこんな事になって……単位落とすんじゃないかとヒヤヒヤしたわ」 「憲二さん、あなたは一ヶ月ほど、ずっと眠っていたんです」  一緒に来たらしい鷹使が説明をした。しかし鷹使はもう帰りたいという風情で、花菜に後は任せます、と言って踵を返す。緋嶺はその後を慌てて追いかけた。 「……面倒な奴だったな」  車に乗り込んだタイミングでそんな事を言う鷹使。内心は相当ムカついていたらしいと思うと、少し笑えた。 「なぁ」  緋嶺はシートベルトをする前に、鷹使の頬に手を当てる。 「……痛かっただろ」  鷹使の肌は透き通るように白い。叩かれた頬が赤くなっているのが、気になってしまった。  鷹使はその緋嶺の手を優しく掴むと、目を伏せて微笑む。 「お前は本当に……自覚ないのか?」 「……何が?」  目を開けた鷹使は琥珀色の瞳で緋嶺を見つめた。優しい目をしていたので、こいつこんな目をしてたっけ、となぜか落ち着かなくなる。 「好きだろう、俺の事」 「……へ?」  緋嶺は鷹使の言葉を反芻しているうちに、鷹使は緋嶺の手の甲に口付けをし、シートベルトをした。すぐに車を発進させたので、緋嶺も慌ててシートベルトをし、言葉の反芻を続ける。 (好き? 誰が誰を?)  まさか、自分が鷹使を、という意味じゃないだろうな、と緋嶺は眉間に皺を寄せた。  確かに、今の二人は伯父と甥という関係を超えている。長年人間と暮らしてきて、その関係が普通じゃない事は分かっているつもりだ。けれど、自分は鬼で、鷹使は天使だ。 (ん? あれ? それにしてもおかしいぞ?)  鬼と天使では、両親と同じ(わだち)を踏むことになる。でも自分も鷹使も生物学上男で──。 「……わけが分からなくなってきた」  そう呟いた緋嶺に、鷹使はクスリと笑う。 「さっきもだが……豪鬼とやり合った時に助けてくれただろう?」  それが嬉しかった、と言われて、緋嶺はまた顔から火を吹きそうになった。確かあの時は、鷹使が傷付けられたと分かって、自分の中の不思議な声に従ったのだ。助けたつもりはない。 「別に……あの時は、声が聞こえただけだし……」  なぜか、いつも嫌味や人をバカにした言い方をする鷹使が、嬉しかったなどと言う。緋嶺は居心地が悪いことこの上ない。 「それが、お前の本心……心の内に入れたものは、何がなんでも守ろうとする、鬼の特性だ」 「……」  緋嶺はなぜか言葉が出てこなかった。そう言えば、古川に怒鳴りつけられたとき、今まで心の内側にいた彼を、パッと弾き出した感覚がした。裏切られたと思い、鷹使が割って入らなければ、彼を傷付けていたかもしれない。  そして、なぜこんなにも鷹使は穏やかに話しているのだろうと思う。そんな風に言われたら、認めたくなってしまうのだ。 「……」  緋嶺は窓の外を見た。どうか熱くなった耳を悟られませんように、と窓枠に肘をつく。  鷹使の言う事に何も否定できない、と緋嶺はため息をついた。

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