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第37話

 深夜。緋嶺はふと目が覚めた。  なぜだか呼ばれた気がして、起き上がって布団から出る。鷹使は起きる気配がない。  暗い廊下に出ると、真っ直ぐに玄関へ向かう。最近は気候も暖かくなってきたので、床が冷たくて気持ちいいな、と足音を潜めて歩く。  靴を履いて玄関から外を覗くと、街灯と月が庭を照らしていた。すると鷹使の車に凭れるようにして、誰かが立っている。 「緋嶺」  低く、とろりとした甘い声。鷹使より少し背が高く、赤みがかった茶髪が真っ直ぐに足元まで伸びている。腕を組んでこちらを見ている瞳は紅茶色で、二重の綺麗なアーモンド型の目をしていた。誰が見ても見蕩れそうな美しい顔だ。 「……セナ?」  半信半疑で名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに口の端を上げる。その優雅な動きはなるほど、人を魅了して陥れる訳だ、と納得した。 「よく分かったね」  緋嶺は彼の近くに行くと、ニッコリ笑う。これが本当の姿なのか? と尋ねると、そう、と返ってきた。 「しかしまた……随分違うじゃないか」  人を(たぶら)かすのが目的の悪魔なので、当然と言えば当然だけれど、なぜ緋嶺の前ではあの姿だったのだろうか? 「ん? だって緋嶺、護ってあげたくなるような子、好きでしょ?」 「……」  緋嶺はさすが悪魔、と思う。懐に入るのが得意なだけあって、読まれているな、と言葉に詰まった。仮の姿で困ったように笑って告白してきたのも作戦だと言うから、鷹使が警戒しろと言っていたのにホイホイ付いて行った自分が、どれほど間抜けだったのか思い知らされる。 「……それで? どうしたんだ?」  俺を呼んだだろ、と言うとうん、と甘い声で返事をするセナ。そして空を見上げた。 「……改めて、緋嶺に告白しようと思って」  視線を緋嶺に戻したセナは柔らかく微笑む。それがとても綺麗だったので、緋嶺は思わずドキリとした。 「俺と付き合ってよ。あの天使より絶対いい思いさせてあげるから」 「……」  緋嶺と視線を合わせ、甘い声で誘うセナ。これが普通の人なら、心が揺らいでしまうんだろうな、と緋嶺は思った。しかしセナはまたどうして、自分のことをこんなにも気に入ったのだろう? 「……ごめんセナ。いや、ビトルの方が良いか。俺は鷹使が好きなんだ」  緋嶺は真っ直ぐに彼を見て伝えると、セナはため息をついてまた車に凭れた。 「……やっぱもう効かないか。緋嶺、ここのところ一気に力が強くなったね」  どうやらセナは、誘おうとする時も力を使っていたらしい。緋嶺の心が揺らがなかったのはそのせいか、と納得する。なぜなら彼に眠らされた時は、ホイホイ付いて行ったくらいだからだ。  しかし力が強くなったと索冥にも言われたけれど、緋嶺には全く自覚ができていない。 「俺全く自覚無いんだけど? それに、セナはどうして俺が好きになったんだ?」  緋嶺は今なら教えてくれるだろう、と尋ねる。セナは答えてくれた。 「【契】は気を交えることで体内の陰陽の気の調和をする事なんだ……」  ここは天使なら上手く説明できると思うけど、とセナは続ける。それによって精気の消耗を防いで、健康と長寿を得られる術──らしい。 「だからあの天使は、ずっと緋嶺の力をコントロールしてた。本来ならとっくに暴走してただろうけど」  セナが鷹使の事を名前で呼ばないのは、続いた彼の言葉で分かった。 「涼しい顔して無茶してさ。倒れてちゃ意味無いよね」  そういう所がいけ好かない、とセナは吐き捨てるように言う。 「……でも、そういうところ、羨ましいとも思う」 「え?」  うってかわって優しい声色になったセナを思わず見ると、彼は眉を下げて微笑んでいた。 「言ったでしょ? 最近の悪魔はやる気ないんだ」  俺みたいなのが族長やれるのも、悪魔の世界が堕落しきってるから、と言う。 「本当は、緋嶺を夢に誘うまで君を殺すつもりだった。そうでなくても、言うことを聞かせて指輪を手に入れるつもりだったんだ」  緋嶺は頷いた。人間に夢を見せたまま、殺せるかどうか試していたのは、セナだったんだな、と確認すると、彼は頷く。 「指輪は、どうしても欲しかった。けど……」  その前に緋嶺に惚れてしまった、と彼は言う。どうしてそこまで指輪が欲しかったのだろう? 聞いてみると、彼なりの切実な思いがあったらしい。 「淫魔は悪魔の中でも特殊でね……夢の中でしか妊娠させられないし、妊娠できないんだ」  また面倒な種族だな、と緋嶺は思う。インキュバスの場合、孕ませた女性につきまとい、産まれた子供を攫うというから、手間がかかる。今どきそこまでするインキュバスはいないとセナは言い、堕落しきってるというのはそういう事か、と緋嶺は納得する。  でも、それが指輪が欲しい理由とどう繋がるのか疑問に思った。  セナは苦笑する。 「俺は、男相手じゃないと勃たないんだ。ほら、俺が更に特殊な存在だって分かったでしょ?」  それでも力は強かったから長になれた。けれど散々バカにされ、人を誑かすこともしない輩に、どうしてそんなことを言われなきゃならないんだ、と憤りを感じたと言う。 「だから俺をバカにした奴らを(かしず)かせて、世界を牛耳ってやろうって思った」  でも、緋嶺と天使が【契】で強固に結ばれ、互いに想いあっている姿を見て、自分が欲しかったのはこんな関係だったんだと気付く。セナは自嘲気味に言った。 「夢の中で緋嶺が俺に犯されてる時、緋嶺が俺を見る目が心に刺さった。でもそれはあの天使の姿をしていたからであって、俺を見ている訳じゃないと分かったら……」  どうしても緋嶺を振り向かせたいと思った、とセナは呟く。 「本気で欲しいと思ったら、正攻法じゃないとダメだと分かったけど……それも無理そうだね」  無理やり(さら)って縛り付けても良いけれど、それじゃあ緋嶺の心は手に入れられない、と言われ、本気でそうされなくて良かった、と緋嶺は胸を撫で下ろす。 「ビトル、お前悪魔のくせに真面目だよな」 「まあね。長になると他の種族とのしがらみとかもあるから、自分の世界を守るので精一杯だよ」  悪魔の悪魔らしからぬ発言に、緋嶺は笑った。

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