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chapter2 困惑 ①

「ゲイポルノ映画?」  フランツはパウロの喋ったイタリア語を理解するのに、少々時間を要した。 「ゲイポルノ映画??」  今度はドイツ語で繰り返した。母国語で口に出したら、すっきりと意味が通った。 「何だって……本当に……?」  ポルノ映画は、いわゆる女と男が裸で抱き合う大人のための娯楽映画である。それに、ゲイとつけば、女が男に代わって、胸が平らな者同士が抱き合ってキスをして…… 「そうだ、俺は監督と俳優をやっている」  パウロはまるで今夜の夕食のパスタの味でも説明するかのように言った。  しかしフランツは二の句が告げなかった。一応職業軍人で、ごく普通のキリスト教徒であるフランツは、「憧れだったパウ」が同性と裸でキスしあっている姿など、まともに想像もできなかったのである。 「パウロの映画は大人気なんだぜ!」  また続き部屋のドアが開いて、先程の若者が現れた。手にはカップを二つ持っている。 「ヨーロッパじゃ、ゲイポルノ界の貴公子って言われているんだ。あんたのとこの国だって、パウロのファンクラブがあるんだぜ。とにかく、男からも女からも人気なんだ、パウロは」 「ロミオ」  パウロはお喋りな唇を黙らせるように片目を瞑った。ロミオは舌を出して、二人へカップを渡す。  フランツは受け取ったカップを覗いた。濃厚な香りがする。エスプレッソだ。  昨日立ち寄った喫茶店のようなバールでも飲んだなあと、ぼんやりと思った。イタリアのコーヒーは美味しい。もちろん、ドイツだって美味しい。なのに、アメリカ人はドイツでもスターバックスでコーヒーを飲む。いったいどうしてだろう…… 「おい、フラ。大丈夫か?」  我に返ったフランツは、心配そうに覗き込むパウロの顔に慌てた。間近で深い睫が憂いを帯びて揺らめいている。自分の顔が馬鹿のように火照るのがわかった。 「きっと、パウロがイエスキリストにキスしている姿を想像していたんだぜ? イタリア人が大好きなドイツ人だもんな」  ロミオが不謹慎にも茶化すように言った。  パウロがちらっと睨む。 「いい加減、その口を閉じろ。やることがないなら、ローマに出稼ぎにでも行ってこい」 「あんたの心配をしているんだぜ。もう時間がないことぐらいわかっているだろう? 幼馴染みと心温めたいなら、明日にしろよ。命があったらの話だけどな」  その一言で、フランツは目が覚めた。 「そうだ、パウ。話を戻そう」  パウロの告白にいまだにショックが抜け切っていないフランツだったが、今目の前にある現実に向き合うのは軍人らしく早かった。 「誰に命を狙われているんだ?」  だがパウロは、落ち着いてカップを口元に近づけた。 「まず、それを飲め、フラ。ロミオは口は悪いが、淹れたコーヒーはうまい」 「実家がバールだからな。オレの両親が淹れるコーヒーはイタリア一さ」  胸を張って答えるロミオである。  フランツはカップに口をつけた。凝縮された熱くて濃い味が、喉を通って身体に染み渡ってゆく。元々コーヒーは、中世の時代、トルコからヴェネツィアへ伝わり、それがヨーロッパに広がっていったのだが、イタリアで飲むコーヒーは、やはりイタリアの味がした。なにやら帆を張って、地中海を航海するヴェネツィア商人たちの姿が浮かんでくる…… 「それで、誰に命を狙われているんだ?」  飲んで一息ついたフランツは、再び繰り返す。 「教えてくれるまで、私はここを動かない」 「言ってやれよ、パウロ。ドイツ人に居座られたら、面倒だ。ドイツ語が通じないってとこから全部ケチつけてくるぜ」 「大丈夫だよ、私は英語しか喋られないイングランド人じゃないから」  フランツも皮肉で応戦した。    「それより、時間がないのだろう? こんな話をしている場合じゃないはずだ」  パウロは黙ってカップに口をつけている。二人の会話に耳を傾けているようだったが、その瞳は相変わらず謎めいていた。 「相手役がいないから……映画が撮れなくて困っているんだろう?」  フランツはパウロが相手の男性とキスをしている姿を考えてしまった。なにやら気恥ずかしいが、ちょっとだけムカムカした。 「それで、どうして命が危ないなんていう物騒な話になるんだい?」  そこがイコールで繋がらない。 「……そうだな」  パウロはようやくカップを口から放した。 「何から話そうか」 「オレが喋ってやるよ」  ロミオがフランツの隣に回って、二人と同じようにベッドに腰をおろした。 「パウロは言いにくいんだ。だからオレが喋る」  フランツを挟んで、二人の間で視線が交わされる。パウロは少し厳しい顔をしたが、ロミオに話の主導権を任せたようだった。 「つまりさ、パトロンの問題なんだ」 「パトロン?」  いきなり予想外の言葉に驚く。 「言っただろう? パウロは人気者だって。その手の変態連中にすごい人気があるんだ。いわゆるノーブレスな連中にさ」  フランツの頭に貴族という言葉が浮かんだ。 「そいつらの中には、見ているだけじゃなくて、実際にパウロとやりたいっていう奴らもいるんだぜ?」 「――何だって!」  思わず大声を出してしまい、慌てて口を閉じた。  だがロミオはニヤニヤと笑っている。 「そういう連中も、パウロにとっちゃ、いい金ずるなんだ。どんなものを撮るにしても金がかかるからな。けれど連中は社会的な地位と名誉を傷つけるような真似はしない。問題なのは、そういう弱みがない奴らなんだ」 「――つまり?」 「つまり、ヤバい連中のことさ」  フランツの顔つきが国を守る軍人になった。 「つまり、パウロは君の言うやばい連中に命を狙われているということか?」 「そう」  ロミオは顔つきの変わったフランツを面白がるように覗き込む。 「ここのヤバい連中って、言わなくてもわかるだろう?」 「勿論だ。軍人だろう?」  フランツは真面目に言った。イタリア軍人と聞けば、泣いている子も笑い出すという都市伝説を持つ集団である。フランツは軍事演習でイタリア軍と一緒に訓練に参加したことがあるが、その感想は、どうして第二次世界大戦に彼らと同盟を結んで戦ったのだろうという素朴なものだった。当時のロンメル将軍は、一人一人のイタリア兵は獅子だと言い残しているが、フランツが思うに、きっと将軍はワインに酔っていて、ローマ帝国時代の夢でも見ていたのだろうという感じである。  気がつけば、ロミオが爆笑していた。 「そう! あんたの言うとおりだ! あいつら、敵よりも女の尻を追いかけていく連中だからな!」  手を叩いて、げらげらと笑っている。 「違うのかい?」  少々ムッとしたフランツだが、隣のパウロも静かな笑みを浮かべているのを見て、すぐに気持ちを切り替えた。 「はっきりと言ってくれないか。パウロの命を狙っているのは、誰なんだ」 「マフィアさ」  ロミオは足を組んで、まるで遠出のドライブでも語るかのように説明した。 「この辺を縄張りにするマフィアのドンが、パウロの熱烈なファンでさ。映画の出資もしてくれているんだ。けれど、ちょっと面倒な約束をさせられて、困っている」 「……マフィア」  フランツの頭の中を、名作「ゴッドファーザー」のテーマ曲が流れた。学生時代に鑑賞した映画はアメリカが舞台だが、ここイタリアでも十分に通用する内容だったような気がする。 「そう、イタリア名物のマフィアさ。実は政府よりも頼りになるんだぜ」  ロミオは皮肉って、パウロに肩を竦めてみせる。 「面倒な約束とは何だい?」  具体的な犯罪組織の名称に、フランツの顔が一気に厳しくなった。頭の方もフル回転になる。 「イタリアの警察は当てにならないと聞いている。今から一緒にドイツの警察へ行こう。そこで事情を説明して保護してもらうんだ。それが一番いい」 「おいおい、ちょっと待てよ」  今にも駆け出しそうなフランツを、慌てて止める。

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