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chapter2 困惑 ②

「ドイツの警察に用はないぜ。俺たちイタリア語しか喋れないし」 「何を言っているんだ! パウの命が危ないんだぞ!」 「フラ」  パウロが落ち着かせるようにフランツの肩に手を置いた。 「ロミオの言うとおり、ドイツにまで行く話じゃないんだ。ドイツ人も、イタリア人のイタリア語でのイタリアの話なんか聞きたくもないだろう」 「いや、私はいつでも聞くよ」  フランツは即座に言い返す。 「私はどんな時でも、パウの話を聞く。絶対に」 「――そうか?」 「ドイツ人は本当に真面目だぜ」  少々呆れたようにロミオが横から口を挟み、二人に睨まれて、舌を出しながらそっぽを向いた。 「難しい話じゃないんだ」  これ以上話をこじらせないためか、パウロがロミオから主導権を奪う。 「マフィアが絡んでいるだけで、十分難しい話だよ」  フランツはすでに頭の中でパウロを連れてイタリアを脱出する手段を考えていた。アルプスを越えて、まずはスイスへ。スイスにいる両親の家で一泊させてもいい。きっと両親も大人になったパウロの姿にうっとりするだろう…… 「違う。絡んでいるのは、ドン・ロッシーニ個人の趣味だ。ドンの好みが問題なんだ」 「……好み?」 「そう。ドン・ロッシーニの誕生日に、俺の映画をプレゼントして欲しいとせがまれたんだ。もちろん、俺と男がセックスしている新作をな」  フランツが純情可憐なアルプスの少女のように赤面したので、パウロがつけ足した。 「正確には、やっているふりだ」 「……けれど」 「別に新しく撮るのは構わないんだが、ドンが注文をつけてきた。俺の相手役はイタリア人以外でとね」 「飽きたんだってさ、イタリア人同士のゲイセックスを見るのが」  ロミオがまた口を挟む。 「……」  フランツは何と言っていいのかわからず、手の中にあるカップに目を落とした。どろっとした液体は、その底にあるものを隠しているかのようだ。 「つまりさ、フランス人でも、ルーマニア人でも、トルコ人でもいいのさ。イタリア人じゃなきゃな」  ロミオがフランツに意味ありげにウィンクする。 「ドイツ人でもいいんだぜ」 「……えっ?!」  危うくカップを床に落とすところだった。 「冗談はやめろ。フラ、気にするな」  パウロが甘い顔立ちに似合わない声で叱る。  しかしロミオは黙らない。 「俺やいつもの相手じゃ、ドンは飽きたから嫌だって言うのさ。だから、知り合いのギリシャ人を呼んだんだけど、あいつ、まだ家で寝ているのかも」 「……ギリシャ人に頼んだのが間違っているんじゃないのかな?」  古代のギリシャ古典からすれば、男同士の裸っぷりなど珍しくはないが、現代ギリシャ人の怠けっぷりはジョークの種にもなっている。フランツはなぜか疲れてしまった。 「すまん、フラ。せっかく会いに来てくれたのに、嫌な話を聞かせた」  パウロはフランツをいたわるように肩に手を置いた。フランツはその手を追うように顔をあげる。少し寂しそうな顔が、自分を見つめている。 「……パウ、そんな顔をしないでくれ。パウに苦しい思いをさせるぐらいなら、自殺したほうがましだよ」 「そうじゃない。俺が久しぶりに会ったお前に苦しい思いをさせているんだ。すまなかった」  パウロは話を切り上げるように、ベッドから立ち上がった。 「会えて嬉しかった。今度、ゆっくりした時にまた会おう。俺の方から連絡する。いいだろう?」  少し早口になっている。  フランツはそれをパウロの焦りだと感じだ。昼寝している暢気なギリシャ人のせいで、パウは本当に困っている―― 「待ってくれ。もう少し、落ち着いて考えよう」  パウロに倣って立ち上がると、この家を追い出されそうだったので、ベッドに腰かけたまま、フランツは生真面目に思考した。 「そのマフィアのドンの誕生日に、新作の映画を贈らなきゃいけないということはわかったんだが、それがどうして、パウの命の危険という話になるんだ?」  どうも何かが欠けている。  フランツは周囲の空気に気がついた。自分の言葉に、二人のイタリア人たちはそろって困っているような――特に口の悪い方は、呆れているようだ。 「それって、説明しなきゃならないこと?」  ロミオは、この馬鹿ドイツ人とでも言いたげに顔をしかめている。  フランツはまたムッとなって言い返した。 「私のイタリア語が間違っていたのかい?」 「間違っているのは頭の中さ。ジャガイモばっかり食べている暇があったら、ハリウッド映画でもいいから、少しは見ろよ」 「――君はドイツを馬鹿にするのか!」  フランツは怒って、カップをベッドに上に放り出すと、ロミオの胸倉を掴んだ。 「君たちこそ、戦争中にパスタなんか手間ひまかけて食べているんじゃない! 古代のローマ兵はそんなものなんか食べなかったぞ!」 「ああ、俺たち古代ローマ人じゃないから。生まれはミラノだから」  ロミオはしれっと返事をした。  ますますカッカしたフランツだったが、「落ち着いてくれ、フラ」との幼馴染みの穏やかな声に、炎上していた頭が鎮火した。 「いい加減にしろ、ロミオ。ジャガイモ料理だって十分美味しいんだぞ」 「俺はもう少し人生を楽しもうぜって言いたかっただけさ」  二人のイタリア人がフランツを挟んで言い合う下で、「……ジャガイモの何が悪いんだ」とぶつぶつ文句を言うドイツ人である。 「しょうがない。お気楽なドイツ人に教えてやるよ」  ロミオが足を組んで偉そうに言う。  フランツはまたまたムッとする。 「ああ、ジャガイモばっかり食べているお気楽なドイツ人のために、ぜひ教えて欲しいね」  嫌味で応酬するが、パウロのことが心配だった。  ロミオは面白そうに鼻を鳴らす。 「自分の誕生日のプレゼントリクエストが、新作のゲイセックスなんだぜ? ミラノ界隈を縄張りにしているマフィアのドンの頼みなのに、それをプレゼントできなかったら、どうなると思う? 答えは、明日には死体さ」 「……」  フランツは絶句した。ロミオは畳みかけるように言う。 「しかも、俺たちの死体は発見されないと思うぜ。最近、硫酸のプールに投げ込むのが流行っているみたいだから。死体になってからか、生きている最中に体がドロドロに溶けるのかは知らないけど」  ね、とパウロに同意を求める。フランツも慌ててパウロを振り返った。硫酸で死体を溶かすという行為は、軍の学校でも教えられたことのない処理方法である。パウロが硫酸で溶けて、何もかも無くなる。想像しただけで眩暈と吐き気がした。 「冗談だろう……パウ?」  ああ、冗談だ。ただのイタリアジョークだ。甘いチョコレート色の瞳で笑って欲しかった。  だが、フランツの期待は裏切られた。 「仕方がないな」  パウロは肩をすくめた。 「ドン・ロッシーニは自分の欲求が通らないと、ことの外機嫌が悪くなるんだ」 「俺の知っている噂じゃ、ドンのスケベな動画フィルムの一つを無くしてしまった手下の一人が、銃の試し撃ちの的にされて、身体中に穴が空いて死んだって聞いたな。しかも遺体はどこにもないって話だ。何かの餌にされたとも聞いたぜ」 「……」  フランツは寒気がした。呼吸困難のように息が荒くなる。頭の中でパウロが試し撃ちの的にされ、そしてジョーズの餌にされる無残な光景が、映画のワンシーンのように流れた。  ――冗談じゃない。  フランツは無言で立ちあがると、パウロの前に立った。 「パウ」  と、両手を取って握りしめる。  パウロはフランツを見上げた。二人の身長はフランツの方が頭一つ分高い。 「私と一緒にドイツへ行こう」  まるで逃避行をするような悲壮な口調になっていた。 「やはりドイツへ行って、ドイツ警察へ保護を求めるんだ。それが一番いい。イタリア警察なんか当てにならない。ドイツだ。ドイツへ行くんだ。イタリアへ帰れなければ、そのままドイツに留まればいい。私もパウの側にずっといる……」  喋りながら、段々と興奮してきた。元来フランツは正義感が強い。だから軍人の職を選んだわけだが、こんな理不尽な理由でパウロが殺害されるかもしれないという状況に、スーパーマンの如く正義の火がついた。 「とにかく、一緒にドイツへ行くんだ」  それだけが唯一の解決方法であると言うように、握った手に力がこもる。

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