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第1話

【鳥葬】 死体を野山などに放置し、鳥に食わせる葬法。ヒマラヤ周辺に現存。 延々と伸びた廊下に硬質な靴音が響き渡る。 等間隔に並ぶ窓の外には濃い暗闇が立ち込め、懐中電灯の丸い光がそれをくりぬく。 夏休みを控えた7月上旬。都立篠塚高校の用務員・杉下は、夜の校舎で見回りを行っていた。 「これでよし、と。あとは玄関を戸締りすりゃ終わりだな」 生徒、ならびに教職員は既に帰宅している。現在校舎内に残っているのは杉下だけだ。 全く、自分はツイているな。 懐中電灯を下げて静まり返った廊下を歩きながら、杉下は苦笑する。昔から健康に恵まれて体は頑丈、還暦を過ぎてもまだまだ働ける。叶うことならもうすこし老後の資金を蓄えたい。 結婚三十周年の記念日に、旅行好きな妻を温泉に連れて行くというささやかな目標もある。 心配性な妻は「たくさん働いたんだからしばらくゆっくりすればいいのに」とぼやいていたが、自分の判断は間違ってないはずだ。 一方でひっかかることもあった。先日面接に来た際、校長に言われた話だ。 それは特別荒れているわけでもない……在校生の学力にせよ治安にせよ極めて平均的な篠塚高校において、用務員の入れ替わりが非常に激しい原因だった。 前任者は半年もたなかったと聞いている。最後の方は心を病んで辞めてしまったのだとか。 「まさかな」 馬鹿げた話だ。到底信じられない怪談。前任者にした所で影か何かを見間違えたに決まってる。 心の中で嘲笑い、行く手を懐中電灯で照らしてぎょっとした。廊下に黒い羽根が落ちている。 「カラス……か?どこから紛れ込んだんだ、窓は全部閉めたのに」 突如として目の前に現れた漆黒の羽を拾い上げ、注意深くひねくり回す。 廊下の真ん中に立ち尽くし、気味悪そうに窓の向こうを一瞥する。 この高校は小高い丘の頂上に立っており、眼下には市街地の光が広がっていた。 当然、夜10時を過ぎた今の時間になだらかな坂道を上ってくる物好きはいない。 しかし、飛んでくる物好きはいた。 最初の違和感は黒より黒い影だ。窓を隔てた遥か先の夜空を、何かが凄まじい勢いで滑ってくる。不審に思い目を凝らす杉下の耳を、衝撃でガラスが撓む轟音が聾した。 「なんだ!?」 轟音に次ぐ轟音、連鎖的に打ち震える窓ガラス。それが黒い影の洗礼だと気付いたのは、実際に激突の瞬間を目の当たりにしてから。 バンッ!ぐぎゃあ!バンッ!ぐぎゃあ!夜闇を突っ切り滑空し、窓ガラスに体当たりする鳥の群れ。闇よりなお濃い黒い羽根が飛び散り、濁った断末魔が上がっていく。 杉下は以前妻と見た映画を思い出す。アメリカの映画監督が撮った古いスリラー映画で、鳥の群れが人間に襲撃を仕掛ける話だ。今の状況とよく似ていた。 「ひっ!」 懐中電灯を振り向けた先の窓で、翼を広げたカラスが潰れる。首が変な方向を向いていた。一体全体なんでコイツらは自分から?理解不能な事態に心底恐怖し、震える手から懐中電灯を取り落とす。廊下をころころ転がる懐中電灯が天井を暴いて床を照らす。 「え……」 杉下は、見た。漸く停止した懐中電灯の先、丸く切り抜かれた空間に異様な鳥居があった。 何故校舎の中に鳥居が?ありえない。こんな物さっきまでなかったじゃないか。 完全に腰を抜かした杉下の眼前、廊下のど真ん中を塞いだ鳥居の中心が歪んで渦を巻く。 ぐぎゃあぐぎゃあぐぎゃあ、夥しいカラスの群れが鳴き騒ぐ。分厚い窓ガラスを隔てていてもこんなにうるさいなんて……否。 カラスの鳴き声は鳥居の中心、渦の中心から無限に湧き上がっていた。 俺が学校一の問題児・|茶倉練《ちゃくられん》と関わることになったのは、俺自身の厄介な体質が原因だ。 きっかけは夏休み少し前。ダチと東京に遊びに行った夜、生まれて初めて金縛りを体験した。 体が動かせないのには最初あせったが、一晩中固まってるだけでやり過ごせるなら楽勝じゃんと高を括っていた。 その余裕が消し飛んだのは部屋に真っ黒な影が現れ、ベッドで寝てる俺にのしかかってきた時。 一目見た瞬間、脳裏にけたまましい警鐘が鳴り響いた。アレは邪気のかたまりだった。 ベッドの足元に現れた影の輪郭は不気味に伸び縮み歪んでいた。不可視の手が捏ね回して作り上げた人もどきに見えた。 お願いやめろくるなこないであっちいけ。 目を瞑り必死に祈る俺を嘲笑うかのように、その人もどきは近付いてきた。 何かとんでもなくおぞましく恐ろしいものが接近してくるのにまるで抵抗できず、焦燥感と絶望感が募り行く。 やめろくるなこっちくるなやめろやめろお願いこないで許してください助けて。 どんなに強く念じても無駄だった。誰も助けにきちゃくれない。隣室で寝てる両親や姉貴に心の声は届かず、大柄な影に組み敷かれる。 思い出したくもないが、俺はその夜レイプされた。なんだかよくわからないばけもの……一般の人たちが悪霊とか呼ぶ、得体の知れない存在に。もちろん痛かった。しかしそれ以上にこたえたのは体を内側から穢されてく感覚、魂を毒されるような不快感だ。 身も心も不浄な存在に堕とされ、内側から作り替えられてく違和感は言葉で説明しにくい。 「ぁっあ、あぁっ、ンううっあ、ぁっ」 思えばアレは俺が生まれて初めて直面した、抗いようのない理不尽だった。 この残酷な世の中には非力でちっぽけな人間がどうがんばってもどうにもならないことがある。 どんなにあがいても絶望しかない。どん底から這い上がれない。 体の裏表を這い回る手の感触と尻をこじ開ける楔はまだセックスを知らない俺をうちのめすのに十分で、最後の方は泣きながら命乞いしていた。 「許してっ、あうっ、ごめんなさっ、ぁあっ、うぐ、ひぐっ」 家族や先生、ダチには相談できない。そもそもなんて言えばいい?夜毎悪霊に凌辱されてる?じゃなんで朝起きたら下着がべと付いてるんだ、悪霊に突っ込まれて夢精してりゃ世話がない。 体の中には確かに何かが出入りしていた感覚があった。体内の粘膜がこそぎ落とされていったような、奇妙な喪失感と空虚感。でも血は出てないしズボンは脱げてない。 虚実の境が曖昧になる。どこまでが現実で夢か線引きを見失い、自分すら信用できなくなる。 誰かに打ち明けても頭がおかしくなったんじゃないかって疑われるのがオチ、それ以前に内容がセンシティブすぎる。 「ケツいてェ……」 まだ朝五時前、家族は誰も起き出してない。 ヒンヤリ冷えた静かな家をひたひた歩き、鈍く疼く下半身をひきずって洗面所へ行く。夢精で汚したパンツを手洗いしてると無性に泣けてきた。 手の甲で涙を拭いて鏡を見ると、一瞬だけ肩越しに黒い影をとらえてぎょっとした。次いで視線を下ろし、手首に生じた痛々しい痣に気付いて戦慄が駆け抜ける。 毎日が比喩じゃなく生き地獄だった。そのうち悪霊は増長し、昼でも夜でも構わず俺を侵し始めた。家にいる時も授業中も心が休まる時間は片時もなく辱められた。 茶倉は俺の地獄に終止符を打った。 第一印象はぶっちゃけ最悪。誰が男子トイレの個室の天井からコンニチハしたデバガメ野郎に好感をもてるだろうか。俺の喘ぎ声がうるさかったのは別にして、だ。 「あっ、ンあっ、ふぁああっ、や、止まンねっ、ぁあっ」 「気持ちええ?」 「ッ!?」 その日も俺は授業をサボってオナっていた。 待て、軽蔑しないでくれ。コレは仕方ない、緊急措置ってヤツだ。先生にあてられ板書中に例のアレがきて、慌ててトイレの個室に引っ込んだんだ。 ふやけきった口の端から涎を垂れ流し、大股開きで竿おっ勃てた俺を、同じ制服の男子生徒が冷めた目で見下ろしていた。 「おまっ、なん、授業中」 その時は名前も知らなかった。ただ顔にはぼんやり見覚えがある、同じクラスの気になる女子がかっこいいと噂していた。 確かに顔立ちは整っているが、片方だけ上がった口角にひん曲がった性根が滲みだし、とてもじゃないが好きになれそうにない。 オナニー現場を目撃されたショックで絶句する俺に対し、男子生徒は右手に預けた煙草をちょいと掲げる。左手首には黒い光沢が綺麗な数珠を巻いていた。珍しいアクセ。 「なんやえらいエロい声するなー、思て覗いてみたら」 関西弁に面食らったが、こっちはそれどころじゃない。授業を抜け出してトイレの個室で自慰に耽ってたなんて、もしバラされたら学校生活が終わる。このタイルに土下座して口止めを…… 「頼む他のヤツには黙っててくれ!」 「お前が男子トイレで股おっぴろげてオナニー狂っとること?」 個室の仕切りにぶらさがったまま、ばっさり切り捨てる男子生徒。完璧面白がってやがる、憎ったらしいツラをぶん殴りてえ。 埒が明かないと判断、同情を引く作戦に切り替える。学ランをはだけたまま便器から身を乗り出し、潤んだ目で弁解する。 「俺っ、の、体おかしいんだ……ホントはホントにこんな事したくねえのに、こないだから毎晩金縛りにあって、変な夢見まくって……」 「どんな夢?」 ふいに真顔になる。目はもう笑ってないし、茶化す雰囲気も引っ込んでいた。澄んだ虹彩に魅入られ、何故かするりと言葉が滑り出た。 「夜になるたびでっかい影がやってきて、その、俺のカラダで色々するんだよ……されてる最中に変な映像も見える、別の部屋の。ラブホみてえな」 「巻いとけ。ちょっとはマシになるで」 「待っ」 個室の床に無造作に投げ込まれた数珠をとる。ドアを開けたら既に消えていた。神出鬼没だ。 「変なヤツ。数珠って……なんでイマドキの高校生が持ち歩いてんだ」 ブツクサ呟いてとりあえず右手に通す。結構おしゃれだ。気休め程度にはなるかもしれない。 結論から述べるとそれ以上の効果があった。右手に数珠を巻いた直後から嘘みたいに性欲は収まり、悪霊が現れなくなったのだ。 そういうわけで、俺は安眠を取り戻した。この日から悪霊の夜這いに怯えず熟睡できるようになり、体力と気力がすっかり回復する。 「烏丸ー、それ何?」 「数珠」 「いや見りゃわかるし……なんでガッコに数珠巻いて来てんの?」 「じいちゃんの形見なんだ」 ごめん京都で健在のじいちゃん。しかしこういっとけばダチも深くは突っ込まず、「形見ならアリだな」と流してくれる。 数珠サマサマの爽やかな朝を迎えて一階へ下りてくと、エプロン掛けたお袋が朝飯の支度をしていた。二個上の姉貴は既にテーブルに着き、目玉焼きを食ってる。 「おはよ」 「はいおはよ」 俺の分の朝飯を持ってきたお袋が、右手に視線を落として目を丸くする。 「それ数珠?うちのじゃないわよね」 椅子を引いて腰を下ろす途中、鋭い指摘にぎくりとする。 「雑誌の広告に載ってたモテ力アップのパワーストーンじゃない?理一ってホントばかだねー、そんなのしたって中身磨かなきゃ彼女できないのに」 「るっせえメスゴリラ、大胸筋でドラミングしてろ」 無愛想な憎まれ口を叩きながら、心の中では助け舟をだしてくれた姉貴に感謝した。 こんな感じで周囲に多少訝しまれながらも、平穏な日常に復帰できたのはめでたい。手首の痣も今じゃ殆ど薄れて気にならない。 ……とはいえ、ちゃっかり借りパクは後ろめたい。 アイツ……謎の男子生徒には「巻いとけ」と言われたか、やるとも貸すとも言われてないんじゃこの後どうしたらいいか困る。 この数珠を身に付けてる限り悪霊は寄ってこない。おそらく魔除けの力が宿ってる。 ってことは、結構な高級品なんじゃ?見た目も綺麗だし。 登校中バスの吊り革を掴んでる時や授業中ノートをとってる時に自然と目が入り、その都度名前を聞きそびれたアイツの顔がチラ付く。 二限目の日本史の授業中、立てた教科書に隠してスマホを操作。値段を調べてみた所一本ン万円のがヒットして驚く。 「嘘だろ、こんなにすんの?うまい棒箱買いできるじゃん」 せいぜいドンキで五百円とかだと思ってたのに……。 「やっぱ借りパクは駄目だよな、人として。うん」 夜、半ば風呂に沈んでぶくぶく泡を吹く。俺が現在日常生活を送れてるのは、アイツがよこした数珠を肌身離さず付けてるおかげ。なのにまだちゃんと礼も言えてねえ。ていうか、誰よ? 『なんやえらいエロい声するなー、思て覗いてみたら』 「~~~~~~~っ……」 派手な水しぶきが上がる。個室の一件がぶり返し、耳まで赤くなった顔をお湯に突っ込む。 人生最大の生き恥さらした張本人に、今さらどのツラ下げて会いに行けって? 荒っぽく顔を洗い、ふと手をどけた瞬間に数珠の濁りに気付いた。汚れと勘違いし、お湯に浸けて擦ってみたもののちっともとれない。 「昨日まではなかったのに」 嫌な予感に駆られて独りごちる。借り物の数珠を眺めるうちに心が決まり、やっぱり会いに行くことにした。 「茶倉くん?知ってるよー、有名人だもん」 「そうなのか」 デバガメ関西人こと茶倉錬は隣のクラスの生徒だった。この学校で関西弁を喋るのは一人しかいないって事で、思いのほかあっさり割れた。 たまたま応対にでた1年2組の女生徒が、意味深な目配せを交わし合い喋り出す。 「てか烏丸、無知すぎてウケるんですけど?うちのガッコで茶倉くん知らないとかモグリじゃん」 「意味わからんし」 昼休みの校内は解放感があふれていた。廊下じゃ男子が大騒ぎし、至る所で女子グループが姦しくお喋りしてる。肝心の茶倉は教室に不在らしく、俺と同中のギャルが代わって教えてくれた。 「本名は茶倉錬っての、変な名前っしょ。関西弁はキャラ作りじゃなくて元々らしいよ~、小5でこっち越してきたとか」 ギャル曰く、茶倉は極め付けの変人で教室どころか学校中で浮きまくってるんだそうだ。 「群れるの好きじゃないみたいで基本お一人様行動だし、授業もサボりまくり」 「不良なの?」 「どっちかっていうと優等生かなー。頭はすごくいいよ、学年十位以内から落ちた事ない」 「ふへー」 「あとルックスね。すごい美形でしょ?ヤバい」 「ボキャブラリーが貧困だな」 「入学からこっち十人以上の女子が告って玉砕してるとかなんとか。そーそー茶倉くんのファンはチャクラーって呼ばれてんの、これ豆知識ね」 「今すぐ返却したいトリビアだな」 まるで役に立たねえ。内心うんざりする俺をよそに、ギャルの背後から別の生徒がやってくる。 「なになに茶倉の話?ってかこの人だれ、別のクラスのヤツ?」 「あー、ちょっと用があって……前に借りたもの返したいんだ」 言葉を濁して説明する俺に、茶倉のクラスメイトが興味津々群がってくる。 「茶倉は?いない?」 「いな~い」 「またー?昼休みになるとすぐフラッと消えちゃうんだよね、そーゆーミステリアスなトコもそそるんだけど」 「マジで言ってんのかよ、喋りかけてもシカトすっしすげー感じ悪いじゃん」 「男の嫉妬は醜いぞー」 「ウチもカラオケ誘ったら断られた。クラスでパスしたの茶倉だけ」 「あれからな~んか近寄りがたくなっちゃって遠巻きにしてるよね、浮きまくり」 俺の存在をド忘れして盛り上がる2組の連中の一人、茶髪のチャラ男が口を開く。 「そーいや茶倉んち、ヤバい神様拝んでんだ」 「ヤバい神様?新興宗教か?」 声を潜めて聞き返す。 チャラ男とギャルが顔を見合わす。 「私も聞いたことある、茶倉くんのおばあちゃんて結構有名な拝み屋?なんだって。でね、家に変な神様祀ってんの。名前はたしかきゅー……キューピー?」 「マヨネーズ?」 場を和ませようとかましたボケをあっさりスルーし、お前らデキてんのかよと突っ込みたくなる距離感のギャルとチャラ男が余計なお世話を焼く。 「烏丸も関わらない方がよくない?あたしらとはさー住む世界違うかんじ。見下してる?っていうか?」 「色々変な噂あるもんな~、鳥の死骸集めて黒魔術の材料にしてるとか」 「知ってる、3組の子がカラス持って校舎裏歩いてくの見たんでしょ?悪魔に生贄捧げてんのかな、茶倉くんならやりかねないよね」 「うちの親なんかアイツのばあちゃんのこと詐欺師呼ばわりで毛嫌いしてる」 「情報提供サンキュ、もういくわ」 本人がいねえ所で悪口を聞かされんのは嫌な気分だ。 クラスメイトの詮索で盛り上がる連中のもとを去る間際― 「きゃあっ!」 凄まじい轟音と共に、廊下の窓ガラスに黒いかたまりが激突した。 たった今まで陰口を叩いてたギャルが鋭い悲鳴を上げてあとずさり、チャラ男が立ち尽くす。 「カラスだ」 「また自殺?」 「最近多いよね、気味悪い……」 ガラス越しに飛び散る大量の羽と潰れてひしゃげた体。生命の鼓動が消えた、無機質な黒い目に息を呑む。 窓ガラスに体当たりしてずり落ちていくカラスを見送り、そそくさ退散する。 実の所、うちの高校は鳥の衝突事故がめちゃくちゃ多いことで知られている。授業中に窓ガラスに突っ込んでくるのは日常茶飯事だ。窓に全身を打ち付けた鳥は、大抵の場合首を折って即死する。 付いたあだ名が鳥葬学園。墜落した鳥の死骸は先生たちが処分してるらしいが、詳しくは知らない。 鳥の自殺の瞬間を見ちまったせいか、胸がまだドキドキしてる。屋上、踊り場、図書室、食堂……もうすぐ昼休みが終わるってのに茶倉は見付からない。 「職員室……はねェよな?帰宅部って話だから、体育館で昼練の線も薄いか」 体育館に続く渡り廊下を歩きながら、ため息を零して数珠をいじる。 やけに重たく感じるのは茶倉の祖母に纏わる噂を知っちまったから?気のせいか、昨夜よりさらに黒ずんでいるようだ。 ……まあ、そっち系の予想はしてた。じゃなきゃ数珠にご利益が宿る根拠が薄い。昼休みの教室にいないのも、家の事情で孤立してるせいじゃないのかよと気を回す。 「キューピー人形がご神体ってどんな宗教だよ。信者全員マヨラーのキューピーマヨネーズ教?たこ焼きにマヨかけなかったら処される系?」 そろそろ切り上げるか。空振り続きに落ち込む俺の視線の先を、噂をすれば影な茶倉が横切って行った。ラッキー。 「ちゃく」 咄嗟に呼び止めかけ、茶倉が片手にぶらさげたものにぎょっとする。折れた首をだらんとうなだれた、真っ黒なカラスの死骸。 「ら……?」 茶倉は俺に一切気付かず、すたすた校舎を回り込む。 我に返って尾行開始、安全な距離を保って追いかける。何アレ?本当に生贄?噂は事実だったのか? 昼休み終了を告げる予鈴が鳴り響く中、二十メートル先を進む少年の歩みに合わせてカラスの首が揺れる。 この高校は旧校舎と新校舎に分かれてる。 数年前に建てられたばかりの新校舎は清潔で綺麗だが、旧校舎は薄暗くてみすぼらしい。 付け加えるなら新校舎の面した中庭にはベンチが点在し、園芸部が手入れしてる花壇が四季折々の花を咲かせてるので、カップルや友達同士で弁当食うのにもってこい。 対する旧校舎の方は至って殺風景。春以外は存在を忘れられてる桜が鬱蒼と生い茂り、ジメ付いて気が滅入る。 不穏な胸騒ぎと危険な好奇心に駆り立てられ、旧校舎を曲がる茶倉を追いかけた俺は、衝撃的な光景を目撃する。 カラスはまだ死んでない。首が折れても生きていた。茶倉は地面に片膝付いてカラスを横たえ、物憂げに一言呟く。 続いて瀕死の痙攣を引き起こすカラスの首をねじり、とどめをさす。 「っ……、」 耳の裏側で膨れ上がる心臓の音がうるさい。鼓膜を殴り付けられてるみたいだ。 コンクリが老朽化してあちこひびが入った旧校舎の裏は人けがなくて、俺と茶倉しかいなくて、涼しい日陰を投じる葉桜がざわめいていた。 あとずさった拍子に砂利を踏みにじり、胡乱そうに目を眇めた茶倉が振り向く。 「あの俺、こないだ借りた数珠返そうとおもって」 「男子トイレで股おっぴろげてオナっとった」 「1年1組出席番号6番烏丸理一だよ!」 勢い余って自己紹介に踏み切り、引き攣り気味の笑顔で茶倉の足元をさす。 「それ何」 「カラスの死骸」 「見りゃわかる。何してんだ、まだ生きてんのに……」 たまらず非難を口走る俺をそっけなく一瞥、茶倉が冷笑を浮かべて言った。 「どのみち助からん」 「だからって」 「ストーカーうざ。いね」 体ごと向き直った茶倉に追い立てられ、一気に血が逆流する。葉桜がざわざわ騒ぎ、生ぬるい風が吹き抜けていく。 風に靡く黒髪をそのままに、旧校舎が差し掛ける巨大な影に溶け込み、拝み屋の孫が挑発的に微笑む。 「お前も呪ったろか?」 炯炯と輝く眼光に威圧され、次の瞬間その場から逃げ出していた。右手首の数珠がキツく食い込み、遠隔で罰されてるような痛みを与える。 脳裏ではクラスメイトの陰口や噂がぐるぐる渦巻いて、心臓が早鐘を打っていた。 第一印象は最悪。セカンドコンタクトは輪をかけて。 この時茶髪の助言に従って素直に手を引いていれば、俺と茶倉がダチになる事はなかったかもしれない。 茶倉練はやべえヤツだ。 その後自分のクラスや他のクラスでも情報収集し、昼休みになるたび茶倉がせっせとカラスの死骸を集めている事実が確定する。しかも入学以来ずっとだそうだ。 「カラスの死骸なんかどうするんだろ、気味悪いよね」 「うちが鳥葬学園とか呼ばれだしたのも案外アイツのせいなんじゃねえの」 「剥製にして部屋に飾ってんのかな、悪趣味ー」 目撃者は大勢いた。他でもない俺もその一人で、近付くなと直々に牽制されちまった。 『呪ったろか』 校舎裏で投げかけられた脅迫が、寝ても覚めても鼓膜にこびり付いて離れない。理性で判断したら、これにこりて近付かない方がいいに決まってる。 茶倉はヤバい。絶対異常だ。 カラスの死骸を集めて何をしてるか知らないし知りたくもないが、もし本当に黒魔術の儀式に使ってんなら…… 『茶倉んち、ヤバい神様拝んでんだ』 『でね、家に変な神様祀ってんの。名前はたしかきゅー……キューピー?烏丸も関わらない方がよくない?』 茶倉に絡んだら俺も呪いの対象にされる?お断りだそんなの。けど待て、じゃあなんで助けたんだ?数珠なんて投げ込まずに無視すりゃよかったのに。俺なんか助けた所でメリットねえのに。 断言できるのは、茶倉練が俺の命の恩人ってことだけ。 カラスの死骸をぶら下げて歩く非常識な変人でも、アイツがくれた数珠のおかげでぐっすり眠れるようになったのは事実で、義理を蔑ろにしちゃいけない。 『あたしらとはさー住む世界違うかんじ。見下してる?っていうか?』 本当にそうか? 旧校舎の裏で再会を果たした茶倉は、何も恥じず怖じずまっすぐ見て来たじゃないか。 陰口に振り回されてよく知りもしねえで判断したら、俺も連中と同類になりさがる。 茶倉が拝み屋の孫で付き合い悪くてクラスで浮いてたって関係ない、俺はまだ全然アイツの事を知らない。 「……ビビってケツまくったまんまじゃ癪だよな」 右手の数珠は日に日に黒く濁っていく。まるでカウントダウン。 翌日、学校が終わるのを待って行動開始。即ち、尾行のリベンジに挑む。 今度は絶対失敗しないと誓い、下駄箱近くで待ち伏せる。 きた。 茶倉を追って正面玄関を出、校門を抜け、桜並木が植わったなだらかな坂道を下りていく。 金曜日の放課後ときて、周りの連中は寄り道の予定を打ち合わせてはしゃいでた。俺もマックで腹ごしらえしないかダチに誘われたものの、丁重に辞退した。 茶倉はバス停でバスに乗り、最寄り駅から電車に乗る。下車したのは三駅離れた旧市街、そこからは徒歩で帰宅するみたいだ。 同じ学校のヤツはもう歩いてない。用件を切り出すなら今だ。よし……やっぱやめ。いざとなると尻込みし、ズボンの横で何度も手汗を拭く。 たった一言、どうしてもそれが言えない。 心ん中じゃ繰り返し練習したのに……自分の意気地のなさが歯がゆくて、右手の数珠をしきりになぞる。 俺が優柔不断に悩んでる間も茶倉は歩調を落とさず、旧市街を通って一軒の屋敷の前に至る。 そこは平屋建ての立派な日本家屋で、塀の内側には見事な庭園が広がっていた。 「拝み屋って儲かるんだな」 電柱に隠れて感心する。茶倉は何故か門前にたたずんだまま、一向に入ろうとしない。「茶倉」と表札が掲げられてたんで、ここが家で間違いないはず。 唐突に茶倉が振り向く。ばれたと勘違いして慌てて引っ込む。間一髪セーフ。 電柱から顔だけ出して観察続行。茶倉は憂鬱そうに俯いていた。 トイレの個室で見せた愉快犯めいた笑顔や、旧校舎裏で対峙した時のミステリアスなたたずまいとは打って変わって、弱々しい表情にドキリとする。 自分の家に入るのをためらっているような。敷居を跨ぐのに抵抗を感じている、ような。 「帰りたくない、のか?」 茶倉の背後に黒塗りの高級車がとまる。助手席のドアを開けて出てきたのは上等なスーツにおっさん。どうやら顔見知りらしく、茶倉と言葉を交わしているものの会話が聞きとれない。 おっさんはすこぶる上機嫌だが茶倉は露骨に迷惑がって、話を打ち切りたがってるようにも見えた。 「……で、君からもお祖母さんに……」 「わからん人ですね、俺は関係ないって言ったやないですか」 「後継ぎなら関係あるだろ?」 おっさんがニヤニヤ笑って茶倉の肩に手をかける。大して強く掴んだようには見えないにもかかわらず、大袈裟に顔をしかめる茶倉。 体が勝手に動いた。 「うわーっすっげー、茶倉んちってでっかいんだな!」 「え?」 突然飛び入りしたガキに目を丸くするおっさん。すかさず茶倉の腕を引っ張り、マシンガントークで畳みかける。 「てか遅えよお前、何ぐずぐずしてんだ。駅前のカラオケに集合って言ったの聞いてなかった?待ってんのだるいから迎えに来ちまった」 「待ちなさい、まだ話は終わってな」 「茶倉の知り合いっすか?俺コイツのダチの烏丸っていいます、悪いけどこっちが先約なんで連れてきますね、じゃ!」 「走れ」と囁いて同時に駆けだす。旧市街を走り抜けて駅前に戻り、膝に手を付いて呼吸を整える。茶倉は息も切らしてない。 「やっぱツケとったんお前か。気配でバレバレ」 「うる、せえ、はあっ、はあっ」 顎に滴る汗を拭って毒突く。茶倉はあきれ果てた様子。 「ダチとかカラオケとか聞いてへんけど」 「嘘も方便。変なオッサンに絡まれて困ってたじゃんか」 「余計なことして恩着せんなストーカー」 「~かっわいくねえ!」 「おおきに。で、なんでうちに?」 「まだ言ってなかったから。数珠、貸してくれてサンキュ。おかげさんで幽霊出なくなった」 茶倉がぽかんとする。 「……ああさよか、変態ホイホイできて結構なこっちゃな」 「借りてていいの?」 「くれたったんや。うちにぎょうさんあるさかい、いらん気ィ回すな」 「すげー、本当に拝み屋なんだ」 「俺ちゃうで、ババア」 「口悪ッ」 どちらからともなく吹き出す。 取っ付き難いイメージがあったが、笑顔は年相応にやんちゃで可愛かった。 「なあ……カラオケ寄ってかねェ?」 俺の提案に茶倉は微妙な顔。やっぱ駄目か、と落胆する。 「ごめん忘れて。2組のヤツが言ってた、歌嫌いなんだろ」 「いや……」 「無理すんな。ジャイアンも卒倒して海馬が逃げ出すレベルのエグい音痴とか、人には向き不向きがあるもんな」 せっかくさらってきたのに帰しちまうのが惜しくて……いいや、本音を言えばもっとコイツの事が知りたくて誘ってみたのだが考えが足らなかったと反省。 しゅんとする俺に詰め寄り、これまで見た中で一番険しい表情になった茶倉が念を押す。 「絶対笑わんって約束せえよ?」

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