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第21話

鳴弦の儀は古式ゆかしい魔除けの儀式だ。 別名弦打の儀とも呼ばれ、その名のとおり矢を番えない弓の弦を鳴らし、魔を祓うことを目的とする。発祥は平安時代まで遡り、後世にはより甲高い音がでる鏑矢を用い、|蟇目《ひきめき》の儀とも称されるようになった。 もちろん、練も嗜んでいる。 弓道部にこそ属してないが、茶倉の屋敷に備わる私設の弓道場で厳しい稽古を付けられた。 鳴弦の儀は日本の伝統儀礼である。しかし鳴らす人間が霊力を宿しているなら、それは魔除けとなる。 練は瞠目する。 体内を巡る霊気を指先に集め、不可視の矢を練り上げていく。 これが鳴弦の儀と称されるのは、常人には見えない特別な「矢」を射るからだ。 練が限界まで矯めて放った矢は、過たずういの額を射抜いた。理一には見えていないが、練には体育館の天井を占めたういの巨大な生首が見えていたのだ。 「今の悲鳴ういか!?」 「上におる」 練の経験則を述べれば、化け物は擬態が得意だ。強大な化け物ほど他に紛れるのが上手い。闇に、人に、連中は常に何かに化けて人々の目を欺く。体育館は既にういの侵入を許していた。ここは安全圏ではない。そも学校の範囲内で、ういの干渉を完全に絶てる領域はない。 「ええかようきけ。ここは化け物の腹ン中、最初っからカラスの胃袋の中なんや。現世から切り離されるっちゅーんはそういうことや」 即ち、異界化。現状練が打てる対抗手段は少ない。ういはカラスに化けてどこへでも潜り込む。隙間がなければ物体や人の影を渡り歩く。そんな掟破りの存在に、どうすれば互角な戦いを挑めるのか? 練にアドバンテージがあるとすれば、それは血筋だ。茶倉の血筋は忌み嫌われる雑ぜもの筋。 故に、強い。 現在の当主は祖母の|世司《よし》で、四十六代目の当主となる。 練が将来跡を継げば、四十七代目の当主が誕生するわけだ。 ろくでもない血筋だ、と自虐する。 茶倉の先祖は平安時代から怨霊やあやかしを調伏し、退魔で生計を立ててきた。一族の悲願は最強の術師を生み出す事。 大願を遂げる為に手段を選ばず、あらゆる宗教や憑き物筋を取り入れ、何世代も経て血を混ぜ合わせてきたのである。 その末裔が、練だ。 余談だが、茶倉の血筋には障害者が多い。盲者・聾者は珍しくないし、四肢のいずれかが先天的に欠損している者も多い。 長年いとこ同士、きょうだい同士で血を掛け合わせてきた近親相姦の弊害は否定しがたいが、祖母も練もそれが力を授かる代償である事を心の底では理解していた。 何かを得れば何かを失うのが世のならい。 故に茶倉の一族は強い霊感を授かる代わりに体の一部、あるいは五感の一部を捧げてきた。練の母は耳……聴覚だった。彼女は生まれ付き耳が聞こえず、幼い息子と手話で会話していたのだった。 『よく聞け練。お前は特別だ。茶倉の血筋の男児が五体満足で生まれるのはとても稀』 祖母に引き取られてから耳が腐るほど聞かされてきた言葉が甦り、唾を吐きたくなる。 『茶倉の子は何かを放棄するかわりに第六感を得て生まれてくる。私も足が不自由だった。もし五体満足の子が、しかも後継ぎたる男児が産声を上げたら、その子は特別強い力を持っている』 練が神だか化け物だかに何もとられず生まれてこれたのは、母親の胎にいる時点で打ち勝ったから。胎児の段階で霊力を開花させ、くだらない取引をもちかけてきたろくでもない「何か」を退けたから。 『だからお前は     様の苗床になる』 「じゃかあしい」 畳に正座する祖母の厳めしい顔。一分の隙なく着付けた和服。最悪のフラッシュバック。 「一番集中せなあかん時に出てくなボケカス」 心の中で憎い肉親を罵倒し、弓を頭上に向け弦を引き絞る。 ういの真っ赤な口腔が迫る。不可視の矢が生首に突き立ち、ずぶずぶ沈んでいく。 「ッ、は」 「大丈夫か?顔色悪いぞ」 「余計なお世話」 理一の気遣いをぶっきらぼうに跳ね付ける。普段は鈍感な癖に、こんな時ばかり鋭いのが嫌になる。練の霊力とて無尽蔵ではない、矢を射続ければじき枯れる。 理一は役立たずだ。コイツはただ見えて感じるだけで祓えるわけじゃない。ういの片目を矢で潰し、焦燥に揉まれた練が絶叫する。 「時間稼ぎしとる間に綻びをさがせ!」 「綻び!?」 「ういがいくら桁外れのバケモンでも元の世界と完全に切り離すんは無理や、あっちとこっちとまだ皮一枚で繋がっとるはず!その抜け道をさがすんや!」 「ヒントくれよ!」 「俺かて暇ちゃうんや少しは自分の頭で考えたらんかい!綻びっちゅーたらアレやほら、違和感や!お前が覚えとる学校と違うとこさがせ!」 顔も向けず喝を入れる。理一が悔しげに唇を噛んで走り出す。練は続けざま矢を射て生首を押し返す。びいん、びいいいいいん。理一の耳には弦が撓み震える音だけが響いてるはずだ。 音圧の波紋が十重二十重に浸透する中、理一がハッとしてどこかへダッシュする。 「わかった、あそこだ!」 理一が指さす先には体育用具倉庫の引き戸があった。否、茶倉の記憶と位置が異なる。本来体育用具倉庫は体育館の南、反対側にあったはず。 「でかした!」 「間違いさがしは得意なんだ!」 これは実際の学校じゃない、ういが作り上げた偽物、よくできた模倣にすぎない。だから現実とは異なる場所に体育用具倉庫が存在する。即ち、突破口が。 最後に一矢を報いて猛然と走り出し、途中で理一と合流する。ワックスで磨き抜かれた床で勢いを付け、二人して体育用具倉庫に滑り込む。背後でういが吠え、鼓膜と空気がビリビリ震える。 引き戸の向こうには真っ暗な奈落が待ち受けていた。虚空に投げ出された理一が精一杯手を伸ばす。 「茶倉っ!」 「理一っ!」 同時に叫び、がむしゃらに互いの手を掴み、抱き合い、風に巻かれて垂直に落下していく。 「あぐっ!」 「っだ!?」 地面に叩き付けられたのに死んでない。息をしてる。 「てて……どこやねん、ここ」 「鳥葬の丘だ」 片膝立てて起き上がった理一が神妙に呟く。周囲でさざめくのは黄金のススキの穂、葡萄に似た黒い実の房。 「また飛ばされたのか……でもなんで体育用具倉庫から繋がってんだ」 呆然とする理一の横顔を見上げ、練は立ち上がる。体育館とは別世界だ。自分は今、遥か過去の風景を見ている。 「多分これ、ういの記憶の地層なんや。ミルフィーユみたいに重なっとんねん。上は今、下は過去」 「ういは学校と一体化しちまったのか?」 「俺たちが今さっきこじ開けた用具倉庫の扉は、ういが暴かれとうない過去の隠し扉っちゅーわけや」 そうと仮定すれば、わかりにくい位置に用具倉庫がもうけられていた理由も納得いく。 気取った手付きで学ランをはたき、改めてあたりを見回す。鳥葬の丘には夥しいカラスが舞っていた。空は真っ赤な夕焼けに染まっている。 不覚にも、綺麗だと思った。 「魚住、板尾!」 突然理一が叫んで飛び出していく。視線の先には制服姿の少女と少年が仰向けていた。 「烏丸……」 「痛てえよお、助けてくれよお」 真っ白な顔の魚住がパクパクと口を開閉する。隣の板尾は泣きじゃくっていた。無理もない。二人ともカラスに腑を暴かれ、臓物を啄まれているのだ。 理一が顔を歪めてカラスを追い払い、「畜生」と地面を殴り付ける。 「板尾が鳥葬の丘にきてるってことは……」 「何、が、あったんだ。俺、リカに呼ばれて屋上から……気付いたら野原に寝っ転がって、カラスが」 「だからそれ私じゃないってさっきから言ってんじゃん、だまされたんだよばか」 「ばかってゆーなばか」 「私ずっとここにいたもん、ずっと正孝の事考えてたもん」 「ごめんリカ……お前の事助けらんなかった、ッぐあ。デートの約束、して、たのに」 息も絶え絶えに悔やむ板尾。魚住が弱々しく首を振る。 「無理、しないで。近くに住んでんだし、おうちデートでよかったのに。正孝と一緒にいられれればそれだけで」 「家、学校の近く、なんだから。朝とかもっと待ち合わせて、ふたりで登校すりゃよかった」 「みんなにも……えみりにも早く言ってれば……」 「たんま」 練が片手を立て話を遮る。板尾と魚住の視線が集中する。 「おどれらご近所なんか。丘の近くに住んどるんか」 魚住と板尾がこくこく頷く。練が唇をなぞり思考に沈む。だしぬけに複数の気配が立ち、ススキの穂をかき分けて影の群れがやってくる。 「!伏せい」 咄嗟に理一の頭を押さえ込んで突っ伏す。地べたに這い蹲った二人の鼻先を、粗末な草鞋が横切っていく。 「埋めなくていいのか」 「野ざらしでかまわん。鳥葬じゃ。カラスに食わせるんじゃ」 野卑な話し声が頭上を飛び交い、百姓たちが何かを無造作に投げ落とす。 「----ッ!?」 理一が衝撃に目を剥く。男たちの手によって今まさに捨てられたのは、全裸の女の死体だった。惨たらしいことに、全身に凌辱の痕跡が残っている。 「丘を守る巫女の身でよそ者を咥えこむとは」 「穢れた女じゃ」 「なかなかどうして具合は悪くなかったが」 「次の巫女は誰を立てる?」 「ああ……そうさの。ういが生んだ双子の片割れは?アレはおなごのはず」 亡骸を打ち捨てた百姓たちが平然と相談を始める。理一は両手で口を塞ぎ、気も狂いそうな恐怖に耐える。魚住と板尾は目だけで百姓たちの動向を窺っていた。不思議なことに彼等の姿は見えてないらしい。 「しかし……良いのか?よその男の血が入った子じゃぞ」 「この際仕方あるまい。半分はういの血筋じゃ。顔の造作もよく似ておる」 男たちは手前勝手に困惑していた。怒りと欲望に任せて慰み者にしたはいいものの、その後の事はてんで考えてなかったらしい。事切れたういの顔には無念と怨嗟が焼き付いていた。 「ならば生かして育てねばなるまいて」 「誰がやる?」 「ワシが。少しは余裕がある」 「息子はどうする。捨て置くか」 「いや……待て」 男たちが後ろめたげに声をひそめ、全裸の骸をちらちら盗み見る。 「ういの奴、最期までやや子に執着しておった」 「この上くびり殺せばどんな祟りが……」 「一回絞めたが、しぶとく息を吹き返したぞ?」 「人の種でなく死霊の精なら……」 ういを嬲り殺した後、頭が冷えた百姓たちは一様に怯えていた。 亡骸を取り囲む顔に去来する恐怖と嫌悪と罪悪感。練と理一は伸びたススキの根元に隠れ、息を殺して成り行きを見守る。 ぎゃああああああああ。 ぎゃああああああああ。 保身の一念に駆り立てられた男たちが話し合い、野原にほったらかされた赤子を抱き上げる。 片方は女、片方は男。二卵性らしくあんまり似ていない。娘はういに、息子は逃げた面打ち師に面影を寄せている。 理一がおそるおそる手をずらし、血の気の失せた唇で呟く。 「俺たち、なにを見せられてんだ?」 「ういの……いや、この丘の記憶か」 もし今、二人の目の前に打ち捨てられた骸がういなら。彼女は既に死んでおり、自分の死後の出来事は知り得ないはず。理一が上体を起こす。 「赤ん坊、助けなきゃ」 「待て」 「止めんな」 「過去は変えられん」 「でも!」 状況はよく把握できないものの、百姓たちが女……ういを犯して殺し、その赤子を連れ去ろうとしているのは明白だ。理一はもどかしげに歯噛みして練に食ってかかる。 「あれってういの子だろ、アイツらに子どもをさらわれたのが無念で出てくるんじゃねえのかよ!?てかフツーに考えて絞めるとか殺すとかほっとけね、むぐ」 「声落とせ」 練が理一の口を塞いで注意する。むぐ、と言葉を噛んだ理一の視線の先、女の赤子をあやす泥臭い百姓の横顔に既視感が疼く。誰かに似ているような 「―板尾?」 「は?」 練の目が訝しげに細まる。理一が垢ぬけない百姓と瀕死の板尾を見比べほのめかす。なるほど、二人の顔立ちはよく似ていた。先祖返りと言われても納得してしまうほどに…… 先祖。 まさか。 男の赤子を無造作に抱き上げた百姓に視線が行く。こちらも既視感がある。目元が魚住によく似ていた。 鳥葬の丘に集合した男たちは全部で七・八人。練が気付いた事に理一も気付いたらしく、顔がみるみる青ざめていく。 「魚住と板尾が贄にされたのって」 「無差別やのォて、ちゃんと憎い奴を選んで殺したんやな」 魚住リカと板尾正孝が自ら身を投げたのは、それだけういの恨みが強く根深かったから。 『満願成就の時は近し。鳥葬の丘に来たれり。我はぬばたまの贄なり』 影鳥居の発見も無関係ではないが、それ以前にどうしてもこの二人だけは、自殺するように仕向けねばならない理由があった。 復讐の為に。 偶然か必然か。 『大丈夫。俺がいっから』 原因が先か結果が先か。 『頼りにしてるよ正孝』 嘗て自分を嬲り殺し、最愛の我が子を奪った男たちの子孫が因縁の丘で巡り会い、先祖の罪も知らず結ばれたとしたら、ういでなくとも呪いたくなるのではないか? あるいは。 怨霊と化したういは、憎い男たちの子孫が数百年を経て再訪する刻を、復讐の機会を待ち侘びていたのか? 「じゃあ俺も?」 俺のご先祖様も、共犯なのか? 「……まだわからん。お前のそっくりさん、あん中におらへんやろ」 「気休めはいいよ。俺のご先祖様は女をヤリ殺して赤ん坊を取り上げた、鬼畜外道の最低野郎だってハッキリ言えよ」 恨まれて当たり前だ。憎まれても仕方ない。あの中の誰か、顔も名前も知らない先祖のういへの仕打ちを考えれば、理一が参の贄に選ばれるのは因果応報じゃないか。

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