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第20話
「たあっ!」
裂帛の気合を込めモップを振り抜く。
横から奇襲を仕掛けてきた髪の毛を打ち払い、跳躍で間合いをとる。
面も胴着も籠手も付けてねェ。しかも今構えてるのはただのモップ、使い慣れた竹刀じゃない。
とはいえ、ないより断然マシ。
「来いよ、返り討ちにしてやる!」
茶倉はぽかんとしてる。
「お前、強かったんか。ほならなんで」
「悪霊にされたい放題だったかって?ンなの物理攻撃きかねえからに決まってんだろ!」
いまさらすぎる質問に笑えてきた。理不尽な話、あっちから干渉は可能でもこっちから手出しできねえのがお約束。
それにおれは剣道をやめた。部活を引退してから竹刀は握ってねえ。
中学の三年間は剣道に捧げた。
実際はもっと前、物心付いた頃から竹刀を持たされていた。京都に住んでるじいちゃんは名門道場の師範代で、孫を後継ぎに据える計画をいまだに諦めてねえ。
「ッ!」
硬化した髪の毛が胴を薙ぎ、雑念に流れた思考が引き戻される。間一髪後ろに跳んで体勢を立て直す。膝を撓め、柄を握り、迫真の眼光で威圧する。
ういは怒り狂ってた。話は通じねえ。ぞぞぞ、ぞぞぞぞぞと蠢いて広がりゆく髪の毛。寄せては返す黒い波。カラスたちが甲高い声を上げ、ういの黒髪に吸い込まれていく。
額に結んだ汗がツーと伝い、襟元で弾ける。体中がズキズキ疼く。打撲と擦り傷。本音を言えば立ってるだけで一杯一杯の状態、虚勢は長くもたねえ。
ういの目が真っ赤に染まり、血の涙が滴り落ちる。真っ黒な歯の隙間から吐かれるのは、あらん限りの憎悪を焚き染めた呪詛。
『やや子を渡せェ』
「わからず屋さんだな、ここにはいねえって言ってんじゃん」
化け物と対峙し睨み合いを続ける。極限まで殺気が張り詰めた沈黙。背中を見せたら即やられる。予想が的中、また来た!モップの柄を振り上げ振り下ろし、数合切り結ぶ。手に衝撃が伝わる。ういには実体がある。なら、やれる。
じいちゃんの教えを思い出す。気息を正し、摺り足で円を描くように移動する。
「的がでけえ。面、狙い放題じゃん」
敵に不足はねえ。こんな時だってのに、恐怖を圧して巻き起こる闘志に昂る。自分でも不思議なもんで、竹刀代わりのモップを握った途端にひょっとしたら切り抜けられるんじゃねえかって自信が湧いてきた。空耳か追憶か、「お前はすぐ調子に乗って突っ走る」と説教するじいちゃんの声まで聞こえてくる。
けど、男には引けねえ時がある。今下がったら、後ろで突っ立ってるアイツはどうなる?
茶倉の嘘と裏切りは許せねェけど、ほっぽって逃げるのはナシだ。
「はッ!」
髪の毛が飛んでくる。柄で誘い出し、切っ先で絡めとるようにして受け流す。動きが冴えていた。この集中力と反射神経を発揮できてたら、中学最後の全国大会で優勝できてたかも。決勝戦敗退の苦い記憶が甦り、顔が歪む。突然腕を引かれて振り向く。茶倉が急き立てる。
「走れ」
心は決まった。素早く身を翻し、長い廊下を駆け抜ける。ういがカラスをけしかけてきた。モップで叩き落としても後から後からたかってくるんできりがねえ。
「どこ行くんだよ!」
「黙って付いてこい!てか戦えるなら戦えるってはよ言わんかい平凡サギ!」
「聞かれんかったし」
「まねすな」
「全国大会中学生の部決勝敗退の実力の持ち主」
「せめて優勝してからえばれ、見栄っ張り」
「せやな」
「エセ関西弁やめい」
「じいちゃんに言われてイヤイヤやってんだよ。別に好きじゃなかった」
「なんでやめたん」
「防具が蒸れて臭くてモテねえから。最後のが一番でっかい」
「部活は関係ない、モテへんのはお前のキャラとルックスのせいやろ」
「うるせえ本当のこと言うな!高校じゃ可愛いカノジョ作って青春したかったんだよ、全部パアだけどっ」
男だらけでむさ苦しい更衣室も汗くさいロッカーも金輪際願い下げ。平日の放課後が稽古や試合で潰れんのはお断りだし、素振りのしすぎで手のひらの豆が潰れて固くなんのもかっこ悪ィ。
次に握んなら竹刀じゃなくて、好きな女の子の手がよかった。甘酸っぱいを通り越し、しょっぱい後悔がこみ上げる。
じいちゃんへの義理立てだけで続けた剣道に全く未練はない……が、心ん中で一応感謝しとく。
「能ある烏は爪を隠す、か」
「スカウト来んのめんどいから剣道部ないとこ選んだのに、裏目にでたぜ」
「それが第一志望の理由?」
「否定はしねえ。けど変だよな、弓道部の稽古場はあるのに剣道部はねえって。学校案内のパンフ見てあれってなったもん」
「丘の上さかい、敷地だけは無駄に広い」
どうでもいいことをくっちゃべりながら走る、走る、ひたすら走る。逃げ足にはそこそこ自信がある。
茶倉に言ったことは嘘じゃないが、核心は慎重に迂回した。本当言うと俺は、自分の限界を悟っちまったんだ。これからどんだけ頑張っても、じいちゃん並には強くなれねえって。中学最後の大会じゃ優勝候補とか期待されたのに、開始早々面を一本とられちまった。アレで心がへし折れた。そんなんだから悪霊に付け込まれたんだろうか?
わからねえ。わかりたくねえ。いくら考えたって答えはでねえ、同じ所をぐるぐる回るだけ。
「ういはどんどん強くなっとる。最初は校舎の外におったのに今度は廊下に瞬間移動で通せんぼや、しゃれにならん」
「影からカラスを生み出すのがアイツの力?髪の自在に操ってキューティクル攻撃してくるだけで厄介なのに」
「目には目を、物理には物理を。モップで叩きのめせるなら勝算ある」
「マジか」
「マジで」
茶倉がきっぱり断言、横顔に確信と自信が満ちていく。拝み屋の孫に頼もしさを感じる一方、自分の暴言に後ろめたさを覚える。
頭じゃちゃんとわかってる、魚住と板尾を殺したのはコイツじゃねえ。なのに心が納得しねえ。
悪いのは茶倉の祖母と先祖と市長で、コイツは尻拭いにきただけなのに。
「なあ……ぬばたまの贄を捧げると、ホントに願いが叶うのか」
旧校舎の裏に回り込む茶倉。片手にぶらさげたカラスの死骸。
「市長は、いや、今の市長の親父やじいちゃんも丘に贄を捧げ続けてきたのか。ういと取引して、市議選に勝ち続けてきたのか?」
教師が焼却炉に放り込んだ大量のカラス。あれは何も知らない俺たちだ。魚住も板尾も俺も、他の何百人の生徒や先生も、全員がぬばたまの贄だったのだ。
「さあな」
茶倉の返事はそっけない。
「ういは怨霊のボスで悪魔ちゃうし、ホンマにそんな事できるか俺もわからん。大事なんは市長の一族が信じ込んどること。臭いものにふたの理屈で丘に学校ぶっ建てて、都合が悪いもん封印したんや」
「捧げなかったら」
「瘴気が流出する」
丘の周辺には大勢が住んでいる。ういの祟りが丘の外まで広まれば、大惨事に繋がる。
「ここは忌み地で結界。こん中におる時だけ、ういは力をふるえる」
「前は心不全とか脳卒中に見せかけて殺ってたのに、なんで魚住たちは」
「贄を喰いすぎた」
ういの力は暴走してる。鳥居を軽率に掘り出したのもまずかった。詰まる所、あの鳥居は封印の要だったのだ。
魚住と板尾が飛び下りたのは、こちらとあちらを分ける役目をしていた門が破壊され、ういが直接干渉できるようになったからに他ならない。
「行きはよいよい帰りは怖いってわらべ唄にあるやろ。いっぺん通ったら戻ってこれへん」
「影鳥居は代わりか」
本物の鳥居は壊れた。でも影は残る。魚住と板尾が目撃したのは、実体から分離した鳥居に違いない。
「影鳥居は彼岸の入口、あの世とこの世を隔てる門。ういは半分あっち側の存在。お前が見た原っぱもそうや、きっとはざまなんや。どっちにも行けん魂が縛り付けられとる……」
自分の考えを整理するみたいにブツブツ呟く茶倉。俺はといえば、完全においてけぼりだ。正直半分も理解してねえ。
「わかりやすくまとめっと、鳥居センサーをパスしなきゃおいしく食えねえって事だよな?待て、ワープ装置の方が近ェか」
俺なりに事実と推論を咀嚼してみる。茶倉の目が感心したように細まった。くっちゃべってる間も猛追は止まず、ういが飛ばすカラスの群れが凄まじい勢いで殺到する。
「赤ん坊は?ういが会いたがってる」
「知らんわ」
「子どもと会わせりゃ退くんじゃねえの」
「ほな産め」
「ケツから!?無理!!」
「それ以前の問題やろ」
鋭いくちばしが床を抉り、髪の毛の鞭がピシャンピシャン壁にあたる。茶倉に続いて階段を駆け下り、目指すは体育館。気絶してる連中を巻き込まねえように引き離すのか。
「おおきに、理一」
「ほえ?」
「お前の言葉がヒントになった」
茶倉が巨大な鉄扉を開け放ち、ワックスで磨き抜かれた床を踏み、だだっ広い体育館へ踊り込む。
うちの体育館は弓道場を備えている。
ドドッ、ドドッ、地鳴りが響く。背中で扉を押さえたそばから体育館の窓をカラスが覆い尽くす。どのみち入ってくるなら時間稼ぎにしかなりゃしねえ。
茶倉が板張りの弓道場に赴く。周りには弓道着の生徒と顧問が伸びていた。みんな深い眠りに落ちていて目を覚まさねえ。向こうのコートにゃユニフォームを着たバスケ部員が倒れてる。
弓道部員の横に落ちてた弓を手にとり、茶倉が弦を引っ張る。ビイイン、ビイイン。張り詰めたいい音が鳴る。
「何する気だ!?」
「うちの一族は神道を取り込んどる」
「ゆらゆらとふるへ?」
「|十種神宝《とくさのかんだから》か。きちんと力ある奴が唱えれば、死んだヤツが甦るらしいで」
「魚住たちを生き返らせんのか!?」
希望に明るむ俺の声に目を伏せ、儚げに……寂しげに微笑む。
「反魂はようせん。俺は拝み屋の孫。ただの―」
続きは聞きそびれた。
恐ろしく真剣な面構えで虚空を睨み据え、矢は番えずに弦を引き付け、ギリギリまで矯めて弾く。
氣を練り上げ狙い定めたのは、緩やかに湾曲した天井をこえた、遥か彼方の空。
端正な立ち姿から放たれた不可視の一矢が宙を貫き、弦が震動する音が殷々と浸透していく。
直後―窓を埋め尽くしたカラスが微塵も残さず消滅、息苦しい圧迫感が取り除かれ空気が清冽に澄み渡る。
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
鼓膜に染み入る余韻が消えるのを待たず、悶絶する女の絶叫が静寂を破った。
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