19 / 24
第19話
急転直下、蠢く闇が襲いかかってきた。
「ぐっ」
窒息の危険にもがき苦しみ、めちゃくちゃに両手を振り乱す。引き戻そうと腕を突っ張る茶倉も立場は同じ、カラスにたかられ抵抗を封じられた。
「お前かうい!俺たちをどうする気だ!」
カラスを薙ぎ払い精一杯叫ぶも、敵は狂った哄笑を上げるだけで返事をよこさない。
再び巨大な顔が出現する。今度は窓越しじゃなく廊下のど真ん中に直接現れた。
『憎シ……憎シ……アナ憎シ』
茶倉がカラスに揉まれながら抗い、踏ん張って印を切る。瘴気を吸った数珠は不浄に濁り、輝きを失っていく。
ぎゃああああああ、ぎゃあああああ、濁った声でカラスが啼く。
いいや、カラスじゃねえ。これは赤ん坊の産声だ。嬰児が泣いているのだ。
『やや子を返せ』
「それが願いか!?」
ういは自分の子を奪われたのか。でも何故?
全部我が子と引き離された復讐だったとして、学園全体を呪うのは辻褄が合わない。
「お前は鳥葬の巫女だろ、先祖代々丘を守る役目を負ってたんじゃねえのかよ!関係ねえヤツまで巻き込んでぶっ壊して、本当にこれで満足なのかよ!」
教室に累々と倒れていた先生と生徒、飛び下りを強制された魚住と板尾。
皆ういの手のひらの上で踊らされた。
『私たちは人柱。遥か昔からケガレを封じ込めてきた』
「だからそれってどーゆー」
「この丘は古代の祭祀場や。江戸時代や室町、いや、それよりもっと前から屍が葬られてきた。ほんでぎょうさんケガレがたまってもた」
ういと茶倉の声が殷々と重なり響き、ぎょっとして下を向く。
俺たちが踏み締めた床は透け、遥か下まで層を成して積もる、屍と骨が見えた。
「今ハッキリわかった、あの女はまじりもんや。人でなしの血が入っとる」
カラスにあちこち突付かれ、学ランが裂けた茶倉が悔しげに歯ぎしりする。
俺たちが手首に巻いた数珠が同時にひび割れ、何粒か砕け散る。
学校が、否、丘全体が鳴動を始める。瘴気が膨張し、次元が歪んで拡張されていく。俺は説明を求める。
「人でなしって何だよ!?神様、ばけもの!?てか人間と人外で子作り可能なのか」
「安倍晴明の生い立ち知らんのかい。子どもを置き去りに消えた雪女は?異類婚姻譚は昔話の定型。神さんかてばけもんかて、その気になりゃ孕むし孕ませられる。せやから半妖やら先祖返りやら、けったいなもんが生まれはる」
「ういが産んだ子は人間とばけもの、どっちだ?ばけものだから取り上げられちまったのか」
詳しい事情はわからないが、ういの哀しみと憎しみは痛いほど伝わってきた。失った子の行方がわかれば慰められるのだろうか。
なのに茶倉の結論は非情だ。
「どのみちもう生きてへんよ。ういがおったんは千年近く前の室町時代て忘れんなや」
残酷な話、ういの手に子どもが還ることはない。茶倉が深呼吸で怒鳴る。
「ええ加減往生せえ、うい。俺たちを元の世界に帰せ」
『参の贄をよこせ』
「世界をぬばたまに塗り潰すんか」
茶倉の口角が歪に上がる。
廊下のど真ん中を占めた美しくおぞましい女の生首から、夥しい黒髪の奔流が放たれる。
『私を穢した下郎ども、やや子を奪った外道ども。皆許さぬ、永劫に苦しむがよい』
ういの悲願は愛し子を取り戻すこと。
それが叶わないなら全てを滅ぼすしかない。
「待てよ、きっかけは?ういは何百年も前に死んだんだろ、何でよりにもよって今動き出した?」
「ババアが元凶」
「は?」
茶倉が忌々しげに肩を竦める。
「うちが拝み屋やっとんのは知っとるやろ。で、去年ババアが市長に頼まれた。ガッコが建っとる丘の裏、削って道路通したいんやて。フツー神主呼んで地鎮祭とかせなあかんけど、市長はうちの熱心な信者さかい、直々にご指名がきた」
初出の情報が殺到し頭が混乱する。
「聞いてねえぞ」
「せやろな、言うてへんもん。測量中にどえらいもん出よって、慌てて引き上げたんじゃ」
「骨?」
「鳥居」
予想外の回答に意表を突かれた。
茶倉が続ける。
「真っ黒な鳥居が埋め立てられとったん。重機が当たって壊れてもたけど」
「待て待て初耳だぞ」
「知らんかて無理ない。その頃はお前生徒ちゃうし、市長とババアが裏で土建屋に手ェ回したさかい」
「賄賂包んで証拠隠滅?」
「後から調べて、例の鳥居は土砂崩れで埋まったんがわかった」
「ここ、神社だったのか?」
「鳥居はこっち側とあっち側を仕切る門、異界の入口。裏っ返せば、くぐったら生きて帰ってこれんっちゅー目印やろ。もとを正せばこない物騒なトコにガッコが建っとんのもおかしいねん。鳥葬学園で死んどんのはカラスだけちゃうで、ここができた当時から授業中の心不全だの脳卒中だので何十人もくたばっとる。まるで生贄捧げるためにわざと建てたみたいや」
急展開に付いてけない俺をよそに、拝み屋の孫がちゃっかり白状する。
「恥のかき捨て。このガッコの地鎮祭仕切ったんは茶倉の先々代、俺の先祖は市長とグルやった」
「地鎮祭て神主がやるんじゃ」
「茶倉の一族は全国津々浦々、有力筋の神社や寺の血統を引っ張り込んどる」
「どうしてそんな」
「ぼくがかんがえたさいきょうのれいのうしゃ生み出すため。沖縄のウタも青森のイタコも中部のクダ使いも、取り込んで掛け合わせて雑ぜて強ゥすんねん。サラブレッドの交配と発想が同じて、笑える」
嫌悪と侮蔑が滾る表情を前髪に秘め、茶倉が自嘲する。
数百年前、ういが鳥葬の丘で惨死したのは間違いない。彼女が怨霊化し、取り憑いていたのも事実。
とはいえこちらから手出ししなければ、誰彼構わず祟り殺すほどの力は持たなかったはず。
けど、拝み屋が関与してたら?
「実の所、病院とどっちにしよか迷ったみたいやで。せやけどそっちはもうあるし、なんなら隣の市の大学病院行った方が早い。当時はニュータウン造成とベビーブームのダブりで町の人口膨れ上がって、土地を遊ばせとけんかった。ほんで鳥葬の丘に白羽の矢が立った。高校なら周りの学区からようけ生徒集められるし、贄の入れ食い状態や」
魚住が最初の一人じゃない。
篠塚高校はずっと前から、それこそ創立時から丘に生贄を捧げ続けていた。
いわば茶倉の先祖がこしらえた人工の忌み地だ。
「で、でもさ、高校でばたばた人死んでたらニュースになるだろ」
「過失やったら騒がれたかもわからんけど、自然死にどないツッコめっちゅーねん。ほんでも死んだ連中は事切れる前に黒い鳥居を見たて賭けてもええわ」
茶倉が酷薄な笑みを刻む。
「もっとおもろいこと教えたる。鳥葬学園ができてからこっち、うちの市はええ事続き。財政は上向いて順調に人が増え続けとる。今の市長は世襲の三代目で地盤が固い」
「まさか」
切れ長の双眸が冷たい光を孕む。
「悪魔に生贄捧げるんは願いを叶えてもらうため。市長は何を欲しがったんかな」
数十年前、茶倉の先祖と市長が手を組んで鳥葬の丘をぬばたまの贄の祭壇に作り替えた。
近寄らなければ害はない、ならば逆もまたしかり。
かくしてういは目を覚まし、満願成就に向け動きだす。
|お《・》|前《・》|た《・》|ち《・》|の《・》|願《・》|い《・》|を《・》|叶《・》|え《・》|て《・》|や《・》|っ《・》|た《・》|の《・》|だ《・》|か《・》|ら《・》|、《・》|今《・》|度《・》|は《・》|自《・》|分《・》|の《・》|願《・》|い《・》|を《・》|叶《・》|え《・》|ろ《・》|と《・》|。《・》
『俺が調べてるんはうちの高校が鳥葬学園て呼ばれるようになったからくりや』
俺は茶倉練のことを何もわかっていなかった。
『俺がどんだけ強くなったか「わからす」為に、ちょうどええ叩き台さがしとったんや』
篠塚高を進学先に選んだのは不仲な祖母への意趣返しの為。
茶倉の成績は常に学年上位をキープしている。
望めばもっと偏差値が高い学校に行けたのに、それをしなかったのは
「喉元過ぎれば熱さ忘れる。今の市長はヘタレの坊ボン、呪いも祟りも舐め腐って案の定ぶっ倒れた。退院後はせっせとババアのご機嫌伺いに通うとる」
「あ」
脳天から素っ頓狂な声を発する。
数週間前、屋敷の前で茶倉と口論していた中年男……どうりで見覚えあると思ったら、市長じゃねえか。
「後出しとかサイテーだぞ、俺ががびびって喚くの面白かったか!?板尾にだって手遅れになる前に教えてやりゃ」
「鳥居をくぐったらおしまい。どうあがいても絶望さかい諦めろて正直に言えばよかったんか」
ともすれば薄情に聞こえる淡々とした物言いに、全身の血が沸き立ち逆流する。
「テメェのばあちゃんと先祖が金積まれて余計な事したからだろーが、魚住や板尾や死んだ連中全員に謝れよボケカス!」
だってこんなの、最低の裏切りじゃねえか。
俺には茶倉しか頼れる奴がいないのに、コイツは黒い鳥居の事も先祖の過ちもダンマリで、ずっと知らんぷり決め込んできやがったのだ。
やるせない憤激に駆り立てられ、唾まいて罵り倒す。
「みんなお前が殺したようなもんじゃねえか、お前のせいじゃねえか人殺し!」
茶倉は否定しねえ。静かに非難を受け止め俯くばかり。まだ足りねえ許せねえ、群がるカラスに抗い身を乗り出す。
「テメエたあもー絶交だ!」
「ダチちゃうし」
「この野郎!!」
「なんでキレんねん」
白けた様子の茶倉に叫び返そうと口を開いた刹那、片足に髪の毛が巻き付いた。
即座に引きずり倒され、廊下を背中で擦りういの方へさらわれていく。
「うわああああああああああ!」
熱い、摩擦で背中が焼ける。必死に床を掻きむしれど無駄で、上履きがすっぽぬける。
視界の端にチラ付く茶倉が血相変えて駆け寄ろうとし、鋭く撓った髪に打擲される。
「なんで壱と弐は洗脳で参が物理攻撃なんだよ、祟るなら祟るでテンプレ守れ!」
いや待て、茶倉がそばにいるから洗脳が効かないのか?足首に絡んだ髪の毛は凄まじい伸縮性と強靭さを誇り、手も足も出ない俺を引きずり回す。
「あちちちちち背中が燃えっ、やめっ、身が出るッ!」
廊下の片側に並んだ窓ガラスが撓んで軋み、蠢く闇から生じた無数のカラスが飛び交い、残像ブレまくりの視界がめまぐるしく上下する。
「アホんだらっ!」
ういの注意が理一に集中してる隙を突き、霊圧でカラスを弾き飛ばす。
白い光に灼かれ霧散するカラスの方は一瞥もせず、そばの掃除用具入れを開けモップを投擲。
片目に柄の直撃をくらい、ういが怯む。しめた!
緩んだ髪の毛を蹴散らし息絶え絶えに這い出す。目先の床にたった今茶倉がぶん投げたモップが落ちていた。それを拾って立ち上がり、正眼に構える。
「何して」
茶倉が止めるのを遮り、風切る唸りを上げ飛来した髪の毛と切り結ぶ。
素早い足捌きと身ごなしで斬撃の軌道を見切り、受け流し打ち返す。
よし、勘は鈍ってねェ。これならイケる。
モップの柄を小揺るぎせず敵の鼻先に突き付け、あちこち擦り剥けながら啖呵を切る。
「元剣道部なめんな」
ともだちにシェアしよう!