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第1話
「つむぎくん、へん!」
(あ……また)
夢を見ている。と、つむぎは思った。
眠ったままでもぎゅっと体が強張ったように感じるのは、記憶の条件反射だろう。
気づいたところで、都合よく目覚めることが出来るわけでも、過去を変えることが出来るわけでもないから、つむぎはいつものように頭の中に流れる映像をなすがままに眺めた。
この夢を見るとき、決まってそのセリフが一番最初に心の柔らかい部分を抉ってくる。
〝へん〟
そう眉を吊り上げ、真っ赤な顔で主張した少女の顔は、今はもう少しも思い出せない。
思い出せないのに、その言葉だけが今日までずっとついて回っているのは、それだけ受けたダメージが大きかった証だろう。
それはそうだ。
まだ、この世に産声を上げてから片手の指で足りるくらいの年数しか経験値がなかった幼い自分。繊細な心に受けたダメージは木の棒とお鍋の蓋では到底防ぎようもなく、治ったふりをして、つむぎの成長とともに緩やかに傷痕を広げていく。
定期的に疼いては忘れないでと寄り添ってくるその傷が、きっとこの夢を見せてくるのだと思う。
「おとこのこは、おひめさまにはなれないんだから!」
「そんなことないもん!」
なおも続く少女の声に、つむぎは泣き出しそうになる心を奮い立たせて声を張り上げた。ぎゅうっと丸めた小さな拳でスモックの胸を握り、味方を探すように周りを見渡す。
けれど、突然始まった言い争いに、みんな同じ顔でぽかんとつむぎ達を見ているだけで、開いた口から誰一人として発言しようとはしなかった。
それどころか、目が合うと気まずそうに視線を逸らされてしまい、じりと一歩後ずさる。
原因は、些細なことだったと思う。
多分、一緒に遊ぼうと誘われて、つむぎはお気に入りの遊びを提案した。最初、それに少女はぱっと花が咲いたように顔を輝かせて、けれど、つむぎが何の疑問も持たずに自分が『お姫さま』が良いと手をあげたら、その顔はみるみるうちに色を変えてしまったのだ。
「つむぎくん」
大好きな先生の声だった。いつも少し厚ぼったい眼鏡の奥から柔和な笑みを向けてくれて、おっとりと優しい声でつむぎの名前を呼んでくれる。
先生に名前を呼ばれて、手を繋いでもらうと、つむぎの心はたんぽぽを摘んだときみたいにほっこりとあたたかい気持ちでいっぱいになる。
握り締めた拳にぎゅっと力が籠って、期待に体が前のめりになった。
先生ならわかってくれる。味方になってくれる。つむぎは変じゃないって、言って――
「せんせ、」
「今日は男の子らしくお外で遊びましょう」
ね。と眼鏡の奥で困ったように目尻を下げられて、つむぎは一瞬理解ができなかった。
あたたかい先生の手が、つむぎの手を包んでいる。
でも、つむぎを見る先生の目は、いつもみたいに優しくなかった。
〝おとこのこらしく〟
敏感な心が感じ取る。
先生も、あの子と同じように思っているんだって。
生まれて初めての感情だった。大きな石でぼこんと頭を殴られたような衝撃が、小さな心と体を襲ってくる。
たんぽぽと一緒につむぎも踏みつぶされてしまったみたいに、感情がぐちゃぐちゃになる。
悲しいと悔しいと怒りが全部混ぜこぜになって耐え切れず、つむぎは先生の手を振り払うと目にいっぱいの涙を浮かべたまま一目散に駆け出した。
この場所で泣きたくない。
涙を見せたくない。
それは、幼いながらのプライドだったのかもしれない。
「つむぎくん!」
先生の声は風に乗ってつむぎを追いかけてきたけれど、すぐに消えて後ろには誰もいなくなった。
それが、すごく悲しくてきゅうっと喉の奥が苦しくなる。
駆けて駆けて、駆けて。
前なんか見ていなかった。見えていたとしても、全部薙ぎ倒していく勢いだった。
止まりたくない。
止まったら、本当に負けてしまうような気がして嫌だった。
「……!」
ツンッと靴の先に引っ掛かりを感じて、一瞬の浮遊感の後に痛みが走る。
「あ、ぅっ」
小石につまずき、膝から転んだことに気づいたのは、べしょりと体が地面に横たわってしばらくしてからだった。
何が起きたかすぐには理解できず、目をぱちくりとさせている間に、打ち付けた膝から痛みがじわりじわりと侵食してきて、つむぎはぎゅうと顎を皺くちゃにして耐えた。
元気は、今の衝撃でつむぎの中からすぽんと全部飛び出して行ってしまったんだと思う。
抜け出した元気は、遠くからつむぎの様子を窺ったまま戻ってくる様子がない。
「だ、だいじょうぶ……?」
起き上がるのも億劫でその場から動けずに固まったままでいると、頭のすぐ横で声がする。
顔だけを少し横にずらせば、視界に小さな運動靴が見えた。
真っ白な運動靴。外で遊んだらすぐに真っ黒になってしまうのに、それは真っ白なまま陽の光を反射して輝いていた。
「……」
何も言わないつむぎに、真っ白な靴の主は先生を呼びに行くでもなく「んしょ」とつむぎを引っ張って起き上がらせると、木陰の段差に座らせてくれた。
ぽんぽん、と服についた砂まで払ってくれる。
その間、つむぎはずっと口を引き結んでいた。きゅっと一直線に閉じていないと、今にも涙が溢れてしまいそうだったからだ。
なのに。
「わぁ、ちがでてる……! いたそう、いたいよね」
って言われて、改めて自分の擦りむけて血の滲んだ膝小僧を見たら、さっきまでの悲しかったことを思い出してもうだめだった。
「ぅっ……ふ、う、ぇ、うえぇぇん」
「え、えっ」
痛い。痛いに決まっている。擦りむいた膝も、傷ついた心も。痛くて痛くてたまらなかった。
突然、堰を切ったように泣き出したつむぎに、少年はおろおろと立ったり座ったりを繰り返していたけれど、自分のことで忙しくてそんなこと気にしている余裕もない。
そのうちに、落ち着きなく戸惑うばかりだった少年が意を決したように駆け出していく。
行き先はわからない。何も言わなかったし、ずっと声を張り上げて泣きじゃくるつむぎを面倒くさいって思ったのかも。扱いに困って、嫌気が差してしまったのかも。
わんわんみっともなく泣いて、その頃にはだいぶ気持ちも落ち着いて来ていたけれど、つむぎは泣くのをやめなかった。やめなかった――というよりも、止める方法がわからなかったのだ。
お姫さまだったら、妖精や森の動物たち、魔法使いにそれから王子さまがきっとそばにいてくれる。
泣いていると知ったら、すぐに迎えに来てくれて「大丈夫だよ」って優しい声と一緒に手を繋いでくれる。
お姫さま、だったら。
でも、つむぎはお姫さまじゃない。
『おとこのこは、おひめさまにはなれないんだから!』
あの子の言葉が、フラッシュバックする。
つむぎは、お姫さまにはなれない。
つむぎが大声で泣いていても、悲しいよと声を張り上げていても、誰も迎えに来てくれないのが、その証拠だ。
ぴと、
「……!」
突然、膝にひんやりとしたものを感じて、つむぎはびくりと体を強張らせた。
びっくりして、あんなに止めどなく溢れていた涙も引っ込んでしまう。
「なに、してるの」
ひゅく、と喉が鳴る。
「ち、ふいてるの」
ばいきんはいっちゃうから。って、地面に膝をついて傷口を一生懸命に拭いてくれていたのは、置いていかれたものとばかり思っていた少年だった。
真っ白なハンカチに、じんわりと赤色が染みていく。「いたくない?」っていちいち確認しながら、とんとんとつむぎが痛くないようにゆっくり拭ってくれる少年の顔はもっさりと伸びた前髪でよく見えないけれど、甘そうな黄色のすき間からはきれいな青色が見えた。
戻って来てくれた。
置いていかれていなかった。
(つむぎのこと、むかえにきてくれた)
ドキドキ、喜びに胸が高鳴る。
「まっててね」
タタタ、と走っていく後ろ姿を見送る。
かけっこは、早そうじゃない。
運動会で一番の旗をもらえるようなタイプじゃない。
それでも、つむぎのために息を切らせて水道まで走って往復してくれた。
つむぎのために、びっしょりと汗をかいて、膝を砂だらけにして、真っ白なハンカチを躊躇いもなく汚してくれた少年は、つむぎの目には間違いなく輝いて見えていた。
「はぁっはぁっ、……へへ」
ぼく、かけっこおそいんだぁって胸を弾ませるはにかんだ笑顔。
つむぎは今まで泣いていたことも忘れて、ぽやりと少年を見つめた。
少年が一生懸命に拭いてくれたおかげで、つむぎの膝は少し赤みが残る程度になった。
元々、おおげさに血が出ていただけで傷自体はそんなに深いものではない。これなら、すぐにかさぶたができて綺麗になるだろう。
「まだいたい?」
怪獣みたいな泣き声が嘘のようにすっかり大人しくなってしまったつむぎを、少年が心配そうに覗き込んでくる。
つむぎの涙のわけを知らない彼は、きっとつむぎが転んだせいで泣いていたと思っているのだろう。
「ん、んと」
ずぴ、と鼻水を啜って、痛くない。と言おうと開いた口は、近づいてくる少年にびっくりして、またすぐに結ばれる。
「な、なぁに」
「なみだでてる」
「……っ」
そっと真っ白なハンカチが、優しくつむぎの目尻を拭う。
せっけんのいい匂いがふんわりと顔を撫でるのがくすぐったくて、むずかるように顔を振れば、少年は慌てたように首を振った。
「あ、ちがうよ! ちゃんと、あたらしいやつ!」
いっぱいもってるの! と少年は左のポケットと、それからお尻のポケットからも同じ色のハンカチを取り出して、つむぎの前に差し出してくる。
「ち、ついてないよ!」
ハンカチのふちに縫い付けられたレースがひらひらと揺れて、その隙間からときおりちらりと覗く少年が鼻を膨らませて必死にそう言うものだから、つむぎはおかしくなって「あはは」と声を上げて笑った。
拍子に、残っていた涙の一粒がころんと転がり落ちる。
「わ、わぁ……っ」
「なに?」
「う、ううん……えと」
えっとぉ……と、少年はもじもじと両手の指を擦り合わせて急に落ち着きがない。
つむぎの顔をちらちらと窺いながら、目が合えばぽわっと耳まで真っ赤に染めた。
「?」
首を傾げたつむぎの視線は、少年の持つハンカチに奪われる。
「そのハンカチかわいいね」
少年の膝の上でくしゃくしゃに握りしめられたハンカチたちは、そのどれもが縁にレースをあしらってあり、角には豪奢な刺繍が施されていた。
まるで、
「おひめさまのドレスみたい」
「おひめさま?」
「あ……」
しまった、と思った。ついさっき、それで傷ついたばかりだったのに。
口を両手で覆って黙ってしまったつむぎに、少年は無邪気に「にてるかも!」とハンカチをひらめかせた。
(へんっていわないの?)
男の子のつむぎがおひめさまのことを話しても、少年は何も気にしていないみたいだった。
「……」
ドキドキ
つむぎの興味は、少年に向かってどんどん伸びていく。
「どうして泣いてたの?」
問いかけに、つむぎは消え入りそうに小さな声で答える。
「……おひめさまになりたくて」
でも、へんっていわれて。
「おひめさまに?」
「うん……」
彼はなんて答えるだろう。
やっぱり、おかしいって思うだろうか。変だって、言うだろうか。
「……へん?」
むにむにと指を擦り合わせて、恐る恐る顔を上げる。期待と不安に揺れる瞳で、少年を見る。
ついさっき起きたばかりの一件はつむぎの心に大きなトラウマを残し、臆病にさせていた。
「へんじゃないよっ!」
それに、少年は首がちぎれそうなほど勢いよくぶんぶんと首を振る。大きな声にびっくりして目を丸くするつむぎを前にしても、少年の勢いは止まらない。
「あ、あのっ」
少年はそわそわと自分のつま先とつむぎのつま先を交互に見やって、それから皺になったハンカチの一枚、その中でも一番きれいなものを丁寧に畳んでつむぎに差し出した。
小さな両の掌。そのうえに乗った真っ白なやさしさが、ずいっとつむぎの鼻の前にある。
「なまえっ、なんていうの!?」
「つ、つむぎ……」
「これ! あげる!」
「え、いい……」
の? という言葉は最後まで言えなかった。コクコク、と何度も大きく頷いた少年の声が、勢いよく語尾に被さる。
「だから、ぼくの……っ!」
……ちゃん、ぼくの、――になって
ピッ、ピピピ――
「――ッは、」
がくん、と浮遊感に苛まれた体が覚醒する。辺りを見回し、自分の背中がしっかりとシーツにくっついているのを確認すれば、強張った体の力がゆっくりと抜けた。
「……あ~~……」
夢の終わりはいつも突然だ。
けたたましく鳴り続けるアラームをタップひとつで黙らせて、羽村紬麦は、はぁっと大きく息を吐いた。
毛布を頭の上まで引っ張ってもう一度息を吐くと、隙間から押し出された風がココア色の髪をほよりと膨らませていく。
一日の始まりにおおよそふさわしくない深いため息。
その原因は、今の今まで瞼の裏に再生されていた光景だと何を考えなくてもわかっていた。
嫌な夢を見た。
ここ数年で、一番に最悪の目覚めと言って良いかもしれない。
こうして夢を覚えているということは、しっかりと睡眠がとれている証拠だろうけれど、内容が内容だけに体はすっきりしていても気分は真逆。チェンジ! って言って、夢を変えることが出来るなら、紬麦は喜んでもう一度瞼を閉じるだろう。
(……)
以前は――それこそ小学校を卒業するまでは、頻繁に見た夢だった。
懐かしいと思うには苦い記憶。
ありがちな、幼い頃のトラウマのワンシーン。
紬麦を変だと言った少女の顔も、大好きだったはずの先生の顔も、それから紬麦を助けてくれた少年の顔も。今ではぼんやりと思い出の一部になってしまっているのに忘れることだけが叶わない。
(あの子、なんて言ってたんだっけ)
忘れられずに繰り返し見る夢だけれど、最後の部分だけがどうしても思い出せなかった。
『ぼくの――……』
その先に、彼はなんて言ってくれたんだろう。
壊れたディスクのように再生されないラストシーン。
思い出せなくて気持ちが悪いのに、それを思うと毎回胸の奥があたたかく満たされた気持ちになるのが不思議だった。美化された思い出が、そうして紬麦をなぐさめてくれているのかもしれないけれど。
「ふぅ」
じっとりと掻いた寝汗が気持ち悪い。
昨日は快晴。雲ひとつない青空を、気持ちが良いなって仰いで家を出たのを覚えている。洗濯物が良く乾いて嬉しいわって、見送る母が誰に聞かせるともなく言っていた。
洗ったばかりのシーツのはずなのに、まとわりつく繊維は何日も汗を吸い込んだ後みたいにべったりと肌に張り付いて気持ちが悪い。紬麦は不快感を隠さずに唇を尖らせた。
「行きたくないなぁ」
ついつい、そんな本音が漏れてしまう。入学して早々、夢見が悪かったので休みます。なんて、言えるはずもないのだけれど。
それに、そんな理由で学校を休ませてくれるほど母は優しくないし、仮病で休もうとしたところで誤魔化せるほど目も曇ってはいないと、紬麦はこれまでの短い人生経験から学んでいた。
裁縫が趣味の母は、おっとりのほほんとしているように見えて、実際はとんでもなく強い人なのだ。それこそ、父を立てているように見えて、母がこの家で一番の権力者なのではと紬麦は常々感じている。
そうこうしているうちに、階段を上がって来る足音が聞こえてきたので、紬麦は急いでベッドから起き出した。
軽く雲の上を歩くような足音は、母のものだ。まだ着替えもしていないと知られれば、また家族ラインで報告されてしまう。送られてくるのは微笑ましいスタンプばかりで誰が咎めるわけでもないのだけれど、それでも、もうこの四月から高校生になった紬麦としては、いつまでも母に起こされているというのは、いくら家族であっても知られるのは恥ずかしい。
(急げ、急げ……っ)
高い確率で天蓋のレースに引っかかってしまう跳ねた髪は、寝ぐせではない。チャームポイントを手櫛でさっと撫でつけて、すまし顔で母を迎える。こんなやっつけ仕事では、母にはバレバレだと思うけれど。
「ちゃんと起きてるわね」
「母さん、ノックしてっていつも言ってるよ」
何度言っても、母はノーノックで扉を開ける。おはようのついでに文句を言っても、聞いているのかいないのか。紬麦の温もりの残るシーツと枕カバーを手際よく引っぺがして、その細い腕いっぱいに抱えた。小さい体は、積み上がったシーツたちでほとんど見えない。
中学の時、どうしても勝手に部屋に入って来られるのが嫌で鍵を掛けたことがある。思春期の男子であれば多くが頷いてくれると思うのだけれど、家族の干渉を煩わしく感じてしまう時期があって、それは例外なく紬麦にもあった。
けれど、そのまま転寝をしてしまったら、何度呼びかけても反応がなく、ドアが開かないことにパニックになった母を泣かせたうえに、家族会議にまで発展してしまったので、それからは鍵を掛けるのをやめ、紬麦の短い反抗期はそこで終わりを迎えた。
その代わり、ドアの真ん中に『ノックしてください』とプレートを掛けたのだけれど、それが活かされたことは残念ながら片手で数えられるほどしかなく、今はもうほとんど諦めの領域だ。
(まぁ、別に開けられて困ることもないから良いんだけど)
でも、それでも。もう紬麦も高校生だし、健康な男子高校生なのだし、やっぱりちょっと困ってしまう場合もあるかもしれないのだ。
「そう言って、入学式に寝坊しかけたのは誰だったかしら」
「それは母さんもだろ!」
「あらそうだった」
ふふっと笑う仕草はいくつになっても少女のようで、父からは母のこの笑顔に惹かれたのだと、酔っぱらう度に聞かされた。
紬麦と母はよく似ている。親子なのだからそれはそうなのだが、大事なところでやらかしてしまううっかり遺伝子も、どうやらしっかり受け継いでしまったらしい。
入学式に遠足、修学旅行……二人で歩んできたお寝坊うっかりの歴史は数知れず。
母曰く「絶対に失敗しないようにしなきゃ! って思うと、どうしても緊張して緊張しすぎて逆にぐっすりなのよね」とのこと。
父に起こしてもらおうにも、今は単身赴任中で県外に出てしまっている。モーニングコールをしてもらったって気づかなければ意味がないので、最近はどうしてもというときだけ近くに住む姉にお願いをしていた。
紬麦には姉が二人いるが、すでに二人とも家を出ていて一緒に住んではいない――だからこそ、母は何かにつけて紬麦に干渉したがるのかもしれないのだが――けれど、二人とも紬麦と母のことをよくよく知っているので、お寝坊阻止部隊として快く協力してくれた。
「今日も洗うの?」
夢見が悪かったせいでなんとなく嫌な気分だったので、洗濯してもらえるのは嬉しい。
洗濯機の渦の中に悪夢ごと丸めて放り込んで、きれいさっぱり洗い流してしまったら気分もすっきりするだろう。
幸い、今日も窓の外には青空が広がっていて、昨日と同じ……いや、それ以上によく乾くはずだ。
この陽の下を歩くのは気持ちが良いに違いない。今日も今日とて、とても良い気分で登校が出来るだろうなと想像する。それこそ、鼻歌だって漏れてしまうかもしれない。
(これで、目覚めが最高だったらなぁ)
何度も恨めしく思ってしまうのは良くない傾向だ。
(ん~ダメダメ、切り替えよっ)
「いいお天気だし、お洗濯すると気分も晴れやかになるじゃない」
それはそうだなぁと思って、紬麦は「そうだね」って返事をしてから、止まっていた着替えの手を進めた。
「今日はママ、お昼寝しちゃおうかしら」
良く晴れた日に、そよぐカーテンと窓から入って来る洗剤の香り。そんな日にする昼寝は最高で、紬麦も大好きなシチュエーションのひとつだ。今日が休日でないのが、実に悔しい。
「下りて来てね、ごはん用意してあるわ」
フリルがたっぷりとついた寝具は、母の腕からはみ出したまま、ずるずると引きずられていく。
いつか踏んで、転んでしまうんじゃないかって毎回心配になってしまうのだけれど「手伝うよ」と声を掛けても、彼女は「大丈夫」と頑なに遠慮した。
一向に譲らない頑固な部分も、紬麦とそっくりだ。
それから、小柄な見た目も。真ん丸でこぼれ落ちそうな大きな瞳も。
総じて、紬麦は母親似なのだ。
姉たちは、どちらかというと父親似だと思う。
すらっと背が高く、かわいいよりも綺麗な顔立ちをしている。それを羨ましいなと思うことはあっても、そうなりたいと思ったことはない。
だって――紬麦はかわいいものが好きだから。
同年代の男子に比べると背は低く、背の順で並べられると前から数えた方が早い――というよりも、常に一番前で胸を張るのが紬麦の仕事だった。
男なら、きっと背が高いことが武器になる。だから、みんな背の順ではできるだけ後ろになりたいし、逆に自分よりも前にいるやつと比較して少しの優越感に浸るものだろう。
クラスメイトたちが紬麦をその比較の対象にしていることをわかっていたけれど、紬麦はそれが嫌ではなかった。
小柄な自分を悪くないと思っている。
だって、小さいほうがかわいい。
平均よりも小さな体。男にしては大きな瞳。声変りをしたのにあんまり変わらなかった声。両サイドにぴょこんと跳ねたくせっ毛だって、紬麦にとってはコンプレックスというよりも大切にしたいチャームポイントだった。
今はひとりっこみたいな生活だけど、根っからの末っ子気質な紬麦は、本当は甘えんぼうで構われたがりだ。姉二人に溺愛されてきたのもあって、それが相手の優越感を満たすためであっても、可愛がられると嬉しくなってしまう。
けれど、それは公には内緒にしなければいけない秘密だ。
少し年の離れた姉たちは紬麦のことをとても可愛がってくれて、遊ぶときは常に一緒だった。というよりも、何もわからないままよたよたと後ろをついて来る紬麦が、危なっかしくて放っておけなかったんだと思うけれども。
それこそ、トラウマの原因であるお姫様事件も、元を辿るとここに結びついて来る。
姉について回っていれば、必然的に女の子が好む遊びになった。
たまに外で駆け回ることもあったけれど、それは滅多になくて、大体は本を読んだり、おままごとだったり、お人形遊びだったり。なんとかごっことか、室内で楽しめるものが多かった。
自分がそういう遊びをすることに紬麦はなんの疑問も抱かなかったし、他人と比べてどうと思うこともなかった。
赤いスーツを着て戦う戦士よりも、ひらひらのドレスを纏って舞う姿に心が躍った。
どんなに苦境に立たされても決して諦めない。でも、大好きな王子様の前では、少しだけ臆病になってしまう。
そんなお姫様は永遠の憧れで、そんなお姫様をやさしく抱き締める王子様は紬麦の初恋だ。
出来るなら、冗談でもいいから、お姫様抱っこをされてみたい。
(……なんて、言えるわけないけど)
ずっとずっと、紬麦の知る世界の主人公はお姫様で、そんな物語のお姫様に憧れていた。
お姫様になりたかった。
紬麦の中でヒーローは常にお姫様で、それをおかしいだとか変だとか思ったことなんてなかったし、ましてや好きになることに性別が伴ってくるなんて思いもしなかったのだ。
――あの日までは。
紬麦の部屋は、白を基調に淡い色で整えられている。
大きな天蓋付きのベッド。たっぷりとフリルのあしらわれた寝具。幾重にもレースが重ねられたカーテンに、金の刺繍が美しい絨毯だって、姉のお下がりでも母の趣味でもなく、全部紬麦が選んで揃えたお気に入りのもの。
大好きなものに囲まれて過ごせるこの部屋は、いわば紬麦のお城だった。
〝おとこのこは、おひめさまにはなれない〟
理解できない。
理解できなかった、あの頃のつむぎには。
でも、今ならわかる。
この世に生まれて十六年目を迎える紬麦には、それが、大きな声で言ってはいけないことなのだと、密やかに心の内に秘めて、大事に仕舞っておかなければいけないことなのだとわかってしまった。
「……」
だから、この先もずっと紬麦はこのお城に家族以外の誰も招くことはないだろう。
「紬麦~?」
「い、今行く!」
母の急かす声にはっとして、急いでリボンタイを結ぶ。
そうして部屋を出て行こうとして、ドアから半分飛び出した体をおっととと引き返した。
「……行ってきます」
壁にかけた額に向かって、ぴょこぴょこと髪を跳ねさせながら笑いかける。
アンティークの額縁の中に丁寧に飾った、真っ白なレースのハンカチ。
もう朧げにしか思い出せなくても。
小さな王子様からもらったこのハンカチは、紬麦にとっていつまでも忘れることのできない大切な宝物だった。
◇◆◇
「おはよう」
「おー。おはよ、はむ」
教室に入ると、友人の内藤翔護は自席でテキストにペンを走らせていた。
振り向いた顔と目が合うと、指の上でペンがくるりと器用に回る。紬麦にはできないその技を、翔護は簡単にして見せるのでちょっと悔しい。
サッカー部に所属する彼の朝は、朝練から始まる。よほどのことがない限り紬麦が登校する頃にはすでに教室にいて、今日のように宿題に追われていることが常だった。
サッカー部のエースはそのほとんどを部活動に費やしており、宿題は全部休み時間に終わらせてしまうらしい。というか、そこでやらないと他ではやる気が持続しないんだとか。
手を動かしながらも、紬麦とのおしゃべりには付き合ってくれるので、器用なんだなと思う。
「今日、英語当たる?」
「んや、多分当たらん」
一応宿題は忘れずにやってきてあるけれど、当たらないに越したことはない。友人の返事にほっと胸を撫で下ろしてから、紬麦はひとつ後ろの席に腰を下ろした。
教室の一番端の列。壁を隔ててすぐ隣は廊下になっていて、開きっぱなしの窓からは始業前のざわめきが入って来る。
(なんか今日、いつもよりにぎやか?)
「いつもより遅いんじゃねぇの?」
「う~、今日は夢見が悪くってさぁ」
確かに今日は十分くらい教室に入るのが遅くなった。いつも余裕をもって登校しているので遅刻ではないけれど、よく気の付く友人に紬麦は「聞いてよ」と今朝の出来事を話して聞かせた。
「寝る前に考えてたとか?」
「え~」
そんなことはなかったと思う。
確かに、眠りにつく前に考えていたことは夢に現れやすいと聞くけれど。
でも、昨日寝る前に考えていたのは、夕飯の後に食べたアイスクリームのことだ。どうせ見るなら、おいしいアイスをいっぱい食べる夢が良かった。
「なんかの予兆だったりしてな」
「やめろよ~」
良い夢ならいいけれど、紬麦にとってあれはあんまり思い出したくない記憶のひとつだ。悪いことの予兆だなんて、ご遠慮願いたい。
「嘘、ウソ」
くつくつと面白がって揺れる翔護の背に、紬麦は「イーッ」と歯を剥き出して威嚇する。
背の順で紬麦が一等賞を取るということは、必然的にこのクラスの男子生徒はみんな紬麦よりも身長が高い。
だから、翔護が前に座ると視界は翔護一色。その背中でいっぱいで何も見えなくなってしまうのだが、入学式を終えたばかりのこの時期はどこもあいうえお順で席が決まっているので致し方ない。
「はむ〜くすぐってぇってば」
「ひひ〜!」
翔護の爽やかな黒髪は、いつでも整髪料で隙なく整えられている。
紬麦の毛はどちらかというと柔らかいので、同じようにしても翔護のようにはいかない。
剃り込まれた襟足を、後ろから逆撫でして感触を楽しむのは紬麦の楽しみのひとつでもあったし、今日はさっきの仕返しの意味も込めて念入りにじょりじょりしてやった。
「そういえば、今日から転校生来るらしいぞ」
かゆいからやめろって、と後ろ手に紬麦のいたずらを払って、翔護が言う。
「転校生?」
「そー」
朝からざわめき落ち着きないように感じたのは、そのせいかと理解する。
教室に足を踏み入れたとき、いつもとは違う空気を感じた。時間によって場の空気が変わるというのはありがちだし、てっきり自分の到着が遅れたせいかと思ったけれど、そういうわけではなかったらしい。
「うちのクラス? 随分中途半端な時期じゃない?」
この春、紬麦は一年生になった。
小学一年生でも、中学一年生でもないぞ。高校一年生だ!
入学式を終えてからまだ一ヶ月も経っていないのに、こんな時期に転校してくるだなんて珍しい。
それに加え、紬麦の通うこの城華学園高等学校は、初等部から大学院まで続くエスカレーター式の学校だ。
大学ともなると他を選択し別の道を進む生徒も多いけれど、その多くは初等部から高等部までを持ち上がりで過ごす。
紬麦も例外なく初等部からの持ち上がり組だったけれど、翔護は中等部からの外部受験組だった。
そういえば、仲良くなったのも席が前後になったのがきっかけだったっけと思い出す。あいうえお順で並べられると、紬麦は高確率で翔護の背中を仰ぎ見ることになるのだ。
外部受験で入学してくる生徒は珍しく、毎年ひとりいるかいないかだったので、知り合ってすぐに理由を聞いたことがある。でも、翔護は家の都合とだけしか教えてくれなかった。
同じクラスの持ち上がり組に翔護の親戚がいて、しかもサッカー部のマネージャーをしているのだけれど、二人の仲はあんまり良くないみたいだった。
教室でも二人が話しているところは見たことがないし、放課後も、行き先は同じはずなのに一緒に部活に行くわけでもない。
そんなところも関係しているのかなと思うと、それ以上深く突っ込むことはできず、友人歴が四年目に突入した今でも本当のことは聞けないままでいる。
(いや、言われたことが本当で、それ以上はないのかもしれないけどさ)
「帰国子女らしい」
ノルマを終えたらしい翔護が、テキストを閉じて体ごと後ろを振り返る。机の上で前のめりになっていた紬麦は、圧し掛かられて「お~も~い~」と潰れた声を上げた。
「なるほど?」
曰く、だから諸々の手続きが間に合わなかったということみたいだ。
容赦なく体重を掛けて来る友人の下から這い出して、紬麦はぷるると頭を振った。
「んで、俺らのクラスではない」
「そうなの?」
それなのに、こんなにざわついてるのか? と乱れた髪を直しながら疑問に首を傾げる。
主に騒いでいるのは女子みたいだったから、転校生の性別はきっと男だろうと予想する。
「成績優秀、スポーツ万能、どこかのお坊ちゃまで帰国子女、さらにはイケメン」
指折り数えながら、翔護が言う。
「ほほう」
イケメン……なるほど。
まるでどこかの博士のような声が漏れた。
天は二物を与えず、なんていうけれど、実際はそんなこともなく。持っているやつは何個だって持っているのだ。
聞いた転校生のスペックからその人物を想像して、逆に感心してしまう。
そんなにたくさん、紬麦が持っていても使いこなせずに人生が終わってしまいそうだし、残念ながらうらやましいなんて気持ちは少しも起こらなかった。
「ほぁ」
「すっげ、気の抜けた声」
騒いでいる理由に納得してうんうんと頷く紬麦に、翔護は背もたれに深く体を預けたまま苦笑した。
「や、なんか……そんな王子様みたいなスペックのやつほんとにいるんだなと思って」
「あらやだ、目の前にもいるのに?」
「あはは、翔護は王子様と全然違う」
「は~? くそ、棒読みで言うな。目が笑ってねぇ!」
「その通りだも~ん」
ぐりぐりと頭を小突かれて笑い合う。
ちなみに身長も高いらしいぞ~と付け加えられて、紬麦は「それはいらない情報!」と噛みついた。
小さい自分が好きな紬麦だけれど、世間はそうじゃないから。身長の話題を振られたときは、一応悔しがるそぶりを見せるようにしていた。
「でも、イケメンってもう誰か顔を見たんだ?」
転校初日なのに。朝のホームルームだって、まだ始まっていない。
「昨日の放課後、職員室で見たってやつがいるらしい」
「ふぅん」
目撃情報があるなら、本当なんだろう。
それにしても、昨日の今日で学校全体が浮足立つほどなんて、一体どんなやつなんだろう。
聞けば納得という話だけど、今日は校門をくぐった瞬間からふわふわと雲の上を歩いているような心地だった。
それは、学年関係なくみんながふわふわしていたからなんだろう。
いつもは厳しい風紀の先生が、今日は門の前でにこにことご機嫌だったのも、それが原因かもしれない。イケメン王子様は世界をふわふわにしてしまう。
(王子様、か)
胸がそわつく。
「でもさ、そんなやつ見る機会なんて一生に一度あるかどうかもわからないし」
あんな夢を見たせいで、紬麦もふわふわの魔法にかかってしまったのかもしれない。
この時間、いつもはもっと落ち着いた空気の流れる廊下は、相変わらず騒がしく盛り上がっていた。
心なしか喧騒は一層大きくなって波のようにこちらへ迫って来ているような気がしたけれど、始業のチャイムが鳴るにはまだ少し時間があるので、紬麦は構わず翔護に話し続けた。
「遠目にでも見てみたくない?」
ガラッ
好奇心を隠さずにそう言って、ははと笑った瞬間、勢いよく前方のドアが開く。
室内にいた全員の視線がその一か所に集まって、みんなが先生が来たんだと疑わずにそそくさと席に着こうと散り始めた。
けれど、その動きは登場人物が担任ではないと知ると、時間が止まったみたいにぴったりと静止する。面白いくらいに同じ動きをするクラスメイトに、紬麦がくふと笑いを漏らしてしまいそうになったときだ。
「キャアッ」
「キャー!?」
一瞬の静寂の後、誰かが上げた悲鳴がびりびりと空気をつんざくように裂いて、それを皮切りに次から次へと新しい悲鳴が教室の中へ落ちていく。あまりの大音量に紬麦はびくりと飛び上がって、それからびびびと背筋を震わせた。まるで雷に打たれたみたいな衝撃だ。
ただ一人の登場にクラス中が混乱の渦に巻き込まれて、いつも冷静な翔護すら固まっているのに、件の人物はそのボリュームを上げ続ける絶叫を気にするそぶりもなく、教室内を一周ぐるりと見渡した。
バチッ
視線がぶつかる。
瞬間、紬麦は彼が噂の転校生だと理解した。
(お、オレのこと見てる?)
話題の人物は、噂通りのイケメンだった。
クリームの中にレモンを一滴垂らしたようなやさしい金髪、瞳はブルーハワイみたいな青色が爽やかだ。
かっこよくて、綺麗。でも、綺麗だけどちゃんと男の人の顔をしていて、一度視線が噛み合ったら自分から逸らすなんて無理だと思う。
(これは……みんながふわふわになっちゃうの、しょうがないな)
ぽわっと見とれる紬麦に、転校生がふわりと微笑む。
(うぐっ)
ぎゅんっと心臓が変な音を立てて震えた。
イケメンの微笑みの威力たるや。攻撃力がやばい。
こんなにサービスをしてもらって、もしかして、これは悪夢の代償だろうか。だとしたら、見た甲斐があったってものだ。
ドキドキ、心臓がうるさい。
ずっと離れない視線。自分から離してしまうのはもったいなくて、紬麦は緊張に汗の滲む指先をもじもじと擦り合わせながら、転校生と見つめ合っていた。
(な、なんだろ)
すぐに逸らされると思ったのに、彼はじっと紬麦を見つめたまま騒ぎの中心でまっすぐに立っている。
時折ゆっくりと繰り返される瞬きに、ドキドキは加速するばかりだ。
知らないやつだと思う。こんな王子様みたいな知り合いがいたら、忘れたくても忘れられない。
(顔になんかついてるかな)
朝ごはんのあと、ちゃんと歯磨きしたけど。急いでいたから、チェックし損ねたのかもしれない。
くしくしと顔を擦る。心当たりのありそうな部分を一通り綺麗にしている間に、転校生はまっすぐに紬麦に向かって歩いて来る。
混乱にごった返していた室内は、彼が一歩踏み出しただけで、まるで潮が引いたみたいに道が出来た。
道の上を迷いのない足取りで進むその瞳は、ただ紬麦だけを見つめている。
「ねぇ」
「は、ぇ?」
(な、なに)
イケメンが目の前に迫って、ドキドキする。
紬麦は男だけど、こんなに整った顔が唇が触れ合いそうなほど近くに迫ってきたら、ときめいてしまうのも仕方がないと思う。
すっ……と転校生が膝を折る。片膝をつくその姿は、おとぎ話から出てきた王子様そのもので、紬麦は心の中で「わあぁ」と声を上げた。
こんな気障な仕草が似合うやつなんて、そうそういない。
いつの間にか手を取られていることにも気づかずに、紬麦はただただ目の前の光景に感動していた。
ちゅ、と柔らかなものを感じて我に返る。
王子の唇が、紬麦の手の甲に触れていた。
(……――は?)
思いのほか逞しい腕にぐっと腰を強く抱かれて、驚きに目をぱちくりとさせている間に目の前にキラキラが迫る。
「好きです」
「僕のお姫様になってください」
ぷちゅっ
今度は同じ柔らかさを、唇で感じた。
――キス、されている。
そう理解した途端、羞恥が全身を巡って、足の先から頭のてっぺんまで、紬麦の全部が真っ赤になった。
「~~――……っ!?」
バチーンッ
乾いた音が、シンと静まり返った教室に綺麗に響き渡る。
羽村紬麦、十六歳。
お姫様に憧れる平凡な男子高校生は、今日――王子様に、公開プロポーズをされました。
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