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戸惑いに揺れるプリン③

 検査を終わらせ、木戸さんと一緒に一晩の入院費の精算を済ませて、電車に乗る。 「健一さん、まだ体調悪いんだから、座ってください」 「平気だって。たったふた駅だし」  通勤ラッシュもひとしきり終わった後だからか、自宅に向かう方面の電車内は、ある程度座席が埋まっていたものの幾つか空きがあった。  まだ腰の違和感は微かに残っていたが、座るほどではないため木戸さんにそう告げると、ですが、とまだ何か言いたげに顔を曇らせた。  こういう時は、彼が年下なのだと思い出す。  つり革に掴まって電車の揺れに体を合わせると、レールの切り替えのカタンコトンという音が眠りを誘う。昨日あれだけ寝たはずなのに、どうしてこうも倦怠感が抜けないのだろう。  やはりこれまでの不精が一気に疲れとなって溢れているのか。  ぼんやりと視線を窓の外に向ける。窓ガラスに映る木戸さんの整った顔が、じっと俺を見ているのに気づいた。 「どうかしましたか?」  首を動かすのも億劫で目線を上に向けて尋ねると「いえ……」と、木戸さんの目がフイと逸らされる。だが、何か言いたげに何度も口を開いたり閉じたりを繰り返す木戸さんに。 「駅についたら、うちに来ませんか?」  あれだけ自分から拒絶していたのに、わざわざ招くようなセリフが自然と零れ落ちていた。  駅に着き、改札を出た途端、木戸さんから「甘いのとしょっぱいの、今どっちが食べたいですか?」と尋ねられる。  俺は少し逡巡したあと「甘いの」と答えた。  病院で起きた時に感じた甘さの中に仄かな苦味が脳裏に浮かぶ。それから、床頭台にあった空になったプリンの容器が、言葉として出てきたのだろう。  木戸さんがせっかく作って持ってきてくれたのに、なんだか悪い事をした。  できることなら、もう一回作って欲しいとの期待を込めれば。 「それじゃあ、途中にあるスーパーに寄りませんか?」  微笑んで木戸さんが言うのを、俺は硬直してしまい言葉が出てこない。  木戸さんの横で幸せそうに笑みを浮かべる美しい人。  応える木戸さんも同じように信用しているのが分かる密接した距離。  肩から掛けられたエコバッグから覗くごぼうですら、ふたりが生活してるのだと、親密な関係なのだと無言でアピールしているように。  何度も消そうとした、あの日の鮮烈な記憶が蘇る。 「……ごめん。このまますぐに家に帰りたい」 「健一さん? もしかして、また気分でも悪くなりましたか?」  そうじゃないと言いたかったけど、否定したらその原因を追求されそうで、曖昧に頷くことしかできなかった。  優柔不断で自己主張できない自分が嫌いだ。  まともなセクシャリティならば、こんなに苦しまずに済んだかもしれない。  でも、今更周りに合わせても早々に性格が矯正される訳でもない。  それ以前に意味がない。 「ごめん」 「……」 「……ごめ」 「謝らなくていいですから。オレも配慮が足りずすみません。でも、飲み物とかいるでしょう? そこのコンビニに寄りませんか」  罪悪感で項垂れた俺の背中を優しく撫でながら、何度も「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる木戸さん。全部俺が悪いのに、こんなに優しくされると勘違いしてしまいそうになる。  でもすぐさまあの日の光景が戒めるように浮かび、浮かれてはいけないと、何度も自分に言い聞かせた。  昼過ぎのコンビニエンスストアの棚は、あらかた買い尽くされたのか隙間が多い。 「木戸さん、お昼は買わなくてもいいんですか? 何も食べてませんよね」  カゴを持って弁当コーナーから少し離れた一角で何かを吟味している木戸さんは、俺の声に「あ、お弁当は買いませんよ」と爽やかに笑い、手にしていたネギをカゴに放り込む。……ネギ? 「コンビニって野菜を売ってるんですね」  思わずといったようにポロリと言葉を転がすと、木戸さんは俺を見て、カゴのネギに視線を落として、それからうっすらと微笑む。 「店舗にもよりますけどね。意外と新鮮なものが揃ってたりするので、オレもたまに利用してますよ」 「そうなんですね。あ、じゃがいもとかもある」 「たまに試作品とか作ってると、スーパーが閉まってる事とか何回かあって、その度にコンビニで野菜買ったりしたこともあります。お値段もスーパーと遜色ないですし」 「へぇ」  他にもコンビニのオリジナル食品と掛け合わせたりするのに便利だとか、今まで知らなかったコンビニ活用法を聞き、すっかり気分が悪いことも忘れて木戸さんの話に耳を傾けていた。 「で、ネギとかはまだお腹の調子も悪いですから、夜にでも雑炊を作りますね。……と、あった」  ニコニコと木戸さんは俺に話しかけながら、何やらキョロキョロと探していたが、目的のものが見つかったのか棚にすっと迷いなく手を伸ばした。  彼の大きな手の中にあったのは、六個パックの生卵。 「ああ、雑炊に使うんですね」  ポン、と手を叩き、納得した俺に「それもありますけど」と言いながら、パックをカゴに静かに置く。 「プリンを作ろうと思って」 「プリン?」 「ええ。昨日のは、悪くなる前にオレが食べちゃったので」  苦笑して説明する木戸さん。  確かに、床頭台に空になった容器が置かれていた気がする。 「生クリームは扱ってないので、乳脂肪率の高いアイスを代用しますけど、結構簡単にできるので、昨日のプリンの代わりに」  甘い笑みを向けられ、俺はふと、目覚める時に感じた甘さを思い出し、無意識に自分の唇を指でなぞっていた。

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