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戸惑いに揺れるプリン④

 一日ぶりに帰ったマンションの小さな部屋に、何故か懐かしさが胸に波寄せた。 「もう、健一さんは病み上がりなんですから、座ってください」 「あ、うん」  木戸さんに背中を押されてソファに腰を下ろすと、彼は取って返すようにキッチンへと入っていく。リビング兼ダイニングとはカウンターで仕切られてるから、木戸さんが色々慣れた動きで片付けていくのが見える。  あ、そういえば、俺、ゴミ捨てたっけ。  チラリとキッチンに目を向けると、木戸さんとばっちり視線が合ってしまう。 「健一さん」 「は、はいっ」 「これ」  木戸さんの右手にあったのは、俺が消費した栄養ゼリー飲料の容器。ぺちゃんこに潰れていて、その銀色の光が反射して剣呑とした木戸さんの顔に陰影を作る。 「オレが来ない間、ずっとこんな食事をしてんですか?」  背中にマンガでいうオドロ線を背負って、木戸さんが俺に詰問してくる。  正直、毎食がソレばかりではなかったけど。むしろ吐いてたことの方が多かったと言ったら、余計にマズイと直感的に悟った俺は「すみません」と先手を打って謝罪することにした。  普段はとても穏やかで物腰が落ち着いた雰囲気をしている木戸さんが初めて見せた憤怒の形相に、下手に逆らうまいと自分に言い聞かせた。 「本当は、前から提案しようと思っていたんですけどね」  怒りを吐くような重苦しい溜息をひとつ落とし、カサカサとビニールが擦れる音がしたあと、木戸さんがキッチンから戻って俺の前にテーブルを挟んで座る。 「健一さんて割と対人交流が苦手ぽいって感じたし、こちらは一方的にネットで知ってても、リアルで顔を合わせるようになって数ヶ月なのもあり迷ったんですけどね」 「はあ……」  すごく真剣な顔で木戸さんが語る内容が理解できず、俺はなんと言っていいのか。さりげにディスられてるし。  自分が特殊性癖であると自覚してからは、対人関係の構築が苦手になったので、否定できずグウの音すら出てこない。  だから、次に繰り出された木戸さんの言葉にすぐ反応ができなかった。 「今回、健一さんが大丈夫だからと放置してたオレにも責任があります。なので、今日からオレもここに住んで健一さんが元気になるよう尽力いたします!」  ──はい?     ◇◆◇  俺はテーブルの上にノートパソコンを開いたまま、ずっとほうけていた。画面いっぱいに映し出されるエディタには、さっきから一文字も増えずに沈黙したまま。  気分を変えるためにもSNSを開こうと携帯端末を手にしたものの、どうにも気がそぞろで内容が頭に入ってこない。だからすぐに画面を落とした。  ちらっと、俺に混乱を与えた元凶へと向ける。  当の本人は喜々としてキッチンに立ち、なにやら作っているのが、調理器具の金属音で感じ取れる。  木戸さんはマジだった。あの人、本気でこの家に住むつもりだ。  あのあと、どこから持ってきたのかボストンバッグを手にしていて、それを寝室へと当然の顔で持っていったのだ。  更には。 「男ふたりでセミダブルって狭いですよね。今日は仕方ないにしても、明日にはダブルベッドを届けてもらえるように手配します」  きちんとベッドメイキングされた俺のベッドを眺めてそう言ったのだ。いやいや、ちょっと待って!  勝手に話が進んでて、俺、完全に置いてきぼりなんですけど!? 「あ、家賃や光熱費ですけど、今回オレの我が儘なので、全額負担しますね。あと、こんな状況になるので、お給料も不要です。これは契約書にもあったので問題ないですよね?」  そうにっこりと言われて、慌てて契約書を引っ張り出して再読する。  た、確かに乙個人的理由により状況が変更した場合は、時給は発生しない、とある。え、こんなの書いてあったっけ!?  今更ながら契約書を隅から隅まで読んだのに疑問に思わなかった当時の俺を殴りたい。  まあ、これでも何度も拒否したんだよ。だって、このマンション、単身者向けでそのように作られた間取りなんだから。大の男ふたりが住む環境じゃない。 「あぁ、それは大丈夫ですよ。オレも昼間は毎日外に出てるし、それ以外は基本的に前と変わりませんよね」  いや、変わるから!  木戸さん、ダブルベッドとか注文しちゃってるけど、ノンケの男が同性と一緒に寝るとかありえないでしょ!  さっくりと「俺はゲイですから、木戸さんを性的に見ちゃうので無理です」と言えればいいんだけど、長年誰にも言わずに生きてきたせいでそれも憚られた。  そんな勇気、俺には……ない。 「それじゃあ、早速プリンを作りますね。健一さんは作業頑張ってください。でも、無理は禁物ですよ」  と、にこやかに木戸さんは俺をテーブル前に座らせ、当の本人は俺に温かいほうじ茶を出してからキッチンに篭ってしまった。  そんなこんなで遅々として進まない画面を前に、頭を掻きむしりたいのを我慢して、どうやったら木戸さんが諦めてくれるかを悩み続けていた。困った。本気で困った。  こんな時にはみどりママに相談するべきか。いや、元彼に惹かれてる男が同居に強制的に持ち込んできた、とか相談できない。みどりママのことだ。絶対腹かかえて大爆笑するに違いない。  じゃあ雪乃君に相談……ダメだ。確実に俺が殺される光景しか浮かばない。  あれだけ奔放に生きてきた彼が唯一囲んで溺愛しているのが雪乃君なのだ。下手に悩ませたら店出禁で済まない未来が見える。  八方塞がりとはこのことなのか。 「健一さん?」 「ひゃ、ひゃい!?」  いつの間にキッチンから離れたのだろう。すぐそばで低音の声が俺の名前を呼び、舌が回らず素っ頓狂な返事をしてしまう。 「ひゃい、って。可愛いですね健一さん」  蕩けそうな笑みを浮かべて木戸さんがゆったりと話す。もう、恥ずかしくて穴があったら入りたい。 「あ、そうそう。プリン、そろそろ出来上がるんですけど、あったかいの食べてみたいですか? 手作りならではの楽しみなんですけど」  顔を真っ赤にして俯く俺の耳に、なんとも魅力的な言葉が入ってくる。  あったかいプリン。確かに普通に買うのなら、絶対にお目にかかれない。 「た、食べたいです。あったかいプリン」  色んな懸念がすっ飛んで、俺は木戸さんにお願いしていた。 「んーっ、茶碗蒸し感覚だけど茶碗蒸しとは違う。ちゃんとプリンだけど温かくてキャラメルソースがサラサラしてておいしい!」  ココット皿にたっぷりと入った卵色のプリンをスプーンで掬って口に入れる。馥郁とした卵の味が冷えた時と違ってはっきりと分かり、苦目のキャラメルソースが程よいアクセントになっている。  これ、生クリーム入ってないのに、滑らかで濃厚なのって、某高級アイスのおかげなのかな。本当、木戸さん凄いよなぁ。  あれだけ食欲が減退していたのに、するする入るプリンを食べ終えた頃、木戸さんは外出着から部屋着なのかスェットに着替えていて。 「本日からよろしくお願いしますね、健一さん」  それはそれはとても良い笑顔で言ってくれたけど、目の奥がキラリと光ったのは気のせいだと思いたい。  うん、きっと俺の願望に決まってる。

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