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勘違いポトフ①

 最近、妙に腰が痛い。  特に寝起きの時が一番辛い。 「大丈夫ですか、高任さん。顔色悪いですよ?」  以前、俺の自己管理が甘かったせいで迷惑をかけてしまった同僚が、心配そうに顔を歪ませて覗き込んでくる。 「うーん、熱とかはないんだよ。ただ、動くのもキツイ位、腰が痛くって……」 「こし……」  痛みの理由を言葉に乗せれば、同僚は微妙な顔で呟く。確か、同僚も俺と同じ歳だったから、近い未来の自分を見ているのかもしれない。  昔、入社した頃、先輩から「営業は靴と腰を消耗して一人前」と言われた事がある。靴は分かるにしても、腰とは? と疑問を持てば、靴は歩いてすり減らし腰は歩くのは当然ながら、お辞儀ひとつとっても腰に負担がかかる。だからこそ、営業成績が上がれば上がるほど腰に負担がかかるのだ、と豪語していた。  言われてみれば、確かに腰に負担がかかるよな、お辞儀って。  特にピシッと九十度に折り曲げてキープした時なんかは、悲鳴あげてるの気づいてたし。 「今の所は急を要する案件もありませんし、今日は早退して病院に行ったらどうですか? デスク仕事なら、自分でも大丈夫なので」  ほらほらと俺の背中を押して、上司には「高任さん体調不良で早退させます」と声高らかに宣言してしまった。上司も俺が先日倒れてからというもの、俺の体調に気を配ってくれてるので。 「まだ有給残ってるから、明日は休むか? 今の所は忙しい案件抱えてないだろう?」  実際、今は前からの取引先を中心に営業を掛けてて、新規開拓はしていないのもあり、繁忙の中休み状態だった。来期の更新契約書を作成しなくてはいけないが、まだそれにも余裕がある。  言葉に甘えて、明日有給欠勤を頂戴し、まだ明るい時間の中を俺は人の流れとは反対に歩く。この時間なら整形外科も受付してくれるだろう。  密になった通勤時に比べ、ソーシャルディスタンスが守られた座席に腰掛け、毎日見ている光景をぼんやり眺める。  ふと、車内刷りが目に入る。ピンクや赤のハートやポップな文言が飛び交う。それはデパートのバレンタイン催事の広告だった。 (そういえば、そんな時期なのか……)  縁のないイベントに、今更ながらに気づいた。  大学時代にみどりママ──緑川と一年ほど周囲には秘密で付き合ってきたが、その時ですらもバレンタインの存在は頭にはなかった。向こうもバレンタインの時は合コンがあると言って、会いもしなかったからなぁ。  今にして思えば、あの時点で俺に対する感情が薄れていたのだと思う。同時に俺も後ろめたさから開放されて、ホッとしていたのを思い出してしまった。  そうなった原因は俺にある。初めて緑川と出会い、その勢いでホテルでセックスしたものの痛さや苦しさばかりが優先してしまって、軽くトラウマになってしまったのだ。  最初はなだめてくれた緑川も、次第に俺から距離を取るようになり、最後は緑川の方から「終わりにしよう」とメールで一言。  それ以来、俺自身も積極的に誰かと付き合ったりとかできないタイプだったのもあり、気づけば十年近く恋人どころかまともにセックスすらしていない。  そんな頑なな俺が涼さんに対して恋をしてしまった。  温かい料理と笑顔で、こわばっていた俺の心を溶かしてくれた。  だけどノンケである涼さんにそんな事を言える訳ないだろう。下手すれば、今の関係があっさりと崩れてしまい、俺から離れていってしまう。  涼さんの口から「え、ゲイなんですか? ……キモチワルイ」とか言われたら死ねる。多分死因は心停止。うん、耐えられない。 (あ、でも、女子の間では友チョコなるものがあるな。それならワンチャン。普段のお礼や感謝でって言えば、それなりにごまかせるかも)  明日も有給もらったし、人ごみに突入するには勇気がいるが、店側もそれなりに対策しているだろう。ある程度ネットでアタリだけをつけておけば、長時間滞在ってならずに済むだろうし。  よし、明日はしっかり自己対策してチョコを買いに行こう。  その前に、この腰の痛みをなんとかしないと。  自宅最寄り駅に到着するアナウンスが流れると、腰を労わるように立ち上がる。アイタタ。  ホームに降り立つと、地元の藍知では梅の開花が宣言されたというのに、寒さが勝つ。風が冷たくて頬が切られるように痛い。  首を竦めてマフラーに顔半分を埋めながら閑散とした改札口へ向かうと、大量の荷物を両手に持った若い女性がヨロヨロと歩いては止まるといった光景が目に入った。  まるでペンギンのようだな、と思わずクスリと笑みが零れる。  微かに笑ったつもりが、駅の構造で反響して彼女に届いてしまったらしい。  ベージュのワンピースコートの背中を流れる栗色の髪がふわりとなびき、こちらへと顔を見せる。  顔を見た途端、あっ、と口に出さなかった俺偉い!  なぜなら、ペンギンの彼女は、涼さんとスーパーで仲良く体を寄せ合っていたあの女性だったからだ。 「あ……すみません」  思わず謝罪してしまうのは日本人サラリーマンの悲しいサガだ。  大丈夫ですか? と疑問を口にすれば、彼女は長い睫毛をバサバサ音がするように瞬きをして、それから花のように微笑む。 「チョコレートって、数がかさめばそれなりに重いのね」  華奢な肩を竦めれば、両手いっぱいに引っかった紙袋がガサリと笑う。ひとつひとつは大した重さも感じないものだろうけど、確かにあの量にもなればそれなりの重量があるはず。  どこに行くかは分からないが、ヨタヨタと歩いていたら、悪い人に絡まれちゃいそうで心配になる。 「あの……よかったら、半分持つのをお手伝いしましょうか?」  俺は、初対面の人に何を申し出ているのだろうか。

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