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第8話 なんだか変なんです
アララギ中佐が来なくなって二十日が経った。こんなに長く中佐の顔を見なかったのは久し振りだからか、なんだか変な感じがする。
最後に抱かれた日の翌朝、お見送りした中佐の顔が少しだけいつもと違っていたように見えた。行為のあとも、困っているのか怒っているのかわからない表情をしていた。そのことが、なぜかいつまで経っても忘れられない。
「うーん。僕、また何か余計なことでも言っちゃったかなぁ」
僕は昔から思ったことを素直に言いすぎるようで、そのせいで男娼仲間たちに僕の性癖が筒抜けなくらいだ。
さすがにお客さんと話すときは気をつけているけれど、アララギ中佐と一緒にいるときは大体頭の中がトロトロになっていることが多いから、うっかり余計なことを言ってしまった可能性がある。
主人からは「お客様が不快に思うようなことは、絶対に口にするな」と散々言われてきた。それこそお客さんを取るようになってからも何度も言われた。僕自身も十分注意しているけれど、たまに失敗することがあるから「もしかして……」と少し不安になる。
「……今度来てくれたとき、謝ろう」
そう口にしたら、また胸がギュッと苦しくなった。なんだか最近、どんどん苦しくなる間隔が短くなっている気がする。それに、苦しくなるときは全部アララギ中佐のことを考えているときだ。
「……本当に僕、どうしちゃったんだろうなぁ」
苦しくなることがわかっているのに中佐のことを考えてしまうのは、ひとえに僕が暇だからだ。
中佐に指名されなくなったから時間はたっぷりあるのに、どうしてか僕を指名してくれるお客さんはいなかった。それは男娼として困った状況なんだけれど、主人からは「おまえにはたっぷり金を落としてもらっているから問題ない」と言われて首をかしげてしまう。
「お客さんがいないのに問題がないわけないでしょ」と突っ込みたくても、よけいなことを言って主人に説教されるのは嫌だから、こうして毎日ぼんやりするしかなかった。
「……ううん、これはちょっとダメだと思うぞ」
ただぼんやりしているだけなんて、僕の性に合わない。
五歳で高級娼館 に来たときは下働きとして、十歳からは下働きに加えて先輩たちの雑用係もこなしてきた。お客さんを取るようになってからは男娼の仕事しかしていないけれど、読書はもちろんお酒やお茶の味の確認は続けていた。
お客さんの数が少なくても、これまで何もせずにぼんやりする時間なんてなかった。でも、中佐が来なくなってからやる気が出なくてほとんど何もしていない。
「こんなんじゃ、ダメすぎる」
何もしない時間は僕自身が誰にも必要とされていないのだと突きつけられているようで、すごく嫌だ。このままじゃどんどん気分が沈みそうなのが嫌だし、なにより中佐のことばかり考えてしまう自分が怖い。
自分から何かしたい気持ちにならないなら、仕事をもらえばいい。気分を紛らわせるには体を動かすのが一番だ。男娼の僕はもう下働きをしなくてもいいんだけれど、何かやれることがないか主人に聞いてみようと思って部屋を出た。
「やぁ、ツバキじゃないか」
主人の部屋に行く前に、娼館の玄関で懐かしい人に声をかけられた。
「あ、…………モモハ様」
「あれ? もしかして僕の名前、忘れちゃってた?」
「そんなこと、あるわけないじゃないですかぁ」
「あはは」と笑いながら、本当はすぐに名前が出てこなかったことに冷や汗をかいていた。
モモハ様は僕が男娼になった最初の頃に指名してくれていたお客さんだ。たしか三回か四回くらいは指名されたと思うけれど、記憶が曖昧なのは最後に会ったのが何年も前だからだ。
そういえば、モモハ様は結構な家柄の貴族だと聞いた気がする。当時ほとんど指名されなかった僕にとっては貴重なお客さんで、服や腕輪をくれたりもした。本人は「三男坊だから自由気ままなんだ」と言っていたけれど、こうして昼間から高級娼館 にいるということは、いまも自由気ままに暮らしているんだろう。
「そうだ。ツバキってお客取るのやめたの?」
「いいえ、そんなことないですよ?」
「え? そうなの?」
「?」
不思議そうなモモハ様の顔に、僕のほうが首をかしげてしまった。僕はまだ現役の男娼だし、だからこうして高級娼館にいられる。もしお客さんを取らなくなるとしたら、男娼を廃業してここを出て行くときだ。
「僕はまだこうして働いてますし、お客様の指名は大歓迎ですよ?」
「ふふ、ツバキは昔から気持ちいいことが大好きだったもんね~。じゃあ、あの噂は間違いだったってことか」
「うわさ?」
「うん。ここ二、三カ月くらいだけど、ツバキの指名ができないって話だったから、てっきり引退するのかと思ってた」
「えぇー……。僕、引退する予定なんてありませんし、お客様を断ったりもしませんけど……」
「だよね~」
まさかそんな噂が流れていたとは思わなかった。だから誰も僕を指名してくれなくて、こうして暇になっちゃったというわけか。
理由はわかったけれど、どうしてそんなことになっているのか原因はさっぱりわからない。僕がウンウン考えていると、モモハ様が「じゃあさ」と声をかけてきた。
「僕が指名したら、相手してくれる?」
「え? あ、はい、もちろんです」
指名してもらえるのはありがたいから、僕は素直にそう答えた。
僕の返事に笑顔を浮かべたモモハ様は、そのまますぐに主人のところに行ったらしい。その日の陽暮れ前に、僕は難しい顔をした主人に呼ばれて、そこでモモハ様に指名されたことを聞かされた。
「なるほど、今回の指名の件、よくわかった」
僕は昼間にモモハ様と会って、指名してくれるなら喜んで受けると答えたことを話した。それを聞いた主人は、なぜか難しそうな顔をしている。
「……ええと、僕、何かしちゃいましたか……?」
「いいや、男娼が直接客から約束を取るのは間違いじゃない。そういう意味では、おまえは何もやらかしてない」
それなら、なんでそんなに怖い顔をしているんだろうか。
僕はビクビクしながら、主人の顔をそっと窺い見た。綺麗な形の眉がグッと中央に寄っていて、目つきもいつもより鋭い。口はもちろん笑っていないし、超絶美人さんが怒るととんでもなく怖いのだということを改めて実感した。
「まぁ、ここは娼館だからな。男娼が客を取らなくなったらおしまいではある」
「……えぇと、」
「上客との約束事は大事だが、絶対ではない。それは彼方 さんも理解しているだろうしな」
「あの、」
「なにより本人が取りつけた指名だ。俺がどうこう言うことでもないだろうし」
「あの~……?」
主人には僕の声がまったく聞こえていないみたいで、そうっと声をかけるくらいじゃ気づいてもらえない。かといって大声で呼ぶのもなんだか怖くて、どうしようと困っていたところにヤナギさんが入ってきた。
ヤナギさんは主人の片腕で、この高級娼館で働く人たちを取り仕切っている。僕の手ほどきをしてくれた人でもあるから、これまで指名が少ないことの相談に乗ってもらったりしていた。ほかの人たちと同じように、僕は優しくてかっこよくて頼りがいがあるヤナギさんのことが、昔から大好きだ。
「あれ? ツバキ、どうしたの?」
「ヤナギさぁん」
僕の情けない声に主人を見たヤナギさんは、「あらら」と言って苦笑した。
「ジュッテン、呼び出した相手を放置して考え事に耽るなって、いつも言ってるだろう?」
「ん? あぁ、ヤナギか」
「ヤナギか、じゃないよ? ツバキが困ってる」
「あぁ、そうだった。すまなかったな」
「……別に、いいですけど」
「あはは。ツバキの拗ねた顔は、いつになっても可愛いなぁ」
「ヤナギさん! 可愛いって、僕、もうすぐ二十五になるんですけど」
ちょっとむくれてそう答えたら、「そうかそうか、もう二十五か」なんて言いながら僕の頭を撫でてくれた。ヤナギさんのほうが少しだけ背が高いけれど、あまり変わらなくなった体格のヤナギさんに頭を撫でられるのは照れくさいし変な感じがする。
「何歳になっても、ツバキは僕にとっては可愛い弟みたいなものだからね」
そう言って目を細めて笑うヤナギさんのほうこそ、いつまでも若いと思う。
というか、ヤナギさんは一体何歳なんだろう。僕が五歳でここに来たときにはもう仕切りの仕事をしていたから、それほど若くはないはずだ。それなのにヤナギさんはいつまで経っても見た目が変わらなくてかっこいい。姐 さんたちにも男娼たちにもすごく人気があって、ヤナギさんに直接手ほどきされた僕はいつも羨ましがられていた。
「で、ジュッテンは何をそんなに難しい顔してたんだ?」
「あぁ、いや、ツバキに指名が入ったんだ」
「……まぁ、男娼のままだから、仕方ないことではあるね」
あれ、ヤナギさんまで難しい顔になった。もしかして、僕がお客さんに指名されるのはマズイことだったんだろうか。
でも僕は男娼だから、お客さんに指名されないことのほうがマズイはずだ。そうなると、どうして主人やヤナギさんが困った顔になるのかわからない。
「それとなく噂だけは流しておいたけど、やっぱり限界だったか。彼方 さんに連絡する?」
「いや、その辺も納得のうえでの約束事だからな。今回のことで何か言われたりはしないだろう」
「なるほど。じゃあ、何がそんなに気になるの?」
「……最近の様子を見ていると、いろいろとな」
「あぁ、それはそうだね」
なぜか二人そろって僕のほうを見てきた。会話の内容はよくわからなかったけれど、もしかして僕に関係することだったんだろうか。
(うーん、さっぱりわからないや)
ウンウン考えていたら、「ツバキ」とヤナギさんに呼ばれた。
「ツバキは、まだ男娼としてお客様に指名されたい?」
「えぇと、僕は男娼ですから、やめるまではお客様が指名してくれないと困ります」
「なるほど、それはもっともだ。じゃあ、モモハ様の指名を受けてもいいんだね?」
「はい、大丈夫、ですけど……。もしかして、何か問題があったんですか?」
「うーん、まぁ大丈夫だとは思うんだけど」
「ツバキが自分で決めたことだ。彼方 さんの件は、また別だろう」
「そうだね。まぁ、これも仕方ないか」
またよくわからない話に戻ってしまった。
結局、最後まで主人とヤナギさんの会話はわからずじまいだったけれど、僕は次の日の夜、久し振りにお客さんを迎えることになった。
「うぅ~、緊張するなぁ」
モモハ様が来る前、僕は久しぶりに緊張していた。アララギ中佐のときほどじゃないにしても、新人だったときに近いくらいには緊張している。
「……最近、お客さんは中佐だけだったからかな……」
五、六日に一度は中佐が来ていた。それ以外は指名されることがなかったから、久しぶりに男娼らしい生活に戻った感じがする。
「中佐、元気かなぁ」
(……しまった。また思い出してしまった)
うっかり中佐のことを思い出して、胸がキュウッと苦しくなった。
アララギ中佐に初めて指名されたときは、無口で無表情だったから、軍人さんはやっぱり怖い人なんだと思った。そのうち中佐のちょっとした表情の変化や意外にも照れ屋さんということがわかって、可愛い軍人さんだなぁと思うようになった。
ほんの少し強面に見える顔が、なんだかとても懐かしく感じる。小さくなんてまったくない僕の体が、中佐の腕にはすっぽり収まっていたのも妙に懐かしい。
ゴツゴツした手は僕の頭を覆うくらい大きくて、あの手で全身を撫でられるのがすごく気持ちよかった。あの手に腰をつかまれて、そうしたら立派すぎる逸物がググッと挿入 り込んできて……と、余計なことまで思い出してビックリした。
これからお客さんが来るのに、別のお客さんのことを思い出すなんて初めてだ。
「いけない、いけない」
僕は頭をブンブン振って、モモハ様をお迎えするための準備を始めた。
でも結局僕は、モモハ様に抱かれている間も、なぜかアララギ中佐のことばかり思い出してしまった。
「はぁ……っ。相変わらずツバキのココ、気持ちいいなぁ」
「んっ、ぁ、ぁん!」
「ふふっ、ここ、好きだったよね……っと!」
「ひんっ!」
モモハ様の先端が、グリグリと前立腺を押し潰してはググッと奥に挿入 っていく。たしかに気持ちよかったけれど、どうしてかちょっと物足りなく感じてしまった。
(……あぁ、中佐のだったら、もっと力強く擦ってくれて……もっとナカをめいっぱい広げてるって感じ、なのに……)
「……はぁ、も、イキそ……。前、弄ってあげる」
「ひゃうっ!?」
「はは、すごいビッショリだね……。は、はぁ、は、は……っ」
「ひぅっ、あ、あっ、あっ、ぁあっ!」
ガンガン腰をぶつけられながら、モモハ様の手が僕の性器を握ってきたことに驚いた。
(ひうっ。ちゅ、中佐のときは、前、触んなくても、出ちゃうから……ぁあんっ!)
グチュグチュ音を立てて性器を擦り上げられると、気持ちいいのに変な感じがした。以前はこうして前を擦らないと本当の意味での絶頂には至れなかったのに、いまは逆にうまくイケない。いや、イケるんだけれど変な感じがして頭がおかしくなりそうだった。
「あ、あ、あぁ! 出ちゃ、出ちゃ、うぅ……!」
久しぶりの感覚に、僕はビュビュウッて音がしそうなくらい思い切り射精していた。最後まで絞り出すようにモモハ様の手が動くから、それに合わせて腰がカクカク前後に揺れてしまう。
後ろも思い切り締めつけていて、それを突き破るみたいにモモハ様の逸物がガンガン擦り上げている。そうして最後にドクン! と弾けたのを感じた。ドクドクとモモハ様の精液がナカにぶつかるのがわかる。でも、僕はやっぱり物足りなく感じていた。
(中佐のは、奥の壁にぶつかって……そこをたくさん突いてくれて、死ぬほど気持ちがいいから……かなぁ)
残念ながらモモハ様の逸物は、中佐の逸物が攻めてくれるほど奥には届かなかった。それに、こうして最後まで僕の意識ははっきりしている。中佐とだったら、一度目の絶頂で気絶しっかっているはずだ。それでもすごく気持ちがよくて、フワフワのトロトロになっていたと思う。
「はぁっ、気持ちよかった……。あぁ、ツバキの泣きながら蕩けた顔、やっぱりいいなぁ」
「……モモハ、さま」
「体は大きくなったけど、この顔は変わらないね。大人なのに子どもみたいに泣いちゃうところが、すごくやらしい。グズグズになった泣き顔が見たくて指名してたんだけど……うん、やっぱり中毒性が高い泣き顔だ」
そう言ってモモハ様が抱き寄せてくれた。モモハ様と僕は同じくらいの体格だから、ピタリとくっついて寄り添うような感じになる。
(すっぽり抱きしめてくれる中佐って、やっぱり大きいんだなぁ)
それに、中佐は一回だけで終わったりはしない。
結局僕は、最後までアララギ中佐のことを思い出してばかりいた。モモハ様との行為も十分気持ちよかったはずなのに、どこか物足りなくて体の奥が燻ったままになってしまったのも、中佐のことを思い出した原因かもしれない。
(中佐、いつ来てくれるかなぁ……)
モモハ様の体温を感じながら、また中佐を思い出した。同時に胸がキュウッと苦しくなって、ツキツキとした痛みを感じながら目を閉じた。
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