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-了-
ガスコンロの前に立った竹島さんは、袋から出したパスタの、小分けしてある細い紙を破きながら付け足した。
「言いたくねえなら無理に言わなくてもいいけどさ」
おれの、初体験の相手についてのことだった。
「いや別にその、言いたくないとかじゃ、ないんですけど」
そう。絶対に言いたくない、というわけではない。ただなんだか、単純に、恥ずかしい。
はあ、と、パスタを持ったまま竹島さんが大きくため息をつく。
「おれ、そういうの今まで、全然興味なかったんだけどな。おまえだって初めてなわけないことくらい、わかったしさ。でもなんかな、気になってさあ。あー、かっこ悪いな。別にいいぞ、気をつかわなくて。言わなくても」
「いえ、あの、ほんとに。その、そのとき初めて会った人で、なんていうか、そういうの専門の人で」
「……風俗?」
「あ、ち、違います。そういうんじゃなくて、仕事とかじゃないんですけど、その日限りの相手っていうか。だから一回だけで、それっきり会ってないですし」
「……ふうん」
わかったような、わかってないような顔で、竹島さんはひとまず納得してくれた。
郁さんのことをうまく説明できる気はしないし、処女斬りの人だなんてとてもじゃないけど竹島さんには言いたくない。
「まあ、そういうことに慣れてるやつだったんだな?」
「……はい、すごく」
「じゃあまあ、良かった」
ようやく、竹島さんは表情を緩めておれを見た。
「え?」
「まあそういう話聞くといい気はしねえけどさ、実際のところ、おまえの初めてがおれじゃなくて良かったかもな。おれは男相手にするの初めてだったし、おまえにしんどい思いさせたかもしんねえし」
「……そんなこと」
確かに、郁さんはとても上手で、おれは初めてなのに一つも辛いことがなかった。ただただ気持ちよかった。
でも、全然違った。
竹島さんとするのは、それとは全然、意味が違う。
「でもおれ」
「ん?」
「ちゃんと、す、好きな人としたのは、竹島さんが初めて、です」
言って、顔が熱くなった。
やばい。おれたぶん、変な顔をしている。
あわてて蛇口をひねって水を出し、レタスをばしゃばしゃと洗う。あわてているので、レタスがどんどんちぎれてしまう。
ふ、と竹島さんが笑みを漏らす気配がした。
「いい答えだ」
頭に、竹島さんの手の平の感触がする。わしわしと、撫でられていた。
なんだか子どもみたいで恥ずかしいけれど、褒められているようで嬉しい気もする。
レタス、ちぎれてるけどいいですか。
そう訊こうとしたとき、何かが耳に触れる感覚がした。
いつのまにか、竹島さんが背後にいる。耳に触れているのは、竹島さんの唇だった。
「え、あの」
後ろから、腰を抱かれていた。竹島さんの唇は耳の後ろ側にまわり、そのまま首へと下りてゆく。
「あの、た、竹島さん」
シャツの裾から入りこんだ手が、さらに下に着ていたTシャツの中へともぐりこんでゆく。
「竹島さん、お湯、ふ、沸騰してます」
「知ってる」
入りこんだ指は容易に胸元の突起へとたどりつき、首筋を優しく吸われて、たまらず声が出る。
「……ア、」
開いた口を、上向きにされてふさがれた。舌が絡まると、頭も顔もどんどん熱くなってゆく。どんどん力が抜けてゆく。今、おれたちいったい、何をしていたんだっけ。
「あの、パスタは……」
解放された隙に、荒い息のまま訴えてみる。
「先におまえを食う」
そう言って竹島さんは、手を伸ばしてガスの火を止め、続けて蛇口の水も止めた。おれは腰を抱かれたまま、手を拭くヒマもなく引きずられるようにして奥の部屋まで運ばれた。
「い、今から?」
組み敷かれた体勢で、それでもまだ一応、抵抗してみる。だって今はまだ、真昼だ。明るい秋の、昼食の時間だ。
「おまえが妙な声を出すから悪い」
「それは、だって、竹島さんが」
「おれが?」
言葉を継げずに口を引き結んでいると、竹島さんがいつもの、見る人の心を鷲づかみにするひどく魅力的な笑みを浮かべて、ゆっくり近づいてきた。合わさった唇から侵入してきた熱いものに、強引に口を開かされる。
あきらめなくてよかった、と心から思う。
竹島さんを好きになって、よかった。
竹島さんが求めてくれて、よかった。
触れるように繰り返すキスの合間に衣服をはぎとられながら、おれはめまいがしそうになる。幸福に、酔っているのかもしれない。
竹島さんの体温を感じるたびに、実感が体中をかけめぐる。
郁さん。
おれ今、ちゃんと恋愛をしています。
-了-
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