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第4話
「お前が襲われてたら助けてやらないでもないよ」
カチンとくる恩着せがましい物言いに、さらに余計な一言を付け加える。
「気が向いたら、だけど。一応兄さんだし。二年も先に生まれたし。実際のとこ母さんに頼りにされてるのは俺の方だし」
一言じゃすまない。
「声変わりは俺の方が早かったし。背丈でもまだちょっと勝ってるし。お前はいつも俺のことグズだのノロマだのお荷物だの足手まといだのチキンだのヘタレだのばかにするけど、実際そこまでひどくはない。俺だってやればできるんだから。そうだよ、俺はやればできるやつなんだ。これまではちょっとツイてなかっただけさ。褒めて伸びるんなら貶されてへこむだろう、俺のこともうちょっと兄さんとして敬ってもバチあたらないんじゃないかな。ベッドで寝るときも三分の二占領してさ……せめて半分こしようよ、たったふたりきりの兄弟だろう?寝床は平等に分け合おう。毛布をひとりじめするのもやめて。いつも蹴落とされて床で寝る羽目になるんだ、おかげさまで背中が痛い。寝不足と筋肉痛の二重苦だ」
パチン、パチンとゴムを弾きながら、日頃さんざん自分を虐げ省みぬ弟への恨みつらみを述べる。弟の眼をまっすぐ見る勇気がないため、かたくなに俯いているのがどこまでも小心な彼らしい。
スワローは私怨に染まった兄の愚痴をジト目で聞いていたが、唐突にギザ歯を剥いて、悪魔のように邪悪きわまりない笑顔を浮かべる。
「お脳がお花畑だな」
所在なげにいじくりまわす兄の手から「貸せよ」とスリングショットをひったくり、適当な小石をつがえる。
ゴムごと小石を引っ張り、片目を眇めて遠く近く、大雑把な勘頼みに距離を測る。
「ちゃちなガキのおもちゃじゃねーか。ハンドメイドにしちゃよくできてるけど、いいとこ努力賞だな」
「返せよばか、乱暴にしたら壊れる!」
ばたつくピジョンの手をひょいひょいとスリングショットがすり抜けていく。名は体を表すという諺通り、すばしっこさではスワローが数段上だ。
スワローは深呼吸し、至って無造作に踏み構える。
スリングショットを持った片腕をまっすぐ伸ばし、反対の手でゴムを矯める。
空気がピンと張り詰める。
たった一動作に目を奪う流線形の美しさがある。
シャープに研ぎ澄まされた一挙手一投足は、掃き溜めに舞い降りた燕を見るようだ。
片目を瞑って狙いをつけ、ヒュッと鋭い呼気を吐く。
放たれた小石は一直線に飛んでいき、割れ残った瓶の下部を木っ端微塵に打ち砕く。ピジョンの顔に驚愕の波紋が広がる。
スワローはシラケた表情のまま、無関心に呟く。
凡人の努力を一切理解せず足蹴にする天才の傲慢さで。
「毎日地道にコツコツと、だっけ?」
あっさりとスリングショットを投げ捨てる。
「猿のオナニー、馬鹿の一つ覚え。テメェがやってるのはそういうこった。無駄な努力ご苦労さま」
弟が放り出した得物を両手でキャッチ、耳朶まで赤く染めて恥辱に耐えるピジョン。泣き出す前兆か唇が小刻みに震えている。
スワローはド素人の初心者だ。
おそらくこの時初めてスリングショットを手にした。
その腕前は最初の一回で兄を凌ぐ冴えを見せた。天性の勘と素晴らしいセンスに恵まれている。
ただそばで見ていただけ、それだけで全てを体得してしまった。
天才肌の弟と努力家の兄、異端の弟と凡庸な兄。
物心ついた時からすっかり対照的な構図ができあがっていた。要領が悪くなにかと躓きがちな兄をよそに、スワローは一度コツさえ掴んでしまえばなんでも易々とこなす。年はふたつしか違わないのに内実では百馬身引き離されている。胆力でも腕力でも、もはやどうあがいたところで絶対にかなわない。優秀な弟と比べられ貶められるうちにいつしかピジョンは諦め慣れし自分を卑下する悪い癖がしみついてしまった。
俺なんかあいつの足元にも及ばない。
俺なんかどうがんばったってスワローに追いつけない。追い越すなんて夢のまた夢だ。
自嘲と自虐で自縛して自爆に至る、それは呪いだ。スワローはそんな劣等感のかたまりの兄を露骨に馬鹿にし日常的に暴力をふるう。ピジョンはやり返さずじっと我慢する。勝つ自信がないから?怒らせるのが怖いから?おそらくその両方だ。兄の威厳なんてものはこれっぽっちもない。
すこぶるつきの腕前をいやというほど見せつけられ、ちっぽけなプライドをずたずたに引き裂かれる。
唇をきつく噛んでうなだれる兄にスワローは留飲をさげる。
「う……」
モッズコートの袖口で目尻を拭い顔を隠す。ひどくガキっぽい仕草。
大人びた振る舞いを心がけていても精神年齢は年相応に未熟だ、弟に恥をかかされ澄まして受け流せるほどピジョンも人間ができてはいない。いや、大人になりきれてない。スワローは知ってる、兄がしばしば洟を噛むせいでモッズコートの袖口はかぴかぴに乾いてる。汚い。コイツは潔癖症のきらいがあるくせに俺に涙を見せたくないから泣くたんびにそうする、そして後になってアルミの盥に水を張り石鹸を泡立てしこしこ洗うのだ。
兄の事なら何でも知ってる。
一番いやがることも一番痛がることもなんでも。
「弟の前でかっこつけようとしたのに残念だったな、オニイチャン」
ピジョンにずいと迫り、その顎を片手で掴んで固定する。
「!痛ッ……見る、な」
「言いたいことがあんならはっきり言えよ。びびってんのか」
「………離れろ。近い」
「あ~ん?なんだって聞こえねえな、ちゃんと目ェ見て言えよ」
「だから近すぎだって……息がかかってくすぐったい、くっつくな」
「具体的にどこが?」
「どこって……首筋とか耳たぶとか、その、皮膚が薄いとこ……」
「敏感だな」
途切れ途切れのよわよわしい抗議。腕を払いのけ暴き立てた泣き顔、ふやけきったべそっかき。いじめてくださいと看板を下げているような顔。
ああ、この顔、この声だ。ピジョンの嫌がる素振りはいつだってスワロウを辛抱たまらなくさせる。
ピジョンの足を蹴って、股間を掠めて自分の足を割り込ませる。
「なにす、ぅわ」
「知ってるか?体の先端にゃ毛細血管や神経が集まってるから一際敏感になるんだそうだ。だからこうやって」
もう一方の手でシャツ越しにピジョンの薄い胸板をまさぐる。
「めーっけ」
「ぁ、や」
親指の腹で乳首を揉み潰す。性的な刺激にとびきり弱い兄が腰砕けにへたれこみそうになるのを許さず、顎を乱暴に掴んだまま自由な方の手で乳首をねちっこくいじめぬく。
一緒に寝起きする血の繋がった兄弟だ。
ピジョンの弱いところは余さず知り尽くしている。
シャツに隠され形もはっきりしなかった乳首が次第に固くしこり、尖り始める。
「へん、なとこ、いじるな……悪ふざけもいい加減にしろよ、怒るぞ」
「おもしれえ、野郎も乳首で感じんのか。それともお前がとびっきりのビッチなのか、どっちだ」
喉の奥で嘲り笑えば、ピジョンが涙ぐみ、ぐしゃぐしゃに表情を崩す。
憤怒、恥辱、性感、全部が煮溶かされ浅ましく蕩けきった顔、じんわり熱を帯びて震える瞼……
これじゃあ拒んでるのかねだってるのかわかりゃしない。スワローの股間が反応する。
シャツ越しの愛撫はまどろっこしく、スワローの指遣いには一切の容赦がない。
指の腹で突起を圧し潰し、捏ね回し、揉み搾る。
ふにふにくにくにした感触が面白い。
「あっ……ふぅっく……」
腫れきった乳首を指に挟んで擦り立て、切なげに息を荒げる兄を意地悪く追い上げていく。
テクニックは未熟、稚拙で性急な技巧には欲情が先行する。
くすぐったさがむずがゆさへ変わり、熾火を掻き起こして甘い疼きがこみ上げてくる。
学校に通った経験がなく、漠然とした性知識しか持たない十代前半の少年にとって、己の体を翻弄する生理現象はタブーを犯す禁忌と凄まじい背徳感をもたらし、それがまた性感を燻らせる。
自分の体が思い通りにならない、極端な反応を制御できない。
「こりこりしてきた。自分でもわかんだろ、芯が立ってきたの」
「っあく、あぅ」
体に意志を裏切られる絶望感にうちのめされ、びくびくと断続的に痙攣する。
「ふ……、スワロー、やだ、それやめて……なんかへん、だ、へんになる」
根っこから先端へ揉み絞り、爪をじくりとめりこませる。
「相変わらず乳首いじくられんの好きだな。尖りまくって気分だしてきたじゃねーか」
「ちが……」
「綺麗なピンク色。女と一緒だ」
「み、見たことあるのか?母さん以外の女の人の……」
「乳首か」
「そうそれ」
「乳首ぐらいで口に出すの恥ずかしがってんじゃねーよ」
「連呼するなよ」
「ド変態。ド淫乱。乳首責めで感じまくって今にもイッちまいそうなドМ野郎」
「あぅ……もうやめ、ろ」
熱い吐息に乗じて囁かれた卑語にびくりとし、嗚咽に掠れた声で懇願する。
思った通り、いたぶられるほどピジョンは感じやすくなる。抵抗は建前だけでその実まんざらでもない。天性のドМの素質があるのだきっと、救いようないド変態が。実の兄への嘲りと、それを上回る征服欲が腹の底で煮えくり返る。
ピジョンの耳朶に血が集まっていく。甘噛みしてやれば面白いように反応を示す。
「見ろよテメエのエロ乳首、シャツごしに完全に勃ちあがってら。息吹きかけると震える。ぷっくり腫れあがって……クリトリスだなまるで」
「っ……」
「エロエロのクリ乳首。ちょっといじくられただけでこんなになってら。雌イキはできるのに母乳がでねえのが惜しいな、がんばればできんじゃね。飲んでやるから出してみろって」
「でるわけない……スワロー頼むおねがいだから、これ以上恥ずかしくさせないで……下品なポルノ朗読されてるみたいだ、耳が腐ってもげる」
「兄貴がマットレスの下に隠してるアレか?」
「な、なんで知ってるんだよ!」
「トイレにこもってこそこそ読んでんのバレてねーとでも?」
「~~~~っ!!」
「テメエが入ったあとはイカくせーからすぐわかる」
「……ちょっと、今のはかなり、本気で傷付いた」
「あーゆー貧乏くさい下着の地味女が好きなのか?白や水色の……交差させた腕で胸を隠して上目遣いでチラ見してくるような」
「せ、清楚って言えよ。俺の下着の趣味、じゃない、女の子の趣味はほっとけ」
「アレでヌケるなんて妄想逞しすぎるんじゃねえか、水着や下着の女が張っ倒したくなる意味深な目線くれてるだけじゃねーか」
「想像の余地があるほうが好きなんだよ。行間を読む心を大切にしたい」
「チラリズムや寸止めに興奮するタチ?」
「絶対領域は全部見せちゃったら意味がない」
「あんなの三歳児でも勃たねーよ」
「三歳児が勃ったら怖いよ」
「大股開きのオールヌードやセックスポルノじゃなし、母さんの客がおいてったドギツいSM雑誌はどこやったよ?」
「痛いのはいやだって何度言わせるんだ、とくに女の子が縛られて鞭打たれて蝋落とされてるのはやなんだよ……可哀想で直視できない。三角木馬って拷問具じゃない?股が縮む。亀甲縛りは芸術だけど日本人は変態だ」
「ばっちり見てんじゃねえか」
「こ、怖いもの見たさで最初の方だけぱらぱらめくっただけで深入りはしてない断じて!最初の数ページだけでたくさんだ!」
「濃厚なプレイなんざ母さんと客の乳繰りでさんざん見飽きたろ。俺もお前もコンドームをガムと間違えてくちゃくちゃ噛んで大人の玩具をオモチャにして育ったんだ、忘れたとは言わせねーぞ」
「お前がアナルパールを蟻地獄に突っ込んでぐりぐりやってたの、忘れたくても忘れられない」
「兄貴だって床にローションまいて滑って遊んだろ、カーリングごっこだーって」
「お前がこぼして俺が後始末したんだよ」
「あーそうだっけそうだった、運動音痴が勝手に滑って転んだんだっけ」
「わざとらしい……」
兄弟の母はトレーラーハウスで客をとる流しの娼婦だ。
仕事中は幼い息子ふたりを外に出して遊ばせていたが、故意か事故か、覗き見した経験は数えきれない。特にスワローはその手の事に興味津々で、耳を塞いでしゃがみこむ兄の首ねっこを引っ張っては、母の情事を目を輝かせ観察していた。そんな前科が嵩んだせいか、齢11歳にして一端の知識を備えたセックス通が仕上がった。
スワローに至ってはとっくに初体験を済ませている。テクニックは未熟でも彼自身は早熟だ。尤も生活環境を鑑みれば然程おかしくない、生計を立てる手段として売春が横行する世相では十代の未婚の母や父があふれている。
スワロ―に言わせれば13にもなって初体験もまだ、後生大事に童貞を守ってるピジョンのウブさこそカマトトこじらせた絶滅危惧種なのだ。
性癖を暴露され、顔から火が出そうに真っ赤になった兄をからかう。
「頭も顔も濡れまくってぐちゃぐちゃだな。股間はどうだ、蒸れ蒸れでイきそう?」
「イくわけないだろ……異常者扱いするな、俺はお前と違ってノーマルなんだ、ちゃんと女の人が好きだし、その、ちゃんとするなら好きになった人がいいし……」
「どうせポーズだけだろ、嫌がってンなら体が反応するわけねえ」
「うぐ……」
「乳首と股間おっ勃てて早く早くって堪え性なくおねだりするわけがねえ」
「だってそれは、お前のさわり方がしつっこくていやらしいから……」
「気持ちいいからの間違いだろ。リピートアフタミー」
上下の唇ではみ、軽く歯を立て、吐息を吹きかけるくりかえし。
「いやだ……はなれろ気持ち悪い」
「おかしいのはお前の体?それとも俺達がやってること?」
「複数形にするな、お前が一方的にやってることじゃないか」
「ハッ、被害者ぶんなよ。だったらなんでシャツ越しでもくっきりわかるほど乳首がしこってきやがんだ?男のくせに乳首勃たせて恥ずかしくねーのかよ、えェ?ひどくされるのが好きならそう言えよ、もっといじめてやっから」
膝頭で小刻みに股間を揺すり立てれば、律動から送り込まれる甘い痛みにピジョンが呻く。
「股ぐら押し潰されてよがってんのか?痛いのがイイってか?腰が浮いてるぜ」
「あ……っく、い、やめ」
「立ったままイッちまうか?ほら」
「押すな、そこ、や」
汗と涙でぐしょぬれになった前髪をしどけなく額にはりつかせ、シャツを半ばまで捲り上げ身もがく最高にエロティックな眺め。
「っああっ!」
出来心が騒ぎ、シャツの上から乳首に吸いつく。
「しょっぺえ」
ちゅっちゅっと吸い上げ、舌でつついてなめ転がす。シャツにピンクの先端が透ける眺めはたまらなく扇情的で、見下ろすピジョンの羞恥とスワローの劣情を加速させる。
「きょ、兄弟で……男同士で。こんなのへんだよ、母さんに見つかったらどうすんのさ」
「その母さんのまねごとだ。男同士なら好都合だ、ガキできねーしゴムいらねーし。勝手に濡れねーのが面倒だけど、テメエにも穴は付いてんだろ?ツッコんじまえばおんなじだ」
実の弟に「穴」呼ばわりされ、ピジョンが愕然とする。もはや言葉もない。
「いやいや待てよ待て、その穴は出す所で入れる所じゃないから!?入れるようにできてないから!!」
「だったらなんで母さんにぺ二バンでずこばこ突かれたデブが外まで聞こえるでっけえ声でよがってたんだよ?野郎だってケツ掘られりゃ気持ちいいんだよ」
「俺はお前の穴じゃないしオナホでもダッチワイフでもない、女に困ってないなら他あたれよ、町の子をナンパしてくりゃいいじゃないか!こないだ買い出しに行った時お前の方ずっと見てた子がいたろ、雑貨屋の店番してた……結構かわいかったじゃないか、赤毛のショートヘアで。こっそりキャンディおまけしてくれた」
「あーゆーねんねが好み?」
「嫌いじゃないけど……その、いい子だし。やさしくしてくれた」
「やさしくするイコール気があるって?お前にゃ目もくれなかったろ」
「キャンディもらった」
「俺のおまけのおまけにな」
「…………」
「何味?俺はコーラ」
「…………ペパーミント」
「とオレンジとストロベリーとグレープとレモン」
「五個も?」
「一個っきゃもらえなかったのかよ」
「……ホント言うと飴ってそんな好きじゃないんだ、虫歯になるし。口の中べとべとするし。飴玉を欲しがるほどガキじゃない」
「母さんならどのみちまだとうぶん帰ってこねえさ、安心しろ」
「安心する要素がどこにあるのさ!」
「耳タコで興ざめだ、しらけること言うな。わざと萎えさせようとしてんなら浅知恵回る策士だな」
「萎えるってなにが」
「……マジ?」
ピジョンが童貞なのは知っていたが、純情を通り越して無知だとは。
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