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第3話

少年の背中に丸めたガムを投げ付けたのは後方のドラム缶に陣取って、退屈そうに足を揺らす子どもだ。 体格は一回り小さいが態度は尊大、口調は粗暴。 左右の耳朶に何本も安全ピンを刺し、それだけでは飽き足らず、ビビッドカラーのタンクトップから剥き出しの両腕に黒墨のタトゥーを入れている。胸元にはちゃちな鎖に通したドッグタグが光る。 同じ金髪だが、少年とは少し色合いが違う。こちらは髪質が固いのか、ごわついたモップさながらバサバサと跳ねまわっている。 意志の強さを反映しかっきりと弧を描く眉、赤錆の虹彩をはめ込んだアーモンド型の目、薄く整った唇はいつも不満げに口角がさがっている。 ボーイッシュな少女に見まがう小作りで愛らしい風貌だが、のびやかな四肢のすみずみまで闘争本能と反抗精神が漲っている。まだほんの子供の段階でも人の目を惹きつけてやまないとびきりの美形だ。将来は女泣かせの色男になるだろう。 ドラム缶に行儀悪く片膝立てて座ってるだけでペドフィルを色に狂わせる魅力を垣間見せる。同時にその居住まいから傲慢なまでのプライドの高さが窺い知れる。 他人に媚び諂うのを是としない、孤高な猫科の気位だ。 それも愛玩用の子猫ではない、隙あらばエモノの喉笛に食らいつく獰猛な山猫だ。 雰囲気はまるで違うが、髪と目、それに面影がどこかしら似通う。 ふたりは血の繋がった実の兄弟だった。 「水をさすなよスワロー、せっかくいい調子だったのに」 一部始終見物されているとは思わなかったのだろう、溌剌と弾けた喜びの色は見る間に萎み、きまり悪げに拳を引っ込める。 気分を害した兄の苦言に、スワローと呼ばれた少年は失笑を浴びせる。 唇の片端を皮肉っぽく吊り上げるゲスな笑い方。アシンメトリーの微笑。 整いすぎた顔立ちだけにふてぶてしさも一級品だ。案の定ピジョンの上機嫌はくじかれる。 スワローが立てた片膝に顎をのっけて小首を傾げる。その手の嗜好の人間が見たら小悪魔的な媚態に映るだろうが、本人の意図は全く別だ。スワロ―の横にはピジョンが組み立てた小型ラジオがちょこんと置かれ、垂直に伸ばされたアンテナの先端が陽光を弾く。 「そりゃ失礼。で、軟弱ビビりの我が兄貴サマは今日も今日とて空き瓶に玉あてごっこか。動かねえものを撃ってなにが楽しいんだ?犬猫ならまだわかるが」 「生きてる動物を撃ったら可哀想じゃないか」 「腰抜けめ。だったら自慢の射撃の腕を生かして魚でも鳥でも狩ってこいよ、てのひらに豆だここさえても一文にもなりゃしねえ」 「魚って、この砂漠のどこに池や川があるんだよ。鳥は飛んでないし……死肉漁りのハゲワシならいるかもしれないけど、そんなの食べたらお腹壊すよ。俺はいやだ、死体を食べた鳥なんて食べたくない。間接的カニバルじゃないか」 「好き嫌い言ってたら溺死体を啄んだ魚も土に返った死体に生えたきのこも食べらんねえぞ、自分のささむけ齧って飢え死にだ」 「うぷ……想像したくない」 「コヨーテでもいいぜ」 「スリングショットでコヨーテに立ち向かえって?自殺行為だ、無難に死ぬ。それにこのへんのコヨーテは骨と皮ばかりでうまくない。知ってる?肉食動物の肉は臭いんだ」 「殺生しねえ言い訳だきゃ一人前だ」 スワローは苛立たしげに舌打ちをくれる。 せめてもう少し愛想よくすれば、たまに立ち寄る町の女の子だって放っておかないだろうに……ギスギスした殺気をまきちらしてたんじゃ怖がられる。 地味な容姿と存在感の自分にははたから目もくれないティーンエイジャーの女の子たちが、スワローが通りがかった途端に黄色い声で姦しく囀りだす経験は枚挙に暇がない。正直ほんの少しジェラシーを感じているが、弟には絶対言わない。ピジョンにだって最低限守りたい意地とプライドはあるのだ。 「名前通りの平和主義者か、ピジョンおにーたまは。獣も狩れねえ、人も殺れねえ、何のためにそのオモチャで毎日シコシコ鍛えてやがんだ?何時間も、どうかすると半日も……自分をいじめるのが楽しいマゾなのか」 ドラム缶を蹴立てる轟音に、少年―ピジョンはびくりと身を竦める。その怯えぶりがスワローを苛立たせる悪循環、一方的にやりこめるだけでは兄弟喧嘩になりもしない。 ピジョンはおずおずと口を開き、何故だか腹を立てている弟に抗弁を試みる。自分の得意なこと、唯一の特技にかけては妥協できないと、気が優しい彼には珍しくむきになって一歩を詰める。 「一日でもサボると勘が鈍る。こういうのは毎日地道にコツコツと積み上げてくのが大事なんだ」 ピジョンは努力が苦にならない性質だ。少しずつ腕前が上達していく体感と現実に心から喜びを感じる。なにごとも辛抱強く待つのは慣れている、スワローが生まれてからというもの忍耐力は鍛え上げられた。 スリングショットをためつすがめつ日に翳しピジョンはうっとりと言う。 「コイツは俺の宝物だ。いちから手をかけて作り上げた。旅先で落ちてる小枝を拾って、ナイフでちょっとずつ削り上げて、何度も試し撃ちをしてはゴムを取り換えて微調整を重ねて」 「知ってるぜ、今のゴムは母さんの下着から拝借したヤツだ」 「あ、アレが一番伸縮性がよくて威力が出たから……母さんには黙ってろよ」 「お気に入りのパンティーがへたれて嘆いてたぜ」 「悪いことをしたと思ってる。拾いものとありあわせで間に合わせるしかなくて……」 「人を殺せない武器に意味あんの?」 スリングショットをやさしくなでるピジョン。初めてできた恋人の手を握るような仕草。 手のひらにできた豆だこは自主訓練に膨大な時間を注ぎ込んだ証拠。 「いいかいスワロー、一度しか言わないからよく聞けよ」 もったいぶって、兄ぶって宣言する。 「人を殺したら凶器だ。武器は自分の身を守るために使うのさ」 弟に真摯に説き、何もセットしてないゴム紐を伸縮させる。 「俺は人殺しになりたいわけじゃない。だれも傷付けず、だれにも傷付けられず、ただ平和に生きたいんだ」 お前と母さんとみんなで。 口に出さずに秘めた家族思いの少年らしい純粋な願い、あるいはささやかな理想。 「そのためにコイツの腕を磨いてる。まだまだ未熟だけど……毎日諦めず頑張れば、俺だってそれなりにモノになるかもしれない。将来的にはそう、コヨーテやカラスの群れくらいは追い払えるようになるんじゃないかな。|メイビ―《たぶん》」 「リアリィ(マジ)?」 「リアリィ(マジ)」 生き物を撃つのは気が進まないけど。 馬鹿にしきって語尾を上げる弟に頷き、はにかみがちに俯く。 曖昧に語尾を濁すのは自信のなさの表れか、おのれを卑下するのに慣れた卑屈さの裏返しか。 ピジョン―平和の象徴たる白鳩の名を付けられた少年は、その名の通り心優しく純情に育った。 けれども自分が胸に懐く願いが、今の世界ではどれほど得難く、分不相応なものか理解できる程度には現実を痛感している。 本音を漏らしたら最後この根性悪からどんなリアクションを引き出すか、自衛できる程度には経験則の知恵も回る。 だがしかし。 ピジョンもまた、等身大の自尊心を持った少年には違いなく。 つい口走ってしまう。 スワローを激怒させる一言を。

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