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第7話
「テメェたァ兄弟の縁を切る」
突然の絶縁宣言に頭を弾かれたように顔を上げる。
束の間スワローに見とれていたピジョンは瞬き一つ、「え?」と脳天からマヌケな声を放つ。
スワローはコンクリートで固めた地面に唾を吐き、靴裏でくりかえし蹴りつける。
「もう兄でも弟でもなんでもねえ、とっとと俺の前から消えろ」
「お前がちょっかいかけてきたんじゃないか。おかげで集中力乱されてさんざんだ」
「そいつだって俺に使ってもらったほうが喜ぶぜ、へたっぴなお前よかよっぽどマシな使い手だ」
「~まぐれであてた位で調子に乗るなよ……」
「へえ、マジにまぐれだと思ってる?そう言い聞かせて自分を慰めてンのか?処置なしだな。可哀想なピジョンちゃん、現実を直視するのはいやか?人様に誇れる数少ない特技の一つだったのによ、プライドの最大危機ってヤツか」
腕力でも口でも弟に勝てない、悪口雑言のボキャブラリーに関してはスワローが一枚も二枚も上手だ。単語の正しい綴りはちっとも覚えないくせに人を罵るスラングばかり語彙が豊富なのだ。
ピジョンは悔しげに唇を噛んで、またしても膨らみ始めた涙を見られないよう俯く。
曲げた手で砂利を握り締め、燃え上がる屈辱を堪える兄を傲然と見下ろしていたスワローが、ズボンのポケットに手を突っ込む。
「ほらよ」
ピジョンの膝元に無造作に放られたのは、ポップな水玉模様で包装された一粒のキャンディ。
二人で食糧を仕入れにでかけた際、雑貨屋の店番をしていた赤毛の娘がおまけしてくれたものだ。スワローは意地悪くにやつきつつ追い討ちをかける。
「コイツが欲しかったんだろ?おこぼれ施してやっから感謝しな」
「…………っ!!」
うらやましくてねたましくて、口に出せない本音を情け容赦なく見透かされ暴き立てられる。噛みつきそうな顔、刹那目に爆ぜた火花。似てない兄弟だが、怒った顔だけはよく似ている。
咄嗟に飴玉を掴み、スワローへ全力で投げ返す。
「おっと」と翳した手で難なくキャッチ、余裕ぶった態度がまして憎たらしく仏頂面で返す。
「いらない」
「遠慮すんな」
「甘いのは嫌いだ」
「好きなくせに。母さんのパンケーキおかわりしてたじゃんか」
「もう卒業したんだ」
「じゃあもう母さんがパンケーキ焼いても食うなよ?チョコソースもメイプルシロップもピーナッツバターも塗んなよ?」
「ジャムならいいの?」
「揚げ足とってんじゃねえよくそったれ!」
スワローが投げる。ピジョンが投げ返す。投げる。投げ返す。二人の間を放物線を描いて往復する。宙を飛び交う飴玉のむこうにスワローを見据え、顔を引き攣らせたピジョンがヤケ気味に喚く。
「食べ物を粗末にするな、お前がもらったんだから責任もってちゃんと食えよ!」
「俺にめちゃくちゃされるの死ぬほど嫌なくせにじっとガマンしてたんだろ、いい子にしてたご褒美くれてやるってんだ、その小さいお口でちゅぱちゅぱねぶって転がして有り難くしゃぶれよ!」
「最低に卑猥な言い方するな!」
「タマ転がしてフェラの練習しとけ!」
「死んでもいやだ、喉詰まらせて死ね!」
勢い腕振り抜いたスワローのコントロールが狂い飴玉が地面にぶつかる。
あらぬ方向へ転がる飴玉には見向きもせず、膝を抱えて憮然とするピジョンに憎々しげに吐き捨てる。
「勝手にしやがれ」
月並みな捨て台詞を剛速球でぶつけ身を翻す。
去り際、荒い舌打ちと共に傍らのドラム缶を目一杯蹴飛ばす。ドラム缶の上に立てられたラジオが傾いで落下、心を閉ざしてだんまりを決めこんでいたピジョンが血相を変える。
「ああっ!」
コンクリートに衝突したラジオへ慌ててすっとんでいく。
地面に横たわるラジオを起こし、袖口で丁寧に拭って汚れを払う。
「よかった、壊れてない」
あちこちさわり異常の有無を確認、ラジオの頑丈さに感謝する。
コイツは廃材置き場での拾い物だ。当初は故障して音が出なかった。足りない部品はそのつど現地調達し、一からコツコツ組み立てた。大鼾をかいて熟睡する弟の横で、シーツを被って細かい手作業に打ちこむ間だけはいやなこと全部忘れられた。スリングショットの鍛錬を除き、唯一スワローの干渉から逃れて趣味に没頭できる貴重なひととき。
眠りに落ちるまでのわずかな時間がピジョンが持てるプライベートだった。
つまみを捻り神経質に調節すれば、ジジジと断続的なノイズまじりに音が流れだす。
ほろ苦い哀愁に染まる感傷的なメロディが、乾いた砂漠の空気に広がっていく。
ずっと昔、まだ世界が滅ぶ前、ピジョンやスワローが生まれる何十年も前に流行った曲。
母ならタイトルを知ってるだろうか。
こんなに近くにいるのにこんなに遠い。片方は膝を抱えて蹲り、片方は不機嫌に立ち尽くし、お互い反対の方向を見詰めている。
平行線の視線はけっして交わることなく、壊れかけのラジオが奏でる音楽が空虚を埋める。
「ネクラな|オタク《ナード》にゃ油まみれの機械いじりがお似合いだ。ラジオとセックスしてろ」
「感電死するよ」
「刺激的だろ?」
付き合ってられるか。
ラジオをしっかり腹に抱え込み背を向ける、完全なる鎖国体勢。全身で意思疎通と会話を拒絶する姿勢。あるいはそうすることで弟のやつあたりから宝物を庇っているのか。
体を張ってラジオを守る兄の背中を蹴倒してやろうかとむかっ腹を立てたが、急速に怒りが萎えていく。
「そうかよ、俺よりラジオが大事かよ。だったらそいつと心中しろ」
ピジョンが抱き込んだラジオからくぐもった音声が漏れる。
大昔、世界が滅ぶ前に流行った曲。
しんみりしたピアノのメロディにのせて哀愁を帯びた男の声が、お前はどうしてそうなんだとか檻に閉じ込められたまま世界を生きていくのかだとか手に入らないものばかり求めたがるんだとか大きなお世話を唄ってる。内省的で説教臭い歌詞。いかにもピジョンが好きそうなしんきくさい歌。攻撃性に呪われて欲求不満のささくれた神経にいちいち突き刺さる。歌い手がまだ生きてるならぶん殴りたいレベルだ、聴いてるだけでむしゃくしゃする。
ノイズで途切れがちなフレーズに耳を傾け、ピジョンが甘美な感傷に浸る。
「いい歌だね」
ほらきた。
というか、喧嘩の真っ最中の相手に相槌を求めるとかアホなのか?記憶力がねえのか?
スワローはあんぐりと口を開けたまま、閉じるのを忘れたあきれ顔でさも大袈裟に嘆く。
「テメェの趣味だきゃ理解できねえ。葬式にでもかけろよ。手に入らなきゃ足でもなんでも使ってかっぱらえばいい、簡単なこった」
「どこ行くんだよスワロー」
「町だ町」
「もうすぐ母さん帰ってくるよ?」
「だから?ママのおっぱいが恋しけりゃ一人で吸ってろ、譲ってやっから」
これ以上おなじ空気を吸うのが耐えられない、コイツの面を見てたらキレちまいそうだ。もうピジョンが何をしても何を言っても導火線に点じる。
侮辱を浴びせられピジョンが小刻みに震える。
「勝手にしろ。コヨーテに喰われちまえ」
「ハゲてハゲワシの餌になれ」
「悪魔に呪われろ」
「地獄に落ちな」
「脱臼しろ」
「梅毒にかかれ。あ無理か、童貞だもんな」
「お前が性病運んでこない限りはね」
スワローが肩越しに中指を突き立てる。お互い背中を向けたまま、もう一切口をきかず無視を徹底する。
足音も荒々しく、肩聳やかせ大股に去っていくスワロー。ピジョンはそれを見送りもしない。遠ざかる足音を背中で拾いつつラジオにかじりつく。スワローは視界にちらつく全てが目障りなのか、近くに転がるドラム缶や一斗缶をわざと蹴飛ばしそのたび「シット!」「ファック!」と舌打ちをくれる。
靴音が完全に消滅するのを辛抱強く待ち、脅威が去ったのを確認後、ピジョンは安堵の息を吐く。
膝を抱いた手はすっかりこわばっている。汗でじっとり湿って気持ち悪い。手汗を膝になすりつけ、ずっと抱いていたラジオを横におく。ふと見ればポツンと飴玉が転がっている。
「…………」
放置して行ってしまった。
食べ物を粗末にするのは気が進まない。
用心深く周囲を窺い誰もいないのを確かめ、地面に落ちた飴玉にためらいがちに手を伸ばし、ぎゅっと握りこむ。
怒鳴り散らして小腹がすいた。
のろくさと包装紙を開き、ピンクのハート型をしたキャンディをつまみあげる。
「ストロベリーだ」
日に翳してためつすがめつ、初恋と自覚する前に失恋した複雑な表情で放心する。
半ば溶けて、包装紙の裏面にへばりついた飴をじかに含む。
舌を使って右に左に転がして頬を膨らませる。
「……甘」
雑貨屋の店番してた女の子かわいかったな。結構タイプだった。年は俺と同じ位か。赤毛のショートヘアに薄いそばかす、愛想がよくて親切だった。シリアルとピクルスの瓶詰がどこの棚にあるか教えてくれた。ビタミンカラーのキャミソールがよく似合ってた。おつりを渡す時、スワローの手を両手で握り締めて思わせぶりな目線を送っていた。スワローは飴玉を五個も握らせてもらった。一方俺は……
『おこぼれでよけりゃどうぞ?』
甘い。甘すぎて胸焼けしそうだ。
なのに何故か苦い、持て余して転がすほどにどんどん苦みを増していく。飴をねぶるペースが次第に鈍って、転がるのをやめて舌にはりつく。
口の粘膜がべたついて気持ち悪い。奥歯に自然と力がこもる。ガリッとハートにひびが入る。
ガリガリと音をたて小さなハートを噛み砕き、ささくれみたいに一つ一つ尖ったその破片を、ひどく苦労して飲み下す。
飴玉のかけらが喉を通っていく感覚が胸の疼きを呼び覚ます。
「ふっ………うぅ」
もう何度目かしょっぱい涙があふれてくる。
コートの袖で顔を拭い、涙のしっぽが引っ込むまでスワローに仕込まれたリズムで間延びした呼吸をくりかえす。
涙と洟水をたっぷり吸った袖は変色し、糊付けされたようにごわついている。再び強く膝を抱いて摺り寄せる。だれも抱きしめてくれる人がいないから、仕方なく自分で自分を抱きしめる。
鳩は群れで生きるのに、ピジョンはひとりぽっちだ。
孤独に打ちひしがれ悲嘆に暮れるピジョンの眼を、眩い反射光が射る。最前スワローが毟りとったドッグタグ。あたった額がまだひりつく。腫れた額をさすりつつ、逡巡しつつドッグタグを掴み取る。
こんなのほっとけ。
捨ててやりゃいいんだ。
律義に拾ってやる義理なんかない。
瞼の裏にいやみったらしい笑顔がちらつき不快感が募りゆくも、いつも弟の胸元で揺れていたドッグタグをもう一度捨てるのはしのびなく、落ち着きなくもぞつく手のひらを開閉した挙句、一応ズボンのポケットにしまっておく。
痛いほど手に握りこんだシルバーのドッグタグは、太陽の熱を吸収したコンクリートに炙られて、火傷しそうな高温を孕んでいた。
兄弟は助け合うものなのに、どうしてこう空回るのか。
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