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第26話

スティーブを手にかけた時から金髪の子に惹かれる傾向があった。 僕自身は黒髪黒目で金髪に憧れを持っているわけでもないのだが、友達に選ぶ子にはその傾向が色濃く出た。 スティーブと同じ外見特徴、同じ年頃の少年を友達に選ぶことで、最初の犯行時に体験した強烈な快感(エクスタシー)を無意識に反芻しているのだろうか? 負の刷り込みによる絶頂の再現。快楽殺人鬼にはよくあることらしいとのちに知った。 「大陸中旅してるんですか?」 「そうだよ」 「いいなあ……おれ街をでたことないから羨ましい」 「君はここで生まれ育ったの?」 「はい、歓楽街に隣接するスラムで……」 「家族仲はいい?」 「下に兄弟がいっぱいいるんです。すぐ下は一つ違いの14歳、でも俺なんかよりずっとしっかりしてる」 「兄弟の世話もしてるんじゃ大変だね」 「正直キツいけど、頼ってもらえるのは結構嬉しいですよ」 「昼間はゴミ処理場で働いて夜はここで働いて、一日中働き詰めで休む暇もないじゃないか」 アンドリューは働き者だった。 家族思いで心の優しい少年だった。 昼は屑鉄のかたまりに圧縮された廃車や危険物が山を成すゴミ処理場で汗水たらして働き、夜はレッドライトスポットに立って客を取った。 スクラップ業者の手伝いと売春業の掛け持ち。家族はアンドリューの昼の仕事しか知らない。夜はバーの下働きをしていると嘘を吐いてるが、疑われてる気配はないらしい。 アンドリューは快くモデルを引き受けてくれた。 出会ってすぐに部屋に連れ込むのはまずい、ねぐらに引きこむのはある程度親しくなってから、彼が心を許してくれてからだ。けっして無理強いはしない、彼自らそうするよう仕向ける。それとなく誘導する手口は僕の得意中の得意だった。 会う時は必ず屋外を選んだ。 彼が定位置とするレッドライトスポットの路地裏、表通りからさしこむネオンの心許ない灯りを頼りに、ぎこちない含羞の笑みを浮かべるアンドリューをスケッチした。何枚も何枚も、持参したクロッキー帳に鉛筆を使ってスケッチした。 「動かないで」 「は、はい。瞬きもしないほうがいいですか?」 「そのほうがいいって言ったらできるのかい?」 「なるたけ頑張ります。なるたけ」 アンドリューは素直ないい子だった。僕の無茶なお願いをできる範囲で忠実に遂行する理想的なモデル。じっとしてと命じれば従ったし、時には瞬きや尿意すら我慢して顔を赤くしていた。ちょっとした悪戯心でそんな彼に意地悪をしてしまったことも何回かある。絵を描きながら描かれながら、僕たちは色んな話をした。語れる範囲での互いの身の上話、趣味特技好きなこと、好きな食べ物に将来の夢…… 「ご家族は?」 「いないよ」 「……死んじゃったんですか?」 「孤児院育ちなんだ。親の顔も知らない。赤ん坊の頃に捨てられたからね……その時からずっとひとりぽっちさ」 「ごめんなさい」 「詫びる必要は全然ないよ。ああ、でも友達ができたんだ。ご飯は少なくてまずいし先生は厳しくておっかない、おまけに意地悪な子どもだらけの酷いところだったけど、スティーブっていう子がいてね。第一印象最低最悪だった。彼はすごいいじめっ子で、僕の宝物のコインを突然ひったくって、その時描いてた絵もぐしゃぐしゃに踏み潰しちゃったんだ」 「うわひどい」 「ひどいだろう?目立ちたがりのガキ大将気質だったんだろうね、弱いものいじめがなにより好き。でも彼ばかりを一方的に責められない、ああもひねくれてしまったのは環境が悪かったんだ」 「そのスティーブって子が一番最初の友達ですか?」 「口も素行も悪い暴れん坊だったけど、君とよく似た綺麗な金髪をしていたよ。孤児院を出てからもずっと一緒なんだ、だから全然寂しくない」 「ええと……?」 「心の中でね」 本当は物理的にも一緒だったが、今の段階で紹介するのは早計だ。アンドリューをこちら側に引き入れるのは時期尚早だ。 逢瀬を重ねるにつれ僕たちは年の差と立場をこえ急速に親しくなっていった。 セックスしなくともただ座ってるだけでお金がもらえるなんて、アンドリューには夢のような話だったろう。この手の場所に通う買い手は暴力的な人間や性倒錯者が多く、体を壊して引退を余儀なくされる街娼も少なくない。夜の仕事ができなくなるのはスラムで家族を養う少年にとって死活問題だ。僕は世渡りで鍛えた演技力と観察力を駆使し、アンドリューにとって理想のパトロンを演じた。礼儀正しく物分かりよい、金払いがよく冗談のわかる男。今まで彼のまわりにいなかったタイプの素敵な大人。けっして子どもに危害を加えることがない温厚な紳士。 「なんで歓楽街の路地裏なんかにスカウトにきたんですか?出会った日にも言ったけど、公式に募集をかければきちんとした家の身綺麗な子が殺到するのに。いや、お金出して広告なんて打たなくても表通りを歩く普通の子にちょっと声をかけるだけで」 「変わってるって言いたい?」 「いいえ……はい」 「正直だなあ」 「すいません」 「明るいところを歩いてる子には興味がないんだ」 「…………」 「あんなの薄っぺらくて嘘くさいじゃないか。自分が明るいところにいるのが当たり前だと思ってる、それが普通だと思い込んで疑ってみもしない」 鉛筆の動きは止めないまま穏やかな顔と口調で辛辣な毒を吐き、アンドリューの困惑顔、眉毛の角度や引き結んだ口元まで正確に模写する。 「太陽の下に出れば容易くメッキが剥げる、安っぽい贋の地金をさらす」 スティーブはコインを噛んで真贋を試した。 カラスの目は一瞥で本質を見抜く。 潔白を愛する太陽の光は、人間の醜悪な本性や俗悪な魂までも容赦なく炙りだし暗がりでしか生きられない僕を幻滅させる。 同じ鋳型から大量に生産された右倣えの贋コイン。 偽善のメッキで魂を覆ったくせに、自分にだけは唯一無二永久不変のホンモノの値打ちがあると思いあがってる。 6ペンスの値打ちもないくせに。 お前らなんかどうやったって輝きっこない。人間の本当の値打ちは暗闇できまるんだ。暗闇でしか量れないんだ。ホンモノかどうか知りたい時は、手の中の宝物を暗闇のどん底に投げ入れるしかないのだ。 ホンモノだったら息を吹き返す。 そう、スティーブのように。 「モチーフとしてもモデルとしても著しく魅力に欠ける、全然描きたいと思えない」 「じゃあおれは……?」 「君はホンモノ」 それも暗闇に投げ入れてみなければわからない。 愛想をおまけした僕の世辞をアンドリューは額面通りに真に受け、至極照れ臭そうに赤面した。 出会って一か月もした頃、アンドリューがアトリエを見たいと言い出した。実は絵描き志望なんですと打ち明けられたのもその頃だ。 彼から言い出してくれたのは好都合、機が熟した合図だ。 その夜初めてアンドリューと関係を持った。 僕たちは未完成のキャンバスが取り囲む狭苦しいアトリエで結ばれた。 「お金はいりません。モデル代だけで結構です」 行為が終わったあと、普段より少しだけ上乗せした代金をアンドリューは頑として拒んで受け取らなかった。 僕が貸した皺だらけのシーツにくるまって、そうしてないと自己嫌悪が無限に膨れ上がってパチンと弾けて消えてしまうんじゃないかと危惧するよう痩せた膝を抱え、寂しそうに呟く。 「おれが好きでしたことだから……」 モデルと絵描きの一線を先に越えたのはどちらだろうか。どちらかともなく触れあって、気付けば唇を吸っていた。 アンドリューと寝るだろう予感はあった。売春で生計を立てている少年を部屋に連れ帰るというのはそういうことだ。アンドリューも部屋に来た時点で了承済みだった。お互い自覚しながら口に出さず、そういう雰囲気だったからと狡い言い訳が許される成り行きに身を委ねた。 窓の外で歓楽街のネオンがけばけばしく点滅する。なんて嘘っぽくキレイなゴミ溜め。この部屋は格安で借りた。僕の前の住人はケチな売人で、組織を裏切って金を横領していたのがバレて、女とお楽しみ中に脳天をぶち抜かれたのだ。殺害時にぶちまけられた脳漿や血痕が黒ずんだ染みとなって床や壁、天井の羽目板を汚したせいで誰も近寄りたがらない。 無理強いしたわけじゃない。だけど僕自身が強く望んだ行為か問われれば即答しかねる。 彼はまだ友達じゃない、友達候補だ。 できれば慎重に立ち回りたい、企みがバレるのは本意じゃない。 何もせず帰しては逆に怪しまれるのでは? 本当にお互い求め合ったのか、求められて一方的に応じただけじゃないのか。 少なくとも僕は、成り行き七割計算三割でアンドリューを抱いた。 この内気な少年が、自分を傷付けない初めての大人であるところの僕に好意以上恋愛感情未満の依存心を抱き始めているのを肌で察し、彼を効率よく手懐け飼い馴らす為の手段としてセックスを利用した。 僕の無神経な言動はアンドリューを酷く傷付けてしまったようだ。 僕に体を許したのは信頼と好意の証であり、追加料金をねだる下心など微塵もなかったのに、僕は彼を安っぽい男娼扱いしせっかく築き上げた友情にひびを入れた。 ひとを騙すのに慣れきって罪悪感などとっくに麻痺したはずなのに、アンドリューの好意を利用した事実にほんの少し後ろめたさを感じるのは何故だ?似顔絵を渡した時の無邪気な笑顔と、途方に暮れ蹲る今の憂い顔の落差が激しいからか。 貴重なファンに自ら引導を渡してしまった気持ち……いや、大袈裟か。 「その十字架大事なもの?ずっと付けてるね」 湿っぽい沈黙に飽きて話題を切り替える。 アンドリューが指摘され、初めてその事実に気付いたように裸の胸に揺れるロザリオに触れる。 「母さんにもらったんだ。お守りだって」 外に出て働くようになって、きっと危険がいっぱいあるから。 かわりに神様が守ってくださいますようにって。 肌を重ねた気安さからか、画家とモデルとして一線を引いていた時とは違う子どもっぽく砕けた言葉遣いで告げ、右手に十字架をにぎりこむ。 十字架を握り締め、内に閉じた笑みに浸る幼い少年に嘗ての僕が重なる。 真っ黒レイヴンと罵られ、皆にのけ者にされ、ベッドの上でコインをいじって微笑む子どもが。 アンドリューにそっと近付き、閉じた拳を突き出す。 「これが僕のお守り」 目をまるくするアンドリューの前でゆっくりと指をほどいていく。 エリザベス二世の肖像を刻印した6ペンスコインが、鈍い銀色に輝いてネオンを照り返す。 「さわっていいよ」 「……でも、」 「君ならいい」 重ねて促され、おずおずとためらいがちに指を伸ばしコインの表面に触れる。 過酷な労働で荒れた人さし指が肖像の輪郭をくりかえしなぞり、高貴さ帯びた端正な横顔に陶然と見とれる。 やがてコインの縁に指をかけ、目の上へ翳して回す。 「捨てられた時拳の中に握っていたんだ。6ペンスコインを持ってると幸せになれるって古い言い伝え……花嫁が靴にしまうものだから、男には関係ないんだけどね。そんなことも知らないなんて馬鹿な親だ」 「それでもしあわせになってほしかったんじゃないかな」 「だったら捨てたりしないよ」 「どうしても育てられなかったのかもしれない」 卑屈に聞こえたろうか。少し反省し自嘲の笑みを浮かべれば、アンドリューが僕の手のひらに恭しくコインを返し、指を一本ずつ曲げて握らせていく。 「金持ちになる赤ん坊は銀の匙を咥えて生まれてくるんだ」 「古い言い伝えだね」 「6ペンスコインを握って生まれた子どもは王様にだってなれる」 「裸の王様の間違いじゃない?」 6ペンスコインを持たされたって身の上に何もいいことなど起きなかった。 だから僕はゴミ溜めを這いずり回り、ゴミに混ざり埋もれた宝物を自力でかき集めるしかなかった。 突如として視界が真っ白く染まる。 卑下して嗤う僕の前でだしぬけに立ち上がったアンドリューが、何を思ったか自分が纏うシーツを盛大にはためかせ、礼を重んじる臣下の如く優雅な仕草で僕の肩に掛ける。 純白のシーツを裸の肩に羽織らせ、三歩後退して頭のてっぺんから爪先まで検分し、アンドリューが至極満足そうに首肯する。 「……ひょっとしてマント?これ」 アンドリューは悪戯っぽく微笑んではぐらかし、膝立ちの姿勢で僕に迫って頬を手挟む。 「裸の王様なら失うものは何もない、転んで血が出ても泥たまりに突っ込んでもへっちゃらさ。これからいくらでもキレイなものを拾って身に付けられる、それでいつか本当の王様になればいい。道で拾ったコインや宝石、ぴかぴか光るものでクジャクみたいに着飾って歩くんだ」 「道に宝石は落ちてないよ」 「わからないじゃないそんなの、宝石強盗の落とし物かも」 真剣な目で毅然と断言、互いの胸板に十字架が挟まれ硬質な感触と金属の冷たさを伝えてくる。 「おれもあなたもなにもなくなんてない。お互いに見せあえる宝物を持ってるじゃないか」 急き込んで訴え、何故か自分の方が目を潤ませて俯き、シーツの裾を掴んで慌てて拭く。アンドリューの頬に滴る大粒の涙がカラフルなネオンを吸い込んで色とりどりに光る様子はまるでドロップスを散りばめたようで、ずっと見ていたい。 「泣かなくていいじゃないか……」 何故泣くのかもわからない。同情?憐憫?僕の理解できない感情? メッキが剥げた裸の王様はどっちだ。 他の鳥の羽でうるさく飾り立ててもカラスはクジャクになれない、いまさら別人に生まれ変われない。 道に宝石が落ちてる事はまずありえないが、時々予期せぬやさしさが転がっているから困る。 そのやしさは大抵心ない人々に見過ごされ見落とされ、さんざんに踏みにじられ蹴り転がされ、しまいには腐っていく。

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