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第25話

アンドリューと出会ったのはここよりずっと東の街だった。 僕は元々一箇所に長居しない。 長く居るほど怪しまれる、知人が増えるほど仕事がやりにくくなる。用が済んだらさっさと次の街にいく、それがこの性癖に目覚めてからの一貫したライフスタイルだ。 最短三か月、最長半年で転居を繰り返し次の街に移住する。宿場が栄え旅人の出入りが激しい町なら入り込むのは容易い、急に部屋を引き払い蒸発しても疑われない。そんな人間ほかに腐るほどいるからだ。 借金を踏み倒して逃げた、地元ギャングと揉めた、職にあぶれた、女と駆け落ちした…… 理由はなんでもいい、妄想逞しい隣人は頭の中で好き勝手にストーリーを捏造し消息を補完してくれる。 僕は「引っ越し癖のある売れない画家」という偽の履歴を存分に活用した。 売れてない、即ち顔も名前も知られてない。引っ越し癖がある、即ちいつ消えても不思議じゃない。芸術家なんてもとより変人ばかりという先入観もプラスに働いた。旅の資金は実際に絵を描いて稼いだ。僕が描く絵は小金持ちの物好きに結構な高値で引き取られていった。一応前置きしておくが、芸術の才能が評価されたんじゃない。こだわりのモチーフを持たず、譲れない美学や哲学もなく、依頼主に従順で注文されれば何でも描く小器用さが気に入られたのだ。 描写力には自信がある。 子供の頃から模写だけは得意だった。 見る者を感動させる魅力とか秀逸なセンスとか光る個性とか、そんな特別な何かなんて僕にはまったく備わっていない。 既に自分の技量は見限った。 僕はただ食べる為に、その日その日を生き延びる為だけに絵筆を走らせてきたのだ。 僕はただ生きていくのに都合がいいから絵描きを自称するだけの男だ。 芸術への愛情ははなからない。 自分の絵への執着もさほどない。 他の子よりちょっとだけ見た物を正確に描きとれた、他の子よりちょっとだけ絵が上手かった。そのちょっとした特技を生き残る為に必死で伸ばし、育て、絵描きを自称しても周囲に疑われない程度の小手先の技術を身に付けたにすぎない。 本当の僕は絵描きのふりをしていたいけな少年を騙し、拐かし、犯す、変質者だ。行く先々で不幸を撒き散らす、どす黒い本性を隠したワタリガラスだ。 あの日僕は新しく訪れた街のレッドライトスポットに足を運んだ。 ここではだれを買い何をするのも自由、わざわざ宿に行くのが面倒ならその場で事を始めてもいい。どの町にもこの手の場所は必ずひとつある。店に上がる金を持たない貧乏人や、大暴れして出禁にされた犯罪者及びその予備軍も大手を振って歩ける実質上の売春自由区。 相手と直接交渉し、めでたく成立すれば一夜のお楽しみに預かれる。 ピルやコンドーム、非合法の麻薬や媚薬も売り買いされる街の最大の汚点にして暗部、だからこその必要悪。ただしレッドライトスポットで商売する街娼は性病持ちか悪質なポン引きにカモられている確率が高く、財布に余裕のあるまともな人種ならまず近付かない。 僕はそこに新しく友達になれそうな子をさがしにきたのだ。 髪の色瞳の色肌の色、よりどりみどり幅広く取り揃えられた中から一人を選ぶのは骨が折れた。どの子にしようか?友達選びは慎重にならないと。愛用のトレンチコートに手を突っ込み、建物の外壁に凭れた十代前半の少年たちを物色する。僕と目が合うと気さくに手を振り返す子、にっこり笑って媚びる子、投げキスやウィンクをよこす子と反応は十人十色だ。彼らも生活がかかってるから必死だ。 表通りを彩る豪奢なネオンのお零れが差し込んで、何かに反射する。 思わずそちらを振り返る。 バザーで手に入れたのか教会の救貧箱から回ってきたのか、明らかにサイズの合ってないコートを羽織った金髪の少年が、腹を空かせて心細そうに膝を抱えている。ネオンを照り返したのは彼の胸元にぶらさがるロザリオだ。ここに蹲っているなら男娼なのだろうが、まだ仕事を始めて浅いのか、他の子と違って媚び方を知らず慣れない素振りだ。痩せて薄汚れているが顔立ちは悪くない。僕はネオンの細い筋に導かれるよう方向転換。 「おねがいがある」 「……?」 「君の時間が少しほしい」 「ええと……お客さん、ですか。おれのこと買ってくれるの?」 碧の瞳に困惑を浮かべ見上げてくる少年。不審と安堵が等分に入り混じった表情。あぶれずにすんでホッとした気持ちと、どこの誰とも知らぬ男へ抱かれる嫌悪と恐怖があどけない顔を隈取る。 くすんだネオンの灯では気付かなかったが、間近で観察すると鼻梁に散ったそばかすが判別できる。喉仏が少し膨らみ始めた細首は美しく引き締まり、声変わりの途中らしい掠れた声は、セクシーさよりもむしろ無理矢理大人にさせられた痛々しさを感じさせた。 僕は一目で彼が気に入った。 少年はしどろもどろに続ける。 「あ、でも俺きょう体調悪くて……せっかく声かけてくれたのに申し訳ないけど、最後までできないと思うんです。昨日あたった人に酷くされちゃって……」 一度唇を噛み締め、迷子が縋るように一途な目を向けてくる。僕の心の奥底のなにかをざわつかせる目。 「口だけでもいいですか?」 レッドライトスポットには人に言えない性癖の持ち主がたくさんやってくる。 ここはアブノーマルなセックスを好む人々の狩場だ。 昨夜手酷くされて衰弱し、それでも彼がここに居続けるのは、一人でも多く客をとって稼がないことには明日食べるものもなく家族を養えないからだ。 僕は静かに首を振る。少年はあからさまに落胆し、残念そうな顔で息を吐く。 「口も後ろも使わなくていい。何もしなくていい」 「え?」 突拍子もない声で真意をただす少年に物柔らかく微笑みかける。 「モデルを頼みたいんだ」 「……何の?」 「絵の」 「絵描きさん、ですか?」 「そう見えない?」 「見えなくもなくもない……?」 「場末に子どもを漁りにきた変態紳士とでも思われたらちょっと心外だな、トイレットの芳香剤のような爽やかさが売りなのに」 ふざけて両手を広げ肩を竦める。困惑が半信半疑の期待にとってかわり、少年がおずおずと確認する。 「脱がなくていいんですか?」 「君がそうしたいなら」 「いえ、服は着たままがいいです!」 ちぎれんばかりに首を振って意気込んで回答する少年、リアクションのわかりやすさが実に好ましい。僕は久しぶりに声をたて笑い、コートの懐から愛用の手帳とペンを取り出す。 「ちょっと動かないでいてくれる?」 適当なページを開き、しゃちほこばった少年に時折鋭く一瞥を投げてなめらかにペンを走らす。 ものの五分もたたず完成した。 手帳の向きを反対にし、できあがったページを見せる。 「これで信じてもらえる?」 「わあ……」 僕を見る目が先程とはうってかわっていた、純粋な尊敬のまなざしだ。両手で受け取った手帳を目を見開いて凝視、スケッチされた自分の顔に無邪気な感嘆符を発する。だてに絵描きを名乗っちゃない、この位の芸当は朝飯前だ。少年は心から感激したらしく、目の前の僕の存在すらすっかり忘れ手帳にかぶりつく。 「すごい……そっくりだぁ」 ずっと時から絵を描いてきた。 生きるために、食べるために、だますために、殺すために。 どうしようもなく醜悪な妄想を、どうしようもなく低俗な現実を、心と指が腐るほどに描いて描いて描き続けた。 けれども僕の絵がこんなに喜ばれたことがあったろうか。 「似顔絵描いてもらえたのなんてはじめてだ。うちのみんなに見せたい」 僕の、僕なんかの絵が、一人の子どもの心を掴んで離さず我を忘れて夢中にさせたことがあったろうか。一瞬でいい、このくそったれた現実を忘れさせたことがあったろうか。 僕の中にもたしかに眠っていたちゃちなプライドと優越感がくすぐられる。 一瞬希望に輝いた顔がすぐさま不安に翳っていく。 「あの、でも、おれでいいんですか」 「うん?」 「もっときれいな子とかたくさんいるし……ここならさがせばいくらでも見つかるし。描いててたのしい子のほうがいいんじゃないかな」 遠慮がちに萎む声音に自信のなさが表れていた。人から褒められたり認められた経験に乏しく自己評価の低い子どもの特徴……損なわれた自尊心を優しさで埋め合わせる彼とますます友達になりたくなった。しおたれた手が丁寧に返した手帳をうけとり、彼の似顔絵を描いたページを破り取る。 「よければどうぞ」 「え」 「うちのみんなに見せたいって言ったろう?ラフで悪いけどおみやげに持って帰って」 「え、え」 紙片に描きとった似顔絵をさしだされ、動揺で声震わせ右向き左向き、最終的に正面に向き直って何かの間違いじゃないかと疑いつつ押し頂く。 「名前は?」 「アンドリュー、です」 卵を温める親鳥をまねて両手で包んだ似顔絵を胸に押し当て、恥じ入るように小さく名乗るアンドリューと相対し、僕はまじりけない本音を口にする。 「君のなかで光るものが僕を惹きつけたんだよ」 あっけにとられて口を閉じるのも忘れたアンドリューに、冗談のわかる素敵な大人を演じて片目を瞑ってみせる。 「カラスみたいに目だけはいいんだ」 カラスはカラスでも災い運ぶワタリガラスだけどね。

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