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第36話

「ヤらせろ兄貴」 目の前にスワローの顔がある。 暗闇が浸透する低い天井を背負って、傲岸不遜にのしかかっている。 おっかない顔だ。鼻先にたれたドッグタグの向こうに狂おしく思い詰めた眼差しがちらつく。肩を掴む手の力は強く、二つ年上のピジョンを容易くベッドにはりつけてしまう。 ごまかしは利かない。逃げも許さない。優柔不断は身を滅ぼす。 喉仏が大きく動いてもう何度目か生唾を嚥下する。 形勢はあっけなく逆転した、スワローは兄の隙に付け込み鮮やかに攻めに転じ完全に主導権を奪取した。否、フェラチオの時も主導権は握られっぱなしだったか…… 俺がコイツに勝てたことなんてはたしてあっただろうか? 「ヤるって、その、最後まで?」 ナニを、とは聞かないし聞けない。 さすがにもうピジョンだってわかっている、娼婦の母に女手一つで育てられてその手の事は腐るほど見聞きしてきたのだ。なにより猛り昂ったスワローを前にとぼけきる自信がない。 ピジョンは眉を八の字にして念を押す。 「……俺が下なの?」 「騎乗位がいいの?」 「違うって!突っ込まれる方なの?」 「突っこむ方がいいの?」 「やだよ!初めての人はちゃんと好きあった女の子がいい!」 「俺のことは好きじゃねェの?」 その聞き方はずるい。 揚げ足をとられ、ピジョンは弱弱しく目を逸らす。 「好きだよ。好きだけどその、弟への好きと違うだろ。痛いのやだし……お前のことは弟として家族として大事に思ってる、それはこの先何があっても変わらない。多分」 「そこは断言しろよ」 スワローが鼻白む。 ピジョンはか細い声で「ごめん」と律義に詫びる。 「今日だって……お前が捕まってるって聞いて、いてもたってもいられなかった。自警団に知らせに行く前に勝手に体が動いた。無我夢中でとびこんで、ベッドに手錠かけられたお前を見て、頭が真っ白になって」 一呼吸おき、自分がとんでもない罪を犯したように告白する。 「生まれて初めて人を殺したいと思った」 一度は友達だと思った人を、殺したいくらい憎んだ。 スワローは俺の弟で、大事な家族で、馬鹿で無鉄砲でわがままでむちゃくちゃでしょっちゅうイタズラしてくるしベッドから蹴落とすし、正直縁を切りたいと切望することもあるけれど、コイツが監禁されているのを目撃した瞬間、憎悪で包んだ殺意が膨れ上がった。 もし手遅れだったら? 間に合わなかったら? 「……お前が死んじゃったら本当にあの人を殺していたかもしれない。俺なんかにそれができたかわからないけれど……」 憎たらしくて大切で。 面倒くさくてうるさくて。 俺の髪を掴んでフェラチオ強制するようなゲスなクズなのにどうしてか憎めなくて、今だって肩を掴む手を振り払えずにいる。全力で暴れたらどかせるかもしれないのに、腕力よりも強い心の枷で縛られている。 ためらう兄へと顔を近付け、ぐらつく理性を快楽の炉にくべるようにスワローが囁く。 「んじゃ抱かせろ」 「いやだ」 「ぶちこみてェ」 「それはいや」 「なんでだよ?」 「痛いのはいやだ」 「最初だけさ、すぐよくなる」 「突っ込む人はみんなそういうんだ」 「突っ込まれたことあんのかよえぇっ?テメェあそこまでヤッといて寸止めお預け生殺しかよ、俺様の半勃ちチンポどうすんだ、フェラのあとは本番にとっかかるのが様式美だろごたごた言わずケツだせよ!!」 ロマンもへったくれもない罵倒でスワローが苛立ってるのがわかる。 弟を怒らせたら厄介な事になるのは経験則でわかってる、しかし譲れない一線がある、このボーダーラインを超えたら本当に兄として兄弟としておしまいだ。ピジョンは断固たる態度で弟の猛攻を拒みぬく。 「体に障るといけない」 「けっ、お優しいこって!痛ェのはケツだけさ、前はこの通りピンピンしてビンビンだ」 「もう血は見たくないたくさんだ。今夜は寝よう」 「テメェ……じゃあ俺のチンポはどうすんだよ、もうヤりたくって気が狂いそうなんだよ!てめェだってパンツん中でチンポびんびんに勃たせて気分出してたろうが、一回出してスッキリしたから今夜はおしまいグンナイって子供だましの茶番納得すっか、ヤるなら最後までヤり通せ、もとはといやテメェがおっぱじめたんだろが!」 「お、お前が誘うから……俺は最初からしたくなかった……」 「テメェはちょっと誘惑されりゃ嬉々として弟のチンポしゃぶんのか!!」 「チンポチンポ連呼するなよ恥を知れよ!だってお前が怪我したのって元はといえば俺のせいだし俺が悪いし俺と喧嘩しなかったらお前が街に行くこともあの人に捕まることもなかったし、最初に目を付けられたのは俺で、だからお前が身代わりになってくれたようなもんだし」 「そうだよテメェが誰彼かまわず見境なく媚売るせいであのド変態にバックバージン奪われたんだ、代わりにテメェがバックバージン捧げンのが筋ってもんだろが!」 「スワロー落ち着いてその理屈はおかしい、ちょっと頭冷やそう?」 「テメェはパンツに氷入れて下半身冷やしてこい!」 「お前はまだ11で俺は13、セックスは早い。ましてや男同士で兄弟だよ?俺まだ童貞だよ?女の子としたことないんだよ?童貞捨てる前に処女喪失とか素でやだよ、お前はいいよもうとっくに捨ててるんだから色々いい目見たろ?けど俺はまだなんだよ初体験には夢があるんだよ弟に無理矢理だなんて一生の汚点だよ!!」 必死に抵抗するうちにパニックを来たして泣く、ピジョンは怒り狂う弟に切々と道理を説く、どうしてこんな展開になったんだ俺のせいか俺が空気に流されてフェラしたせいか?スワローがピジョンの胸ぐらを両手で掴んで揺さぶる。 「じゃあなんでしゃぶったんだよ、テメェは弟とデキもしねーのにフェラすんのかよ糞ビッチ」 「お、お前が怪我したのは俺のせいだから今日だけ特別……ホントは手だけのつもりだった」 「へーそうかよご機嫌とりでフェラしたのか、ありゃよしよしフェラか。テメェは俺に怒られンのがいやだから吐きたいのガマンしてお口でご奉仕したんだな、そんなに俺のは汚ェか、汚くてキスもできねーか?」 「シャワー浴びたんだろ?き、汚くはないよ……それ言ったら俺もだし。パッと見エグくて引いたけど」 「そのエグいのをエグいしゃぶり方したのは誰だよ」 「誠意を見せたんだよ」 「処女とはおもえねーエグさだぜ。ぶっちゃけどん引きだ」 「お前がしゃぶらせたんじゃないか!挙句あんな恥ずかしい、髪掴んで窓見せて……」 「興奮してたろ、発情した雌犬みてーにケツ振ってさ。エッロい内股で」 「お、俺をいじめて楽しいの?お前のために、お前がちょっとでも」 ピジョンがみじめったらしく洟を啜る。 「お、俺のフェラがへたくそだったから怒ってるの?」 おいおいおい。 「ぜ、全然気持ちよくなかったから……気持ちよくできなかったから……だから怒ってるのか?」 おいおいおいおい。 殴打の衝撃がベッドを揺らす。 顔のすぐ横に拳を打ち込まれピジョンが「ひっ」と首を竦める。 「どうしてそうなるんだよ!!」 「ス、スワロー声落として……母さんが起きちゃう」 びくつくピジョンに注意され反対のベッドに向き直るも、カーテンが開いた気配はなくホッとする。 「だ、だってさっきからイライラして……しゃ、しゃぶる前のほうが機嫌よかったじゃん。こんなことなら余計なことしなけりゃよかった」 本気で言ってるのかコイツ。頭がどうかしてやがんのか。そもそも弟を励ますためにフェラしようって発想自体がおかしかねえか? 兄の正気を疑うスワローの眼前、ベッドに仰向けたピジョンがいじけてそっぽをむく。 「気持ちよくなかったろ」 「……ドへたくそ」 「ほら!ほら!」 「勝ち誇ンじゃねーよばァーか、こそばゆいだけだっつのあんなの!飴玉転がしのジェニーの舌遣いのがまだマシだ」 「女の子に舌入れるなんて最低だ!」 「キレるのそこかよ!?」 「兄さんは哀しい!!」 ピジョンが強姦魔を見る目で非難するのが最高に腹立たしい。なんだコイツ生娘か?ああ生娘か。 スワローは有無を言わせず兄のズボンに手をかけ下着ごとずりおろす。 「口と体と反応が真逆じゃねェか、こっちは準備万端だぜ」 中心に恥ずかしい染みを広げたボクサーパンツから飛び出たペニスは真っ赤に勃起している。からかわれたピジョンがわかりやすく耳まで上気させる。往生際悪くシーツを蹴ってあとじさり、スワローのタンクトップを掴んで首を振る。 「スワロ……っ、ここではいやだ……」 ピジョンが目配せを送る方角にはカーテンで仕切られた母のベッドがある。 「母さんにバレる……」 「…………」 「お前だって母さんを哀しませたくないだろ?」 弟の沈黙に一縷の希望を見出したか、スワローの腕に縋り付いて卑屈な半笑いで訴えかける。 ピジョンは母親思いだ。狭苦しいトレーラーハウスの中で、母がすぐそこに寝ている状況で弟と肌を重ねるなど冗談じゃない。一方で母親を口実に使う罪悪感に胸が疼く。もしスワローに本当にされたら喘ぎ声を殺しきる自信がない。いや、それ以前にベッドの軋みで気付いてしまう。 「お願いだから思いとどまって、今だけ兄さんの言うことを聞いてくれ」 「…………」 「俺は知ってる、お前は本当はいい子だ。俺と一緒で母さんのことが大好きだ、母さんにはいつも笑っててほしいと思ってる。俺達がこんなことしてるってバレたら母さんは泣くよ」 スワローは本当は優しいいいヤツだ、十一年も一緒にいたんだからわかる、どんなに悪ぶったって俺の捨て身の説得を最後には必ず受け入れてくれるはず。 ピジョンは呂律の回らない舌を意志の力でなんとか動かし、スワローの弱点を突く言葉を尽くし、最愛の母という最大の弱みを引用して危機に瀕した貞操を守らんとする。 重苦しい沈黙から選択の葛藤が伝わってくる。 いい調子だ、もう一押し。 ピジョンは慈悲深く両手をさしのべてスワローを頭ごと抱き寄せる。 無抵抗にされるがまま、自分の胸に倒れ込んだ弟の頭を優しく抱きしめて、あやすようなリズムでなでさする。 こんな時どうするんだっけな……そうだ、思い出した。 数年ぶりだからうまくできるかわからないが、いちかばちか賭けに出る。 「俺のかわいいスワロー」 昔はよくこうしてやった。 弟が腹を立て物に当たるたび、拗ねて膝を抱えるたび、頭を抱き寄せ宥めすかした。 「お前はいい子、かわいい子。俺のかわいいハミングバード」 肌をむずつかせる羞恥と迷いをゴミ箱にダンクシュートして、不気味に黙りこくった弟の頭をなでくりまわす。 弟を所有格で語るのはむずがゆい。所有格で語られるのはもう慣れたが、呼ぶ方となるとモノ扱いしてるみたいでどうにも座りが悪い。しかたない、この場を切り抜けるための苦肉の策だ。思春期に入った弟を思春期真っ只中の兄があやすとか、ベッドの上で抱きしめて自作の子守唄を唄ってやるとか、これは兄弟として普通なのだろうか? そんなの知るもんか。 これが俺達のフツウだ。 「スワローテイルが宙返り 世界のはてまでひとっとび しあわせ運ぶハミングバード……」 「……その歌。なんだっけ」 「スワローテイルだよ。母さんが付けてくれた」 「……俺が泣くたんび唄ってたよな」 「背中合わせに膝を抱えて」 「泣き止むまでずっと」 「うるさいって母さんのお客に怒鳴られて追い出されたこともあった」 「デタラメな歌詞……即興?」 「いくつかバリエーションがある。空に舞い上がったツバメがミサイルに撃墜されるパターンと鷹に食べられちゃうパターンと親指姫を結婚式から拉致ってハネムーンにいくパターンと」 「ハトが助けにくるパターンはねぇの?」 「……今度追加しとく」 また唄う機会があると思わなくて。 兄の腕のぬくもりに守られ、スワローは甘やかな郷愁に浸って目を閉じる。 ピジョンはいい声をしていた。 声変わり途中のナイーブな掠れ声が、子どもだましのでたらめな歌にほろ苦い余韻を帯びさせてうっとりと酔わせる。 こんな声に耳元で囁かれる女はたまらないだろう。 まどろみから覚めるよう薄目を開けて、ベッドの枕元、ピジョンが苦労して組み立てた小型ラジオを見る。 お前は一生檻に入ったままこの世界を生きていくのかと説教されたが、兄貴の腕が温かい檻なら、俺は一生ここから出たくない。ずっと囚人でいい。鳩の巣で安んじる燕でいたい。 落ち着きを取り戻しつつあるスワローを見て、ピジョンの胸中に安堵の温水が広がっていく。 一時はどうなるか危ぶんだがどうにか妥協に持ち込めたみたいだ。 やっぱりスワローはいいヤツだ、悪ぶってるだけで根は悪い子じゃないんだ、俺はまるっとお見通し…… 「でもヤる」 「いやあっ!?」 今までの流れを無視する横暴に処女のように甲高い悲鳴が迸る。無体にも兄のシャツを捲り上げて裸を暴いたスワローが、悪魔の本性を全開にした不敵な笑みで満面を歪める。 「テメェが死ぬ気で声おさえりゃ済むこった、俺が引く謂れがねェ」 「うう……」 「責任とれよ兄貴」 ギブアップを表明するようタップする兄の手を股間に導く。 スワローのペニスはまだ力と硬度を保ったまま、ピジョンの手のひらに熱と脈動を伝えてくる。 ピジョンはすっかり混乱しきって目を白黒、手の中でまた一回り膨らんだ脅威に泣き言を口走る。 「俺のスワローがかわいくない……ナニこれエグい絶対死ぬよ、海綿体の膨張率が異常だもん……待ってほんと待って待っ」 弟に犯されるなんて絶対にいやだ助けて神様助けて母さん! 尻を穿つ激痛を覚悟し唇を噛み縛って絶叫を封じる。しかし恐れていた衝撃はいつまでたっても訪れず、そろそろと薄目を開ける。中心に一筋線が生じ、次第に開けていく視界の中、ピジョンの腹の上でスワローが硬直している。 スワローが小刻みに震える指先で、ピジョンの裸の胸をさす。 「……それなに」 「え」 「乳首のバンソコ」 「あっ」 すっかり忘れていた。 反射的に腕を交差させ胸を庇うも時既に遅し、興奮が瞬間冷却されたスワローがやんちゃな愚息を引っ込ませ素面に戻って質問する。 「……自分で貼ったの?なんで?」 「もとはといえばお前のせいだ!さんざんいじくりまわされてじんじんして、シャツと擦れて痛くって、バンソコ貼っとけばごまかせるかなってだから……ちょっと聞いてるのスワローなんだよその目は別にそーゆーんじゃないからな乳首にバンソコ貼って興奮するとかバレるバレないドキドキするとか倒錯した趣味全然ないからな、それじゃ俺が地獄におちて当然のドМ野郎じゃないか!?」 「別にそこまでは……」 控えめにいってスワローはどん引きで顔から表情が漂白されていく。 ピジョンはもう半べそだ、もう腰抜けでもヘタレでもいいどうにかして弟の誤解だけは晴らして大暴落の兄の威信と男の沽券を回復したくて乳首に絆創膏を貼ったまま縋り付く。 「なんで逸らすの?俺の目ちゃんと見て!違うんだ、乳首に絆創膏貼るのに特別な意味なんかひとっつもない、怪我にはフツー応急処置するだろ、誓ってプレイじゃないんだ、虫刺されと一緒さ、唾つけときゃ治ると思ったけどなんかヒヤッとして気持ち悪いし痛痒くてどうしようもなくてつい……聞いてるスワロー?これは応急処置!断じてプレイじゃない!俺は乳首に絆創膏でコーフンしたりしないお前の兄さんはそんなどうあがいても手遅れの変態じゃない!!」 喋れば喋るほどボロがでる、頭からスピンして墓穴に埋もれていく。 頑なに目を合わせず黙りこくる弟の様子に軽蔑されたと早とちり、見捨てられる絶望から両腕を激しく揺さぶる「おいこら待っ、やめ」はずみでタンクトップが捲れ、露わになったスワローの乳首に仰天して目を剥く。 乳首の片方に剥がれかけた絆創膏がぶらさがっている。 ピジョンは愕然とし、スワローの顔と乳首を見比べ指をさす。 「……お前っ……!?」 スワローの顔が蒼白と充血をめまぐるしく繰り返し、兄にむかって吠えたてる。 「一緒にすんな、コレはピアッシングされたんだ!!」 「えっ……マニアック……」 「誤解だ!!」 「耳だけじゃ飽き足らず乳首にまで……?アブノーマルすぎる……」 「人がいねェとこで乳首にバンソコ貼って悦ってたヤツに言われたくねェ!!」 スワローは右を向く。 ピジョンは左を向く。 兄弟互いにそっぽを向く。 絶妙に気まずい空気を和まそうと口火を切ったのはピジョンだ。怖々とスワローに向き直り、端がだらしなく捲れた絆創膏を指さす。 「……俺達おそろいだね」 「乳首バンソコ兄弟だな」 「あははは」 「はははは」 「「はははははははははははははははははははははははは!」」 スワローがくしゃりと子供っぽく笑み崩れ、つられてピジョンも大口開けて笑う。 涙の跡もまだ乾いてない顔で乾いた哄笑を上げるピジョン、そのピジョンの上に倒れ込んで盛大に手足をばたつかせるスワロー、お互い上になり下になり縺れあい転げまわってけたたましく爆笑する。体の内側からくすぐられてるみたいに後から後から笑いが沸いてくる、なにもかもおかしくてくだらなくてたまらない、スワローが過呼吸の発作を起こしたみたいにシーツに突っ伏し拳でマットを滅多打つ、ピジョンは懐に抱きこんだ枕に口をあてる、互いを指さしそのシャツを引っ張って狂ったように笑い続ける。 「隙あり」 「痛ッひィ!?」 反動つけ起き直ったスワローが手首を一閃、ピジョンの絆創膏を一気にひっぺがす。 乳首がちぎれるような痛みに悶絶する兄を清々しく見下ろし、摘まんだ絆創膏をぴらぴら振って弾き捨てる。 「あーもう畜生萎えた、超萎えた」 「……っ!」 しゃれにならない。痛すぎて涙がでてきた。片方の乳首を押さえて伸び縮みしていたピジョンが起き上がり、普段の彼からは想像できぬ俊敏さで手を水平に薙ぐ。悦に入って虚を衝かれたスワローは反応が遅れ、まんまと絆創膏を持っていかれる。 「~~~~~~っ!?」 「お返し」 力ずくで絆創膏をひっぺがされ、体を二つに折って悶える弟をピジョンが不敵に笑って見下ろす。 勝ち誇った顔が火に油を注ぐ。 「ぶっ殺す!!」 スワローは我を忘れて膝を撓めてとびかかる、ピジョンも負けじと反撃にでる、押し倒し組み敷き張り倒し上下交互に回転する、ピジョンがスワローの髪を引っ張ってスワローがピジョンの手に噛み付く、鳩尾に蹴りを入れて蹴り返し肩を小突いて横っ面を張り、ベッドが軋んで壊れるほどの泥仕合を演じる。お互い一切手加減も容赦もなし兄だからとか弟だからとか関係ない、忙しく入れ替わり反転する視界に迫るスワローの憤怒の形相、同じく近付いては遠のくピジョンの必死の形相、互いが譲れぬ一線の為に体を張って拳を振り抜く。 月光だけが見守る窮屈なトレーラーハウスの中、壁に据え付けのベッドの上で縺れ、絡まり、転げまわる。 それはまるで荒野を行くタンブルウィードのごとく。 風に吹かれてどこまでも転がる根無し草さながらに。 お互い上になり下になりめまぐるしくマウントを争い、鋭いパンチを放った分だけ貰いながらスワローが金切り叫ぶ。 「ガマンできねえヤらせろクソ兄貴!」 「母さんにバレるって言ってるだろ、ちょっとは待てを覚えろ!ていうかなんだよ乳首バンソコ兄弟って寒いネーミング、びっくりするぐらいセンス最悪だな!」 「人のいねぇとこでこっそり乳首にバンソコ貼ってよがってたヤツにケチつけられたかねえ、ひっぺがされた時もいい声で啼きやがってコーフンすんだろが!」 「ハッキリ言っとくけど乳首に穴開けられて勃つ趣味も弟に尻を貸して喘ぐ趣味もない断じて!!」 「じゃあいつならいいんだいつヤらせんだ今答えろここで応えろハリーハリーハリー!」 スワローが兄の胸ぐらを掴み力任せに締め付ける、窒息の苦しみと恐怖に怯えたピジョンは両方の拳でスワローを殴りながら頭に浮かんだ先延ばしの文句を絶叫する。 「三年っ……!」 一年後はすぐだ。五年後だとキレる。したがって三年が妥当だ、コイツが待てデキるギリギリの執行猶予。 酸欠の苦しみで朦朧とし、上手く働かない思考の中で咄嗟にそう計算し、力が緩んだ隙に弟の肩を持って押し返す。 吸って吐き吸って吐きをくりかえし、髪はボサボサに逆立ちシャツは大胆にはだけ、既にしてレイプされた態で間延びした呼吸のはざまから嗄れた声をしぼりだす。 「三年待って三年……そしたら俺も16になるし、お前は14だし。立派に大人の仲間入りだ」 三本指を立てて突き出す。 スワローがその指を纏めて掴む。 「本当だな」 「う」 「マジで三年たったらヤらせんだな?」 言質はとったぞと指を捏ねくり締め上げる手と凶暴な眼光が脅してくる。ピジョンはもう顎の箍が弛んだようにこくこく頷くほかない、首を横に振りでもしたら本気でへし折られかねない。 この場しのぎの一念でとんでもない事を口走ってしまったと後悔するも遅い。 兄の約束を取り付けたスワローは漸く矛を収め、半信半疑のジト目で執念深く強調する。 「嘘吐くんじゃねえぞ」 「……俺が約束破ったことある?」 スワローが上目遣いで記憶をなぞる。 兄の行状を思い返しひとまず納得したのか、ゆっくりと下りたその視線をピジョンの顔に固定する。 「デマだったら犯すぞ」 「いいよ。その時は好きにして」 その時の事はその時考えればいい。三年後の俺、がんばれ。 なにもかもに疲れきってなげやりに言う兄の頬を片手で抱き起こす。 窓から注ぐ月光に洗われ、赤錆の目が鳩の血色に輝いている。最上級のルビーと同じ色に魅入られる。 濡れた視線と視線が絡み合い、スワローの首から垂れた鎖がピジョンのそれと縺れて鎖骨を這う。 そのまま顔の角度を調整、迎え入れるよう僅か開いた唇を近付けて…… 「っだだだだだだだ!?」 頑として両手を突っ張り、首の可動域ギリギリまでスワローをおしのける。 「お前なに?いまなにしようとしてる?」 「キスくれぇケチケチすんなよ!」 首を無理矢理曲げられて青筋立て吠え猛るスワロー、今しも力比べに押し勝って正面にねじ戻り執拗に唇を付け狙うその顔を右に左に音速で回避しピジョンは血相変えて怒鳴る。 「兄弟でキスなんかしたらおかしいじゃないか!!」 は? コイツ何言ってんだ? ついさっきフェラしたその口で何言ってんだ?? 「額とか頬っぺならいいけど口はだめだ、絶対舌入れてくるし絶対だめだ!」 「おま……フェラはよくてキスはダメってどんな理屈だよ、体は売ってもキスはしねぇ心意気かよ!?」 「アレはオナニーを手伝ってやったんだ、お前ひとりじゃできないから代わりに出してあげたんだよ」 恩着せがましく開き直っていけしゃあしゃあとぬかしやがる。 あきれかえって口も利けないスワローに何を思ったか、ベッドの上に起き直ってお行儀よく正座するや、シャツの襟ぐりから鎖を掴んで引っ張り出したドッグタグをお預けのキスの代わりに弟の唇に押し付ける。 「キスはホントに好きな人とするもんさ」 そう、俺に一生愛せる恋人ができたらね。 ドッグタグで弟のお口にチャックし、したたかに笑うピジョンの顔には、一枚上手の稚気と機転が垣間見える。 逆境をチャンスに変える引きの強さと地獄を生き延びる悪運は、母から受け継ぎピジョンの中にも確かに息衝く才能だった。 「……ぐっ……、」 ドヤ顔決めこみやがってクソムカツク張り倒してェ。 唇にふたをするタグを払いのけ、いざリベンジマッチを挑もうと掴みかかったスワローの首にしなやかな細腕が巻き付く。 「うるさいと思ったらまだ遊んでたの?相変わらず仲良しさんね」 「母さん起きてたの!?」 「仲間外れはずるい!母さんもまぜて!」 のけ者にすると泣いちゃうんだからとぼやき、泡を食うピジョンの額を指で弾く。 いつのまに起きだしたのだろう、まったく気付かなかった。 派手やかなフリルで飾り立てたシルクのネグリジェに着替えた母は、豪奢に波打つ金髪を一振りし、兄弟が使うベッドにいそいそとのってくる。まるでお泊まり会に混ぜてもらう子どもだ。 空気を読まない母の乱入によってスワローとピジョンは一時休戦を余儀なくされる。 右腕にスワローを、左腕にピジョンを有無を言わせず抱き寄せ頬ずりし、若く美しい母は大仰に嘆く。 「あーあ、お夕飯食いっぱぐれちゃったわね。せっかく腕によりをかけて料理したのに」 「今日の夕飯ってなに?」 「こんがりウェルダンに焼き上げたトカゲのステーキ。火炎放射器なら一瞬だったんだけど」 「炭になるよ」 「母さんの料理は豪快すぎる……」 「料理ってゆーか焼却だよね」 「よーく火を通した方が安全でしょ?二人にも食べさせたかった!」 「ショットガン持ち出して狩りにいくのいい加減やめろって……」 「どうして?忘れ物は私のモノよ。お客さんが取りに来たら返そうと思ってるけど、それまでは借りてていいわよね。ねっピジョン?」 「う、うん、そうだね……壊さなきゃいいんじゃないかな?」 無邪気に同意を求める母に曖昧に相槌を打つピジョン。兄の優柔不断にスワローは露骨な舌打ちをくれる。 何がそんなに嬉しいのかいつもご機嫌な笑みを絶やさぬ母は、腕に抱いた息子ふたりを交互にのぞきこむ。 「カクタスタウンはどうだった?お友達はできた?」 「うーん……できたといえばできた、かな」 「ガールフレンドが一人」 「あら、さっそく手を付けたのねスワロー!さすが私の子!で、どこまでいったの?キスは済み?」 「言わねえよ……」 「照れてるの?かーわいいー」 「ピジョンどうにかしろよこの女」 「あきらめろ、これが俺達の母さんだ」 母が物分かりよく含み笑ってスワローの頬を突く。そっぽを向いて無視をきめこむほどに振り向かせようと人さし指に圧をかけぐりぐりねじこんでくる。ピジョンは既に無我の境地だ、いかなる制止や苦言もこの頭の大事なネジが一本二本抜け落ちた母には無効だと諦めている。 ふと母が真剣な顔になり、意固地に顔を背け続けるスワローに尋ねる。 「……大丈夫?」 「……ぼちぼち」 「そう」 スワローがそっけなく答え、母が同じくらいのそっけなさで頷く。深入りはしない。蒸し返さない。何があったか根掘り葉掘り詮索しない。 抱擁を振りほどいて背中を向けてしまった息子に静かににじり寄り、ボロボロにされてもまだ虚勢を張り通す肩に根気強く手をかける。 「スワローは強い子ね」 「…………だろ」 「最高にタフでクールでかっこいい、私の自慢の息子よ」 「もっと褒めろ」 手放しで絶賛されたスワローがむずがゆそうに口元を結び直し、おもねるか突っ張ねるか態度を決めかねて、怒り笑いと評すしかない絶妙に微妙な流し目をよこす。 母はそんな息子をしっかりと抱き寄せる。 今度はスワローも逆らわず、毒気をぬかれて母に身を委ねる。 兄弟二人で寝起きするベッドは三人乗れば満杯だ。スワローとピジョンは黙って母に抱かれる。 豊満な乳房に顔を埋め、すべらかなネグリジェの感触に安らいで、月光がさす窓辺で親子そろってまどろむ。 前髪に目元を隠して俯いた母が、スワローを守るように乳房へと導く。 「……助けにいけなくてごめんね」 「女に助けてもらうほどおちぶれてねぇし」 「ちゃんと間に合ったよ、母さんがきてくれたから自警団のひとを巻けたんだ」 意気阻喪する母をスワローとピジョンが交互にくちばしを突っ込んで慰める。 息子ふたりに挟まれて瞬時に元気回復した母は、とっておきの内緒話を打ち明けるように悪戯っぽい笑みを見せる。 「実はね、通ってくる町の男の人たち一人一人に吹き込んだのよ」 「なにを?」 「自警団のひとたちに何されたか………いいえ、何されそうになったか。ちょっとばかり誇張してね」 「ああ……」 話が読めてきたピジョンがなんともいえぬ表情で身を引き、入れ替わりにスワローが興味津々身を乗り出す。母は肉感的な唇に人さし指をあて、悪びれた風もなく宣う。 「アレじゃあ街の人たちはもとよりこれから来るひとも困るでしょ?もうちょっとしゃんとしてもらわなきゃ。母さんには頼もしいナイトが付いててくれたからよかったけど、全部の人がそうじゃないもん」 「母さんは男をその気にさせる天才だもんな」 「テクとトークを駆使してね。自警団がどんなに堕落してるか、どんなにか腐敗してるか、通ってくるひと一人一人にそれはもう切々と説いてあげたのよ。演技には自信があったけど、あんな大騒ぎになるとは思わなかったからちょっとびっくりよ」 「黒幕は母さんだったのか……」 「そんなこったろうと思ったぜ」 兄弟の母は娼婦だ。女手ひとつで息子ふたりを育て上げた。 付け加えるなら男をおだてる天才にして天性の魔性の女だ。 経験を積んで磨き抜いたあらゆるテクニックを駆使して極上の快楽を提供し、素晴らしい演技力に裏打ちされたトークで自尊心や劣等感をくすぐって、自分のもとに通う客を思惑通りに操縦する。 これまでも訪れた先々で不特定多数の客をとっては、巧みなピロウトークで街の内情に通じる話を聞きだし、体を使って得た情報を然るべき筋の客にそれとなく伝えるなどして数々の不正や腐敗を暴いてきた。 カクタスタウンの暴動を裏で仕組んだのも他ならぬ母だ。 街の住民の間に自警団への不満が燻っているのを見抜いて、自分の虜と化した男たち一人一人に酷い仕打ちを嘆いて復讐の代行を仕向け、煽るだけ煽って爆発させたのだ。 「たまに不思議になるんだけど、母さんの中では個人情報とか守秘義務ってどうなってるの?」 「そんなの逃げるが勝ちよ!母さん子供の頃から逃げ足が速いのがとりえなの!」 あっけらかんと宣言し、スワローとピジョンを両手に侍らしベッドに倒れこむ。息子たちは逆らわない。狭いベッドに黄金の滝のような金髪を敷き広げ、その上に寝そべった母が満ち足りて目を閉じる。 あどけない少女の面影を残す美貌に、聖母のように慈悲深く気高い微笑みを浮かべて。 「母さんね、ずっと川の字で寝るのが夢だったの。だから今はしあわせよ」 内から湧き上がる至福の笑みを唇に仄かに留め、月光に照り映える豊かな金髪で豊満な肢体を覆い、やさしく前髪かきあげピジョンの額に接吻する。 「私の|かわいい小鳩ちゃん《ベイビーピジョン》」 ピジョンがはにかみがちに俯き、母の脇にちんまり巣籠もる。ネグリジェ纏う脇腹に頬ずりして温みを貪る甘えん坊に一つ笑んで逆を向き、愛おしげに前髪かきあげスワローの額に接吻。 「私の|かわいい燕ちゃん《ヤングスワロー》」 纏わり付く手をうざったげに振り払い、しかし抱擁までは解こうとせず、傍らに寄り添い横臥する。来るなら来いと何も恐るるにたりず悠々と寛いで足を伸ばした寝姿は、胎児さながら消極的に身を縮める兄とは何から何まで正反対だ。 それでも二人は確かに血の繋がった兄弟だ。 お腹を痛めて産んだ最愛の息子たちが、子宮に帰ろうとでもするかのように己の胴にしがみ付いて眠りに落ちゆく様子を見守りがてら、今一度ふたりを抱く腕に力をこめる。 「大好きよ、私のハミングバードたち」 母さんのそばが一番安心する。 母さんはいい匂いがする。 ぬくもり伴う抱擁に守られて、「大好き」の囁きにほんの僅かくすぐったげに微笑んで、ピジョンとスワローはほぼ同時に応える。 打てば響く軽快さで。 身を捧げた分律義に報いてくれる愛情深さで。 「俺もだよ母さん」 「愛してる母さん」 ぴったり息が合う答えを聞いて、天涯孤独の少女から息子ふたりを持つ母へと成長した女もまた安心して目を瞑る。 愛するハミングバードたちがいつか遠くへ旅立つ日がきても。 いついつまでも、母さんは母さんよ。 「……ねえ、このベッドなんか匂わない?」 「気のせいじゃね?」 「うんすごい気のせい」

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