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matinee and soiree 

その日、マチネを観たいと言い出したのはピジョンだ。 「はあ?映画?」 トレーラーハウス入口の段差に腰かけ、馬鹿にしきって語尾をはねあげるイエローゴールドの髪の少年。 年の頃11か2。伸び盛りのしなやかな四肢と、あどけなさと色香のバランスが絶妙な容貌は人目を振り返らせるに十分で、派手なプリント入りタンクトップを羽織り、ローライズのダメージジーンズを穿いている。 長く優雅な睫毛に縁取られた切れ長のツリ目と、口角が下がった癇癖の強そうな唇は、猫科の肉食獣に似た生来の獰猛さを漂わせている。 シャープに引き締まった頬や生意気に尖った顎、細く骨ばった手足……至近距離ではさすがに間違えないが、遠目ならワイルドな少女とも見紛う美形だ。無造作にハネた金髪を後ろで絞って一括りにしており、余計に性別を誤解する。 無精して散髪をサボってるせいで、うなじを覆う程度に髪が伸びてきたスワローは、またぞろトンチキなことを言い出した張本人をジト目でねめつける。 「この街に映画館があるんだって。一軒だけ」 彼の下方、入り口の段差の最下段に腰掛け、せっせとスニーカーを磨くピンクゴールドの髪の少年。 こちらは年の頃13か4、見るからに押しに弱そうな柔和な風貌だ。優しげな赤錆の目と地味に整った鼻梁、ひょろっこく薄っぺらい体躯には些か軟弱な印象を受けるも、はにかむような笑い方が初々しく、繊細な感受性を秘める含羞の表情と謙虚な物腰が好ましい。 磁石の陽極と陰極のように、似てないのにどこか似ている奇妙な二人だ。 丈の余ったモッズコートの袖を捲り、金盥に張った石鹸水に手に持ったスニーカーを浸け、裏と表、先端と横腹をブラシで擦り立てる。 真っ白く泡立てたスニーカーをふぅっとひと吹きするすれば、透明な膜に虹の光沢を帯びたシャボン玉が生まれ、大気中をのんびり漂っていく。 円い表面に歪曲して顔が映りこむ。 それを見た少年は何が面白いのかにっこりし、やさしい眼差しでシャボン玉の行方を追尾。 そよ風に流され、スワローの鼻の頭にちょこんとシャボン玉がとまる。 「あは、|鼻ちょうちん《スノット・バブル》だ」 即座にシャボン玉を弾く。指があたった球が破裂し、「あーあ」と残念そうに眉を下げてピジョンが嘆く。 「割らなくてもいいじゃん」 「俺の視界を過ぎったのが運の尽き」 「享年5秒か……世知辛い」 「儚く散ったな。で、その映画館がどうしたの」 「一緒に行かない?」 「やなこった」 「即答かよ。もう少し検討してよ」 にべもない返答にピジョンは落ち込む。 本日は絶好の洗濯日和だ。 晴れ渡った青空は抜けるように高く、トレーラーハウスが駐車したガソリンスタンドにロープを張って洗濯物を吊るしているが、燦々と降り注ぐ日光のおかげで乾きが早い。 ピジョンは家事雑事が苦にならない奇特な性分だ。今もご機嫌に鼻歌を口ずさみ、スニーカーを洗っている。スワローはそんな兄を嘆かわしげに見て鼻を鳴らす。 「何が哀しくてテメェのお守りしなきゃなんねーんだ、行きたきゃ一人で行け。十こえて兄弟べったりなんて気色ワリィ」 「お前がそれ言うか……いいじゃん、どうせやることなくて暇だろ?映画館なんてめったにないんだしさ」 「決め付けんなばーか、俺ァこれから不純異性交遊で忙しいんだよ」 「またナンパ?こりないね……」 「むこうから声かけてくんだよ、ガバガバの入れ食いだよ。それにこんなシケた街の映画館シケた場所に決まってら、わざわざ足運んで観る価値ないね。くたびれ損の骨折り儲けだ」 「行ってみなきゃわかんないじゃないか」 「後で感想教えてくれ」 顔の前で手を振って突っぱねるスワローに、諦め悪く食い下がるピジョンはむっとする。 この時代は映画館自体がレアだ。 前世紀は大いにもてはやされ隆盛を誇った産業も、今は映画館の数が激減して気軽に観れなくなっている。 スクリーンにかけられるのは殆どが大戦前の遺物と化したフィルムであり、新作の公開はごく限られた本数のみ。 人と金が集まる都会ならともかく、風力発電で生活に必要最低限のエネルギーを賄う辺鄙な田舎では敷居が高い。 裏を返せば、映画館の有無は街の繁栄の度合いを測る指標だ。 大衆向けの娯楽施設が充実しているのは経済的に余裕がある証拠であり、実際そこそこの規模に発展した街でなければ映画館なんて贅沢な代物まずお目にかかれない。 広場の紙芝居を見て育った子供にとって、美男美女が動いて喋り役を演じ、音楽が流れる映画は甘美な憧憬の対象なのだ。 ピジョンも例に漏れず、映画に並々ならぬ憧れと情熱を傾けている。 無関心な態度に批判的に眉をひそめ、ピジョンが身を乗り出す。 「なんでさ、お前は観たくないの?」 「前の前の前の街で見たかんな」 「え、知らない……チケット代はどうしたの、小遣い?」 「オンナのおごり」 「聞くんじゃなかった」 「それ以外にも無賃で忍び込んでら」 「ちゃんと払いなよ」 「受付嬢と仲良くなりゃ手引きしてもらえる」 「そんな抜け道があったのか……」 「兄貴にゃハードル高ェか」 「うるさい、俺は正々堂々真っ正面からいきたいんだ」 「見上げた心意気だな。映写室の窓ピッキングしたほうがはえーぞ」 「だからどうしてそう……もういい。映画嫌いなの?」 「そうは言ってねーだろ」 気乗りしない生返事に突っ込めば、スワローが鼻白んで耳をほじる。 「でもくそだりぃ。上映中は騒ぐなくっちゃべるな注意がうぜえ、二時間ちょいじっとしてんのも苦痛。うるせー独り言もダメ、空気読まねーでドっパズレなトコで笑うのもダメ、あれもダメこれもダメのダメダメ尽くし。前の席蹴っちゃいけねーし」 「当たり前だろ?マナー違反だ」 「無意識にやっちまうんだ、癖だ癖。文句はやんちゃなあんよに言え」 申し分なく長い脚を組み、スニーカーをひっかけた爪先を振って堂々開き直る。 生来いちじるしく落ち着きを欠いて騒々しい彼にとって、長時間ただ座っているだけというのは拷問に等しい苦行だ。 上映中もうるさく馬鹿笑いしてはしきりと体を揺すり、コーラやポップコーンをぶちまけて煙たがられているに違いない。摘まみだされないのが奇跡だ。 ピジョンは弟の前後左右の席になった客に心底同情する。 口には出さぬ兄の本音を汲み取ってニヤリと笑い、指に付いた耳垢を吹く。 「でもまあ、オンナと『致す』にゃ悪くねー場所だな。結構興奮する」 「おまっ……映画館をなんだと思ってるんだ!?」 弟の衝撃発言にじゃぽんとスニーカーを取り落とし、顔にはねた飛沫を慌てて拭って抗議。 スワローは下卑た笑みを顔一杯に広げ、童貞が服を着て歩いているがごとし純心な兄をおちょくり倒す。 「いいかピジョン、とことんウブで奥手で世間知らずのテメェに常識ってもんを教えてやる。残念なおしらせだが、田舎町の映画館は大体がハッテン場だ。真っ暗闇をいいことにさかりの付いたアベックどもが乳繰り合い、そこかしこの喘ぎ声がうるさくて映画の音なんざ聞こえねーよ。おまけに痴漢もでる、さあこれから山場って時に隣のヤツに股ぐらまさぐられたらどうするよ?」 「ぽ、ポップコーン投げて逃げる……」 ピジョンが自信なさそうに答え、消え入りそうな兄の小声にスワローが「ご愁傷様」と返す。 「で、ポップコーンは拾って食うの?」 「もったいないから。食べ物粗末にしちゃいけない」 「否定しねーのかよ、ほんっと意地汚ェな。血の繋がりを恥じるぜ」 「うるさい」 「お前みてーな|未通女《おぼこ》が映画館なんて変態紳士の社交場にでしゃばったら食いもんにされんのがオチだ」 偏見甚だしいが一部的を射た弟の意見に、ピジョンは頭から煙を吹きそうな様子で考え込む。 スワローの言うことは本当だろうか。また担いでるんじゃなかろうか。さすがに風紀が乱れ過ぎじゃなかろうか。乳繰り合いが目的じゃなく、ピジョンみたいにただ映画が観たいだけの客も大勢いるはずだ。 ピジョンはしゅんと俯いて人差し指を突き合わせる。 「靴磨きでカネ貯めたんだ……」 「じゃあ金庫にしまっとけ、無駄遣いすんな」 スワローがそっけなく言い放ち、ピジョンはもごもごと口ごもる。 映画なんて片手で足りる回数しか観たことない。 お客から気まぐれにもらえる駄賃を握り締め、スワローとふたり手を繋いで見に行った記憶はおぼろげで、数年経った今では漠然としたイメージしか喚起できない。 兄の落胆に舌打ちをくれて、スワローが苛立たしげに吐き捨てる。 「てめえは俺がいなきゃなんもできねーのかよ?しらねー街のしらねー映画館に一人で行く度胸ねェからって巻き込むなよ」 「一人で行くのにびびって誘ったんじゃない」 「どうだかな」 本音を言うと、それもちょっとある。ピジョンはシャイで人見知りだ。到着してまだ数日、勝手を知らない街の映画館に単身突撃は気後れする。 けれど、それは主要な動機じゃない。 ピジョンはずぶ濡れのスニーカーを下におき、遠慮がちな上目遣いで弟を盗み見る。 「一緒のほうが楽しいから……」 「あァん?」 「その……あそこすごかったねとかこのあとどうなっちゃうんだろうねとか言い合えるし」 一人で見ても面白いが、楽しみを分け合える仲間がいたほうがずっといい。鑑賞後も感想で盛り上がれる。 ピジョンにとってその相手はスワローしかいない。母は仕事で忙しく友達はいない。 いいトシして弟離れできてない自覚はあるが、お互い様だ。 ピジョンはモッズコートの袖を元に戻しがてら、スワローから目をそらして呟く。 「映画見るのなんて久しぶりだろ?うんとチビの頃、母さんのお客に連れてってもらったきりだ」 「野郎が奮発してバケツみてーなポップコーン買ってくれたっけ。ほかにも駄賃もらって見に行ったろ、ガイコツがクリスマスする映画やってた」 「楽しかった」 「てめえにゃガキ向けの|昼興業《マチネー》がお似合いだ」 思い出話に花が咲く。弟に貶されてもめげずへこたれず、ピジョンが手のひらを見下ろす。石鹸の泡に塗れた手のひらには、固い豆やこまかい傷がたくさんある。 「……最近忙しくて遊びに行けなかったから……」 スワローは無言で兄の手を見やる。 機械いじりのオイルに塗れ、洗濯中は石鹸の泡が滴り、靴磨きに使うグリースで照り光る働き者の手。 内側の膨らみは厚くなり、指の関節には豆ができ、几帳面に切り整えたそばから爪はささくれて酷使を物語る。 体調を崩して寝込みがちな母の代わりに兄弟は家庭内の仕事を分担している。 むらっけがあってサボりがちな弟とは対照的にピジョンは馬鹿真面目に雑事をこなし、弱みに付け込む客の使い走りや母の世話まで引き受けてる。 要領よく手を抜くなんて無能な小鳩には過ぎた芸当だ。 コイツは他人の頼みを断れないし、頼まれたことは全力でやりとげる。中途半端で放り出すなんて無責任なまね絶対しない。なんでも楽勝な天才肌のくせして万事がいい加減なスワローとは正反対だ。 「……もういいや。お前がこないなら一人でいく、これが終わったら夕方までちょっと空くし。スニーカーは洗っちゃったから別のにするか……」 貴重な息抜きの機会をふいにしたくない。 弟の説得は諦め、雫が滴るスニーカーを洗濯バサミで挟んでロープに干すピジョンにスワローが憮然と呟く。 「迷子になんぞ」 「馬鹿にするな、鳩には帰巣本能がある」 「誘拐される」 「そんな物好きいない。うちにカネないのなんて一発でまるわかりさ」 擦り切れたモッズコートの袖を摘まんで回る。ピジョンはすっかり浮かれまくってる、スワローがなにを言っても聞きゃしない、心は羽が生えてはや映画館に飛んでいる。 誘拐の全部が全部身代金目的とは限らないだろと、喉元までこみあげた正論を飲み込んでスワローは考え直す。 映画館は真っ暗だ。スクリーンに夢中なピジョンの間抜けヅラと無防備さに出来心をおこした客が悪さを働く可能性は十分あるし、行き帰りも負けず劣らず物騒だ。 上映後の熱に浮かされふわふわしたピジョンが路地裏に連れ込まれて身ぐるみ剥がされたら、その上よってたかってマワされて道端に捨てられたら…… 「~~~~しょうがねェなァ!」 スワローは億劫げに腰を上げて、親指を立てピジョンを促す。 「付き合ってやるよ」 「ホント!?」 ピジョンが現金に顔を輝かせて跳び起きる。振りたくるしっぽが見えるようだ。 そして二人は映画を見に行くことになった。 映画には|昼興行《マチネ》と|夜興行《ソワレ》がある。 ピジョンとスワローが見に行ったのはマチネの方で、二人が訪れた時には既に大勢の客が詰めかけていた。 映画館は田舎町にふさわしく実にこぢんまりしたもので、あちこちガタがきている。噂によると大戦前から営業しているらしく、壁には色褪せたポスターが貼ってある。 回転ドアを抜けてすぐのホール中央には支柱を円く巡りソファーが配され、売店にはポップコーンやコーラを買う行列が犇めく。 スタジャンのポケットに手を突っ込みさっさと回転ドアを抜けるスワローの後ろで、ゴンと鈍い音が鳴る。 振り返ればピジョンが額を押さえ「いだだだだ……」としゃがんでいた。惰性で回るドアと頭を抱え込んだ兄を見比べ、状況を察したスワローがあきれかえる。 「とろすぎんだろ」 「う、うるさい……慣れてないんだこの手のドア」 ピジョンは運動音痴だ。もう本当どうしようもないほど要領が悪い。 涙目で呻く兄は放置し、あたり払う大股で颯爽と人ごみを突っ切り受付へ行く。 「ハロー、お姉さん」 受付嬢は野暮ったい中年女で、ほぼ街の住人で埋め尽くされた映画館で見たことのない少年に一瞬不審な色を見せるも、仕切り越しに愛想よく挨拶されすぐ相好を崩す。顔がいいと得だ。 「一人800ヘルね。よそからきたの?」 「トレーラーハウスで旅してんだ、こっからちょっといったとこに泊まってる。映画を見るなァ久々だ」 「小さい町じゃなかなかないものね。うちも娯楽が少ないからごらんのとおり大繁盛、殆どが顔見知りの常連さんよ」 受付嬢の言葉にあたりを見回す。 上映開始までホールにあふれた面々は、煙草をふかしコーラを飲み、いずれも親しげに仲間との世間話に興じている。 「最後尾の立ち見でもいい?悪いけど席余ってなくて」 申し訳なさそうな受付嬢にようやく追い付いたピジョンが「かまいません」と礼儀正しく返事をし、思い出したように弟に確かめる。 「お前もそれでいいよな?」 「好きにしろ」 席順にこだわりはない。 最前列でも最後列でもいわんや立ち見でもどこでも同じ、兄の隣が彼の唯一の指定席にして特等席だ。 自分が提案者なら話は別だが、兄の付き合いで渋々足を運んだスワローは今回至って淡白だ。 「兄弟?似てないのね」 「よく言われます」 「今日は楽しんでって」 「ありがとうございます」 受付嬢がにっこりし、ピジョンがどぎまぎはにかみ笑いで応じる。 ポケットを裏返して掴んだ硬貨と引き換えにチケットを購入、興味の薄いポーカーフェイスを貫く弟を引っ張っていそいそとシアターへ。 防音仕様の緩衝材でコーティングされた巨大な扉を押し開ければ、高揚を孕んだざわめきが押し寄せ圧倒される。 「わあ…………」 久しぶりの映画だ。ちゃんと観るのは何年ぶりだ?汗ばむ手にチケットを握り締め、妙にぎくしゃくした足取りで歩きだす。 映画館の中は広く、段々に並んだ座席の間に通路が敷かれている。 ピジョンの現在位置である入ってすぐの最後列には転落防止用の柵が設けられ、ちょうどいい手摺を兼ねる。 「結構広いね」 「フツーだろ」 「広いって、天井高くて人いっぱいだし。席もほら、百以上はある。迷子になるなよ」 「ブチ殺すぞ」 「どこにする?」 「どこでも」 「こっちのほうが見やすいかな?ああだめだ、前の人のリーゼントがじゃまだ。うーんどこも混んでてなかなかいい場所見付からない……もうちょい早くくるんだった、ギリギリに駆けこんでもみんなとられちゃってる。世の中早いもん勝ちだね、スタートダッシュが勝利の鍵だ。踏み台ないかな……柵に上るのは危ないか。右側はどうかな……って今度はアフロか!」 完璧におのぼりさん、目に余るはしゃぎっぷりだ。 頬をほの赤く紅潮させ、純粋な目を期待と好奇心に輝かせ、気忙しく階段を上り下りする様子に周囲からくすくす笑いが漏れる。 田舎者に田舎者扱いされるのは癪だ。スワローは不機嫌になる。 本人に自覚がないのは幸か不幸か、何も生まれて初めてじゃないだろうにこうもテンションが振り切れるのは才能のうちだ。 ああでもないこうでもないと独り言ちて行ったり来たりをくりかえす兄を見るに見かね、無愛想に顎をしゃくる。 「そろそろはじまるぜ」 落ち着きねえのはどっちだよと心の中で腐し子守りの大変さを痛感、ピジョンを呼び戻す。 「えっ、もう?」 「すいません通してくださいごめんなさい」とすれ違う客にいちいち詫びては舌打ちに委縮する姿にいらだち、わざと兄の足を踏んで邪険にした男が下の通路を過ぎりざま唾を吐く。 「誰がやった!」とキレて暴れる男の頭上からあらかじめ移動していた弟の隣に引き返したピジョンは、手摺を掴んで爪先立ち、真っ白でまだ何もないスクリーンを見上げる。 館内に大音量のブザーが鳴り響き、シートを埋める客の話し声が次第に静まっていく。 ペンキの禿げた手摺に気怠く頬杖付くスワローの隣、ピジョンは期待で胸はちきれんばかりに熱心なまなざしを注ぐ。 「う~ドキドキするなあ」 「お前だけな」 「なんでそうひねくれてるのさ……反抗期か?ナイフのように尖ってはさわるもの皆傷付けるのか?」 「映画なんてもう何べんもきてる、いまさら有り難がることかよ。田舎もんまるだしでこっぱずかしい」 「それはお前だろ、俺はまだ片手で足りる程度っきゃ観てない」 「潜り込み方教えてやったじゃん」 「受付嬢と話し中にダッシュしろって?キセルはいやだ」 「オトリは使いたくねえか」 「言わせるなよ」 ピジョンは潔癖だ。 映画のただ見程度スワローなら心を痛めないが、清く正しい兄は少なからず抵抗を感じるらしい。 姑息な手口に頑として肯わず、手摺にぶらさがってふてくされるピジョンにほとほと愛想が尽きる。 「ズルはよくない」 「神様が見てるってか」 「母さんが哀しむ」 最後列で立ちんぼじゃろくすっぽ見えやしない。爪先立って伸びをして、大勢の頭越しに漸く見えるかどうかだ。それでもピジョンははりきって、これから始まる素晴らしい出来事を全身で待ち構えている。 「で、どんな映画やんの」 「表の看板見なかったの?」 ピジョンが上品に眉をひそめ、そっと耳打ち。 「死者の日に死者の国にまよいこんだ男の子の大冒険だって」 「死者の日ってなァあれか、メキシコの祭りか」 「大戦前の作品。まだフィルム残ってたんだね」 ピジョンの言を信用するならだいぶ古い映画だ。戦争で灰に帰らず現存する貴重なフィルムの上映とあらば、満員御礼も頷ける。 ブザーの音がだんだん小さくなるに従って照明が落ち、周囲が薄暗くなっていく。映画館に特有の雰囲気。座席を占める老若男女の顔が暗がりに沈み、日常が非日常へ移行していく。 「コーラとポップコーン買っときゃよかった」 金を出し渋り手ぶらできたのがいまさら悔やまれる。 舌打ちを聞き咎めたピジョンがチラチラ物欲しげに探りを入れる。 「半分こする?」 「だれがするか死ね。俺のカネで買ったコーラとポップコーンをなんでシェアしなきゃいけねーんだ死ね、その意地汚さを主の|御前《みまえ》で懺悔してこい」 「聞いただけじゃないか……口が悪いぞ、反抗期か。あ、でも炭酸はパチパチして苦手だからいいや。ポップコーンだけで」 「だから買わねーよ。買っても誰がやるか、どうしても欲しけりゃ他の客が床に撒いたの有り難く食え」 「兄さんにむかってあんまりだ……」 「駄バトは食べカス啄んでろ」 「しーっ」 唇の前に人さし指を立ててスワローを窘め、スクリーンを見上げて一喜一憂、喜怒哀楽の百面相をくりひろげるピジョン。コイツはすぐ感情が顔にでる。 それはメキシコの祝祭の話。 主人公は一家代々の靴屋の倅で、音楽の天才少年。 スターを夢見た曾祖父が、嫁とまだ幼い娘を捨てて出奔したせいで音楽嫌いの一家に生まれるも、音楽をこよなく愛する彼は手作りのギターをひっさげてコンテストに挑む。 家族の強い反対に遭いながらも憧れの故人の言葉に励まされ、少年は夢を追い続けるのだが…… 「ひどい。壊すことないのに」 少年のギターが祖母に壊されるシーンでピジョンが顰め面をする。すっかり主人公に感情移入しているらしい。その間も映画は滞りなく進行する。 ひょんなことから死者だけが住む死者の国に迷い込んだ少年は、親族の許しを得ない限り元の世界に帰れないと宣告されるも、既に死んだ先祖が出した条件は、許しを与える代わりに二度と音楽はするなという厳しいものだった。 ピジョンはぐっと拳を握りこみ、と思えばくたりと手の力を抜き、登場人物の一喜一憂に釣られて自分もまた一喜一憂のリアクションを見せる。 スワローは映画そっちのけで兄の横顔を観察する。 ぼけっと口開けてスクリーン見てるよか、コイツの表情の変化を追うほうがずっと面白い。 笑いあり涙あり感動あり、娯楽のお手本のようなてんこ盛りのストーリー。 映像は文句なく美しくキャラクターの掛け合いも軽快で、斜に構えてあくびしていたスワローも途中から本腰入れて見始めた。 主人公の少年のピンチでは「おお」「ああっ」と嘆声を発し、哀しい場面ではピジョンがうっすら涙ぐみ、胸躍る冒険には二人して柵から乗り出して目を輝かせ、無意識に握りこぶしを作って応援し、再び哀しいシーンではピジョンが盛大に洟を啜って周囲の顰蹙を買い、丁々発止の戦闘シーンに滾ったスワローが柵を蹴飛ばしがなりたて、投げ付けられた野次とポップコーンに中指を立て返し、素早く頭をひっこめたピジョンが「すいませんすいません後生ですから」と意固地に踏ん張る弟の頭も下げさせて、少年が認知症の祖母に思い出の曲を奏でるシーンで滂沱と泣き、かぴかぴになったコートの袖でくりかえし洟を噛む。 「わっ、あぶない!うしろうしろー!」 「いけっそこだっやっちまえ!」 ピジョンとスワローは全く同じタイミングで綺麗にそろった声を上げ、片方は豪快に笑い、片方は目を覆って怯え、片方は行儀悪く柵をよじのぼって拳をぶん回し、片方は柵を握り締めて棒立ちになり、映画に熱中して我を忘れ年相応の素顔を見せる。 中盤にさしかかる頃だろうか。 どちらからともなく指を探り合い、互いに手を繋ぐ。 二人とも殆ど無意識で自覚はない。いま隣にいる相手とこの興奮を分かち合いたい、このかけがえのない時を共有したくて、心地よく火照った手をぎゅっと握り締める。 視線は正面の巨大スクリーンに固定されたまま、磁石の陽極と陰極のように反発しあえど背中合わせで離れられない二人が、しっかりと手を繋いで同じ方向を見詰め続ける。 敵の謀略に追い詰められ、主人公が絶体絶命のシーンでピジョンが硬直。縋るように力を入れてくるのを倍する力で握り返し、手の甲を軽く指で叩く。 タップは三回、兄弟の間でのみ伝わる「大丈夫」の合図。 大昔、ことあるごとに拗ねて膝を抱えたスワローのそばにきて、ピジョンがよくやってくれた。 安堵に脱力したピジョンの手を握り直し、感情の浮き沈みが激しい兄に寄り添って続きを見る。 ピジョンの涙腺はとびきり脆い。 不治の病にかかった男や女が惚れて腫れて挙句死んだり、生き別れや死に別れを扱う家族ものなら覿面だ。 スクリーンにエンドロールが流れ、満足した客が三々五々席を立ち始める頃。 白み始めた館内に立ち尽くし、感動の余韻に浸ったピジョンが、真っ赤に腫れた目を瞬いてしみじみ呟く。 「面白かった……」 「まあまあだな」 「いい話だったろ?」 「まあな」 「きてよかったろ?」 ニンマリとほくそえむ。調子のりやがって、ぶん殴りてえ。 ここが好き、あそこがよかったと早口で熱っぽくまくしたてるピジョンの手をうざったげに振り払い、その汗とぬくもりをジーンズに擦り付けて拭い去る。 クソ忌々しいことに、エンドロールが流れる段に至ってようやく兄と手を繋いでいた事実に気付いたのだ。なんという赤っ恥、叶うなら時間を巻き戻して記憶を消し去りたい。 手のひらの気色悪いぬくもりを持て余し、大股に足を繰り出して扉をくぐる。 「あ、待てよ!ひとりで行くなって」 ピジョンをおいてけぼりにしてとっとと映画館をあとにしたスワローは、表に出るや空を仰いで深呼吸し、爽やかな空気を肺一杯にとりこむ。 映画館の暗さに慣れた目に空の青さがやけにしみ、大胆に伸びをして関節のコリをほぐす。 ピンボールの如く右に左に弾かれて人ごみをかいくぐり、回転扉からどうにか脱出を果たしたピジョンが、まだまだ話し足りない様子で弟の背に追い縋り、小走りに横に並ぶ。 歩調を合わせてスワローの顔を覗きこみ、若干の不安と期待をこめてもう一度。 「……きてよかったろ?」 「さあな」 痴漢はでなかった。付き添い損だ。 すっとぼけるスワローに並走してピジョンが不満げにむくれる。 「……テンション上がって手え繋いだくせに」 「は?馬鹿こけ、そっちが先に握ってきたんだろーが」 「いやお前だって」 「でまかせ言え、主人公があの変なドラゴンに喰われそうになったとこでギューッて」 「お前だって高いトコから落ちるシーンでギリギリって力入れたろ、見ろよまだ跡が残ってる痛かったんだ!」 「てめえが目ェ真っ赤でべそかいてっからお情けで握ってやったんだ、じゃなきゃだれが仲良しこよしで兄貴とおてて繋ぐか気色わりぃ」 「俺だっていいトシして弟なんかと手を繋ぎたくない、人に見られたら恥ずかしい」 「自意識過剰だな、だれも注目しねーよ」 「そんなにいやなら途中で振りほどけばよかったろ!」 「ぎゅううううううって握り締めてくっから剥がせなかったんだよ!」 癇癪の炸裂にさすがにしょげるも、気分を引き立てようと俯き加減に劇中歌をハミング。 そんなピジョンの耳に小さい口笛がとびこんでくる。 兄が口ずさむ劇中歌にハモらせ、口笛で牽引するスワロー。 スタジャンのポケットに無造作に手を突っ込み、申し分なく長い脚を交互に投げだして、私を思い出してとくりかえす劇中歌を軽やかに吹き奏でる。 ポーカーフェイスを気取って口笛を吹く弟に一瞬ぽかんとし、それからこの上なくしあわせそうに破顔するピジョン。 弟に合わせて口笛に挑戦すれど上手く吹けずピフーピフーと空気漏れが連続し、諦めて鼻歌にもどり、手と足を大きく振って夕暮れが忍び寄る帰り道を辿る。 スワロー好みのアップテンポにアレンジされた口笛に付いていくのは大変だが、エンドロールの延長めいたマジカルアワーを弟と唄って帰るのが楽しくて、うきうきスキップしながらピジョンは提案する。 「よし、次はポップコーン買うぞ」 「次はねえ」 「俺も半分だすから……」 「おごりなら考える」 「兄弟だろ?助け合わなきゃ……」 「てめぇの別腹に援助する気はさらっさらねえ」 母さんへの土産話がまた増えた。 それはマチネとソワレのあいだの出来事。

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