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My mother is a walking miracle.
トレーラーハウスに帰り着くととっぷり夜が更けていた。
足音を忍ばせ入口の段差を上る。
車内はブラインドが下りて薄暗いが、何がどこにあるか大体わかる。
物心付いてから見慣れた間取りを勘頼りに進んでキッチンへ到達、蛇口を捻って水をだす。
コップに一杯汲んでうがいをする。
口の中にはまだ粘っこい精液の苦味がわだかまっている。
今夜の客は飲ませるほうを好んだ。
顔や腹にかけたがるヤツもいるが、後始末が面倒くさいのでどちらもトントンだ。精液が美味いなんてのは飲ませる側にだけ都合いい捏造だ。
口の中を念入りにすすぎ、ステンレスのシンクに水を吐き出す。
不快な後味を流し去り、口直しを求めて貯蔵庫を覗く。
「ラッキー、コーラがあらァ」
嬉々として口笛吹いて瓶をとる。
栓抜きをさがすのが億劫で、スタジャンのポケットから出したナイフを翻し、器用に刃先をひっかけ圧を加える。
ブリキの王冠を外し、瓶を掴んでぬるいコーラを呷る。甘ったるい炭酸で喉を潤し、ようやく人心地が付く。
「ふー……」
ゆったりと上向いてシンクにもたれる。
体の芯には性行為の後特有の虚脱感と違和感が凝っている。
今日の客はアタリの部類だ。
それなりに長くウリをしてると、アタリハズレ二種類を経験する。
アタリは口だけで結構なチップを弾んでくれサービスし甲斐があるが、ハズレはさんざん無茶な要求をした挙句代金を踏み倒すので気が抜けない。スワローのように腕っぷしに自信があれば別だが、そうじゃなきゃ泣き寝入りだ。
スワローも目利きができるようになるまで、何回かハズレを引いた。
ガキを挟んで嬲るのが好きな兄弟に目隠しされて責められたこともあるし、無理矢理縛られて突っ込まれそうになったこともある。
そこへ行くと、女物の下着を付けてベルトで打ってくれなんてお安い御用だ。幸いスワローは母譲りの美貌に恵まれている。十代半ばの骨格は華奢なので、女装すれば少女でも通る。
男娼の旬は短い。
まともに稼げるのはあと五・六年だろうが、それより早く病気をもらって店じまいするかもしれない。本番にのぞむならコンドームの着用を一応条件付けてはいるが、料金倍でも中出しを希望するスキモノは多い。
安宿を出る間際、洗面所で体をあらためてきた。
変な場所に痣や傷が残ってないか確かめ、首元の鬱血痕は絆創膏で隠すなど悪あがきをしてみたが、最近は偽るのも面倒くさく堂々とさらしている。
ピジョンは何も言わないし聞かない。
夜になるといなくなる弟の素行には当然気付いているが、どこで何をしてるか問い質す勇気がなく、知らんぷりのたぬき寝入りだ。
あるいは、確認することで現実化するのを恐れているのか……
わざわざ首や腕にキスマークを付けて帰ってくるのは兄への当て付けだ。息をひそめて添い寝するピジョンの理性に揺さぶりをかけ、挑発する作戦だ。
飲みかけのコーラを片手に預け、もう片方の手でけだるく首筋を掻く。
ウリでは女役を務めることが多いが、まれに男役をせがまれる。
スワローは攻めが性にあってるのでむしろノリノリで掘りまくるが、本当に抱きたい相手は別にいる。
少し熱が引いたらベッドに行くか。
スワローは特にやることもなく、ボンヤリと虚空を見詰める。静かで穏やかな夜だ。
うっすら汗をかく瓶を頬におしあて、舌打ちで惜しむ。
「……もう一稼ぎしてくりゃよかった」
夢を叶えるためのカネはいくらあっても足りない。
バカ兄貴の甘い見立てじゃすぐ行き詰まる。
もとよりスワローは我慢が苦手、倹約より散財が得意だ。
そんな自分が兄との約束を馬鹿正直に守り、ウリと用心棒をかけ持ちした稼ぎをせっせと手持ち金庫に突っこんでるんだから、数年後に訪れるかもわからない反動がおそろしい。
赤く冴えるキスマークに瓶をあてがい、厄介な火照りを冷ます。
「スワロー?」
コトンと物音が立ち、振り向けばネグリジェを纏った母がいた。
「帰ってたのね」
「ああ」
片手で襟元を整えてやってくる。
寝起きの乱れ髪が縁取る顔は、安堵と懸念を等分に含む。
息子の夜遊びは年中行事だ。
放任主義を通してきた母に、今さら心配する理由もないはずだとスワローは不審がる。
「起こしちまった?」
「いいえ……ちょっとやな夢見ちゃって」
多くは語らないが顔色が冴えない。
顔に落ちた前髪をかきあげてくりかえし瞬き、椅子を引く。
何故だかスワローには母が自分を待っていたように見えた。
ダイニングテーブルに着いた母が、思い詰めた面持ちで息子を呼ぶ。
「座って」
「何、マジんなって。とうとう再婚すんの」
「だったらよかったんだけどね」
軽く茶化す息子に弱弱しい作り笑いを返し、目線で着席を促す。
シンクから身を起こしたスワローは少し迷い、椅子を一瞥したのち元の位置に戻る。
言われた通り椅子に座ることで、母のテリトリーに縛り付けられるのを忌避するように。
「いいやここで」
「そう」
無理強いはせず息子の判断を尊重し、組んだ手に目を落とす。
気まずい沈黙に嫌気がさし、スワローはなにげなく提案する。
「……寝付けねーならホットミルク淹れっけど、飲む?」
「優しいのねスワロー。その優しさをもう少しお兄ちゃんにも向けてほしいけど」
「アイツは雑なくらいでちょうどいい。甘やかすと付け上がる」
「素直じゃないのね」
柔らかく苦笑いし、小さく息を吐く。
「……じゃあ久しぶりにおねがいしようかしら」
「OK」
貯蔵庫には常温で保存してる粉乳がある。
まず鍋で湯を沸かし粉末を溶く。
このご時世、牛乳は貴重品だ。
牧場主やその関係者なら新鮮なミルクが手に入るが、スワローは粉を溶いて薄めた|代用品《ダミーミルク》しか知らない。ごくまれに本物の牛乳を飲む機会があるが、偽物に慣れた口には違和感の方が強い。
鍋をじっくり火にかけて混ぜれば、仄白い湯気に乗じてミルクの匂いが広がる。
それを鍋からマグカップに注ぎ、砂糖を一匙足して母に手渡す。両手で包むように受け取った母は、一口含んで幸せそうに微笑む。
「ありがとう」
母さんとピジョンはよく似ている。
気恥ずかしげに微笑む顔が特にそっくりだ。
だからだろうか、礼を言われるとなんとなく落ち着かないのは。
思春期に入ってから距離の取り方がわからず、ともすると邪険に見えるそっけない態度をとり続けてきたが、心底母を嫌ってる訳じゃない。
「……スワロー、話があるの」
俯き加減にマグカップで指をぬくめ、おもむろに口を開く。
「ピジョンはのけ者?」
「あなたに話したいの」
ピジョンに聞かせたくない話の婉曲表現。
スワローは胡乱げに目を細める。
「夜、どこにでかけてるの」
そらきた。
「別に」
「ごまかさないで答えてちょうだい」
「関係ねーじゃん母さんには」
「毎日夜遅く、ピジョンと私が寝た頃に帰ってきて……気付かないとでも思った?ねえスワロー、毎晩どこで何してるの」
「用心棒のバイト。正規のガードを雇えねえワケありオンナにゃ需要があるんだ、結構儲かるんだぜ。ほかにもストーカー追っ払ったり、タチわりぃヒモにお灸据えたり」
「それだけじゃないでしょ」
コイツ、カマをかけてやがんのか。
スワローはしげしげと、他人のような心持ちで長年連れ添った母を見直す。
両手に包んだマグカップを静かに置き、率直に訊く。
「ウリをしてるの?」
「バレたか」
「首にキスマーク付けて帰ってくればね」
悪びれず流すスワローに、母もまたあっさり応じる。
スワローはスタジャンのポケットに両手を突っ込み、尖りきった眼光でふっかける。
「……で、お説教?ウリはやめろって」
「スワローあのね」
「アンタが説教できる立場かよ」
母親をアンタよばわりするのは、本気で怒っている証拠だ。
口の端をわざと吊り上げ、凶暴な笑みを剥きだす。
大股でテーブルに歩み寄り、力を込めた平手で机を叩く。
マグカップが軽くはね、ホットミルクの飛沫が上がる。
「さんざんほったらかしといて今さら母親ヅラ?自分勝手すぎね?あーそうだよ確かに俺は夜出歩いてるよ、でもそのことでとやかく言われたかねーな、好きでやってることだ悪ィかよ?アンタだっておんなじことしてんじゃん、オトコに股開いて荒稼ぎ、その息子は野郎にケツ貸して小遣いかっぱぐ、そーやってせっせと貯めたカネを元手に一気に上り詰めんだ」
どん底から這い上がりたくてとか、こんな生活から抜け出したくてとは言わない。
それは今の、今までの生活を否定することだから口が裂けても言えない。
他人から見たらどんなに悲惨で劣悪な家庭環境だってスワローは自分が不幸せだと思ったことは一度もないし、母や兄もそうだと確信してる。
でも、ずうっとこの生活が続くと思うと気が狂いそうになる。
「こんな毎日ウンザリなんだよ」
本音を言えば、アンタが股開いて稼いだカネで養ってもらうなんてウンザリだ。
アンタの細い脛を齧り尽くして大人になるなんて、そんな厚かましい甘えを自分に許すなんて、俺のプライドが許さない。
だったら俺が股開いた方がどんだけマシか、アンタにはきっとわからない。
「母さんにはわかんねえよ、ベッドの上で腰振って喘いでるだけだもんな!でも俺はそうじゃねえ、こんなウサギ小屋みてーな狭っ苦しいトレーラーハウスに閉じ込められて一生潰すなんざごめんだね」
「だから体を売るの?」
責めるでもない、咎めるでもない。
荒れる息子をまっすぐに見据えて母が放った問いは、どこまでも重たくて。
「ウリは危ないことが多いのよ、変態に捕まったら殺される」
「一緒にやりゃ満足?親子で売りだしゃ流行っかもな、ゲスの考えそうなこった」
「縛られて理矢理されたり……怪しいクスリや道具を使いたがるひともいる。あなたはまだ子どもでしょ、体だって成長しきってない。お金お金って、先走って壊れちゃったらどうするのよ。病気を伝染されでもしたら」
「はっ、今さらだな。全部手遅れ、言い出すのが遅すぎだよ。気付いてたんならとっとと止めろよ、変に切り出してこじれるのがいやで今の今まで見て見ぬふりしてたんだろ!!」
母は言い訳をしない。
自分を責めるように唇を噛んで俯き、呟く。
「……そうね。ウリはだめなんて、わたしにはいう資格がない。物心付いてからずっと、それで食べてきたんだもの」
若く美しく、ただそれだけの母にとって、売春は唯一の生きる手段だった。
家もない、親もない、なにもない小娘が生き抜くための|唯一の道《オンリーウェイ》。
「だからあなたにも……なにも言えなかった」
「しらんぷりは得意だもんな」
「……本音は止めたくても、本当にそうしていいかわからなかった。子供の頃からコレしか知らなくて、ずうっとコレ一筋で生きてきて、今ではコレが誇らしいけど……あなたが自分の意志でやってることを止めるのはただのエゴじゃないかって、そうも思った」
だから、言わなかった。
息子の売春を止めることは、自分の人生を否定するのと同じだから。
自分が信じる正しさの押し付けにすぎないから。
「初潮が来る前から客をとってたオンナが、いまさら子供にどの口で……って」
「…………」
「笑っちゃうくらい説得力ないでしょ」
母が体を売り始めたのは、スワローよりはるかに幼い時だった。
深呼吸を一度、毅然と顎を引いて宣言する。
「わたしは娼婦の仕事に誇りを持ってる。体を売って生きてきたのは間違いじゃない。それしか手段がなかったのはホントだけど、だからあなた達のママになれたのよ」
人の道を踏み外した息子を引き戻す?
そもそも道を踏み外さなければ、この子たちと出会えなかったのに?
目の前に真っ直ぐで綺麗な道が敷かれていたらそこを歩けばいいけど、最初から道なんてない人生を送ってきたひとは、死に物狂いで崖っぷちを転がっていくしかない。
「自分に嘘は吐けない。わたしはこの生き方を恥じてない。スワローとピジョン、大事な子どもたちを体を売って育てたこと、実の所まったく悔やんじゃないの。もとから気持ちいいのは大好きだし、男のひとを悦ばせるのはとっても楽しい。淫乱な女って叩かれもするけど、娼婦はきっと天職だわ。自分が悪いと思ってないことで相手を叱るのは筋違いでしょ」
あなた達はママの宝物だけど、わたしの所有物じゃない。
一人の人間として対峙した時、自分自身がまるで悪いと思ってない生き様を一方的に矯正すれば欺瞞になる。
とことんフェアにこだわる性質は、ピジョンが譲り受けた母の美点だ。
母が重んじるのは世間体とすりかえがきく偽りの正しさじゃない、人生の酸いも甘いも噛み砕いて人に芯を通す正しさだ。
過酷な生い立ちに鍛えられた、些か特殊な人生観を黙って受け止めたスワローは、最後に皮肉っぽく付け足す。
「……でも、俺にはまねてほしくねえ」
「……そうよ」
母の中に生じた大いなる苦悩と葛藤は、もとより想像するほかない。
彼女は夜に外出する息子の身を案じながら、一方で自分にその資格はないと固く戒め、忍耐強く口を噤んできたのだ。
マグカップの残りに口を付け、すっかりぬるくなったミルクを嚥下する。
「……できればあなたには……わたしのようになってほしくない」
「母さんを見て育ったのに?」
「あなたは男の子だからじき背が伸びて逞しくなる、そうすれば力仕事だって楽々こなせる。いま無理して急がなくても大人になるまで待てばいいじゃない、なんでわざわざ危ないことをするの」
一方で娼婦は誇りと言い、一方で売春はしてほしくないと訴える。
矛盾しているが、どちらも紛れもない真実だ。
スワローは悲痛な訴えを吸い込み、テーブルに両手を付いて身を乗り出す。
「俺には『今』しかねーんだよ、母さん」
「スワロー……」
「なんでかずっとそんな気がしてる。思い立ったらすぐやんねーと、明日にはもう死んじまうかもしんねえ。待てとか我慢しろとか耳タコだ、ピジョンもアンタもくそくらえだ、俺はずっと走り続けてねーと窒息しちまうんだ。あしたとかあさってとか、ちゃんと来るかもわかんねーのにちんたら先送りしてられっかよ」
一旦言葉を切り、挑むように母の目を見詰める。
「体を売んのは俺の意志だ、だれかに言われて嫌々じゃねえ、てっとりばやく稼ぐにゃコレが一番なんだ。たまにゃドジってあぶねー目にもあうけど、ヤラれっぱなしで泣き入れるよーなタマじゃねえって母さんもよく知ってんだろ?スカとフィストと縛りはNG、クスリを盛られンのはやだから相手のおごりにゃ手を付けねえ。心配しねーでも、そこらの色ボケよかよっぽど強えし目端がきく。付け込まれるスキなんて見せねーよ」
「自惚れは命取りよ」
「てめえの身はてめえで守る、てめえのケツはてめえで拭く」
「ピジョンはこのこと……」
「知らねえよ」
アイツはなんも知らなくていい。
ウブなねんねのまんま、ベッドで高鼾かいてりゃいい。
脅しを含んで極端に迫れば、真剣な面持ちに豹変した母が、息子の頬をそっと手挟んで問いかける。
「……体を売るのはピジョンのため?」
その一言が、スワローの心臓を殴り付ける。
唇から立ち昇る、甘い吐息が顔をくすぐる。
たおやかな手がスワローを引き寄せ、純粋な悲哀に澄んだ瞳が、虚勢を塗り重ねた心の底まで覗き込む。
「あの子の分まで抱かれて、あの子を守るの」
スワローの中で何かが切れた。
次の瞬間、母の肩に手をかけ押し倒す。
木製の背凭れに激突、激痛に顔を歪める母に覆い被さってネグリジェの胸元を引きむしる。
「アンタに俺たちのなにがわかんだ」
アンタが男を咥え込んでる時、アイツだけがそばにいてくれた。
俺の身体を膝のあいだに抱え込んで、俺の耳に両手でふたして、喘ぎ声から守ってくれた。
自分だって震えてやがったくせに
「アイツの為とかアイツの分もとか、ンなくだらねえのと一緒にすんな。ぜんぶぜんぶ俺がやりたくてやってるこった、こちとらクソツイてねーことにたまたまあのお人好しの弟に生まれちまって、あのクソがボロ雑巾みてーに踏んだり蹴ったりされんのをさんざ見せ付けられてきたんだよ。アンタはオツムと股がユルくて頼りになんねェ、くそったれた大人は信用できねえ、狡賢いいじめっ子は極め付けだ。そんな中でアイツだけが馬鹿正直に見放さなかった、誰の為とか誰の分もとかくだらねー打算うっちゃって当たり前に俺をいちばんに考えてた、アンタのうるせー声が響きまくってる間中自分のことなんざ二の次でずっと耳栓してくれた」
アイツは極め付けの大馬鹿だ。
ホント言うと俺は、ずっとツマらねえ後悔をしてるんだ。
もし逆を向いてたら、互い違いに手をさしのべてたら、兄貴もあの声を聞かずにすんだんじゃねえかって。
俺たちはきっと、おたがい向き合って耳栓すればよかったんだ。
「キレイごとじゃねえ、そんなんじゃ絶対ねえ、一生かかっても返せねェでっけえのもらっちまったらどうしたってツケを払わなきゃ気が済まねえ。こんな重てーのとっとと返してチャラにしねえと、グズでノロマで喧嘩も弱くてなにやらせても俺様に劣るアイツごときを居もしねえ神様のように思いこんで生きてかなきゃなんねーんだ!」
無私の奉仕とか献身とか、そんな概念や言葉を知る前から俺にとっちゃピジョンがそうだった。
人類の原罪を背負って召された救いの御子なんか、アイツの足元にも及ばねえ。
俺が知ってる中で、ピジョンこそ一等キレイなもんだ。
体を張って汚れをひっかぶったアイツこそ、金輪際誰にも穢されちゃいけねえんだ。
あの時ピジョンの耳を汚しちまったツケをいまんなって体で払ってるのも全部、俺がそうしたいからしてるんだ。
母は沈黙している。
聖女ぶって憐れむような目が気に入らず、押し殺した声音で脅す。
「犯すぞ」
ぐっと掴んだネグリジェの胸元がはだけ、乳房が大胆に露出する。
泣け、喚け、怯えろ。
俺がこうなったのは全部アンタのせいだと心の奥底で憎悪を滾らせた猛獣が叫ぶ。
アンタがどうしようもない淫売だから、子どもを車の外で待たせてヤりまくるふしだらな女だから、その血を濃く引いた俺もおかしくなっちまったんだ……
こんな女、殺っちまえ。
今この瞬間、俺たちの人生をめちゃくちゃにしたツケを払わせろ。
「犯ってごらんなさいな。わたしは世界一の淫売で、あなた達の母親よ」
怒り狂った眼光を瞬きもせず打ち返し、啖呵を切る。
「ねえカワイイ燕さん、あなたにわたしを満足させられる?言っとくけどわたし、すんごい欲張りよ」
色目を使って息子を誘惑し、強張る頬をふざけてひとなで。
母親の豹変に戸惑って身を引けば、スタジャンを掴んだ手が一旦離れ、そろえた膝に行儀よくおかれる。
ネグリジェの皺を整えて椅子に掛け直した母が、かすかに微笑んで息子を直視。
「……スワロー、大事な質問だから真面目に答えて。私とピジョンが崖から落ちそうになった時、どっちか一人しか助けられないとなったらどうする」
究極の二択を突き付けられ、スワローは目を閉じる。
過去と現在を繋ぐ暗闇で掴み取る答えは、最初から決まっていた。
「ピジョンだ」
無意識に伸びた手がドッグタグを掴み、放った声に力がこもる。
些かも迷わずためらわず、ただ一人の兄を選んだ決断を聞いて、吐息と共に肩の力を抜いた彼女はこの上なく満ち足りた微笑を作る。
「いい子に育ってくれて嬉しい」
「……母さんはそれでいいの」
「わたしはいいの、親が先に死ぬのはあたりまえだもの……そりゃあちょっとは妬けちゃうけど」
最後にポロリと本音を零し、顔を引き締めて確認をとる。
「本当に、あなたが好きでやってるのね」
「ああ」
「危ないことがあるのも承知で、お金が欲しくて体を売ってるのね」
「そうだよ」
「何を言ってもやめる気ない?」
「これっぽっちも」
「縛られてぶたれて中出しされて、お腹を壊してのたうちまわって、いろんなモノを突っ込まれて孔が裂けて、死ぬほど痛くて苦しい思いをしても、どうしても手に入れたいモノがあるのね」
「ある」
「そう…………」
スワローの答えを噛み締めるように瞠目、長い長い沈黙を経て目を開けた時。
その美しい顔には諦めたような、愛おしくてたまらないような、なんとも形容しがたい崩れる寸前の笑みが浮かんでいた。
「血は争えないわね」
やっぱり私の子だわ。
心の中でだけ誇らしげに独りごち、毒気をぬかれて立ち尽くすスワローを抱き寄せる。
大人しく抱かれたスワローの頭をなで、か細く震える声音で囁く。
「体にだけは気を付けて。変な病気もらっちゃだめよ」
「ンなヘマしねーよ」
「抽斗のコンドーム、必要なら持ってってね」
「自分のキープしてっからへーき。もういい?こんなトコ兄貴に見られたら」
「もう少しだけいいでしょ、お願い」
むずがゆそうに身をよじるスワローに甘えて、大きくなったその体を包み込めば、ぶっきらぼうな弁解が耳に入る。
「……さっきの……本気じゃねーから」
「でしょうね」
「母親相手に勃たねーよ」
「年増でもイイ線いってると思うけど」
「出てきた孔に突っ込むのはごめんだね」
悪趣味な軽口を叩き合い、ようやく気が済んで離れた頃合いに、スワローが思い出したように問いかける。
「母さんはどっち?」
「え」
「俺とピジョンが崖から落ちそうになったらどっち助けるんだ」
逃げを許さぬ息子の問いに、すべらかな眉間に皺を刻んで悩んだ母が、意を決し唇を動かす。
彼女が出した結論は……
数年後、現実になる。
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