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Rabbit hunting
この世界は残酷だ。幼心に弱肉強食の掟を叩き込まれた。
当時、ピジョンたち一家はトレーラーハウスで車中泊していた。町の人たちは娼婦を見かけるといい顔をしない、娼婦の私生児もまたしかり。
故に町外れの荒野に車をとめ生活するのが、物心付いてからのピジョンの日常だった。
日中、トレーラーハウスは母の仕事場になる。
ピジョンの母は世界一の娼婦だ。
絶世の美貌と極上のテクを誇る流しの娼婦の噂を聞き付け、既婚未婚問わず通い詰める町の男たちを、セクシーランジェリーの上に薄手のカーディガンだけ羽織った母は罪作りな笑顔でもてなす。
「いらっしゃい。待ってたわ、どうぞ上がって」
男を中に上げてやる事と言えば、セックス一択に決まっている。
「ごめんねピジョン、ちょっとの間スワローを見ててくれる?」
「わかった」
ニヤケ顔でステップを上がる男を見送り、ピジョンとスワローは探検に出かけた。
晴れた青空には綿菓子のような雲が浮かび、赤茶けた荒野には不規則な間隔でサボテンが点在している。
「待て~~~」
風が回すタンブルウィードを追跡するピジョン。今度こそ捕まえるぞと意気込み、しゃがんだそばから小さな手をすり抜け、地平線の彼方に旅立っていく。
がっかりするもすぐ気を取り直す。
「見てろ次こそ」
「アホ全開の一人遊びやめろ、こっぱずかしい」
スワローは腕まくりしてタンブルウィードに挑む兄を呆れ顔で見詰めている。
ピジョンが振り返りざま口を尖らす。
「お前もむかし飼ってたじゃないか」
「何を」
「モジャ公」
「何それ」
「アレさアレ」
ピジョンが指さす先には大小のタンブルウィードが転がっていた。
スワローが微妙な顔をする。
「ホラ吹くな」
「本当だって、嘘じゃないよ。モジャ公って名付けてロープに繋いでたの忘れたのか、芸を仕込もうとはりきって」
「タンブルウィードは生き物じゃねえ、ただの草のかたまりだ」
「ただの草のかたまりを生き物と思い込んでたんだよ」
ポケットに手を突っ込んだままピジョンを蹴飛ばす。
「何すんだ!」
「ツマンねーでまかせいうな」
「本当なのに……」
涙目で文句をたれるピジョンを無視し、木の棒を振り回す。再びタンブルウィードが飛ばされてきた。
「十二回目の正直」
標的にロックオンし、タイミングを計って飛びかかる。成功するかに思われたその時、不測のトラブルが起きた。
「あぶっ!」
スニーカーの靴ひもを踏ん付けたピジョンがずっこけ、顔面から大地に倒れ込む。
タンブルウィードは上手く追い風に乗り、荒野の向こうへ逃げていった。
ピジョンがむくりと顔をもたげる。鼻の頭は擦りむけていた。
「惜しかった」
「全然惜しかねえぞ、さっきから見てりゃこけてる回数のが多いじゃねえか」
「気持ちの問題、ポジティブにいこうよ。その方が人生楽しいよ」
「なんもねえところで転ぶ才能だきゃ負けるぜ」
以前はこけるたびべそをかいていたが、ピジョンも大きくなった。今は泣かずに耐えきれる。
跪いて靴紐を結び直すピジョンにうんざりし、ポケットから出したガムの銀紙を剥き、くちゃくちゃ咀嚼する。
鼻の頭を赤くしたピジョンが物欲しげに尋ねる。
「何味?」
「コーラ」
「ちょうだい」
「今のが最後の一枚」
「そっか」
気分を切り替え空を仰げば、リンゴによく似た雲が漂っていた。
名案が閃く。
「どっちが多く食べ物っぽい雲見付けられるか競争しない?」
スワローが息を吹き込んでガムを膨らます。限界まで膨張したのち弾け、口元にへばり付く。
それを摘まんで剥がしながら退屈そうに聞く。
「勝ったら何くれる?」
「え?」
「まさか見返りも用意せず勝負吹っかけたのか、ご褒美なきゃやる気しねー」
ガムを噛みながらごねるスワローの隣で考え、人さし指を立てる。
「俺が褒めてやる」
「足りねえ」
「ギュッしてやる」
「……ふん」
風船ガムがパチンと弾ける。腕を回し肩をほぐす。
「のった」
「ヨーイど、待てよずるいぞ!」
「勝負にずるいもへったくれもねえ、とっとと来いよノロマな駄バト」
わかりやすくやる気を出したスワローに先を越され、ピジョンも駆けだす。
「チョコレート、パンケーキ、ジェリービーンズ、ハンバーガー」
「ちょっと待てずるすんな」
「言いがかりよせよ」
「パンケーキとハンバーガーは一緒だろ」
丸く膨らんだ雲をさしたのち、そこから少し離れたやや平べったい雲に指を移す。
「あっちがパンケーキ、こっちがハンバーガー。同じUFO型でも微妙に形違うじゃんか」
「食いしん坊万歳のお前っきゃわかんねーよ」
「真ん中のレタスが見分けるコツ」
「縁がギザギザんとこか。俺もめっけ」
「なになに?」
「ぐるぐるキャンディ」
「あ~言われてみれば」
口の中に湧いた唾液を嚥下し、物欲しげに雲を見詰めるピジョン。
同じ朝黴色の瞳でもピジョンの目は世界のはじまりの朝焼けを、スワローの目は世界の終わりの夕焼けを映す。
兄の目にはこのろくでもないくそったれた世界が美しいものに見えてるに違いないと、スワローは常々思っていた。
「チェリー」
「骨付き肉」
「ドーナツ」
「ロブスター」
「ワニ」
「食べ物じゃない」
「食う気になりゃイケる」
「嘘だろ」
「味は鶏肉に似てんだと」
「アライグマ」
「ストップ」
「ワニがアリならアリだろ」
「じゃあてめえアライグマ食ったことあんのか、ケツ穴から串刺しにして炙んのか」
「~び、ビーバー」
「アライグマだって言ったじゃねえか」
「シルエットが似てて区別がむずかしいんだ」
しばらく雲の形をあてっこして時間を潰すが、スワローが動物を食べ物に含めるせいで混沌としてきた。
ピジョンが苦し紛れに声を絞り出す。
「うさぎ」
「相変わらず目が節穴だな、ありゃカンガルーだろ」
「うさぎだよ絶対、耳長いもん。カンガルーならお腹に子ども抱っこしてるだろ」
「ポケットん中に引っ込んでんだよ」
「屁理屈だ」
勝負の結果は引き分け。
兄のご褒美めあてにスワローが延長戦を提案する。
「より多くサボテンにしるしを付けた方が勝ちな」
「待てスワロ」
「ドン!」
またしても合図を待たず先んじて飛び出す。足の速さでスワローに劣るピジョンが、大袈裟に腕を振り追いかけてくる。お揃いのタグが軽快にはね、太陽の陽射しが降り注ぐ。
「一番乗り」
スワローがタグの角をサボテンに刺し、大胆に一本線を刻む。ピジョンも反対側のサボテンに辿り着き、タグで目印を付ける。
「負けないぞ」
しばらく夢中でのめりこむ。さすがにスワローは早い、うかうかしてるとまた負け越す。
あせって周囲を見回すピジョンの視界に、妙なものが飛び込んできた。
「おいスワロー」
「降参?」
「違うあれ」
声に応じて顔を上げ、地面に掘られた巣穴に気付く。ぴんと伸びた長い耳が覗き、野生の兎が顔を出す。
鼻をヒク付かせあたりを警戒する兎に、動物大好きなピジョンは相好を崩す。
「可愛いなあ。抱っこしたい」
「太っててうまそうだな」
スワローが独りごち、ピジョンが表情を消す。
「食べるの?」
「前に母さんがショットガンで撃ったじゃん」
「捌くところは見てない」
血とスプラッタが大の苦手なピジョンは、母が兎の毛皮を剥いで調理するあいだ枕に顔を埋めていた。
「うめえうめえ言いながらシチューたいらげたの忘れたとは言わさねえぞ、おかわりまでしたくせに」
頼りない兄に代わり、下ごしらえを手伝ったスワローが不満をこぼす。
嫌な予感が過ぎる。
きょうだいの会話に身の危険を察した兎が素早く引っ込み、ピジョンが安堵の息を吐く。
問題はその日の夜。同じベッドで背中合わせに寝たスワローが、唐突に言い出した。
「明日早えぞ、準備しとけ」
「何するの」
「うさぎ狩り」
やっぱり。
巣穴を発見した時から嫌な予感はしていた。ピジョンは寝返りを打ち、説得を試みる。
「考え直せスワロー、あんな可愛い兎を狩るなんて鬼畜の所業俺には絶対無理だ。教会の十字架におしっこかける方がマシ」
「ばちあたりなたとえ。育ち盛りは肉食わなきゃ体できねえぞ」
「お前が食べたいだけだろ」
「来る日も来る日も缶詰で飽きたよ」
「俺のパンケーキじゃ不満?」
「生焼けだし」
「それはごめん」
「テメエも肉恋しいだろ」
「うっ……」
スワローが寝返りを打ち、言葉に詰まるピジョンに額を合わせてきた。
「賞金稼ぎ目指すんなら今から狩りの経験積んどけ、毎日しこしこ磨いてるスリングショットの持ち腐れだ」
「やらしい言い方するな」
弟の手がシャツの上からピジョンの肌をまさぐり、股間をもみほぐす。
「っ、やめ、ぁ」
「返事はオーケーだけ。オーケー?」
恥辱に顔を染めて頷く。どのみちコイツは一度言い出したら聞かない。
翌日はよく晴れていた。母は爽やかなブルーのサマードレスに着替え、息子たちを抱き締める。
「それじゃあ買い出しにいってくるわね。変な人が来ても付いてっちゃだめよ」
「変な人ってお客さん?」
「女子どもをねらった人さらいが横行してるらしいの、怖いわねえ」
眉をひそめ取り出したのは街で撒かれたビラ。犯人の人相描きに合わせ、被害者の情報が載せられている。
「二人でお留守番平気?」
「まかせといて、コイツの面倒はちゃんと見る」
「どっちが」
普段の買い出しはピジョンとスワローが交代で行く、母自ら出向くのは珍しい。息子たちの身を案じているのだ。
本音を言えばトレーラーハウスを空けたくないが、そろそろ買い足しにいかねば食糧が尽きる。
「お客さんには居留守使ってね」
「外で遊ぶのは?」
「遠くまで行かないでね」
十メートルごとに立ち止まっては振り返り、名残惜しげに手を振る母に手を振り返す。
「ふたりともー愛してるわよー」
「俺もだよー母さんー」
間延びした声叫び交わす様子にスワローが舌打ち、ソプラノの歌声が聞こえなくなるのを待って握り潰したビラを捨てる。
「とっとと行くぜ」
弟が捨てたビラを平手で伸ばし、きちんと折り畳んでポケットにしまいこむ。
あとでちゃんと読もうと心に刻むピジョンをよそに、スワローは兎狩りの成否で頭が一杯だ。
昨日見付けた巣穴付近に戻り、サボテンの後ろにしゃがんで見張る。
「暇だね」
「そうだな」
スワローが正面に顔を固定したまま呟き、新しいガムを口に放り込む。
「昨日食べたので最後じゃ」
「一日三枚っきゃ食わねーことにしてっから」
「ずるいぞ」
「力ずくで奪ってみろ」
ピジョンのおねだりに挑発で返し、目の端で様子をうかがえば、あからさまにしょんぼりしていた。
「卑しいヤツ」
「お腹減ってるんだよ。お前が早く行こうって急かすから朝はトースト一枚っきゃ食べてないし」
空気を読んで腹が鳴り、ピジョンが赤面する。
「こっちむけ」
肩を突付かれ、振り向いた拍子に唇が被さった。
「むッ、ぐ!?」
器用に蠢く舌が押し出すガムを思わず嚥下、咄嗟にスワローを突き飛ばす。
「馬鹿っ、飲んじゃったろ!」
「てめえが欲しがったんだろ」
「キャンディやジェリービーンズはともかくガムはやめろ、感触がもにゅっとして気持ち悪い」
「人の親切足蹴にしやがって」
ぺっぺっと唾を吐き、口を拭って憤るピジョンの横でスワローがむくれる。
刹那、目の前の巣穴から一対の耳が覗く。
「今だ!」
最初に動いたのはスワロー。スライディングで襲いかかるも紙一重で空振り。
スワローの突撃を躱し、凄まじい瞬発力で跳躍した野兎がまっしぐらに向かってくる。
灰褐色の毛皮に包まれた愛くるしい兎の瞳が、しどろもどろ慌てふためくピジョンの顔を映す。
もたもたしてたらどやされる。やけっぱちで目を瞑り両手を振りかざす。
「うわっ!」
「馬鹿野郎!」
勢い余ってすっ転ぶ兄を罵倒し駆け寄るスワロー、右手には石。尻餅付くピジョンの眼前、仕留め損ねた獲物の残像が二手に分かれる。
「え!?」
我が目を疑い瞬くピジョンと対照的にスワローは即反応、弧を描くように反対側に走りながら叫ぶ。
「コブ付きだ!」
先頭をひた走る親兎の背に隠れ、気付くのが遅れたが、後には子兎が二羽続いていた。
「俺はでけえほうを」
「えっ、えっ、えっ?ちょっと待て、おいてくなスワロー!」
「ドジでノロマな兄貴でもちびなら殺れんだろ、頼んだぜ」
むなしく手を伸ばす兄をまるで顧みず、スワローは兎を追いかけ行ってしまった。
荒野のただ中に一人取り残されたピジョンは、生唾を飲んで右手のスリングショットを構え直し、ジグザグに走る子兎たちに狙いを定める。
まだ小さい。きょうだいだろうか?母親と同じ灰褐色の毛並みをしている。
こちらを振り返り逃げてく様子が哀れを誘い、顔が歪む。雑念が脳裏を巡り、小石を番えたゴムを引っ張る手がぶれ、紙一重で狙いを外す。
再挑戦。子兎たちはめまぐるしく位置を入れ替え、未熟な狙撃手を翻弄する。
「ごめんよ」
スリングショットのゴムを放ち、小石を飛ばす。
また逸れた。素早い。
子兎が荒野に横たわる倒木に飛び乗り、長い耳を折って見詰めてきた。
「反則だろ……!」
無抵抗の小動物を狩りたてるなんて残酷なことできっこない、ましてや可憐なうさぎときた。
瀬戸際で知恵を絞り、倒木の側面に狙い定める。
倒木に当たって弾けた小石に驚き、子兎たちが全速力で走り去る。
猛烈な勢いで遠ざかる後ろ姿を見届け、ホッと息を吐くピジョンのもとに足音が近付いてきた。
「手ぶら?」
ぎくりとする。
「スワローこれは」
言い訳も聞いてもらえず、尻を蹴られて膝が泳ぐ。
スワローは片手に親兎をぶら下げていた。石ころが頭に命中したのか、既に絶命している。
「働かざるもの食うべからずってな」
「だって可哀想じゃないか、まだ小さいのに……弱いものいじめは好きじゃない」
スワローが吊るした兎から目をそらし、へどもど弁解するピジョン。終ぞ出番がなかったスリングショットをポケットに戻し、切実に懇願する。
「もう帰ろうよ、物騒だから遠出するなって母さんに言われたろ」
「母さん母さんうるせえよマザコン、手柄もってかれて悔しくねえのか」
スワローが強く肩を押す。
ピジョンが唇を噛む。
「そんなんで賞金稼ぎ目指そうなんざお笑いぐさだぜ、威勢がいいのは口だけか」
「無駄な殺しはしない主義だ」
「肉食いたくねーの」
「豆の缶詰残ってるだろ」
「肉食わなきゃ筋肉付かねーぞ軟弱ボーイ。んな細っけえナリでどうするよ、腕なんかぽきんて折れちまいそうじゃねえか」
「そもそも料理できるの?」
「母さんのやり方見て覚えた」
「病気もってたら大変だ、寄生虫いるかもしれないし」
「言い訳だきゃご立派だな」
スワローが耳をほじり、指に付いた耳垢を吹き飛ばす。ピジョンの目に大粒の涙が浮かぶ。
「ぐすっ……」
「子兎仕留めるまで帰ってくんな」
「昼ごはんは」
「手柄立てるまでお預け」
「無茶苦茶だ。ていうかお前が言い出したんじゃないか、俺は嫌だったのに」
「ごちそう持って帰ったら母さん喜ぶぜ」
「うっ」
「うさぎずくしの豪華ディナーであっと言わせてやりたくねえの?」
「……わかったよ」
とぼとぼ歩くピジョンをスワローが横柄に腕を組んで送り出す。
スワローの言い分も一理ある。
賞金稼ぎを目指すなら殺生に慣れねば身がもたない。
子兎さえ取り逃がす臆病な無能が、悪党を倒せるはずがない。
頭じゃ理解していても心が追い付かず、情けなさにまた泣けてくる。コートの袖で涙を拭い、序でに洟を噛み、きょろきょろ視線を巡らす。
「……ポークが入ってないビーンズだっておいしいのに」
恨みがましく呟いた矢先、場違いな車のエンジン音が響き渡った。振り向いたピジョンは、ゴツいジープの運転手が、スワローに何か話しかけている現場を目撃する。
「街の人……ううん、よその人かな」
街の住人がピジョンたちに声をかけるとは考えにくい。会話の内容が気にかかり引き返す間際、運転手の顔にデジャビュを感じた。
慌ててビラを取り出し文章を読む。町で目撃された人さらいの特徴と、運転手の外見が一致している。
「スワロー!」
心臓が強く鼓動を打ち、反射的に叫んで駆け寄る。窓から乗り出した運転手がスワローの細腕を掴んでぶら下げ、力ずくで引っ張り込もうとしている。
間違いない、誘拐犯だ。
「とっとと来いガキ!」
「離せクソペド!」
スワローが手足をばた付かせ暴れる。売り飛ばされた子供がどんな運命を辿るか、考えただけで恐ろしい。
ジープの横腹を滅茶苦茶に蹴り付け、運転手の顔面に唾を吐いたスワローに痛烈な平手打ちが炸裂する。たまらず兎を落とす。
「鄙には珍しい上玉だ、変態に高く売れるぜ」
運転手がアクセルを踏む寸前、スリングショットを構えて狙撃。ピジョンが放った小石は音速で宙を飛び、運転手の額に命中した。
「痛っでえ!?」
額から血を垂れ流す運転手、落下したスワロー。どちらを選ぶか迷うまでもなく、排気ガスをまともに受けて弟を支え起こす。
「大丈夫か、しっかりしろ」
「ッ……余計なことすんな、あんなの一人で余裕だった!」
ピジョンの腕を振りほどいたスワローが顔真っ赤で怒鳴り、悔しげに唇を噛む。
ピジョンはあえて否定せず、苦笑いで同意する。
「お前は強いもんね」
無事でよかった、本当に。スワローが俯き顔で声を絞り出す。
「道訊かれた」
「お約束の手口だな」
「やり返せなかったのは片手が塞がってたからで、それで」
「うん」
華奢な背中に腕を回す。
「怖かったろ。もうだいじょうぶ」
負けず嫌いな弟を辛抱強くなだめ、匂いと鼓動を移し落ち着かせる。細い手首に青痣ができていた。
あと一秒判断が遅れていたら、スワローは今ここにいなかった。
「……さらわれた子たち、無事見付かるといいな」
「ああ」
心の底から願い、祈る。
この時ばかりはスワローも憎まれ口を叩かず、兄の腕の中で素直に頷く。
仮に。
ピジョンの狙撃の腕がもっと良ければ、砂埃を蹴立て逃げ去る車の後輪を撃ち抜き、足止めできたかもしれない。
「スリングショットの特訓する」
「今もしてるじゃん」
「今よりもっと。夢の中でもやる」
誘拐犯を取り逃がした悔しさと無力感を闘志に代え、誓いのタグを握り締める。
「いい加減離れろ」
「ご、ごめん」
スワローが腰を浮かすのに続いて立ち上がり、近くのサボテンからちょこんと覗くお尻に困惑。
子兎きょうだいがかくれんぼしていた。
「……」
無垢な目が親の死体に注がれてる気がしたのは、感傷のせいだろうか。
運転手の時は撃てたのに、みなしごの兎を狩るのは抵抗を感じる。
「やれよ」
スワローが冷たく命じる。
「親を失った子兎なんざどのみち野垂れ死に、ここでとどめをさすのが優しさだろ」
「わかってる。わかってるけど」
力なくスリングショットを下ろす。
「……俺はめしぬきでいい。頼むスワロー、あの子たちは見逃してくれ」
狩られる兎でいるのが嫌なら狩る側に回るしかないにしても。
「母さん兎は自分がおとりになって子供たちを逃がしたんだ」
最初に母が犠牲になった。次は兄が弟を庇い射線を塞ぐかもしれない。
決意新たに深呼吸し、自分と同じ色の瞳を真っ直ぐ射抜く。
「お前と俺で最強の賞金稼ぎになるなら、|兎狩り《弱い者いじめ》なんかで威張っちゃだめだろ」
殴られると予感して目を瞑り、衝撃が訪れず不審に思い、戦々恐々瞼を上げる。
スワローがいない。
「帰るぞ」
「待てよ」
「駄バトに借り作りたかねえかんな。特別に分け前くれてやる」
今回だけだぞと念を押し、赤らんだ頬を伏せる。ピジョンは感極まって弟に駆け寄り、背中に抱き付いた。
「いちばんおいしいとこはお前にやる。全部食べていい」
「マジ?」
「兄さんに二言はない」
胸元の鎖を掴んで引き寄せる。
「じっとしてろ」
二回目のキスは鉄錆の味がした。殴られた際に口の中が切れたらしい。
「まずは一口味見」
「おまっ、」
唇を舐めて不敵に笑むスワローにあきれるやら照れるやら、大いそがしのピジョンの視界を子兎がはねていく。
|兎狩り《ラビットハンティング》には失敗したが、代わりに得たものは大きい。ピジョンは死角で十字を切り、子兎きょうだいの先行きに幸あれかしと祈った。
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