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Street performer
職業に貴賎はない。
才覚と才能にさえ恵まれれば然程骨折らずして丸儲けできるのが辻芸人の最大の美点だ。
「本当にやるのか、スワロー」
不安げな声を出すピジョンに対し、スワローは生意気に鼻を鳴らす。
「てっとり早く稼ぐにゃコイツだろ」
現在、母は体調を崩して寝込んでいる。娼婦の稼ぎが干上がれば食うにも困る有様だ。
無理を押して客をとろうとする母を二人して制した後、スワローが提案したのは辻で唄って日銭を稼ぐ計画だ。
芸は身を助くというが、なるほどスワローの歌唱力なら客を集めるのは楽勝だ。おまけに容姿もすこぶるいい。天が二物を与えて遠慮を抜いたらスワローができあがる。
思い立ったら即行動がモットーのスワローは、早速兄を巻き込んで準備を始めた。
もとより目的の為なら手段を問わない性格で、人前に出る事への恐れや羞恥心はない。見世物になることへの躊躇もない。
トレーラーハウスの手狭な生活空間、閉め切ったカーテンの向こうでは母が変な咳をしていた。
スワローはクローゼットを開け、母が大事にしている薄絹のショールを取り出し、肩に軽く羽織らせる。ドレッサーと向き合い、角度を変えてポーズを決め、口紅を引いていく。
「なんで女の子のかっこするのさ」
「そっちの方がウケがいいだろ」
世慣れた弟曰く、男の子が唄うのと女の子が唄うのでは倍ほど稼ぎに差が付くのだそうだ。
納得したようなしてないような表情で首を傾げ、スワローの髪を梳かすピジョン。モップのように跳ねまわったジンジャエールの髪を寝かせ、アイラインを整える。
もともと綺麗な顔立ちをしているので、薄化粧を施すだけで美少女に生まれ変わった。
「俺もなんかしたほうがいい?伴奏とか……缶や瓶叩くとか」
「黙って聞いてろ」
「ダンシングフラワーと一緒に踊る?」
「ぜってえやめろ、客がドン引く」
弟に無碍にされ憮然と口を尖らす。とはいえ、でしゃらばらないほうがいいとわかっていた。ピジョンは身の程を心得ている。
容姿や歌唱力では弟に到底かなわないし、下手にしゃしゃりでても足を引っ張るだけだ。
せめてお捻りの回収係は立派に務め上げようと決心し、ブラシをおく。
「どうよ」
「すごい可愛い」
自信たっぷりに振り向く弟の化けっぷりに、口を閉じるのも忘れて見とれた。コイツは宙返りをきめるツバメさながら、軽々とジェンダーを跨いでみせる。
ピジョンが靴磨きの際に用いる踏み台は中が空洞になっており、裏返せば賽銭箱に早変わりする。
それを小脇に抱え、女の子に化けた弟と一緒に街角に赴く。
片やぶかぶかのモッズコートとボロボロのスニーカー、片やワンピースにショールを巻いてざわめく雑踏をかいくぐり、簡単に打ち合わせをすます。
「いいか、俺が唄って注意を引くからテメェは最前列で見てろ」
「口上はいる?」
「練習じゃ噛み噛みだったくせに」
「本番はイケるかも。多分」
言葉とは裏腹に自信なさげに俯く兄に愛想を尽かし、さっさと一人で出ていく。慌てて後を追い、踏み台を裏返して設置する。
「これじゃなくてもよくないか。他にもあるだろ、使い走りとか空き瓶集めとか」
「ズボンの膝汚して靴磨きとか?ンなに他人に跪くの好きかよ」
「人前で唄うほうが恥ずかしくない?」
「だったら膝破けるまでやってろ。俺はやだね、見下されんのは」
「強情っぱりめ」
「どっちが」
兄の説得にいっかな耳を貸さず街角に立ち、喉の仰向けて音程を調整する。
容姿に惹かれてだろうか、まだ本番前なのに既に足を止める人がいる。
太陽を透かすジンジャエールの髪、長い睫毛で縁取られた綺麗なアーモンド形の瞳。
子供特有のあどけなさとコケティッシュな媚態が融和した存在感が、ただそこにいるだけでスワローを輝かせる。
ピジョンは声を潜めて尋ねる。
「何唄うのさ。讃美歌?」
「虫唾が走る」
スワローがさも嫌そうな顔をした。
「罰あたりだよ」
「リクエストもらえりゃ何でも」
「アンコールしていいの」
「せいぜい場を盛り上げろ、それが駄バトの仕事だろ」
「無茶いうなってば」
言い出したら聞かない弟の性格は痛感している、今回だってピジョンが渋るのを振り切って街頭に立った。まあ、ウリの真似事で小遣い稼ぎをされるよりずっとマシだ。
ここに来る前の忸怩たるやりとりを思い出す。
母の代わりにひと稼ぎしてくると飛び出しかけたスワローをとっちめたところ、案の定オーラルセックスを企んでいた。「同じ口で稼ぐなら歌にしろ歌に」と必死に頼み込んだ結果が今の状況なのだが、弟が見世物になるのは複雑な気持ちだ。
「……ごめんスワロー」
自分の歌が上手ければ弟に苦労をかけずにすんだのにと、情けなさで気分が沈む。
小さく詫びるピジョンの尻を蹴飛ばし、スワローが澄んだ声を張り上げる。
一瞬で空気が変わった。
それまで道端の小娘など眼中になかった通行人が歩調を落とし、スワローを囲む人垣を築く。
スワローはまるで気負いなく堂々と身をさらし、深呼吸で肺を膨らませ、伸びやかな歌声を解き放った。
声変わりをむかえてないソプラノには少女といっても通じる透明感が満ち渡り、それを浴びた人々が多幸感に酔い痴れる。
足でリズムをとる男がいる、楽しげに体を揺らす親子連れがいる、陽気に手を叩く物乞いがいる、その場にただ偶然居合わせただけの縁もゆかりもない人々が至福の一体感で繋がっていく。
ピジョンも自然と足踏みしてアカペラに合わせていた。
「わっ!」
人が増えるのに比例して肘があたり足を踏まれ、人ごみの外に押し出される。
「いてて……」
よろけて尻餅を付き、仕方なく物陰から見守ることにする。スワローが唄っているのはピジョンが名前を知らない曲だ。
ラジオで覚えたのだろうか、今度教えてもらおうと心に留めおいて一生懸命手拍子を送る。
もはや手拍子だけでは足りなくて、小声で歌を口ずさむ。
せめて心だけでも寄り添いたくて、空の高みに羽ばたきたくて、遠巻きに見守りながらスニーカーでタップする。
甘く切ない胸の疼きは弟が注目を独り占めしてるせいか、彼を横取りされた嫉妬からか、瞼がじんわり熱を帯びて哀しくもないのに涙がこみ上げてきた。
俺の弟はホントすごい。
絶対スターになれる。
この歌も手拍子も距離的にスワローに届くかどうか心もとない。されど願いが通じ、スワローが流し目を送ってよこす。手拍子は止めず微笑む兄に何故か軽蔑の表情を向け、朗々と唄いきった。
感激屋のピジョンが涙ぐむのをよそに、一曲唄い終えたスワローに惜しみない喝采とお捻りが飛ぶ。
息を荒げて気取った一礼をしたスワローが取り決め通りに指を弾き、我に返ったピジョンが慌てて駆け寄る。
「すいません、どいてください」
箱から溢れた硬貨や紙幣をモッズコートの裾に回収していく。しまいには箱で間に合わなくなり、直接裾を広げて受ける。
「ありがとうございます、こんなにたくさん、っわ!?」
ぺこぺこしながらお捻りをかき集めるピジョンの尻をスワローが蹴飛ばす。
「やば、待って」
一面にばら撒かれたコインを這い蹲って追いかけるピジョンをスワローが遮り、むすっとした顔で文句を言った。
「ちゃんと見てろよ」
「見てたろあっちで」
物陰を指さしてピジョンが訴えれば、スワローがいらだたしげに足踏みする。
「最前列で見やがれ」
「だって人いっぱいだし突き飛ばされて」
「ちゃんと聞いてた?」
「いい声だった。最高だった、感動した。これで満足かよ」
喧嘩腰に言い返して転がりゆくコインに手を伸ばせば、後ろ髪をかきあげたスワローがぶっきらぼうに「アンコールは?」と促す。
ピジョンは面食らった。
「……いいの?」
「気が変わる前にな」
やけに気前のいい弟に戸惑いながらも、結論はすぐにでた。
「お前の一番好きなので」
「俺の?お前じゃなくて?」
「お前が気持ちよく唄えるのがいい」
すっかり譲り癖が付いてしまったピジョンが面映ゆげに言えば、スワローは鼻白んで手をはなし、|God《ゴッド》を|Maggot《マゴット》にした、冒涜的な讃美歌の替え歌を唄いだす。
「やめろって馬鹿、神様をウジ虫呼ばわりなんかしたら天罰が下るぞ!」
ところが、これがウケた。
「コイツは傑作だ、|God《神様》が|Maggot《虫けら》に落ちぶれるとはな!」
「今の世の中どっちも似たようなもんだ」
恐れ知らずにも爆笑する聴衆からたんまりお捻りをせしめ、用は済んだとスワローが退散していく。
「待てよスワロー、わわっと」
蹴っ躓いてこぼした小銭をまた拾い、辛うじて弟に追い付き、困り眉で息を切らす。
「なんで怒るのさ、ウケたのに。みんな喜んでたじゃないか」
「誰かさんはよそ見してたろ」
「耳の穴は詰まってない」
「そろいの節穴だ」
何だ一体。わけがわからない。
コートの裾をたくし上げたままとぼとぼ付いていき、弟の機嫌をとる為、小声でハミングしてみせる。
なのにスワローは振り向きもせず、へこむ。
「だって仕方ないじゃないか。人いっぱいいたし、俺は裏方だし、コートもスニーカーもボロボロだし。お捻り集めるのに手一杯で後半は手拍子忘れてたけど」
加速度的に罪悪感が募り行き、遂には黙り込んでしまった。理由はどうあれ約束を破った自分が悪い気がしてきた、強がってるけどスワローはまだ子供、ひとりで唄ってる間中心細かったに違いない。
兄さんの俺がちゃんと付いててやらなきゃいけなかったのに、寂しい思いをさせてしまった。
しおたれたピジョンを冷たく睨んで、さらにスワローが追い討ちをかける。
「最前列にいろって言ったよな、脳カラ」
「……アンコール、まだイケる?」
「店じまいだよ」
「やっぱり」
がっくり肩を落とすピジョンに流し目を送り、スワローが不満げに下唇を突き出す。
「一等好きな歌はピンじゃ唄えねーよ」
「え?」
再び顔を上げると既にスワローは遠ざかっていた。
ピジョンは首を右に傾げ、今度は左に傾げ、コートの裾をからげたままもたもた走っていく。
「お前……俺と一緒がいいの?そーゆーこと?」
「るっせえ」
「顔赤いぞ」
大勢の前で唄っている時さえ照れなかったのに、今は非常にきまり悪そうな横顔をチラ見し、少しだけ調子に乗ることを自分に許す。
「冒涜的 じゃない讃美歌なら一緒に歌ってやってもいいけど」
「引っ込め音痴」
「二度とアンコールなんてしないからな!」
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