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第2章 ハイリスク・ハイリターン(2)
* * *
「マリリン、本当にこのままで良いのか!?」
激しく雪が吹きつける険しい山肌を、ロディとマリリンは、腰まで埋まって上へ上へと登っていた。
キトゥンは、ロディが背負ったレスキューキットのリュックの中で、頭だけを出してダァダァと機嫌よく声を上げている。身体中が毛に覆われている為、寒さは微塵も感じていないようだった。
二人は上着のヒーターをフル稼働させて、何とか寒さをしのいでいた。
「ええ。脱出ポッドの不時着位置まで追跡されてるかどうか分からないけど、街におりたら、キトゥンのお母さんみたいに、暗殺されかねないワ」
「でも、本当にあんのか? イエティの集落なんて」
「ある筈よ。無謀な登山者の0.9%が、頂上付近で生物の声を聞いたって言ってるもの」
「動物かもしれねぇだろ」
「でも三人は見てるのヨ。人影を。キトゥンが何よりの証拠だワ」
「百年で三人だろ。……凍死か。まぁ、悪くはねぇ死に方だな」
「縁起でもない事、言わないで頂戴。アタシは長生きする気満々ヨ! 可愛いお婆ちゃんになるんだから!」
マリリンはぶるりとひとつ身を震わせて、コートに積もった雪を払い落としてから、先の見えない白い世界に目を凝らした。
ロディは、『お婆ちゃん』の言葉に突っ込みも入れられないほど、疲弊しているようだった。
「絶対あるワ。それに、キトゥンがいるもの。キトゥンは、ブラックレオパード号が狙い撃ちされる前、泣いて危険を知らせてくれたの。キトゥンさえいれば、アタシたちは助かるワ……!」
自分に言い聞かせるように呟いて、二人は何処までも続く白い山肌を登り続けた。
* * *
惑星デデンの地下コロニー内、人工の日の出が空を燃やすレトロな室内で、アーダムはいつもより三時間は早く起き、大統領の大きなデスクについていた。
全てがシンプルで機能的になった現代において、家具は、最高級の手仕事の刺繍や彫刻が施された、十九世紀地球を思わせる内装だった。
ノックの後、一人の恰幅のいい女が入ってきてボソボソと報告をする。
「レムズ大統領。ミサイルの発射記録を、隕石衝突事故に改ざんしました」
「うむ。それで良い。全く……あれに連邦標準語を理解する知能があったとは、誤算だったな。便利屋なんて、何て厄介なものを呼んでくれたんだ」
「お言葉ですが」
アーダムより幾分か若い中年の秘書は、慇懃な目つきと声音で言い置いた。
「元はと言えば、大統領の物好きから出たサビにございます。これ以上の干渉は、悪い結果を招く事になるかと……」
「分かっている。で、殲滅は出来たのか」
「脱出ポッドが二機、高山の頂上付近に射出されていますが、あの寒さです。凍死か餓死するでしょう」
「ふむ……逃げられたか。でもそうだな。脱出ポッドのレスキューキットは、せいぜい二週間だ。下山する途中で、死ぬだろうな」
アーダムは、有権者にはけして見せない、下卑た笑みを浮かべた。
「私は、あと二期は大統領をやれる。こんな事くらいで、地位を失ってなるものか」
「わたくしどももそのつもりですので、どうか、慎んで頂きますよう」
「ああ。あれは、なかなかに面白いオモチャだったがな」
「大統領……!」
「分かった分かった。寝直すとする。今日は貴重な休日だっていうのに、全く、災難だ……。もういい、さがれ」
「は。大統領」
秘書は落ち窪んだ目で目礼して、部屋を出て行った。
* * *
「キャッ!」
「……マリリン!」
先を歩いていたマリリンが、突如姿を消して、ロディは慌てた。
まるで吹雪にかき消されるように視界から一瞬にしてフレームアウトして、ロディは立ち止まって名を呼ぶ。
「マリリン! マリリン!!」
だが、返事は返らない。
この場から動いては、事態を悪化させるだけだろう。
そう思ったロディは、たった今までマリリンが立っていた、雪の山肌を手探った。
思った通りだ。スレンダーなマリリン一人分の小さな穴が、雪面に開いていた。
覗き込むが、中は暗くてよく見えない。返事がないという事は、気を失うだけの深さがあるのだろう。
「参ったな……マリリン! 聞こえるか!!」
その声がクレバスに反響する。ロディは、最悪の事態も考えていた。
落ち着く為、いったんその場に胡坐をかいて、どうしたものかと考え始めた。
その時。リュックの中のキトゥンが、ごそごそと身じろいだ。
「ア……マ……」
ロディはリュックをおろして、前に抱えてキトゥンの真ん丸の無垢な瞳と、グレーの瞳を合わせた。
「キトゥン、すまねぇな。マリリンが落ちた。こっから動けねぇ。お前だけでも助けてやりたかったが……すまねぇ」
するとキトゥンは、自分でリュックの口を押し広げて、これも白い綿毛に覆われた小さな手でロディの頬に触れた。
「マ……リィ……」
「そうだ。マリリンだ」
一度ゆっくりと瞬いて、キトゥンは次の瞬間、高く鳴いた。
――ホーウ。
それはまさしく、ホログラフ映画で観た事のある太古の猿の吠え声だった。
「キトゥン……」
しばらくは暖かなキトゥンの手の感触に、この世の名残を数えていたロディだったが、不意に遠くから返事がした。
――ホーウ。
キトゥンが返す。
――ホーウ。
――ホウ、ホーウ。
――ホーウ。
あっという間に、視界の悪い周囲を、吠え声に囲まれていた。
気付かなかった筈だ。白い山肌に白い毛皮のイエティたちが、いつの間にか周りを取り囲んでいるのだった。
「イエティ……! キトゥン、お前が呼んでくれたのか」
――ホウ。
――ホーウ。
しきりにイエティたちと鳴き交わしていたキトゥンだったが、やがてロディの頬をぺたぺたと叩いた。
それはまるで、「大丈夫」と言っているようだった。
音もなくイエティたちが近付いてきて、ロディの抱えたキトゥンの頭を代わる代わる撫でた。グク、と甘えた鳴き声を上げて、キトゥンは笑う。
そして身軽にクレバスに一人が入っていくと、ややあって、マリリンの巻いた赤毛が覗いた。
「マリリン!」
下から押し上げるイエティを手伝って、ロディは上からマリリンの腕を引っ張った。
地上にいるイエティたちも群がってきて、吠え声を上げながら一緒に引っ張る。
「よし、もうすぐだ! 頼む!」
未知の人類に対する恐怖など、ロディは微塵も感じていなかった。『仲間』として、懸命にマリリンを引き上げる。
雪面にぐったりと横たわったマリリンの身体の無事を確かめていると、イエティたちもそれを中心に輪を作って、心配そうにその行為を見守っていた。
「何処も、折れたりはしてねぇみたいだな……。畜生、船医のお前がこれじゃ、治療のしようがねぇ……」
途方に暮れるロディだったが、
「ア……ア!」
とキトゥンに頬を叩かれ顔を上げると、獣の皮と木で作られた、ソリのようなものが引かれてくる所だった。
「こいつぁ、驚いた……」
雪猿というくらいだから、野生動物に近い存在だと思っていたが、紛れもなくそれは加工されたソリだった。
そして一人が、吠え声とは違う、異国語の響きで話してソリを示す。
「恩にきるぜ。マリリン、助かるぞ……!」
そう言ってロディは、マリリンを抱き上げてソリに乗せた。
四方に伸ばされたロープをイエティたちが代わる代わる引っ張って、疲れ切って足の遅くなったロディを振り返っては歩幅を合わせて、山頂へと導いた。
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