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第2章 ハイリスク・ハイリターン(1)
「う……」
ラドラムは、寒さに震えて目を覚ました。革ジャケットの温度調整センサーが壊れたらしい。
一瞬、状況が理解出来ず視線を彷徨わせる。目の前には、タッチパネル。
だがそれは、いつもラドラムが足をかけていたキャプテンシートの前の広いタッチパネルではなく、必要最低限のボタンしか備わっていない窮屈で簡素なものだった。
「いて……」
右目の上に血液が流れて固まり、視界を赤く染めていた。それを注意深く剥がして、ようやく事態を思い起こす。
「アーダム……なんて奴だ。力づくにも程がある」
ブラックレオパード号には、一人乗りの脱出ポッドと二人乗りの脱出ポッドがそれぞれ二機、搭載されていた。
これは……二人乗りか? ラドラムは考えながら、狭くて薄暗い空間で何気なく隣を見て、ぎくりとした。
「だ……誰だ?」
思わず、独りごつ。
右隣のシートには、ラドラムの方に頭を倒して気を失っている、見知らぬ青年がシートベルトをして座っていた。
混じりけのない純粋なストレートの黒髪は珍しく、世が世なら何処かの貴族か王族か、とラドラムは考えずにいられなかった。
記憶を辿ると、艦橋が破壊され、気を失った所までしか覚えていない。
自動で出されたSOS信号を傍受して、近くの船から助けに来てくれたのだろうか。
タッチパネルを見ると、安全にデデンの山の上に不時着できるよう、計算された痕跡があった。
現在地は、標高およそ一万二千メートル。スクリーンをオンにすると、朝焼けの近付く仄暗い木立が見て取れた。
「森の中か……助かった。地上から狙い撃ちされない」
だがこの青年は、なぜレスキューの来やすい街外れでなく、高山の上に脱出ポッドを不時着させたのだろう。
まるで、一行の事情を理解しているようだ。クルーの、二人と半分から話を聞いたのだろうか。
考えていても始まらない。何より、身体が冷え切っていた。レスキューキットを開いて、アルミブランケットにくるまりたい。
ラドラムはそう思って、シートベルトを外した。
そして、メインコンピューターはおそらく破壊されただろう、プラチナに向かってウェアラブル端末に声をかけた。
せめて、記憶メモリーだけでも生きていれば。ボディは幾らでも換えがきく。
「プラチナ」
途端、隣の青年の指が、ピクリと動いた。僅かに痙攣するように頭が震え、ゆっくりと顔を上げる。
「気付いたか」
「はい、ラドラム」
開かれた瞳は、銀色の人工眼球だった。アンドロイドの擬似人間化は進み過ぎていて、人間と区別をつける為に、敢えて機械的な人工眼球にする事が義務付けられていた。
「お前、アンドロイドか。ひとまずは、命の恩人だな。礼を言う。何故、俺の名を知っている?」
まだ人類が地球だけに住んでいた頃、遥か昔にアシモフの考えたロボット三原則はいまだに生きていて、ラドラムはこのアンドロイドはそれに反応して助けにきてくれたのだと納得していた。
だがアンドロイドは、心配げに表情筋を動かして、ラドラムの顔を覗き込む。
「ラドラム、頭を打って、記憶をなくしましたか。私です」
驚いたのはラドラムだ。このアンドロイドのA.I.は、随分と長い事『学習』をしてきたらしい。
瞳が人工眼球だという所以外、表情や仕草に、アンドロイド特有の無機質さは感じられなかった。
「お前、俺を知っているのか? 悪い、覚えていない」
「そうですか……」
アンドロイドは心底悲しそうな顔をして、だが自分の事はかえりみず、素早くシートベルトを外すとそっとラドラムの頬に触れた。
「寒いのですね、ラドラム? 体温低下、震えています」
「ああ。悪いが、レスキューキットのブランケットを出してくれないか?」
「分かりました。待っていてください」
脱出ポッドには、二週間はサバイバル出来るだけのレスキューキットが装備されていた。同乗者がアンドロイドとなれば、単純に四週間は持つ。
アンドロイドは甲斐甲斐しく、アルミブランケットでラドラムを包んで、身を寄せる。
「ヒーターモードに入ります。寒ければ、私に触れてください」
「有難い」
ラドラムは、暖かいアンドロイドを抱き締めた。彼は、大人しく腕の中におさまって、何か考えるような顔つきをしていた。
「……何、考えてる?」
思わずそう聞いてしまうほどの自然さだった。
「貴方の身体の事と、クルーの不時着位置、彼らが助けにくるまでの日数を計算しています。ラドラム、頭の傷はもう癒着していますが、痛みますか? 必要なら、手当てをしますが」
「いや、必要ない。それより寒い。もう少し、こうしていてくれ」
そして、返事の返らなかった愛しいひと を思い、ぽつりと呟いた。
「……プラチナ……」
すると、腕の中で嬉しそうな声が上がった。
「はい、ラドラム。思い出しましたか?」
「あ? 何でお前が返事するんだ」
「そうでした。この姿で会うのは、初めてでしたね」
腕の中で向き直って、アンドロイドは、ラドラムのフォレストグリーンの瞳とメタリックに光る人工眼球を合わせて囁く。
「私です。プラチナです」
その言葉に、ラドラムは数瞬言葉を失った。人間、驚くと本当に開いた口が塞がらなくなるものだ。
「……なっ……」
「船では、この声色で話していましたね、ラドラム。これで分かって頂けますか?」
目の前のメールタイプ・アンドロイドの唇から、愛するプラチナの女声が飛び出して、ラドラムはその違和感に、ゾッとして飛びのき狭いポッドの内壁に頭をぶつけた。
「いてっ……」
「大丈夫ですか、ラドラム。すみません。驚かせてしまいましたね」
ぱくぱくと口を動かすが言葉の出ないラドラムに変わって、プラチナが言葉を推測変換して答えた。
「……ど……」
「『どうして?』。はい。貴方が三歳の誕生日に、ミハイルに『お母さんが欲しい』と言ったので、ミハイルは私の音声をフィメールタイプに切り替えました」
「……いっ、いっ……」
「『今まで、ずっと』。はい、ラドラム。ミハイルは、貴方の願いを叶えたのです。彼からメールタイプに戻すよう命令されていないので、今までずっとこのままでした」
「じゃ……おま……本当に……」
「はい、プラチナです。良かったです、ラドラム。人間の脳は繊細ですから、私の事を忘れてしまったのだと思うと、寂しかったです」
プラチナは、儚く薄っすらと微笑んだ。ラドラムの愛する声をして。
驚きから、急速に消沈に表情を変えるラドラムを見て、プラチナは心配になって声をかけた。
「ラドラム。どうしまし……」
「やめろ」
強い口調で、ラドラムは遮った。
プラチナは、ラドラムの心をはかる術を持たず、人工眼球の目を瞬かせる。
「その声で、もう話すな。それは、俺が愛してた女の声だ。お前じゃない」
命令通り、プラチナは男声に戻って、戸惑ったように呟く。
「ラドラム。愛してた、と言いましたか。私は今でも愛しています。このボディがいけませんか? では、今回の仕事が済んだら、元のボディを復元してください」
睨むようにプラチナを強く射竦めていたラドラムの瞳が、たっぷり十秒はあって、ふっとうな垂れた。
「……いや……お前は、命の恩人だ。お前が悪いんじゃない。誰も悪くない……」
そう言って、まだ寒さに震える腕で、暖かいプラチナを抱き締めた。
「……プラチナ」
「はい、ラドラム」
「そうなんだよな。お前なんだ、プラチナ……」
「……それは、独り言ですか、ラドラム」
「ああ。答える必要はない。……夜明けまで、もう少し眠る。暖まるまで、このままでいてくれ……。おやすみ、プラチナ」
「おやすみなさい、ラドラム」
条件反射で、その言葉を聞くとラドラムは眠りに落ちた。
プラチナは、いつもの「愛してる」の言葉がないのは、やはりラドラムがこのボディを気に入らないのだと思って、物憂げな表情のまま、眠る彼に寄り添った。
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