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第5章 人間狩り(5)

    *    *    * 「痛い! もっと優しくおし!」 「お静かに、ミス・ウェール。最大限の注意を払っています。ですが、強化ガラスの欠片が太ももに幾つか刺さっていますので、少々痛みます」  何かする度に喚くリィザに、男性看護師(ナース)は、もはや呆れかえって治療していた。場所は、廊下のままだ。  夕方になって治療の順番が回ってきた時、ナースはまずその事に、大量のクレームを浴びせられていた。  重症患者でベッドがいっぱいな事を三十分ほどかかってようやく納得させ、擦過傷の治療をしているのだった。  リィザは、金に飽かせて身体整形を繰り返し、上から九十九・五十八・八十七のダイナマイトボディを、真っ白なホルターネックのボディスーツとニーハイブーツに包み、肉感的な太ももはむき出しだった。  その為、傷は腕と太ももに集中していたが、ラインを維持する為の頑丈なボディスーツに守られた身体は、無傷で済んでいた。 「あたしのドクターは何処だい? それと、バトラー! 痛いっ!!」 「お静かに。貴方はお屋敷の地下に居て、運が良かったんです。隕石の一つは、貴方のお屋敷を直撃したそうですから。使用人の方々は、殆どお亡くなりになりましたよ」  気の毒そうにナースが言ったが、リィザの怒りは頂点だった。 「何だい、高い給料払ってやってるのに、あたしに断りもなく、勝手に死ぬなんて! どういう事だい! ええ!?」  眼光鋭いアンバーの猫目を更に吊り上げて、ナースの白衣の胸倉を掴むに至っては処置なしで、太ももに被覆テープを巻き終えると、 「あとは一日に一回、被覆テープを巻き直すだけで結構です。他の患者さんが来ますので、場所をあけてください」  と、ガタイのいいナースに無理やり立ち上がらせられ、杖を一本渡されて玄関の外に放り出されてしまった。 「ちょ、ちょいと、どういう事だい! あたしゃ怪我人だよ!」 「現状では、怪我の内に入りません。お引き取りください。一人くらい、被覆テープを変えてくれる使用人の方が居るでしょう」  リィザはまた顔を真っ赤に(いか)らせて、去っていく白衣のその背中を睨み付けていた。 「あたしゃ、リィザ・ウェールだよ! こんな病院、潰してやる! 覚えておいで!!」  誰にも相手にされないなんて、生まれて初めての経験だった。  資産家の家に遅く生まれた一人娘で、蝶よ花よと育てられ、両親が亡くなったあとも二百人を超える使用人に囲まれて、贅沢三昧の暮らしだった。  周りを見回しても怪我人が転がり病院関係者が忙しく走り回っているばかりで、リィザの事を誰も気にかけていない。  ウェアラブル端末でホバー・タクシーを呼ぼうとしたが、一向に通信は繋がらなかった。  仕方なく一歩を踏み出そうとして、味わった事のない苦痛を感じ、リィザは声を張り上げる。 「ちょいと! 一万連邦ドル払うから、誰かあたしを宇宙港まで連れてっておくれ!!」  それでも、隕石が屋敷を直撃しては、戻っても誰も居ないだろうという思いは働いて、専用機のある宇宙港を目的地にするだけの知恵はあるようだ。  だが寄ってきたのは、火事場泥棒みたいなボロボロの風体の男が一人だけだった。 「へへ……そりゃホントか?」  リィザの顔を知らないとは、このコロニーの者ではないのだろう。 「うっ……」  伸ばし放題の髪に髭、近くに来ると、ろくに風呂に入っていないような異臭がした。思わずリィザは、片手で鼻を覆う。 「あんたを宇宙港まで連れていけば、一万連邦ドルくれるのか?」  黄ばんだ歯を見せて、不潔な男が笑う。  リィザはきょろきょろと辺りを見回したが、病院関係者以外で他にまともに動けるのは彼だけのようだった。  リィザは鼻を塞いで顔を背けたまま、不快そうに呟く。 「う……仕方ない……。タクシーを拾って、ここまで連れてきとくれ。金は、後払いだよ」 「へへ、待ってな……」  男は、病院前の大通りを、宇宙港の方へ歩いていった。  ぽつんと、リィザは取り残される。これだけは生まれつきの美貌を誉め称えてかしずく男たちも、揃いの服に身を包んだ二百人を超える使用人たちも、何処を見ても居なかった。  きっと、これは夢だ。そう、悪い夢。リィザは半ば本気でそう思って、ひとつ瞑目して俯いた。  その瞼に、明るい光が差し込んでくる。やっぱり夢だった!  目を覚ましたリィザが見たものは、ライトをつけた一台の個人ホバー・タクシーから降りてくる、先の不潔な男だった。ガッカリはしたが、これでひとまずは宇宙港に行ける。  全てを金で満たしてきたリィザは、男の生臭い匂いも我慢して、肩を借りてホバー・タクシーに乗り込んだ。 「第一宇宙港まで行っとくれ」 「これは、ミス・リィザ・ウェール……!」  運転手がモニター越しに、目を丸くしていた。 「そうさ。あたしゃ、リィザ・ウェールだよ。あたしを乗せたなんて、初めてのタクシーさ。ハクがつくだろ?」  いつもは、運転手付きの高級ホバーカーで、タクシーに乗るのなんて初めてだった。  運転手はニッコリと愛想笑いして、ハンドルから手を離し揉み手しかねない勢いで言葉を紡ぐ。 「そりゃあもう……。ミス・ウェールを乗せたタクシーなんて、多分、私が最初で最後です」  運転手のお喋りは止まらず、マシンガントークでリィザを誉め称えながら、宇宙港へ向かう。リィザは、幾らか気分がよくなっていた。  タクシーの空気清浄機をフル回転させて、男の匂いはマシになったし、自分の値打ちを高めてくれる、信奉者も居る。  宇宙港近くまできて、リィザが豊満な胸の谷間からマネーカードを出して、チップも込みで五千連邦ドル支払おうとすると、運転手はニコニコと笑みを湛えて言った。 「マネーカードでお支払いですか? でしたら、いったんお預かり致します」 「俺が支払ってやるよ」  隣に座った男が言ったので、リィザは機嫌よくマネーカードを手渡した。  少々不潔だが、こいつを風呂に入れて使用人服を着せれば、当分の間は困らないだろう。 「暗証コードをお伺いします」  運転手が笑みを浮かべたまま言った。  タクシーは初めてだったから、そういうものだと思って、リィザは二十四桁の暗証コードをスラスラと紡いでみせた。  宇宙港を前にして、タクシーが急停車する。その乱暴な運転に、リィザがクレームを入れようと顔を上げる前に、タクシーのドアが自動で開いて、約五十センチ下の地面に叩き落とされた。 「痛いっ!」  何が何だか分からなかった。 「げへへ、ありがとよ、美人のおばさん。金は二人で山分けするから、一度貧乏人の気持ちを味わってみるんだな」  閉まりつつあるドアから、男の下卑た笑い声がして、ホバーカーは再び舞い上がった。  おりしも外は、ぽつぽつと雨が降り始めていた。リィザは今まで一度も雨に当たった事がなかったから、肌を刺す冷たい刺激に驚き、怯え、震える。  ――騙された!!  気がついたのは、しばらくしてからだった。  口座を止めようと手首のウェアラブル端末を見たが、車から落ちた時に持っていた杖に当たったらしく、粉々に砕け散っていた。  ずぶ濡れで、リィザは赤ん坊の時以来、大声を上げて泣いた。宇宙港まではあと少しだったが、痛む太ももを抱えて歩くには、あまりにも遠い距離に思われた。  健康の為にする散歩さえ、リィザは屋敷の広大な敷地内で済ませ、外を歩いた事などない。  そこへ、一台の古びたホバーカーが通りかかった。 「助けて!!」  初めて言った言葉だった。  幸い低空飛行だったホバーカーが、リィザに気付いて降りてくる。  運転席のドアが開いて、苦みばしった壮年の男が降りてきた。 「大丈夫か? 怪我は?」 「今、病院からここまで来た所さ。あんた、宇宙港にあたしの船があるから、そこまで乗せてくれないかい? 一万連邦ドル払うから」  リィザは、いざという時の為に、口座を幾つも持っていた。  だが男は、驚いて目を丸くする。 「いや、金なんかいいよ。宇宙港に自分の船があるんだな? じゃあ、そこまで送ってやる。ああ、ずぶ濡れじゃねぇか……寒いだろ。これ着な」  男は、自分の着ていたジャケットを脱ぐと、リィザの肩にふわりと羽織らせた。温度調整センサーが即座に働いて、冷えた肌を暖めてくれる。  リィザは、生まれて初めて『無償の親切』というものを受けた。  土砂降りになった雨の中、自分が濡れるのも構わず、リィザと同じか幾つか下くらいの男が、地面にへたり込んでいる彼女に手を差し出してくる。リィザは、何故か心拍数が上がるのを意識した。 「……気に入ったわ」  男の手を借りて立ち上がりながら、リィザはポツリと呟いた。 「ん? 何か言ったか?」 「いえ。何でもないわ」  この世に、金を払わなくても、仕えてくれる男がいるなんて。 「ラド! 怪我人だ。ちょうど宇宙港までって言ってるから、乗せても良いだろ?」 「ああ。治療は済んでるのか?」 「病院帰りだってよ」 「じゃあ、何の問題もないな。丁重に乗せて差し上げろ」 「ほら、歩けるか?」 「怪我してて……痛むの……」 「じゃあ、掴まりな」  そう言うとロディは、リィザを軽々と抱き上げた。子供の頃両親に抱き上げられて以来の、浮遊感だった。 「アラまあ、酷い濡れようじゃない。災難だったワネ。天候操作機構(ウェザー・コントロール)が壊れたんだワ、きっと」 「ええ、そうね」  一行の無償の親切に密かに感動しながらも、言った事がなかったから、ついにリィザの口から『ありがとう』という言葉が出る事はなかった。

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