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第6章 恋の季節(3)

    *    *    *  マリリンから通信を受けて、ラドラムとプラチナは、ボランティアたちが集まる地区に急行していた。  スペーススーツは着たまま、ヘルメットだけを小脇に抱えて。  しかし修復ボランティアたちはみな似たような格好で行き来していて、けしてラドラムだけが異質にはならなかった。  その奥、ある一角に二人は入っていく。  簡易シェルターの前の電子ボードには、名前がびっしりと光っていた。  だがそれを読み解く手間はかからなかった。  目的の人物は、品のいい女性と寄り添って、入り口近くにくたびれた顔で座っていた。 「親父!」  そう、マリリンが見たのは、ラドラムが後で読もうとアウトプットしてポケットにしまっていた、星間ニュースの記事だった。  ペットシェルターの写真の中に、ラドラムの持っていたホログラム、ブロンドのミハイルの顔を見付けたのだ。  ミハイルは、呼ばれたのが自分の事だとは気付かずに、無気力に前を見詰めていた。  先に傍らの女性と目が合って、彼女がミハイルを促して顔がこちらをふっと向く。 「親父!!」  何処か夢見るようなふわふわした表情のミハイルに駆け寄って、膝をついて両肩に手を置いて揺さぶる。  それでもしばらくの間、ミハイルは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、ただ黙ってラドラムを見詰めていた。 「…………ラドラム?」  ようやく出た声も、まだ半信半疑に語尾が上がっていた。 「そうだよ親父! 大丈夫か!?」 「……ラドラム!!」  男とは握手もしない、という習慣は、ミハイルから受け継がれたものだった。だがそのミハイルが、両腕にいっぱいの力を込めて、ラドラムを抱き締めている。  多少戸惑ったが、声を詰まらせるミハイルに、ラドラムもポンポンと腕を回して背中を撫でた。 「ラドラム……もうワシの事なんか、忘れてるかと……」 「忘れられるかよ。俺が居なきゃ、何も出来ない親父なんだから」  笑って、冗談めかす。ラドラムも心は震えていたが、湿っぽいのは性に合わなかった。  ひとしきり抱擁を交わすと、やがてミハイルはぽつりぽつりと話し始めた。 「一人にしちまって、すまなかったな……」 「親父こそ、人間狩りにあったんだろ? リィザ・ウェールか?」 「何で知ってる?」  ミハイルは肝を潰して、きょろきょろと周りをはばかった。 「大丈夫だ、親父。リィザは、今コロニーの外だ。監視カメラも壊れてる。あいつの権力は、今は殆ど機能していない」  そう言うと、ほっとした表情で額に滲んだ汗を手の甲で拭った。 「そうか……ああ、ラドラム。紹介するよ」  と、隣の女性を差す。 「同じく人間狩りにあった女性(ひと)だ。ペットにされてる間は、首輪で口をきく事も出来なかったが、何とか励まし合ってきた」  女性が会釈した。 「初めまして、ラドラムさん。貴方の話は、ミハイルさんから沢山聞きました。首輪が外されて、一番に聞いたのが、貴方の事でした」  ブロンドのストレートヘアが印象的な、三十代の女性だった。 「初めまして。ラドラムです。……あの……正直、畏まった会話は好きじゃない。もっとフランクにいかないか?」  ラドラムは、困ったように笑ってみせた。  女性も、上品に口元に手を添えて微笑む。 「そうね。じゃあ、ラドラム、って呼んでもいいかしら?」 「ああ。俺は、何て呼んだらいい?」 「あら。あらあら。嫌だわ、私ったら……自己紹介がまだだったわね。クララ、って呼んでくれると嬉しいわ」  ラドラムは、眼球を上向けてほんの一瞬、考えた。何処かで聞いたような名前だった。 「……クララ?」 「ええ」 「……クララ・アーガ?」 「あら。何でも知ってるのね」  クララが再び口元に手を添えて驚く。 「クリスティン、って息子が居るか?」 「ええ。ええ! あの子、無事かしら!?」  母親とは、かくも強き存在か。今まで上品に微笑んでいたクララだが、クリスティンの名を聞いた途端、必死の形相で身を乗り出してきた。  ラドラムは苦渋の色を滲ませる。 「クリスは無事だが……お気の毒だ。旦那さんは、亡くなったそうだ」 「……そう……。あの人、どんな風に死んだの? 苦しんだ?」 「いや。眠るように安らかに亡くなった」  ラドラムは、クララに優しい嘘をつく。  彼女は、目頭を押さえて、僅かに眉根を寄せた。 「そう……。教えてくれてありがとう、ラドラム。もう会えないと思っていたから……諦めがついたわ」 「クララ、大丈夫か。ワシがついてる」 「ええ、ミハイル……」  クララは、ミハイルに肩を抱かれると、向き直って胸に額を預けた。  ミハイルも、ガサツだった以前からは想像も出来ない頼もしさで、クララを抱き締める。 「ミハイル。五年ぶりですね」  そこへ、場違いな声音が割って入る。 「ん?」  顔を上げたミハイルの前には、美しいをおもてを持った黒髪のアンドロイドが立っていた。 「……誰だ?」 「ああ」  ラドラムはやや気後れしながらも話し出す。 「今はボディを乗りかえてるが……プラチナだ、親父」 「……プラチナ? どうしたんだ?」  目を見張るミハイルに、ラドラムが噛み砕く。 「オリジナルが壊れちまって……今、クリスに直して貰ってる」 「クリスティンに?」  クララが振り返った。 「ああ。クリスは、一人で家業を継いで生きていく決心をしたんだ。クララが生きてる事を知ったら、喜ぶだろうな」 「まあ……クリスティン」 「すぐに引き取り手続きを行おう。クララも」 「頼む、ラドラム」  ラドラムが、ミハイルとクララの引き取りを願い出て父息子(おやこ)だと言うと、簡易DNA判定が行われた。  判定を見て、ペットシェルターを運営しているA.H.H.O.の団員は、残念そうに一同を見回す。 「確かに、ミハイル・シャーさんとは親子関係なのですぐに引き取りが出来ますが、クララ・アーガさんとは接点がないので、引き取りは出来ません。こういう事故現場で、堂々と人間狩りをする事例が発生していますので」 「そんな……」  ラドラムが本人の意思を知らせて抗議しようとすると、思いがけない所から、きっぱりと宣言が上がった。 「ワシとクララは、夫婦だ。クララの旦那さんが亡くなったと聞いて、ついさっき、婚約した」 「まあ、ミハイル……」  まだ涙の乾ききらぬ瞳を丸くして、クララが両手で口元を覆った。 「本当ですか? クララ・アーガさん」  クララは、仄かに頬を染めて、動揺しながら小さく頷く。 「ええ、あの……はい。ミハイルとは、助け合って生きてきました」 「では、貴方がたの飼い主を、一時的にラドラム・シャーさんにします。人権の取り戻しは、裁判所に訴えてください」  一同はペットシェルターから離れ、ラドラムが振り返った。  ミハイルとクララはまだ、ぴったりと寄り添っていた。 「もう、『フリ』はいいんだぜ、親父」  だがミハイルは言い放った。 「クララの気持ちが落ち着いたら、結婚を申し込もうと思ってる。ラドラム、父さん、再婚してもいいか?」  あまりにも突然の話に、今度はラドラムがしばし言葉を失った。 「……あ、ああ。酷い目にあったんだ。親父には、幸せになる権利がある。クララが良いのなら」  クララは、頬を染めて俯いていた。憎からず思っているのだろう。  聞いた時は驚いたが、クリスティンと本当の兄弟になるのだと気付くと、二人を心から祝福する気になった。 「じゃあ、ホバーカーがあるから、すぐにクリスの所へ行ってやってくれ。家は壊れてるが、工場(こうば)は残ってる。食料もある。クリスを慰めてやってくれ。……あ、親父」 「何だ、ラドラム」 「クリスは多感な時期だ。いきなり、婚約の話を持ち出さないでくれよ」 「ああ、任しておけ」  ミハイルが胸を張る。  ラドラムは一抹の不安を感じながらも、ホバーカーの二人を見送った。  プラチナが、ぽつりと呟く。 「ラドラム、ミハイルはクララと結婚するのですか?」 「ああ、多分な。クリスが反対しなければ」 「カトレアの事は、もう愛していないのでしょうか」  カトレアとは、名前だけ聞いた事のある、ラドラムの母親の事だった。ラドラムに記憶はない。彼なりに気を遣って、詳しく聞いた事もない。 「いいや、プラチナ。だけど人間は、忘れなければ生きていけない生き物だ。お袋を愛さなくなった訳じゃない。お袋の事を愛したように、またクララを愛しただけなんだ」 「人間のメモリーは、複雑なのですね」 「ああ。お袋の事は、クララの前で言うなよ」 「はい、分かりましたラドラム」  そんな会話をしていた時だった。ウェアラブル端末が小さな電子音を立てたのは。事故対策本部からだった。 『ラドラム・シャーさんですか』 「ああ」 『お探しのリィザ・ウェールさんのナノチップ反応が、軌道上に見付かりました』 「ナノチップ……そうか!」  生まれながらに資産家の場合、誘拐対策に、身体にナノチップを埋め込む事がある。その記録が連邦警察にあるという事は、リィザは誘拐された事があるのだろう。 「位置は確認できるか?」 『座標を送ります』 「ありがたい。頼む」  ウェアラブル端末から座標画面が浮かび上がり、ラドラムはそれをトラッキングモードにした。 「プラチナ、ロディを助けに行くぞ」 「はい、ラドラム」  二人は真っ直ぐに宇宙港へと向かったのだった。

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