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第2話
「スパムにする?コンビーフにする?」
「ピーナッツバター」
「コンビーフね」
「はァ?なめてンの?」
「ピーナッツバターは切らしてるんだ」
スワローが露骨に舌打ち、吸いさしの煙草を放り投げるのを見もせず半歩どいて回避。
流しに不時着した煙草がジュッと音をたて消える。
ピジョンは水浸しの煙草をさもいやそうに摘まみ、カウンター端の灰皿にもっていく。
「ちゃんと灰皿に捨てろよ」
「てめぇが灰皿だろ」
「ヤキ入れられて悦ぶ趣味はない」
簡単に手を洗ってキッチンナイフを握り直すピジョン、これも毎度のやりとりだ。
キッチンに立ち料理の支度をするピジョンの後ろ、キッチンテーブルに行儀悪く片足をのせ下品な雑誌に目を通すスワロー。
暇する弟を振り返り、食パンの耳を丁寧に削ぎ落としがてら苦言を呈す。
「やることないならちょっとは手伝えよ」
「やなこった。負けた方が当番をやる、そーゆー約束だろ」
「もう91回連続だよ……」
「恨むんなら自分の弱さを恨め」
仰る通りごもっとも。スワローの回答は身も蓋もない。
ピジョンはため息を吐き、清潔なキッチンナイフでパンを切っていく。モッズコートは脱いで今はシャツとジーンズだけのカジュアルな部屋着だ。
トレーラーハウスの台所は狭いが使いやすく整頓されている。主に几帳面なピジョンによる日々の努力の賜物で散らかすのばかり得意な母や弟に任せればあっというまに混沌係数が上がって惨状を呈す。
キュウリのピクルスを詰めた広口の瓶、各種香辛料の小瓶、シリアルの袋と小麦粉の袋とパック入りの牛乳……調理器具や食材も、すべて手の届く範囲の戸棚やカウンターにこぢんまりおさまっている。ピジョンがまめに整頓を行う成果だ。床下の貯蔵庫および戸棚の奥には大量の缶詰がストックされている。
一家の主食は缶詰をメインとする保存食や乾燥食が多く、新鮮な野菜や果物が食卓に上るのはまれ。なにかの祝い事を除いてそうそうない。
戦火で枯渇し貧相に荒れ果てた大地では作物が育たず、ノウハウを秘匿する一部の農家を例外とする巷では生野菜の値が高騰している。ハンバーガーから輪切りのトマトや瑞々しいレタスが姿を消してすでに久しい。ピジョンたちの食事が特別質素というわけではなく、この時代の中の下家庭の平均といえる。
うちはいいとこ下の上だけど、とピジョンは心の中でのみ付け加える。
表面に丁寧にマーガリンとマスタードを塗り、缶詰の蓋を開け、塩漬けの干し肉……コンビーフを盛っていく。
「食事の前にポルノ雑誌をむなよ。どういう神経だ」
「腹が減っては火遊びできず」
「肌色しかない猥褻図書を散らかすのもやめて。足の踏み場がない」
「ここはテメェの城か?違う、俺の家だ。だったら縄張りを好きに飾ったってバチあたらねーな」
「片付ける苦労も知らないで……」
「散らかすのは俺の役目、後始末はお前の役目。俺は食い散らかすの担当、テメェは床におっこった食べかすを摘まんで食う担当。俺がお行儀よくしたら浅ましくおこぼれ期待する残飯処理係の取り分がなくなんだろ?」
「踏ん付けて滑って転んだら大変だろ」
「やっかんでんの?スコアは92戦92敗だっけ」
「92戦91敗1引き分けだよ」
「あァん?寝ぼけたこと吹かしてんじゃねーぞ、いつ引き分けた」
「一回ジャンプの拍子にすっぽ抜けたじゃないか」
「で、珍しくツイてたお前がまんまとゲットしたと。先にドッグタグ取った方が勝ちってルールだろ、落としたのは対象外。敗けた方が食事当番を代わる罰ゲーム付き、おかげ様でこちとらラクできる」
スワローが意地悪く笑ってからかうのを無視、ふくれ面で調理を再開する。
余談だが引き分けとなった一戦後は二人仲良く押し合いへし合い小突き合い、喧嘩しながら炊事を分担した。
料理は当番制で、ピジョンとスワローが一日ごとに交代している。母は朝が遅く大抵昼過ぎまで寝ているので台所に沸くのはレアだ。たまに朝早く起き出した時など「よーしママがんばっちゃうぞ!」とはりきって料理を手がけるが、気合が空回りしてろくなことにならないので、「心配しないでゆっくり寝ててよ母さん」とピジョンが宥めすかし追い返す始末だ。
とりあえず食材を狩るところから始めるのをどうにかしてほしい、護身用のショットガンが泣く。
「お前ってヤツはちょっとは兄さんに花持たせようと思わないのか」
「手加減されて勝って嬉しい?」
正論を返されぐ、と詰まる。手心を加えられても虚しくなるだけだ。
ポルノ雑誌のオールヌードを見ながら、スワローは平然と言い返す。
「オイオイ忘れんな、いいだしっぺはお前だ。ちょっとでも喧嘩が強くなりてえから鍛えてくれって泣いてすがり付く兄貴の頼みを快く引き受けて毎日特訓に付き合ってやってんだ、こんなデキた弟ほかにいるか?」
「それは……感謝してる」
「ホントか」
「ホントに」
「心がこもってねぇ。リピートアフタミー」
「ああ感謝してるよこんなデキた弟を持って俺はサイコーにツイてる世界一の幸せ者さ!」
やけっぱちに喚いてキッチンナイフを乱暴に使う。スワローの勝ち誇った高笑いが響いて最高にむしゃくしゃする。弟に当たるのは筋違いだと頭じゃわかっているがどうしようもない。
スワローの言うとおり今を遡ること一年前にピジョンの方から鍛えてほしいと頼み込んだ。
突っぱねるかと身構えたスワローは意外にもあっさり了承し、以来毎日の稽古が続いている。
特訓といってもやってることは泥臭い組み手の延長線上の鬼ごっこだ。
ただしこちらはなんでもあり、武器の使用も許可されたデス鬼ごっこだ。
ある時はガソリンスタンドで、ある時は赤茶けた荒野で、ある時は路地裏で、ある時は廃車置き場で……ルールは踏襲したまま行く先々で場所を変え、どちらかのドッグタグを没収するまで一対一、時間無制限で行われる。
落とし穴や時限式の仕掛けなど間接的なもの、および腕や足を使った直接的な妨害行為もありだ。ナイフを刺すなど致命傷に至る行為は原則禁止だが、「撫で切りはギリセーフ」とスワローは拡大解釈をしている。おかげで擦り傷や生傷が絶えず、絆創膏と包帯が必需品だ。
スワローはナイフを好み、ピジョンは手作りのスリングショットでこれに抗戦する。毎回ほぼスワローの圧勝でピジョンは煮え湯を飲まされている。成長期に突入しさらに体格がよくなった弟にかなうはずがない。
ナイフの切っ先が掠め、後ろ髪がほんの少し散ったうなじがまだ薄ら寒くピジョンはぼやく。
「毎回頸動脈狙ってくるなよ、寿命が縮む」
「あの程度避けられなくてどうするよ」
「ナイフ使うのはやめてよ、うっかり刺さったらどうするのさ。血は苦手なんだ」
「俺が本気でやってたらテメェは今頃ここにいねえよ。そっちこそ飛び道具は卑怯だぜ、逃げ隠れするのが得意な腰抜けにゃぴったりだがよ、物陰からちまちま撃ってきてイライラする」
「コートを繕う手間も考えてよ、継ぎだらけになっちゃうよ。フランケンコートだよ」
「面と向かう度胸もねータマなしが。男らしく正面からかかってこい」
「接近戦は分が悪い。一定の距離をとって敵を攪乱するのも立派な作戦のうちさ」
「びびって近付けねーだけだろ。間合いに入ったら勝ち目ねーもんな、張っ倒されておしまいだ」
「フィールドの特性を利用するんだ。採石場には盾になるものが沢山あったからね……遮蔽物を利用して行う死角からの狙撃は有効だって、月刊バウンティハンターの養成講座に書いてあった。あんなに早く見付けられたのは予想外だけど……一か所に隠れてるんじゃなく移動すべきだったかな」
パンの断面に上の空でコンビーフを塗りたくり、噛み合わない会話の合間に反省点をおさらいする。
一体どこまでクソ真面目なんだ。
特訓後にああでもないこうでもないと一人反省会をおっぱじめるのはピジョンの悪習、右から左に聞き流す方はげんなりする。殊勝らしく落ち込む兄に、構ってもらえないスワローは鼻を鳴らす。
「もやしの戯言。腹筋は最高何回?背筋は十回いかず挫折したんだっけ」
「う、うるさい、俺だってがんばってるんだ。最近は調子良ければもうちょい行くし、腹筋もちょっと固くなってきたし」
「腹パンしていい?」
「いやだよ痛いよ。それで思い出した、俺がベッドの上に貼ったポスター勝手に剥がすなよ」
「しゃらくせぇ。寝る前のイメージトレーニングだかなんだか知らねェが、筋肉もりもりマッチョとにらめっこする俺の身になれってんだ。胸毛を数えて眠れってか?クソ萎えるぜ、野郎の裸なんか見ても胸糞悪ぃだけだ」
「だからって上に女の人のヌードポスター貼るのやめてくれる?目のやり場に困る」
「雑誌の付録なんだよ、捨てたらもったいねーじゃん」
そういう問題じゃない。
「もういい」
愛想を尽かして顔を戻すピジョンにスワローがぐうたら突っ伏して催促する。
「メシはまだかよ」
「だから手伝えって。せめてテーブルくらい拭けよ」
「お手伝いさせたきゃ力ずくでタグを奪え、勝手にすっぽぬけて棚ぼたゲットはノーカンだ。ほらほらどうしたおめあてのモノはすぐそこだ、欲しけりゃ手ェ伸ばしてみろ、まぐれじゃなくても勝てるとこ見せてみな」
スワローがふてぶてしくにやつき、首にかかった鎖を手繰ってタグを引っ張り出す。
露骨な挑発にカッとし、目の前のタグをひったくろうと反射的に手を伸ばすもすげなく空振り。
「くっ!」
指一本触れられもせずひっこめられ臍を噛む。目的の物を掴み取れない現実よりもドヤ顔で笑いのめす弟の態度にむきになり再挑戦、顔の前で揺れるタグに執拗に掴みかかるもピジョンを嘲笑うかのようにすりぬけていく。上下左右にタグを振り回し、兄の追撃を巻きながらスワローが茶化す。
「あんよが上手、あんよが上手」
「このっ……調子に乗るな!」
反射神経と動体視力ではスワローが一枚も二枚も上手、運動神経が格段に劣るピジョンは分が悪い。その様たるや顔の前ににんじんをぶらさげられた馬かしっぽを追いかけて目を回す子犬、さんざんにやりこめられプライドを足蹴にされたピジョンは精一杯いきがって言い返す。
「何がそんなに楽しいんだ?俺は全然楽しくないぞ、兄さんをおちょくるのもいい加減にしろ」
スワローが舌を出す。相手にするだけ時間の無駄だ。
料理当番を代わるのはいい、それはかまわない。約束は約束、きちんと守る。
もとよりピジョンはこの作業が嫌いじゃない。
そんなに手の込んだものはスキルが届かないにしろ喜ぶ人の顔を思い描いて料理をする時間は嫌いじゃないし、おいしく食べてくれれば手間も報われる。「ピジョンの手料理は優しい味ね」と母さんが褒めてくれれば作り甲斐があるというもの……単純においしいじゃない抽象的な感想が若干ひっかかるが。ちなみにピジョンの得意料理はサンドイッチとパンケーキだ。レパートリーには他にスクランブルエッグがある。
優しく美しい母と育ち盛りの弟が手料理を食べてくれるのは嬉しいが、その上にふんぞりかえって胡坐をかく厚かましさには立腹だ。
甘やかすから付け上がるんだろうか?過保護はコイツのためにもよくない、ビシッときめなきゃ……
椅子を蹴立ててもそもそやってくる気配、回り込む足音。テーブル上に雑誌を投げたスワローが、料理ができるまでの退屈しのぎにちょっかいをかけてくる。うろつかれると非常に目障りで気が散る。
兄の隙をついてつまみぐいを働こうとする手をひっぱたき、性懲りなく脇から忍ぶ手を肘で払いつつキッチンナイフを寝かせて具を盛り付けていく。
スワローが背後に立ち、無防備なうなじに吐息を吹きかけてくる。
「ひ」
そこ弱いの知ってるくせに……さらには耳に息をかけ、なれなれしく腰に手を回して密着。
ピジョンの手元を無遠慮に覗き込んで偉そうに指図する。
「ちんたらやってんなよ。あ、自分のだけ厚く塗りやがって」
「いちゃもんつけるなよ、みんな平等だって」
「嘘つけ」
「……なんでバレたのさ怖い、パッと見わからないくらい微妙に盛ったのに。連続で当番を代わってやったんだ、コンビーフのペーストをほんのちょっと厚くする程度の役得は大目に見ろよ」
目と勘の鋭いスワローに隠し事はできない。コイツの反応速度は異常だ、日々の模擬戦で骨の髄まで叩きこまれている。言い忘れたがピジョンが当番の代行をそこまで渋らない理由には、自分のサンドイッチにちょっぴりおまけできるからというのもある。あくまでバレない程度のズルを心がけているがスワローの目はごまかせなかった。
兄の攻撃が的外れなのをいいことにスワローは後ろ髪をもてあそび、図々しく肩に顎をのっけてくる。
とても邪魔くさい。のみならず肩越しに手を伸ばしてしつこくサンドイッチを付け狙うので、ピジョンの声もつい尖ってしまう。
「くっつくな、邪魔」
「腹減ったんだよ、ガマンできねぇ」
「しょうがないな……一口だけだぞ」
スワローがあーんと大口開ける。ピジョンは弟の口にサンドイッチを運ぶ。スワローはそれにかぶりつき咀嚼と嚥下、こりずにまた口を開ける。まるで燕の雛の餌付けだ。
「一口だけって約束したろ」
「生殺しは酷だぜ。可愛い弟が飢え死にしてもいいのかよ」
「少し元気じゃなくなってくれると有り難いね」
コイツは言い出したらてんで聞かない、追い払うにはとっとと要求をのむべきだ。塩っぽい口調とは裏腹に、コンビーフのサンドイッチを甲斐甲斐しく口元へ運んでやる。スワローは首を伸ばして齧り、一気に半分食べてしまう。特訓の後で腹が減っているというのは本当だろう。ちょっと可哀想になったが、それはピジョンだっておなじだ。
「もういいだろあっちいけって、今手が放せないんだ」
「もう一口」
「これ食べたらいい子で待ってろ」
ピジョンは昔からおねだりに弱い。請われると自分のぶんまで分け与えてしまうから栄養が足りず背が伸びないのだろうか?求めに応じやすい性分を何とかしなければ……
「指にマスタードついてる」
「え?」
物思いを断ち切ったのはスワローのそっけない声。おもむろに兄の手を掴み、親指を口に含む。
「っ……」
唇が吸い付く感触がくすぐったく、舌でねぶられると妙な心地だ。なんというか、肌がざわざわする。
ピジョンは唇を噛んで熱く湿った吐息を殺し、自分の指をとらえて伏し目でねぶる弟の、睫毛の影さえメランコリックな色っぽい表情を観察する。
軽い甘噛みをまじえ強弱自在に吸い上げ、はたして本当にマスタードが付着していたか定かではない指をたっぷり舐め転がし、ようやく満足して離す。弟の唾液に塗れた親指をシャツに擦り付け、睨む。
「ありがとうは?」
「……舐め方が無駄にいやらしい」
「おかわりは?」
「やらないよ」
礼の代わりに照れ隠しの不満を吐露、キッチンナイフをおく。
「おまたせ。できたよ」
皿に同じ数だけ盛ったサンドイッチを荒っぽくテーブルにだす。椅子を引いてスワローの対面に着席、兄弟向かい合って昼食をとる……前に、手を組んでお祈りする。
「イエスさま、たくさんのごちそうをありがとうございます。おおきくなるため、なんでもたべます。たべるもののないひとびともたすけてください。いただきます」
ピジョンは瞠目し、神妙にうなだれて聖句を唱える。キリスト教で定められた食前の祈りは全部で3バージョンあり、これは子供向けの一番易しいものだ。
日々の糧を得られることに感謝し、恵み深き主を言祝ぐ兄を、向かいのスワローは吐きそうな顔で見詰めている。
「いい加減それよせ、メシがまずくなる」
「なんでさ、子供の頃からやってるだろ?毎日ご飯を食べられるだけで幸せなんだ、糧を恵んでくれる神様に感謝するのは正しい行いだって母さんにもそう教えてもらったじゃないか。お前はサボってるけど」
「やってられっかンな茶番。イマドキだれもしねえよ」
「今にバチがあたるよ」
「おもしれぇ、あててみやがれ」
椅子にふんぞりかえって威張るスワローにピジョンは処置なしと首を振る。スワローに言わせれば母の教えを律義に守り、16になった今でも食前の祈りを欠かさない兄の信心深さの方が異常だ。いや、信心深いとは違うか……底抜けに真面目なのだ。
でもまあここだけの話、目を瞑って馬鹿正直に祈る兄を真っ正面から観察する時間はなかなかどうして悪くない。
美形ともてはやされる母や弟と比べたらどうしても霞んでしまうが、地味に整った面差しに純粋培養の信仰心の上澄みが表れて、生来の善良さとか誠実さとか、スワローがはなから授かってない美徳がほのめく瞬間を特等席から見届けるのは弟の特権だ。
目を開けてさあ食事にとりかかろうとしたピジョンが眉根を寄せる。
「……サンドイッチがない」
「気のせいだろ」
「お前の皿に移動してる」
「気のせいだって」
「一個減ってるじゃないか油断も隙もない、ホントその手癖の悪さどうにかしろよ!」
チッ、バレた。スワローの皿からサンドイッチを取り返したピジョンはお冠だ。昼飯くらい心安らかにとりたい。しばらくサンドイッチをぱくつくのに夢中になる。
ピジョンの食事はうまくもまずくもない、可も不可もないギリギリ及第点だが食べられないことはないのでまあいい。咀嚼音が響く中、サンドイッチをあらかたたいらげたスワローが腹をさすって切り出す。
「で?例の件どうするよ、いつ母さんに言うんだ」
「ぐ」
サンドイッチのかたまりが喉に詰まる。胸を叩いて嚥下してコップの水を飲み干し、言い訳っぽく呟く。
「……ちゃんと考えてる。こーゆーのはタイミングが大事なんだ」
「昨日も一昨日もその前もその前も言ってたろ、いい加減耳タコだ」
「よく覚えてるね。記憶力いいんだ」
「テメェの都合悪いことに関しちゃピカイチだ。まさかびびってんじゃねーだろな?」
「びびってないさ、ただなんていうか……ほら、大事なことだし。母さんは大抵昼過ぎまで寝てるし、起こしちゃ悪いし……切り出すきっかけが掴めなくて。変に驚かせたくない」
「はっきりしろよ、ぐだぐだ先延ばしたって気まずいのは一緒だぜ」
「お前に言われなくてもわかってるさ」
「俺達もいいトシだ、いずれはこっから出てくんだ。それがちょっと早まるだけの話だろ?母さんだって三十路前の女ざかり、コブが消えた方が男遊びに精が出てせいせいするさ」
片手をひらひらさせざっくばらんに言いきるスワローに対し、ピジョンは煮え切らない態度で俯き、卓上に散らばったパンくずを一粒一粒人さし指で潰して拾っていく。
「そりゃそうだけど……賞金稼ぎになるなんて寝耳に水ですんなりOKもらえるはずない、危険な仕事だし絶対いやがるよ。反対されたらどうするの?行かないでって泣かれたら?勝手に出てって母さんを哀しませるのはいやだ」
指にくっついたパンくずをもそもそついばんでピジョンが渋る。どんだけ意地汚いんだコイツ。
「マザコン野郎が。口を開けば母さん母さん、変わった鳴き声の駄バトだな」
「お前にだけは言われたくない」
三年前のあの日、兄弟は賞金稼ぎになると約束した。
いずれは母と暮らすトレーラーハウスを出て自活すると取り決めて、その為にコツコツ貯金を積んだ。現在ピジョンは16、スワローは14。世間のならいに照らせば立派に独り立ちできる年齢だ、ようやく巣立ちの季節が訪れたのだ。
スワローは卓上にずいと身を乗り出し、兄の胸ぐらに掴みかからんばかりの剣幕で息巻く。
「貯金もようやっと目標額に達したんだ、言うなら今だろ?」
「俺とお前ふたり合わせてね」
「なんだよ不満か?」
「弟がポン引きまがいのまねしていい顔するわけないじゃないか」
「儲かるんだからいいんだろ。どっかの駄バトみてェに靴磨き車の修理、アクセ売りでシコシコ稼ぐよかよっぽどマシだ。それにポン引きじゃねーよ、風俗店の用心棒だよ。女に付き纏う勘違い男を彼氏のフリして追っ払うのも仕事のうちだ」
それと売春。ピジョンが怒ると鬱陶しいので黙っているがこれが最大の収入源だ。
三年前からこっち男や女と手あたりかまわず関係をもって、今ではテクニックも達者になった。14歳になって美しさに磨きがかかったスワローを抱きたがる男や抱かれたがる女は腐るほどいて、ただ街角に突っ立ってるだけで引きも切らない。まったく楽な商売だぜとスワローは自嘲する。
ハードなプレイを請け負えばそれだけ儲かるのも旨みだ。
「それジゴロとかヒモっていわない?」
ピジョンが疑わしげなジト目を向けてくる。弟の素行が全面的に信用できないらしい。慧眼だ。
「たんまり弾んでくれんだからいいだろ別に」
「女心をもてあそんで、人としてどうかと思うよ」
「またピュアいこと言ってやがる……そろそろ童貞卒業しろよ、キャサリンのケツでも借りてさ」
「~っ、最低だな!キャサリンをそんな汚れた目で見たこと一度もないぞ!」
「はっ相変わらずすーぐむきになる、そんなにご執心かよ朝になると決まってヒス起こすあのうるせえのにさ!いい加減捨てっちまえよ、目障り耳障りでかなわねぇ」
「血も涙も人の心もないな……行くあてないのに放り出したら可哀想じゃないか、あの子がきてくれてどんなに助かったか……献立のレパートリーも増えたし」
「あーそうかよそうですか、だったらキャサリンを抱いて寝ろ」
「言われなくてもそうする。だっこするとほっこりあったかいんだ、どっかのだれかみたいに悪さしてこないしね」
「ぐずぐずしてっと食っちまうぞ」
「キャサリンをいじめたらいくらお前だって許さないぞ、あの子は俺達の妹みたいなもんだ、もうちょっと優しくしろ」
ほぼ一年前に家族に加わった新しい同居人を一生懸命庇い立てるピジョンにいらだち、スワローは悪ぶって暴言を吐く。
「さては怖いんだな、母さんに忘れられちまうのが」
図星を突かれたじろぐ。椅子を蹴立ててテーブルを叩き、押し黙る兄へ語気強く迫る。
「どーせテメェのこった、俺達がいなくても母さんがちゃんとやってけるか、一人で服着れっかメシ食えっかなんておためごかしだ。ぶっちゃけちまえよピジョン、このマザコン野郎。親離れできねーのはお前の方だ、ここを出るのが寂しいんだろ。まだ母さんのおっぱい恋しさにだだこねる気か?」
「マ、マザコンじゃない。ただ……俺達がいなくても一人でやってけるか心配なだけさ。ブラのホックだって留められないんだよあの人」
「母さんの面倒は新しい男が見てくれるさ。いっそ俺達がいねーほうが羽伸ばせるってなもんだ、トレーラーハウスも広々使えるし喘ぎ声も気にしねーですむ」
もごもご弁解するピジョンの煮え切らなさにじれて、スワローはテーブルに申し分なく長い両脚を放りだす。
「いっそ母さんの前で灯油被って火だるまになれよ、衝撃的な死に様さらしゃインパクト勝ちで末永く覚えてもらえるぜ」
「それバーナードさんのこと?あの人は生きてるよ。大怪我したけど」
「死に損なったんだろ?女にフラれたショックで焼身自殺とか大分キてるぜ、コレがホントの傷心自殺ってか?けっ、笑い話にもなりゃしねえ」
バーナードは数年前に訪れた村で出会った男だ。
甘やかされて育った裕福な牧場主の三男坊で、すっかり母にのぼせ上がって結構な額を貢いでくれたが、村を去る時に一悶着あった。いやだ行くな捨てたら死ぬ死んでやると涙ながらに脅迫し、あなたのことは大好きよ良くしてくれて感謝してるでも行くわねさようならと説き伏せる母の目の前で、灯油缶の中身をかぶって自分に火を付けたのだ。結果火だるまになって大やけどを負ったが、幸いにして一命はとりとめた。
「とち狂ったマネしくさったキチガイのせいで、母さんは魔女狩りにあったんだ」
「村中の男と関係する母さんもどうかと思うけど」
「手だけ口だけもいんだろ」
「そういう問題かなあ……」
「岡惚れしたヤツの面倒まで見きれねーよ。間一髪アクセルふかして追ン出てきたが、石があたって車にキズ付くわ最低だ。商売女に本気になるなよ、お芝居と本音の区別も付かねーのか?」
「あの村には二度と行けないね……火だるまになってゴロゴロ転がってるとこ、いまでも夢に見るよ。命が助かってよかったけど……叩いて消した毛布はこげちゃった」
「死ぬんなら勝手に死ね」
「お前は冷たい」
自分に迷惑かけた他人までいちいち思いやる優しさを勘違いした兄の非難をスワローはおもいっきり笑い飛ばし、彼一流のふてぶてしさで傲慢に開き直る。
「死にたくて死んだヤツに同情するのは失礼だろ?」
「バーナードさんは生きてるよ……多分」
「死にてぇヤツは勝手に死ね、死んだらとっとと忘れ去るだけだ。いちいち蒸し返して慰めてやるほど生きてるヤツは暇じゃねーんだ、ライフ・イズ・マネー、人生金なり」
乱れた金髪がかかる赤錆の目は冷めきって、人生に敗北した自殺者への軽蔑の念も露わだ。
スワローの死生観はひどくドライだ。男女かまわずセックスをしまくってドラッグのような刹那的な快楽を享受しても根本的な所で他人を信頼する事が一切なく、けっして他者に心を開かない。
ごく一部の特別な例外を除いては。
「忘れてほしくなきゃ死ねって言ったくせに、矛盾してる」
「死んだヤツがそいつにとって大事なら覚えてンだろって話だ。それ以外はお生憎さま無駄死にだ」
「そんなに言うならお前がやれよ、賞金稼ぎになりたいからここを出てくって母さんに」
「やなこった、そりゃ兄貴の役目だろ?せっかく顔を立ててやってんだ、根性だせよ」
「ずるいぞ、こんな時ばっかり持ち上げて……言いたくないのは俺だって同じだ、逃げるなよ」
「誰が逃げるって?そりゃテメェだろーが!どのみち避けて通れねーイベントだ腹くくってガツンと一発決めてこい、もうアンタのパンツ洗わされんのはこりごりだってな」
「ねえ、ホントに今いくの?もう一年や二年延ばしてもいいんじゃないか、母さんをおいてくのはやっぱり心配……」
轟音を伴う鈍い衝撃にテーブルが揺れる。スワローがナイフの尻を下にして真ん中に立てたのだ。
「コイツで決めようぜ」
「……どういうこと?」
「お前のほうに倒れたらお前が、俺のほうに倒れたら俺がパシる。泣いても笑ってもやり直しはきかねェ、お情け無用の一発勝負だ」
「レオナルドのいうとおりか……」
「ナイフのご指名なら文句ねェだろ?神様とやらの意にもかなってる」
まだ渋る兄にごり押し、ナイフの柄を握ったまま挑発的にほくそえんで出方をうかがうスワローに、ピジョンは意を決して頷く。損な役割を押し付け合っても埒が明かない、ナイフの切っ先が示す方向に運命を託すのは良案に思えた。
「……のった」
「そうこなくっちゃ」
兄の同意を得たスワローは不敵な笑みを深め、軽く唇をなめてナイフからゆっくりと手を離す。
固唾を呑んで見守るピジョンと眼光に圧をかけ見下すスワローをよそに、支えを失ったナイフが前後に傾いで倒れていく―
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