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第7話
戦いの火蓋が切って落とされた。
短期決戦、速攻勝負こそ常に直線で生きるスワローの信条だ。
少年は己のモットーに忠実にフィールドを駆け巡る。
だだっ広い採石場のあちこちに巨大なコンテナや恐竜の骨格標本じみて錆びた重機が置き去られ、セメント袋が小高い堤を築いており死角には事欠かない。敵がどこから付け狙うかわからないスリルは格別だ。
スワローは舌なめずりし、自分の分身ともいえるナイフを腰だめに構え直す。
「|鳩狩り《ピジョンハント》のはじまりだ」
戦闘になると血が逸る。全身の血が沸き立って鼓動が増幅される。
虫も殺せず鳩に餌をやるしか能のない兄と違いピジョンは極めて好戦的な性格だ、命をかけた殺し合いに興じている時が一番楽しい、心臓が起爆するような人生の歓びを感じる。
この腐った世界に楽しい事があるとしたら、それは骨身を削る命のやりとりだ。
拳が肉にめりこむ衝撃や骨がへし折れる音と感触にスワローは|最高の絶頂《エクスタシー》を覚える。
どうしてこうなったのかはわからない。生まれた時からこうだった。犯罪者の遺伝子なんてものがあるとしたら、自分はその|呪われた因子《チェンジリング》を生まれ持ったのだ。
快感や痛みと引き換えることでしか生きてる実感を得られない、人としては出来損ないだ。
スワローには情緒と倫理と道徳が欠落している。繊細すぎる感受性を持て余すピジョンと足して割って補い合ってちょうどいい。
ツバメとハトは対であり、やがてつがいとなる。
それが兄弟に課せられた宿命、血の鎖に囚われた運命だ。
まずは炙りだすのが先決だ。一箇所ずつ虱潰しにあたっていくか?
ナイフを回して周囲を睥睨、ターゲットを走査。視界内に動くものはない。怪しい人影がないのを確認後、ゆっくり余裕ぶって一歩を踏み出す。もしピジョンがどこかで隠れて見てやがるなら、今頃さぞびびってるんだろうなと妄想してニヤケる。
深呼吸し肺を空気で膨らませる。口の横に手をあてがい、威勢よく叫ぶ。
「ぶるってねーででてこいよ、おいしく料理してやっからさ!俺のナイフ捌きは天下一品だ!」
声を張り上げて挑発、大気に波紋を生じる。
峻厳に切り立った断崖に殷々と反響し、採石場に揺蕩う静寂がさらに深まる。
澄んだ青空を一羽、真っ直ぐな軌跡を曳いてツバメが横切っていく。近くに巣があるのだろうか?
崖の断面から剥がれた一石がスワローのすぐそばに転がる。
「そこか?」
殆ど見もせず体が動く。地面の小石を拾うや鋭く腕を振り抜き投擲、スワローが投げた小石は崖を走るネズミを掠め「ヂュッ!?」と濁った声で啼かせる。
「まぎらわしい。うろちょろしてっと丸焼きにして食っちまうぞ」
ネズミにしてみたら災難だ、突然石を投げられた上に罵倒されたのだから。びびって逃げていくネズミに舌打ち、スニーカーの靴裏で地面を踏んで歩みを再開。
「ん?」
ふと歩みが止まる。地面すれすれの極端に低い位置にロープが張られている。ロープの端は岩の出っ張りに結わえ付けられている。
「……」
全速力で走ってきたらコイツに引っかかってコケていたはずだ。
スワローは意味深に黙りこくり、爪先で行儀悪くピンと張り詰めたロープを持ち上げる。
「ふ~ん」
上から押し下から押し異常がないのを確かめたのち、そのへんにあった一抱えほどの石をロープの向こうへぶん投げる。
「そらよ」
乾いた破砕音と共に石の落下地点が陥没、直径1メートルほどの穴が生じる。
「ンなこったろーと思った、バレバレなんだよ」
ごく初歩的な二段構えのトラップ、ロープを跳び越えた先に落とし穴を用意したのだ。穴に薄っぺらいトタン板を被せて土を掛けておけば簡単に偽装できる。ロープを走って跳び越えようとする人間の大半は着地点に警戒などしない。
スワローは片膝を付いて穴を調べる。
「元からあったのにトタンで蓋したのか……なるほどね」
ボロいトタンは人一人分の体重に耐えられない。この手の穴は採石場の至る所に点在している、石を採る為に掘って埋め忘れた痕跡だ。フィールドの特性を上手く利用した一点は褒めてやらなくもないが、この程度の罠に本気でスワローが掛かると思っていたなら片腹痛い。
「落としちまえば後は楽勝、上から土かけて生き埋めにするも棒で突きまくって降参させるも思いのままってか。テメェの手を汚したがらねェ臆病者と卑怯者が考えそうなこった。悪知恵未満の浅知恵だ」
兄が仕掛けたトラップを辛口で評し、フィールドをざっと見渡す。
トラップの残り数は把握しかねる。元からあった穴に蓋をして土を被せるだけなら五分とかからない。
スワローは注意深く地面を見ながら歩きだす。ピジョンはアホだが靴跡を残すようなへまはしない。進行方向に巧妙に装った落とし穴の痕跡を見付けるたび回避、ナイフを振り上げて吠える。
「ちまちまやってんじゃねーよ、日が暮れちまう。一生かくれんぼしてる気か?」
回りくどい作戦に苛立って声が尖る。ピジョンはどこかに必ずいる、このフィールドから出ていないはずだ。場外逃亡はルール違反だ。イライラするスワローを今もそう遠からぬ場所で見張っているはず……
アイツが行きそうなとこはどこだ?行動パターンを読むんだ。
スワローは思考を整理する。
ピジョンは逃げ足が早い。普段の模擬戦でも自分から手を出す事は極力なく、ぎりぎりまで引き延ばして相手の消耗を誘う消極的な作戦を好む。スワローにしてみればまだるっこしいが、長期戦向きの用心深さ、根気強さと評価できる。
俺がアイツならどうする?
ピジョンの行動をトレースして想像を働かせる。
間合いに入れば勝算はない、ナイフの餌食になる。ならば一定の距離をとる。採石場には遮蔽物が多い。派手に動き回るスワローを監視するなら視野を広くとれる高所が望ましい。
ピジョンの武器はスリングショット、攻撃手段は遠方からの狙撃。だが射程範囲には限度がある。スナイパーライフルでもなし、スリングショットによる投擲は風向きに多分に左右される。
スワローはピジョンのすぐ隣でスリングショットの練習風景を眺めてきた。
ピジョンが毎日のように空き瓶を並べて撃ち抜いていく光景を目に焼き付け、おおよその飛距離に加え、風力や風向きとの関係性を肌で理解した。
ずっとずっとピジョンを見てきた。
汗水たらしてスリングショットの特訓にうちこむ光景を見詰めてきた。
一番近くにいるのに物凄く遠いアイツの背中を。
「スリングショットの有効射程内で風上にあたる、落とし穴を見渡す場所……っと」
全部の条件を満たすのはあそこだ。消去法で候補をしぼりこみ、斜面を一気に駆け上がる。
目指す先は小高い丘の上に等間隔に並ぶコンテナの倉庫群。
あそこならスワローが落とし穴に嵌まったかどうか目視できる範囲内だ。
「移動ついでにトラップこさえてんなら、どうしたって逃走ルート沿いになる」
お手軽なトラップは逃亡中に仕掛けられる強みがあるが、反面それは敵の経路を割り出す弱みとなる。
落とし穴の点と点を繋いで線にすれば、ピジョンが辿ったルートと現在の潜伏先が漠然と推測できる。
付け加えるなら、罠に獲物が掛かればすぐさま駆け付けたいのが人間心理だ。折角の成果も隠れていて気付かなかったじゃお話にならない、必ずトラップの全体を俯瞰できる場所にいるはずだ。
「……いや、違うか」
ピジョンはとんでもないお人よしだ。
アイツが落とし穴全体を見渡す場所に陣取る理由は、罠に掛けた敵を即座に助けに行くために尽きる。
もしスワローが穴に落ちたきり何の反応もせずにいたら、ピジョンは絶対助けにくる。
はずみで足を折ったんじゃないか?気を失ったんじゃないか?まさか死んじゃったんじゃ?そんな疑惑で頭が一杯になって、勝負の最中だろうがなんだろうがそんなことコロッと忘れて、心配して様子を見に来るにきまってる。ピジョンの性格をとことん知り抜いたスワローが自信をもって断言するのだから間違いない。
「……そういう中途半端な甘さとヌルさに付け込まれんだよ」
ピジョンがいる方角を逆算、気を抜けば足に纏わり付いて滑らそうとする砂を蹴散らし、コンテナへと接近しつつ回想する。
『俺、ただいるだけでお前の足を引っ張ってたのか』
「そうだよ、目障りだ」
ずっとずっと前からそうだった、俺がいなきゃなにもできねえ、やられっぱなし泣かされっぱなしの情けねェ兄貴。
さんざん痛めつけられても仕返し一つまともにできねえ、めそめそ泣き寝入りするっきゃねえタマなし野郎。
睫毛を伏せてしょげた横顔、しめやかに水膜を張った瞳がまざまざと甦る。
『他にしたいことがあるのに邪魔して……俺が泣いて頼むから嫌々渋々不承不承、毎日付き合ってくれてたっていうのかよ。何だよそれ。同情かよ。馬鹿にするのもいい加減にしろよ』
「底抜けの馬鹿を馬鹿にして何が悪い?」
『俺、いないほうがよかったのか』
「そうさ、せいせいする」
テメェがどっか行っちまえばもう金輪際尻拭いせずにすむ、いつもてめぇの顔がちらついてむかむかすることもむらむらすることもなくなる。
『ずっと……迷惑だったのか』
「そうだよ大迷惑だよ、それ位わかれよ!テメェを見てると抑えが利かなくなるんだよ!」
今日のアイツときたら全く傑作だ、見事にころっと騙されて……スワローが悪戯したせいで夢精に至ったとは思いもよらず、悶々と罪の意識に苛まれて……
ちょっとは疑えよ、犯人は隣で寝てる弟だよ、これまで何度も悪戯されてんだからいい加減学習しろよ。スワローには下心がある。ピジョンをしごき抜いてくたくたにさせるのも計算の内、アイツが朝までぶっ通しで熟睡するのを見越して脱がしていじくってさんざんに弄んでる。
前科はもう数えきれない、俺はもうとっくに狂ってる、なにもかもぶっ壊れてる。ぐうすかマヌケ面さらして眠りこけてる兄貴の腹の上にザーメンぶちまけてスッキリするなんて、自分でもどうかしてると呆れる始末だ。腹の上に直接出したのはまだ片手で足りる回数だが、至近距離の寝顔を見ながらヌイたのはもう数えきれないほどだ。
鈍感なピジョンはちっとも気付かねえ、蹴っぽっても抓ってもナニしたって起きやがらねぇ、自分の寝顔がズリネタにされてるのも弟がすぐ隣で猿みてーにオナってるのも知らず時折不意打ちでその弟の名前を呼ぶ天然の罪作りだ。
しどけなくはだけた兄貴の腹の上で出すたび、包んだ手の中に吐きだすたび、何かが間違ってる感覚ばかりが強くなる。シタイのはコレじゃねえと根っこの部分で違和感が膨らむ。
「俺がどんだけガマンしてるかしらねえで、アイツときたら」
そこにきてシカトだ。もう頭にきた。一瞬バレたのかと危ぶんだが杞憂だった、アイツは勝手に拗ねていじけてスワローを避けていただけだ、それはそれで腹立たしい。
「くだらねェ我慢比べはもうやめだ、意地の張り合いはいちぬけだ。アイツはしっかり約束を覚えてた、そのくせ今の今まで忘れたフリで知らんぷりをきめこんでやがったんだから余計にタチ悪ぃ、元々アイツの提案なんだからあっちから言い出すのがスジじゃねえか、じっとガマンのいい子で待ち惚けてた俺は一体全体なんなんだ?」
スワローがピジョンを欲しがる気持ちと、ピジョンがスワローに応える気持ちは釣り合ってない。それがひどく悔しくもどかしい、反対側の穴から砂が零れるサンドバックを延々殴ってるみたいな気にさせられる。
自分には見えない場所で何かが確実にすりへっていく焦りに似た感覚、空振り空回り赤っ恥をかく一人芝居のやりきれなさ。
スニーカーの靴底で斜面を蹴り、地面に刺したナイフを滑り止めにしてよじのぼりながら、唸る。
「テメェは知らねえよな、どんな気持ちか」
お前の腹の上に出すのがどんなに惨めか。
何も知らずに眠るお前の隣で、バレねえよう息を殺してマスかくのが、どれだけ惨めで死にたくなるほど情けねェか。
スワローは間違っても聖人君子じゃない、処女も童貞もとっくに捨ててる。気持ちよければ男とも女とも誰とでもファックする。ピジョンに指一本触れなかった、なんて真っ赤な嘘だ。眠ってるアイツをべたべたさわりまくって強制的にイかせたのは事実だが、最後の一線だけは越さなかった。越せなかった。最大級の自制心を振り絞り、夜毎ぎりぎりまで行っては苦悩の末引き返す地獄の寸止めに耐え続けたのだ。
『や、すわろ』
土壇場で名前を呼ばれて、頭が真っ白になる繰り返しだった。
俺の名前を呼ぶ切ない声が暴走する本能に枷を掛けて締め上げるから、どうしてもその先へ進めない。
無理矢理するのは簡単なのに、そうしたところで本当に欲しいものは絶対手に入らないとわかっているから、スワローはピジョンの寝息がかかる距離で、兄の寝顔を見詰めてしこしこ自身を慰めるしかない。
理性がジリジリ焼き切れるような1097回の夜を死ぬほどしんどい思いで乗りきって、ようやく約束の件を切り出したらヒスって正当化して逆ギレときた。
『三年たったら抱かせてやる。俺が約束を破ったことあるか?』
「ちきしょう」
三年待ったんだ。ちょっとくらい褒めたっていいじゃねえか。
あともうどれだけ待てばいい、どれだけ待てば好きなところに触らせてくれる、どれだけ待てば兄貴の中に入れる、どれだけ待てば……
『ひとりで空回ってバカみたいじゃないか』
「空回ってるのがテメェだけと思うなよ」
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