15 / 33

第15話

昔の夢を見た。 「…………」 刺青を入れた時の夢だ。 当時スワローは十歳、内緒で腕に刺青を彫ったのがバレてピジョンの不興を買った。母の客や遊び相手の多くが身体に刺青を入れていた為、皮膚に針を入れる事に全く抵抗はなかった。それでもピジョンは我が事のように慌てふためいた。 入れて暫くはジクジク疼いたが、今ではすっかり馴染んでいる。 どうして鳩と燕をセットで入れたのか、ピジョンは不思議がっていた。 スワローにも真実はわからない。いざ何を彫るか問われて、真っ先に浮かんだのがそれだったのだ。彼の中では燕と鳩は番いだった。離れては生きていけない生き物だった。 ベッドに上体を起こしたスワローは寝ぼけまなこを擦る。周囲には服と下着が散らばり、シーツは皺くちゃに寝乱れている。うるさい鼾に顔を向ければ隣で全裸の男が寝ている。アレからベッドに移動して、ヌイたりヌかれたりしてるうちに体力尽きて寝ちまったのだ。 窓の外はすっかり日が落ちて暗闇に包まれている。キディはまだ帰らない。 スワローは何故だか苛立ち、椅子の背凭れに掛けたスタジャンをひったくりポケットをあさる。 煙草が切れた。舌打ち。スヴェンの瞼が動き、ゆっくりと上がっていく。 「んあ?起きたのか……もう朝か?」 「まだ夜だよ」 「そうか……キディのヤツ、今夜は帰ってこねーかもしれねーな」 生あくびを連発、のろくさと下着を身に付ける。脛毛が意外と濃い。スワローは寝返りを打って頬杖付く。 「煙草くれ」 「ほいよ」 サイドテーブルに放置された煙草の箱から一本ねだる。スヴェンがあくびを噛み殺し、箱の角を叩いて二本とりだす。ライターを点火、スヴェンの煙草がヂヂヂと燃え、スワローは顔を傾げる。薄い唇に挟んだ煙草の穂先同士が接触、火が燃え移る。シガーキスだ。 スヴェンがうまそうに煙草をふかす。スワローも真似をする。 「一発ヤッたあとの煙草はサイコーだな。アンタ、結構やるじゃん」 「大いにお気に召したみてェで俺の倅もカリ高々だぜ」 「ジョークのセンスは最低だな」 下卑た軽口を鼻で笑い、カーテンを閉め切った暗闇に耳を澄ます。スヴェンが怪訝そうにのぞきこむ。 「どうした?」 「コヨーテの遠吠えが聞こえた」 スワローは耳がいい。たった今、闇を震わせて獣の遠吠えが渡ってきたような気がしたのだが……窓に眇めた一瞥を投げ、肩を竦める。 「気のせいかもな。アンタの話を信じるなりゃ最近すっかりご無沙汰なんだろ、採石場でも姿を見ねーし」 スヴェンはそれには答えず、アルミの灰皿を引き寄せて灰を落とす。 「ピロウトークにゃアレだが、面白い話を教えてやる。このへんにいた先住民の言い伝えだ」 「その前置きで実際に面白かった試しがねーな」 「うるせぇ、黙って聞け」 ふたり仲良く並んで横たわる。スワローは気だるげに頬杖を崩し、自らの肘枕に突っ伏す。スヴェンは紫煙を燻らせながら、嗄れた声で語りだす。 「むかしむかし、インディアンの兄弟がいた。コイツらは大層仲が悪くて、しょっちゅう喧嘩ばかりしていた。ある時ふたりは病に臥せった母親の薬草を採りに、コヨーテが巣食う岩山へ行った」 「岩山に草が生えてんの?」 「ツッコミは受け付けねーぞ、おとぎ話ってなァ大概ご都合主義なんだよ」 「さいですか」 スワローは大人しく肩を竦める。スヴェンは咳払いする。 「優しくしっかり者の兄は知恵を絞り、勇敢な弟は険しい崖や川もなんのそのと、なんだかんだ力を合わせて登って行った。途中でけェ蜂の巣を見かけた。弟はハチミツで喉を潤してェと言ったが、蜂が可哀想だと兄貴は諫めて、朝露と樹液を代わりにした。さてその晩、野営を張った兄弟はコヨーテの群れに囲まれちまった。あわや餌になる絶体絶命のピンチに蜂の神様が現れた。兄貴が助けた女王蜂の化身だ。女王蜂の化身にゃ不思議な力があった。蜂の眷属がコヨーテを一刺しすると連中は途端に頭をたれた。神様はこうのたまった、『私の針に刺されるとだれでも言うことを聞くのです』。蜂神様のフェロモンだかなんだかにすっかりヤられちまったコヨーテどもは、兄弟を背中にのっけて、一気にてっぺんまで運んでくれた。おかげで兄弟は無事に薬草を手に入れ、母親の病はすっかりよくなりました。めでたしめでたし……っと」 「蜂の恩返し?」 「そんなトコだ」 「子供だましだな。教訓はなんだ?」 「さあな。仲良きことは素晴らしきかな、とか」 針の一刺しで心を乗っ取るのが女王蜂の権能だった。スヴェンは陽気に笑う。 「古くからこの土地に伝わるインディアンの伝説さ、お前がいたトコは昔からコヨーテの谷って呼ばれてたんだ。あそこの地下は入り組んでいて、落石事故が絶えなかった。案外それが直接の原因で閉鎖されたのかもな」 煙草を灰皿で揉み消し、新たな一本に火をつける。 「この話にゃおまけがあってよ。女王蜂のホントの巣は、岩山の地下深くに根を張ってやがったんだ。蓋を開けりゃあ岩山全体がヤツの縄張りだったってわけ。人が立ち入れねー神聖な領域、|女王蜂《クインビー》の地底の王国。それを好き放題ほじくりかえして荒らしたら呪われて自業自得さ、大昔はインディアンの聖地だったんだ」 「コヨーテアグリーの真の支配者か」 一家が停留する採石場は曰く付きだった。古来よりインディアンの聖地として崇められ、コヨーテと蜂に纏わる伝説が残っていた。地元の人間によって情報がもたらされるまでスワローも知らなかった。 コヨーテの群れを侍らして悠然と君臨する女王蜂の化身を想像し、胸中に靄が広がる。 「地元の連中は不吉と避けて通る谷さ。あそこじゃ必ず災いが起こる、|地下世界《アンダーグラウンド》の蜂の怒りにふれる。採石場で働いてたのはよそ者ばっかだった」 地元の人間が畏れ忌避するコヨーテアグリー。 そこにはコヨーテよりもっと恐ろしく得体の知れないモノがひそんでいる。ピジョンと母はそのことを知らず、今もトレーラーハウスの中でぐっすりと眠りこけている。 「どうした、怖ェ顔して」 「別に」 「アレ?おもしれー刺青してんな。鳩と燕……なんか意味あんのか」 「はァ?鳩は燕の引き立て役だろ、ンなこともわかんねーのか」 スヴェンの疑問に答えるのも億劫だ。左腕の鳩を見るとむしゃくしゃする。スワローはポケットから引っ張り出したハンカチを左腕に巻き付け、刺青を覆い隠す。これでよし。 少しスッとした。スヴェンは腑に落ちない様子だが、あえてそれ以上追及せず、ふやけきったあくびをかます。 だれかが階段を軋らせ上がってくる。 「キディか?」 きびきびした足取りで階段を上がりきったその人物は、部屋のドアを静かにノックする。 「わざわざノックする……ってこたぁアイツじゃねーな。ったく、こんな時間にだれだ」 スヴェンがぼやきつつ腰を浮かす。スワローはベッドに寝そべって退屈そうに見送る。 パンツに足を通しただけで上半身は裸だが構うものか。 スヴェンがノブを捻りドアを開ける。廊下にたたずむ人物の風貌は、暗がりに沈んでスワローの位置からではよく見えない。 「夜分遅く失礼するぞい。貴殿がスヴェン氏かね」 誰何されたスヴェンが驚愕。 声の主は老人のようだ。 深い教養を醸す声音と落ち着き払った口調は、盤石の自信の支柱に貫かれている。 興味を覚えて身を乗り出すスワロー。やけに毛深い。全身真っ白い毛で覆われている。 「ミュータント?」 スワローが思わず呟くのと、老紳士が山高帽を脱ぐのは同時。 露わになった顔貌は、人間のそれではない。老いた牡山羊だ。 頭の横から捩じれた巻き角が生え、瞳孔は縦に長く光っている。ツイードの外套を着こみ、すべらかな象牙の杖を携えているが、皮膚の代わりに全身を覆うのは白く縮れた毛だ。 牡山羊の老紳士は全裸で寝転ぶスワローを一瞥、悪戯っぽく目だけでほほえむ。 「君とスヴェン氏の爛れた関係には敢えて言及せんが、尻は隠すのを品位の上でも推奨するぞい」 「ミュータントのお客たァ驚きだ。このへんじゃ滅多に見ねェな」 スヴェンが軽薄に口笛を吹く。 スワロー自身、ミュータントを見かけた経験は十指に足りるほどしかない。 大戦終結後、大陸中に動物の特徴を持った新人類が現れ始めた。 政府の研究所から逃亡した遺伝子操作の実験体のなれのはてとも囁かれる彼らは、偏見からくる差別や迫害に苦しみながらも人間と混ざって暮らしている。 その大半は放射能濃度が濃い|汚染区域《デッドゾーン》の境界に追いやられ、そこで|集落《コロニー》を形成して細々と自給自足しているが、中には元となった動物の能力を使い活躍するものもいる。 「で、何の用だい?」 「君の『本業』がらみじゃよ」 「ということは……アンタ、アレかい?」 老紳士が懐をさぐり何かを提示する。スヴェンがそれを確認、顔を引き締めて頷く。スワローと乳繰り合っていた時とは別人のような変貌ぶりだ。妙な雲行きになってきた。スヴェンが部屋に戻り、床に脱ぎ散らかした服を拾い歩く。 「なあおいお前、スワロー。突然で悪いが、ちょっとのあいだ着替えて出てくれ」 「はァ?こんな夜中に?」 「こちとら大事な話があるんだ」 「いいのかい?お取込み中じゃあないのかね」 「立ち話もなんだしな。……他人に聞かれちゃまずいだろ」 後半は小声で呟き、老紳士を招き入れる。スワローは蚊帳の外でおいてけぼりだ。しかしここで暴れてもしょうがない。いくらスワローが厚かましくても、部屋においてもらってる分際でわがままは言えない。 ベッドに腰かけてズボンを刷き、スニーカーに足を突っ込む。靴紐を結び直し、スヴェンに不機嫌に聞く。 「五分?十分?」 「三十分てとこか。終わったら呼ぶから下にいろ」 「アイアイサー」 「申し訳ないね」 老紳士が謝罪する。スワローは上目で見る。夜分に部屋を追い出される仕返しに皮肉が浮かぶ。 「さっきから声が聞こえねェけど……表に繋いだ鶏、食った?」 「おい!」 スヴェンが声を尖らせて注意をとばす。 ミュータントへの侮辱ともいえる発言に、だがしかし老紳士は些かも動じず泰然自若と構え、こう返す。 「山羊は草食じゃよ。そしてワシは|菜食主義者《ベジタリアン》じゃ」 皮肉に冗談で応じる人種は嫌いじゃない。スワローは生意気に笑い返し、からっぽのベッドを親指の背でさす。 「アンタも一緒にヤる?ミュータントと寝たことねーし」 「~お前なァいい加減に」 「魅力的な申し出じゃがワシには愛する妻子がおる。君はスヴェン氏と親しい間柄の男娼とお見受けしたが、そう気軽に火遊びの相手を勧誘するものではない。自分を大事にしたまえ、さもなくばその軽率さが取り返しの付かないことに繋がりかねんよ」 「初対面で説教かよ。思い上がンな」 ただでさえ虫の居所が悪い所に追い討ちをかけられ、スワローの手が自然と懐に伸びる。 実際に刺す気はない、ちょっと脅かしてやるだけだ。ナイフの柄を掴み、ワンタッチで刃を出して紳士の鼻先に突き付けようとして― 眼前で杖が一閃、完璧な弧を描く。 「ッぐ!?」 早い。彼の動体視力をもってしても軌道が読めない。老紳士が杖を振り抜き、たちどころにナイフを弾いてスワローの腕をおさえこむ。山羊特有の瞳孔が縦長の目はあくまで穏やかなまま、凪いだ光を帯びて床に突っ伏すスワローを見下ろしている。 「筋は悪くないが、雑すぎじゃ」 ナイフが円を描いて床を滑り、スワローは脂汗をかいて歯軋りする。這い蹲ったスワローと対峙する老紳士を見比べ、スヴェンはおろおろする。 「アンタ大丈夫か、怪我はねェか?ホントすまねェ、コイツときたらとんでもねーことしでかしやがって……しまいにゃ窓から叩きだすぞ!」 「せっかくのお楽しみを邪魔されたんだ、先っぽで突付くくれェ大目に見ろよ!」 「君の先っぽとやらは随分となまくらじゃね。立ったままうたた寝してしまうところじゃったよ」 頭に血がのぼる。跳ね起きざま掴みかかるも完全にタイミングを読まれ、杖の横薙ぎで吹っ飛ぶ。 鳩尾に衝撃を喰らって咳き込みながら、握り拳で床を叩いて顔を上げる。 杖の頭に両手を重ね、粛と背筋を伸ばして立った老紳士は、楽しそうな含み笑いを隠しもしない。 「失礼、痛いかね?一応自己弁護させてもらうと、今のは初歩的な護身術じゃよ。手を抜いたから内臓にダメージもない安心したまえ、君が喫っていた煙草のほうが余程体に有害じゃよ。これは完全にお節介な忠告じゃが寝煙草は感心しないぞい、火事の元じゃ」 「っぐ……ぅげほ」 「立てぬかい?ならば山羊の手は所望かね。ああ安心したまえ蹄じゃないよ、ほらごらんきちんと指がある。だからこうして杖が握れる。まだそこにおるのかね?板張りの床のヒンヤリした寝心地が存外気に入ったと見える、せめて藁を敷いて最低限度の健康的で文化的な寝床にしたまえ」 本人の悪意の有無はさておき、温厚で柔和な風貌と落ち着いた美声で流暢な毒舌を紡ぐ。 なんだコイツ。無茶苦茶強ェ。まったく歯が立たねェ。 気品あふるる笑みは絶やさぬまま、スワローから視線を切ってスヴェンに向き直った老紳士は、外套の隠しに手を入れる。 「茶番はこの位にして……本日貴殿を訪ねた用件は他でもない」 一葉の写真をスヴェンに提示し、一呼吸ためて告げる。 「蜂狩り(ビーハント)じゃよ」 それは蜂の模様に似たドレスを纏い、ロングストレートの黒髪の内側を黄色に染めた、幼い少女だった。

ともだちにシェアしよう!