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第27話
「兄弟仲良く殺し合ってちょうだいな」
無辺大の夜空に巨大な月が煌々と輝く。
透徹した月明りが似てない兄弟の顔を残酷に暴く。
片や苛立ちと苦悩に顔を歪め、片や焦点の合わない眼を虚空に移ろわせている。
ピジョンはビーの体液をたらふく飲まされた。
彼女の体液は劇毒だ、使い方と分量次第で媚薬にもなる。
今スワローの前にいるのはピジョンじゃない、ピジョンの形をした何か、兄の上っ面だけなぞったニセモノだ。そう考えたほうがよほどしっくりくる。ピジョンの目は何ら現実を認識しておらず、あらゆる知覚と切り離されている。目の前にいるのが血を分けた弟という自覚もなく、無機質な動作でスリングショットを構える。
「……チキショウ」
兄のことならなんでも知ってる。
生まれてからずっとコイツを見てきた。
他には目もくれず、一番近くでコイツだけを、ずっと。その兄が自分に武器を向けている。
いや、違う。
コレはただの凶器だ。
人や動物にスリングショットを撃てないと嘆いていた、優しい兄はもうどこにもいない。
「武器はテメェと大事なヤツを守るもんだって、そうほざいたの忘れたのかよ」
自分と色合いの違う金髪、自分と同じ赤錆の目。
俺達の中に流れる血はなにより濃い。
ピジョンが俺にスリングショットを向ける日がくるとは考えもしなかった、そう思うと馬鹿馬鹿しさにいっそ笑えてくる。
めでてーな俺。
なにもだれも信じねえとかイキがってたくせに、ピジョンだけは何が起きても絶対敵に回るはずないと、盲目的に信じ込んでいたのだ。
ただ血が繋がってる、それだけの理由で。
兄弟というそれだけの根拠で。
「……よーくわかった。ソイツを向けたって事は俺はテメェの『敵』なんだな?だったら容赦しねーぞ」
反射的にナイフを構え、ピジョンと一定の距離を保って回る。
「くすぐってェ撫で切りはぬきだ。心臓抉ってやる」
千々に乱れる胸中を裏腹に、思考が戦闘モードに切り替わる。
スワローは順応性が凄まじく高い。戦場に投げ込まれれば勝手に体が立ち回るようできている。
ナイフを構えて牽制しながら必死に頭を働かせる。
どうすりゃ正気に戻る?メスガキの思う壺は癪だ。
逃げる?却下、穴の周縁はコヨーテと蜂に一分の隙なく包囲されている。
決死の覚悟でコロッセオから脱走を企てても、コヨーテに食い殺されるか蜂に刺し殺されるか二択だ。
クソ忌々しい、完全にドツボじゃねえか。
女王蜂の手中に堕ちた。
ピジョンが小石を番えてスリングショットを引き絞る。
「!?ッ、」
鋭利な烈風が掠め、頬の薄皮を切り裂く。
痛みは遅れてやってきた。スワローは逃げる。
ピジョンに背を向けるなど断じてプライドが許さないが、この状況ではそうも言ってられない。
スリングショットの有効射程範囲は50メートル以内、弾が小さければさらに延びる。暇さえあればせっせと改良を重ねているから、へたしたらもっと行くかもしれない。スワローにはちっとも有り難くない。
「へたくそ、あたんねーよ!そんなへなちょこ当たっても痒いだけ痛ッッだ!?」
弾が小さい故に致命傷に至りにくい。
そのくせ痛みだけは強烈、生殺しに最適の武器。スワローは右に左にはねとんでギリギリ回避、小石が最前まで頭のあった位置をすりぬけていく。性能の良いスリングショットから放たれた弾は瓶を砕く。
スニーカーすれすれを小石が穿ち、抉り、貫き、翻弄する。
「駄バトの豆鉄砲が、調子のりやがって……」
鳩に豆鉄砲、ピジョンにスリングショット。
相性抜群、最強の組み合わせだ。
贔屓目なしで断言するが、ピジョンの射撃の腕前は一流だ。狙撃手に必要な慎重さと辛抱強さが備わっている。子供の頃から毎日練習を積んできた実績は無駄じゃなく、努力が血肉となっている。
今も年季の入ったスリングショットを手足の延長のように自由自在に扱い、スワローの背後や進行方向に小石を撃ちこんで、周到に追い詰めていく。
正確無比な射撃、冷徹無比な追撃。
スワローは防戦一方だ。
彼の得物はナイフ、近接格闘で真価を発揮する。中・遠距離用の投擲武器とは相性が悪い。
まず間合いを詰めねばお話にならず、反撃の糸口すら掴めない。
「くそ……」
心のどこかで侮っていた……否、まだ信じていた。ピジョンが自分を狙うはずないと慢心し初動が遅れた。コイツが動く前に喉首かっきればよかったのだ。
ピジョンは無言だ。絶え間なく口汚い悪罵を浴びせても微動せず、ゴムを絞って正確無比な射撃をくりだす。表情筋が死んでいるのが不気味だ。
「っぐ、」
風切る唸りを上げ飛来する小石が肩を弾く、踵を削ぐ、耳朶を削る。
共食いという言葉が脳裏を過ぎる。
坑道で見た酸鼻な光景……ゴミ溜めに打ち捨てられた骸には同族の歯型があった。
ビーはスワローとピジョンに共食いを仕向けて喜んでいる。
「コヨーテにも共食いさせたな!」
「そうよ。どこまで効いてるかためしたくって……ジッケンしてみたの。街を襲う前哨戦ね」
「ダチに殺し合いさせるなんてイイ趣味だな、イカレてやがる」
「お兄さんも同じこと言ってたわ、友達は免罪符にならないって」
いかにもアイツが言いそうな胸糞悪ィ、青臭い、こっぱずかしい台詞。
お人好しが伝染ったんならざまあねえ。
スワローは低く笑い、斜面を駆け上りながら怒鳴る。
「目ェ覚ませクソ兄貴、ビーの腹芸にのっかって本当にいいのか、母さんに啖呵切った根性はどうした!」
「無駄よ」
「賞金稼ぎになるって言った舌の根も乾かねーうちにこのザマか、テメェの決心てなぁその程度か、メスガキの蜜はンな甘いか!?俺様が呑ませた唾のがよっぽど甘いだろうが、欲しけりゃいくらでもくれてやる、疼いてンならぶちこんでやる!」
「無駄だって」
「相手をはきちがえんな、フェロモンなんて追い出せ、テメェは!!」
唇を一度強く噛み、絶叫。
「テメェは、兄貴だろ!!!!」
クインビーへの嫉妬と憎悪と殺意、それすら上回る兄への独占欲をありったけこめて。
「コイツの股ぐらから滴る蜜と、俺達の血と、どっちが濃いかなんてわかりきってんだろ!!」
唇が切れて鉄錆びた味が広がる。兄貴の味だ。俺達を繋ぐ味だ。コレと同じ成分がピジョンの中にも脈々と流れている。一滴も無駄にできねェ、したくねェ。だれにもなんにも渡すもんか、兄貴の全部俺のものだ。
血と涙の成分は同じだと聞いたことがある。
ピジョンがぼたぼた垂れ流すしょっぱい水と、俺からぼたぼた滴り落ちる血は、おんなじもんでできてるんだ。
思い出す。駆け抜ける。兄と過ごした遠い日々の思い出が、鮮明な過去が、犬が死んだ日の喪失感が、繋いで帰った手のぬくもりが、忍び寄る虚無を癒すほほえみが
『アイツはお前が好きだった』
『俺も同じものが好きだからわかる』
『俺はお前と離れたくないし、お前もそうだ』
『一人じゃ無理。お前とならイケる』
走馬灯の如く過ぎるうざったい思い出の連鎖。ほんの数時間前、坑道で並んでへたりこんで交わした会話が巻き戻される。あの時ピジョンはなんて言った?
俺の目をまっすぐに見て、面映ゆげにはにかんで……
『母さんとお前なら、ほっとけないのはお前だ』
「帰ってこいピジョン!!」
病気持ちの犬猫をほっとけずにお持ち帰りする、優しすぎる兄貴。
その優しさがお前の身を滅ぼすのだとしても、それならそれでかまわねえ。
でもコレはナシだ、断じて認めねェ。まだようやく始まったばかりなのに、いんやまだ始まってすらいねえのに、こんなトコでクソガキにもてあそばれて共倒れなんざ冗談じゃねよ。
こんな暗い穴の底で、俺様の野望が打ち切りになるわきゃねえ。
「物分かりの悪い子ね。ビーのフェロモンは特別よ、抗えるわけないじゃない」
クインビーがあきれ顔で見下ろす。
そうだ、あっさり説得が通じるなんて思わねェ。世の中そう都合よくいくもんか。
スワローは打ち合わせ通りにいく。
背中合わせに立った時、ピジョンに耳打ちされたことを忠実にこなす。
『賭けになるけど……イケる?』
『ノッた』
『早っ』
『ギャンブルはでかく当てた方がたのしいだろ』
兄貴は無目的に走り回ってたんじゃねェ。
「ここか」
靴裏に起伏の違和感。
ビーに聞こえないよう小さく呟き、地面を覆う砂を蹴りどかす。砂を掃いたあとに露出したのは丸い鉄蓋、マンホールによく似ている。
スワローはただ闇雲に逃げ回っていたのではない。
兄の弾丸から逃げると見せかけ、聴覚を研ぎ澄ませ、靴裏に神経を集中し、とうとうそこをさがしあてた。
脱出路は一本じゃない。ビーが出てきた以外にもあるはずだ。
「ぐっ!!」
後頭部に炸裂する衝撃。瞼の裏で火花が爆ぜ、金属的な耳鳴りが苛む。
傷口をぬるく血が伝う感触……クリーンヒット。
ピジョンのヤツ腕を上げたなと、こんな時なのに感心する。
「……アレだけやりこんでりゃそりゃそうか。模擬戦でも、しぶとく喰らい付いてくるようになったしな」
後頭部をさすり、手のひらにべったり付着した血に乾いた笑いをもらす。
単調に砂を踏む音が近付く。ピジョンがもうすぐそこまできてる。
「……悪かったな」
最後に謝りたくなったのは、気まぐれだ。
スワローは振り返らずに呟く。背後で足音が途切れる。
「寝てるとき……シコってよ」
ピジョンが腕を掲げてスリングショットを持ち上げる。見なくてもわかる、気配を感じる、一挙手一投足を透視できる。距離は約3メートル弱といったところか……この距離なら威力は絶大、外すことは万一にもありえない。しかもナイフのリーチから外れる安全圏、向こうに絶対有利な条件がそろっている。
スワローがピジョンに謝罪するなどめったにないことだ。
その感動とも無縁にスリングショットが固定される。
死角でナイフを握り締め、地面から僅かに浮く線に刃を食い込ませる。
ここが正念場だ。
スワローは深呼吸し、満を持して振り向く。
照準を定めたピジョンを直線で見据え、ニヤリと微笑む。
「お前があんまりエロいから、うっかり犯したくなってさ」
ピジョンが小石を射出するのと刃をはねあげるのは同時。
梃子の原理の応用、柄に全体重をかけ尻を下ろした衝撃でナイフがはねあがり鉄蓋をこじ開ける。
次の瞬間、鉄蓋が空高く噴射。
何者かをおぶって暗渠からとびだした痩躯が、月を背に外套をたなびかせる。
「重畳、重畳」
キマイライーターだ。
事態は一斉に動く。
全身泥だらけのキマイライーターが背負ったスヴェンを放り捨て、仕込み杖の銀光を縦横無尽に交差させ駆け抜ける。
ビーが血相変えてコヨーテをけしかけるも遅い、キマイライーターは瞬間移動と紛う速度で跳躍、竜巻の如く渦巻く蜂の大群を果敢に突っ切る。
怒り狂った蜂が尻を振り立て猛攻を仕掛けるも、雷の如く疾る杖に叩き斬られていく。
「フッ!」
キマイライーターを軸に杖が旋回、砂の大瀑布を巻き起こす。
砂の波濤に巻き込まれ墜落と撤退を余儀なくされる蜂。
「自慢じゃないが、ちょっとばかし面の皮が厚いのでな。ヤギ皮は丈夫なんじゃよ」
キマイライーターとて無傷では済まない、あちこち蜂に刺されて腫れている。
その上擦り傷も多く、高価な外套は見る影なく煤けている。ビーが余裕を消し飛ばして呻く。
「なんで、生き埋めにしたはずでしょ……」
「あのトラップかね?インディアンの置き土産を改良したのか。コヨーテを先遣隊にして岩盤の弱い場所を調べたならご苦労じゃね、ワシらを追い込んで一網打尽じゃ」
「あのしるしの意味に気付いてたのかよ、最初から!」
スワローが抗議の声を上げる。
ビー曰く、坑道には女王蜂を信仰したインディアンが仕掛けたトラップが存在する。
彼女はコヨーテを使い内部を完璧に把握、そこへ意図的に追い込み罠を発動。土砂崩れはその反動だ。
だが現実にはキマイライーターが一枚上手だった。
キマイライーターはスヴェンが所持する地図を見、おそらくはその一度ですべてを記憶した。しるしの意味にも直感し、ビーの企みも見抜いた。わかった上であえてのったのだ、彼女を油断させ地上に誘き出すために。
女王蜂の慢心に付け込み、安全な巣から燻りだすために。
「道が塞がれても脱出路を行けば地上へ出れる。あの地図は君たちにこそ必要なものじゃ」
「涎でべとべとだったけどな」
「君は前もって道しるべを付けていた。地図が役立たずとも帰れるじゃろうて」
「……俺たちゃおとりかよ」
キマイライーターは意味深に微笑んで答えない。縦に長い瞳が月明りを吸い込んで狡猾に光る。
生き埋めになったと思わせて女王蜂を泳がし、スワローとピジョンに引き付けておいて一気に倒す。
それが彼の狙いだ。
その為に足止めを買って出た。
「……ピジョンがここに連れてきたんだ」
「ワシの合図に気付いてくれたか」
夜闇に響く謎の金属音。
梯子、あるいは鉄蓋の裏側を杖が叩く音。
「メスガキにゃ聞こえねえ。蜂とコヨーテがまわりを固めてるもんな、おまけに『中』からも音がする」
蜂の大群の羽音とコヨーテの咆哮に阻まれ、キマイライーターが送る合図は女王蜂に届かない。
付け加えていうなら、クインビーは体内で蜂を飼育している。ピジョンはそれを直に「聞いた」。
蜂の唸りが宿主の聴覚に影響するなら、現実の音への反応はどうしても鈍る。
人間が相手なら唇の動きを読めば事足りるが、実体のない音ではそうもいくまい。
「ぜーんぶテメェの手のひらの上ってか!」
「よそ見は命取りじゃよ」
「ぅわっ!」
視界が反転、均衡を失ってすっ転ぶ。ピジョンに押し倒されたのだ。
頬げたに衝撃、頭突きで炸裂する激痛。ゼロ距離で飛び道具にこだわる意味はない、それともポケットに詰め込んだ小石が尽きたのか?
殴りかかるピジョンにキツいのをお見舞いする、生憎と腕っぷしはこっちが上だ、鳩尾を膝で抉りコートの胸刳りを掴んで鼻っ柱を殴る、激しく縺れあって上下逆になり取っ組み合う。まるで昼間の延長戦だ。
「離れろコイツっ、騎乗位は嫌いじゃねーが見下ろされンのは大っっ嫌えだ!!とっととそこどきやがれ、寝ぼけるのも大概に……」
ボタボタとなまぬるい雫が頬をぬらす。鼻血だ。スワローじゃない、ピジョンの鼻腔から滴る粘っこい血。
鼻っ柱を頭突いて軟骨が折れた?
ピジョンの顔が苦痛と苦悩に引き裂かれる、目に正気が戻りかけては霧散する、酷い偏頭痛に苛まれてるみたいに身をよじる。
「う……ッぐ」
ピジョンに跨られ、仰向けに襟首締め上げられたまま向こうを見る。
キマイライーターがクインビーを追い詰めている。仕込み杖の銀光が何条も錯綜、ビーはコヨーテを肉壁にして辛うじて防いでいるがそれもままならず切れ味鋭い刃が手足を薙いでいく。
ビーが甲高く泣き叫ぶ。
「ビー痛いのは嫌いよ!おしおきはいや!ちょっと遊んでただけじゃない!」
クインビーの負傷と連動し支配が解けかけている。
スワローの脳裏で何かが閃く。
ビーがピジョンの体に信号を送る司令塔なら……
「いやいやいや!いたいのはいやだってば、ビーをいじめないで!」
クインビーが取り乱すほど支配は弱まる。
消耗すればするほど、ピジョンにチカラを回す余裕がなくなる。
現にコヨーテの残党はビーを見捨てて逃げていく、蜂の群れも散開して空の彼方へ飛び立っていく。
異能で無理矢理従わせた味方に見捨てられ孤立するビー。
リベンジの時だ。
「いい加減起きろ」
「すわ……ろー?俺なんで」
軽く平手打ちをくれる。精神の反発と体の抵抗が緩んだ支配を食い破り、瞬く目に理性の光が戻る。
ようやく帰ってきた兄の手に、しっかりとスリングショットを握らせる。
「|ヴィクテム《ツケ》を払わせな」
「…………ッ!」
ピジョンは戦っている。
女王蜂のフェロモンと彼を彼足らしめる理性とが熾烈にせめぎあい、体の操縦権を奪い合う。鼻血はその反動、精神的にも肉体的にも過負荷で限界をむかえている。
モッズコートにしみた鼻血にぎょっとし、慌てて自分の顔を拭って汚れを広げる兄にあきれる。
「粘膜が弱すぎだろ」
「う、うるさい……ビーは?キマイライーターは」
「無双中」
クインビーがキマイライーターで手一杯の今しか、とどめをさすチャンスはない。
震える手でスリングショットを持ち、頭を抱えて塞ぎこむビーを狙い、力なくおろす。
「……できない」
「同情してんのかよ、あれだけのことされたのに」
スワローに叱咤されるもビーの壮絶な過去と坑道での惨い仕打ちが脳裏に吹き荒れ、どうしても狙いがブレる。
大人のオモチャにされて壊れてしまった、可哀想な女の子。
巣から放り出されて野垂れ死ぬしかない女王蜂の末路。
『ビーは選べなかったの』
『それとも……ビーが普通の子と違うからシたくない?』
からっぽの絶望を湛えた琥珀の瞳。
オモチャと友達の区別も付かない、壊れきった子ども。
ピジョンの中を探る手には好奇心が先行していた。同じ手でコヨーテをやさしくなでもした。
クインビーは最初から怪物だったわけじゃない、大人の悪意によって怪物に作りかえられた|犠牲者《ヴィクテム》だ。
俺にあの子が撃てるのか?
その覚悟があるのか?
ほっといてもどのみち死ぬ、キマイライーターなら倒せる、余計な手出しは無用だ、かえって状況を悪化させるだけだ……
脂汗に塗れた瞼を固く閉じ、意気阻喪してスリングショットをたらす。
「一人じゃ無理だ」
「ならふたりでだ」
その手に手を携えて持ち上げる。
スワローがピジョンの背後に回り、兄の腕をまっすぐ支えて狙いを改める。
「知ってるか?ツバメはハチを食べるんだぜ。お前に手ェ出したこと、巣からほじくり出して悔やませてやる」
耳裏を熱い吐息が湿す。
弟の火照りにくるまれて震えが止まる。
スワローの呼吸と鼓動が完全に同調、完璧に均衡をとった静けさが訪れて思考を白紙に帰す。
後ろから抱きしめられてるみたいだ。
最後の小石を番え、ゆっくりとゴムを引っ張る。
「怖ェ?」
「……怖くないわけないだろ。外したらどうするんだ」
「外すもんか」
「なんでだよ」
「一度っきゃ言わねーから耳の穴かっぽじってよく聞けよ」
スワローが一際力を込めてピジョンの手を握り、堂々と開き直って囁く。
「テメェの射撃の腕はピカイチだ、そのビビりを克服したらキマイライーターもおったまげる。遠くから狙われると厄介だから模擬戦じゃ毎度速攻勝負を仕掛けたんだ。ガキの頃から毎日シコシコ鍛えたんだろ?スリングショットの有効射程は普通50メートルちょい、テメェならそれより飛ぶ。風の強さや向き、握力の案配が叩きこまれてんだよカラダに。採石場でヤッた時は無意識に風上に位置どる、そっちのが飛ぶからだ。跳弾も計算に入れてる。ピンボールと一緒だよ、お前にゃこの世界をでけぇピンボール台にしてど真ん中に打ち込む才能があるんだ」
小さい頃から兄の努力を一番近くで見てきて、この世界で一番兄の才能を買っているスワローが頑として主張する。
「まだある、とんと言い足りねェ。テメェはこれから引導渡そうってヤツの目をまともに見れねェ、腰抜けの弱虫だ。とんでもねェヘタレの臆病者だ。そこが強い、弱みをひっくり返すんだ」
「わかるように言えよ」
「スリングショットは臆病者にうってつけだ、離れてツラを見ずにすむ。臆病者は近くにいりゃただのお荷物だが、十分な距離とりゃ狡猾な伏兵だ。目を見るな、風を読め、急所を狙え、弾道に殺意をのっけろ。テメェは狙撃手向きだよ、目ェ見た途端ブルっちまうなら見なきゃいいだけだ。眉間なら眉間、心臓なら心臓に狙い定めろ。勘を信じて当てるんだ」
足を肩幅程度に広げ、右腕左腕ともに水平になるように構える。
「無茶苦茶な理屈だな」
「勘ってなァ無意識レベルで集積した経験値のこった、テメェなら払っても釣りが来る」
鼻血に塗れて滑る手を握り直し、縦方向のブレを微修正。
体得した照準にそって引き絞ったパウチを頂角とする綺麗な二等辺三角形をイメージ、弾道と的のラインを重ねて|狙い定める《エイム》。
「お前は背中に守るヤツがいるほど強くなる。それが俺ならドンピシャだ」
見えなくても感じる。振り向かなくてもわかる。
背中に寄り添うスワローから吹き出る熱が、包んだ手のひらから分け与えられる勇気が、ピジョンの心臓を試練の火にくべて金剛石に鍛え直す。
深呼吸で迷いを吹っ切り、逃げ惑うビーの最期を目を見開いて焼き付ける。
視線の先、超絶技巧の剣技が冴え渡る。あちこち切り裂かれてコヨーテから転げ落ちたビーが這いずって逃げようとする……
「まだよまだ、最後のチカラを使って―……」
琥珀の瞳がぎらぎらと憎悪に燃える。
危険極まりない暴発の兆候。
「させるもんか」
琥珀の目と赤錆の目が虚空で衝突、極限まで張り詰めた殺気が爆ぜる。
絶望に自閉する琥珀の圧に呑まれかけるも、スワローががっちり手を掴んでリード。見えない手錠を嵌めるように兄の腕を支え持ち、弾道を矯正する。
手の火照りと背中に通う体温。鼓動が溶けてひとつになる。スタジャンの袖を肘まで捲り上げた剥き出しの腕、刺青の燕と鳩、片翼のつがいが今まさに飛び立って獲物を狩る。
胸元のドッグタグが呼応して揺れる。
唇がひとりでに動き、かすかな言葉を紡ぐ。
「「R.I.P.」」
rest in peace……ラテン語の安らかに眠れ。墓碑に刻む追悼の銘。女王蜂への鎮魂歌。
完璧に声が揃った。綺麗な和音が夜に波紋を生じる。
目ではなくその上、眉間のど真ん中に狙いを絞り、ぎりぎりまで矯めた指を放す。
二人の手から放たれた弾が音速に迫る速度で空を飛んでビーの額に命中、眉間がかち割れて大きく仰け反る。
黄と黒の長髪が夜風に舞い、そこへ仕込み杖が切り込んでいく。
倒れゆくビーを片腕で抱きとめ、もう片方の手を振り抜き、胸を貫く。
月光に洗われたキマイライーターは哀しげな顔をしていた。
澄んだ諦観と透明な絶望が大儀そうに瞬く瞳に下りる。
失神したコヨーテと蜂の死骸が累々と転がる中、乾いた荒野で幼子を抱擁する老人の姿は、神秘的なまでに美しい。
「安らかにお眠り、女王蜂 」
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