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第31話
「最悪だ……」
事後。
気怠い余韻に浸りながら煙草を吹かすスワローの隣で、枕を抱えて突っ伏すピジョン。
二人とも一糸纏わぬ裸身をシーツに横たえている。さっぱりとしたスワローとは対照的に、ピジョンはこの世の終わりのような顔だ。
煙草を一服、煙の輪っかを作ってスワローが聞く。
「弟と寝たこと悔やんでの?」
「それもあるけど!なんで中に出すのさ、ローション使う気遣い見せるならゴム付けろよ!!」
ピジョンは枕を殴って激怒する。
スワローはピジョンの中で勢い任せに射精した、おかげで後始末が大変だ。
腹の奥底に粘っこい残滓が澱む。失禁の感覚に似た後ろめたさと生理的嫌悪、そして処理の手間を思ってピジョンは辟易とする。
「いーじゃん別に、野郎同士なら孕まねェし」
「ちょっとは反省しろよ、寸前に抜いて外に出すとかマシなやりかたあるだろ、お前だって尻貸してるなら中出しの厄介さは身にしみてるだろ!?」
「ウリならな。上なら別、生のほうが気持ちいいじゃん断然。征服した感あるってゆーか……ぶっちゃけ処女汚すの気持ちいいじゃん」
「まさか……女の子にも中出ししてるの」
「そっちは気を付けてる。後々ドブさらいの金ゆすられたかねー」
「よかった……」
いや、よくない。
安堵も束の間、顔を引き締めてお説教をたれる。
「いいか、もう二度と中で出すなよ。今度からちゃんと付けるって約束しろ、じゃないとヤらせない」
「ビョーキなんかもってねえよ」
「俺がいやなんだよ、掻きだすの手こずるし腹壊すし……」
「『今度から』ってこたァ次もあるんだな?」
しまった、地雷を踏んだ。
スワローが淫らに笑って、ピジョンの顔面に煙草の煙を吹きかける。
「けほけほっ!!」
「処女喪失のご感想はどうだ?派手にギシってたから聞こえちまったかもな」
「そうじゃないことを祈る」
「思ったより痛くなかったろ、でっかい声で喘いでたもんな。ちったァすっきりものを考えられるようになったか」
「出すもの出したら熱も引いた」
認めるのは心底悔しいが、スワローは上手い。
ビーのフェロモンとアナニ―を含む入念な前戯が作用したとしても、ピジョンのよがり方はとても初めてとは思えない激しいものだった。
咥え煙草で盛大にニヤける弟を睨み、憤然と腰を浮かす。
「……後始末してくる」
まったく、事後のメロウな雰囲気がぶち壊しだ。
ロマンチックなピロウトークを求めていたわけじゃないが、興ざめもいいところだ。
スワローのヤツ、アナルセックスはゴムを使う常識も知らないのか?相手が俺ならどんな無茶してもいいと思ってるのか?
だるい身体を気遣い、足裏に均等に重心を移す。億劫げにベッドを下りたピジョンの目に、サイドテーブルの皿がとびこんでくる。
潰れたパンケーキだ。
「……ルームサービスってこれ?わざわざ車から持ってきたのか?」
「賞味期限はギリイケる」
アレは皿に戻しておいたはず……騒動が一段落して車に戻ったスワローが、薄暗いダイニングで兄が捨てずに拾い直したパンケーキを目の当たりにし、どんな顔をしたのか思い描くとむずがゆい。
ぶっきらぼうな横顔にかける言葉に迷い、上手い台詞が浮かばず唇を噛む。
「起きたら腹が減ってる頃合いだと思ってさ。気ぃ利かせてやったんだ、感謝しろ」
「焼きたてがよかった」
「贅沢ぬかせ、てめえにゃ冷えたパンケーキがお似合いだ」
不格好にへこんだパンケーキを素通り、大股に部屋を突っ切りバスルームへ行く。
「ひとりでできる?手伝ってやろうか」
「お断りだ!」
くそ、喜んでいいのか怒ればいいのかわからない。
優しいのか酷いのか、たまに判断がむずかしいから困る。
バスルームにこもって精液を掻きだす間、スワローが殴りこんでこないかヒヤヒヤしていた。
中に出されたモノをもたつきつつ処理し、シャワーで洗い流して漸く一息吐く。
激しい運動でほどけかけた包帯を巻き直し、脱ぐ前に着ていたシャツとズボンを身に付けようとし、はたと裾にかけた手が止まる。
スワローが全裸で堂々寝そべっている所へ、シャツとズボンを着用して再登場したらコントだ。
徹頭徹尾下品下劣なアイツのことだ、服を着てのこのこ帰ってきたピジョンを見て「いまさらかっこつけてどうするよ、身体の裏も表も中も知り尽くしたのに恥じらうな」とこてんぱんに笑いのめすにちがいない。きっとそうだ、被害妄想なんかじゃない、絶対そうだ。
「……いいや別に」
だんだんムカムカしてきた。アイツは全裸でケツをさらしてるのに、俺だけご丁寧に服を着てやる義理はない。ヤることヤり終えたあとに体裁を取り繕ってもむなしいだけだ。
服に袖は通さず、小脇にまとめて抱えて室内へ。全裸のままのピジョンを一瞥、スワローが左右非対称の笑みを作る。
「|真っ裸《ま ぱ》で歩いてきたの?」
「先に着るのは敗けた気がする」
「どういう理屈だよ?」
「お前が素っ裸で俺だけ服着て澄まし顔とか、おかしいだろ」
はるばるお持ち帰りした衣類を床に放り、サイドテーブルの前に立ち尽くす。
「無理に食べなくてもいいぜ。カタチ悪いし」
「落としたから」
ピジョンは不機嫌に返事をし、パンケーキの皿を取り寄せる。
ご丁寧に添えられたフォークで一口サイズに切り分け、口に運び、もそもそと咀嚼。
スワローは退屈そうに頬杖ついて兄の食事風景を眺めている。
「もうすっかり冷めちまってる」
「冷めてもおいしいからいい」
不意打ちをくらい、スワローが一瞬目をまるくする。ピジョンはパンケーキをフォークで切り分け口に運ぶ動作をくりかえす。スワローのいうとおりすっかり冷めきってぱさついているが、味は悪くない。
そういえば昨日の昼から何も食べてなかった。空腹にはごちそうだ。
食欲が甦ったピジョンは、勢い付いて弟の手作りパンケーキを貪り食い、「意地汚ェ」と当の本人に鼻で嗤われる。すかさず最後の一切れをフォークに刺し、スワローにさしだす。
「あーん」
「正気?」
「お裾分けだよ。手は使えないだろ?」
「俺の手がばっちぃから、代わりに食わせてくれんのか」
人に言えないトコさんざん触ったし。ピジョンが「子供の頃はよくやったろ」とむくれる。何か言い返そうと口を開き、急に馬鹿らしくなってまた閉ざす。渋々目を閉じて大口開ければ、無造作にフォークが突っこまれる。仕方なく咀嚼、嚥下。ピジョンがしてやったりと悪戯っぽく笑う。
「どう?」
「……ん。割にイケる」
「だろう」
「なんでテメェが鼻高々なんだよ、気ッ色わりぃ」
「ごちそうさま」
パンケーキをたいらげ、空いた皿をテーブルへ戻す。ピジョンは丁寧に礼をし、シーツに散らばった食べ滓を摘まむ。ベッドの上で食べるなんて行儀が悪い。とても人に見せられない姿だけど構うもんか、隣にいるのは長い付き合いの弟だ。コイツも一口食べたんなら共犯だ。
スワローはほとほとあきれ返った顔で、とことん意地汚い兄が食べ滓を啄むのを眺めている。
それが妙に気恥ずかしくくすぐったくて、ピジョンはぼそりと呟く。
「……変なの」
「何が」
「お前としたら……何か変わるかと思ったけど。そうでもない」
兄弟の一線を超えることで、もっと目に見えた劇的な変化を覚悟していたが、日常の延長のまったりした空気に拍子抜けだ。
窓の外には相変わらずの青空と平和な街が広がっていて、厳しく切り立った岩山が遠くに見える。昨晩の大騒ぎが嘘みたいに、乳白の陽射しが照らす街は穏やかにまどろんでいる。
路地裏で子どもが石蹴り遊びをし、街角では主婦や労働者が屯って立ち話をしている。
色々ありすぎて全てが夢の出来事のように現実から乖離しているが、けっして妄想でも幻覚でもない証拠に兄弟の体には沢山の傷が刻まれ、手足を動かすたび新鮮に疼く。
『ビー痛いのは嫌いよ!おしおきはいや!ちょっと遊んでただけじゃない!』
ビーの最期が瞼の裏に鮮烈に甦る。
『いやいやいや!いたいのはいやだってば、ビーをいじめないで!』
キマイライーターの凄絶な剣技に追い詰められ、泣き叫び逃げ惑うビーは、ただの子どものようにか弱く無力な存在だった。
彼女のしたことを思えば同情は偽善だが、それでも……
ピジョンは枕を抱きしめ、ぼふんと顔を埋める。スワローが目敏く顔色を読む。
「メスガキに一撃くれたの、後悔してんのか」
「……後味はよくないよ」
「悪者倒してハッピーエンドでいいじゃねーか」
「よくない」
枕を抱く手を強めかたくなに首を振る。
確かにビーは邪悪で残虐だった。蜂と人のキメラとして生を享け、フェロモンで下僕を増やし、多くの街を滅ぼしてきた。
でもそれでも、彼女だけが悪いとはピジョンにはどうしても思えない。
「……お前が殺したんじゃねー、俺たちゃただ爺さんの手助けをしただけさ。取り巻きが爺さんの起こした嵐で散って、上手い具合に一本道がひらけた。ま、俺様のアシストあってこその一発逆転大勝利だな」
スワローが不器用に励ます。ピジョンを気遣うなどめったにないから、どうにも下手くそだ。最終的には自慢に落ち着いて堂々開き直る。
「前の街でひとり、逃がしたんだよね」
「ああ……スヴェンの話じゃアル中のオヤジがひとり逃げ出したって。すぐおっ死んだけど」
「その人はビーにちょっかいかけなかったんだろ?」
「だから?アイツにゃ人の心が残ってるって言いてェのか、てめぇにコヨーテをけしかけた外道だぞ」
「……ビーの攻撃性は被害妄想の鎧だよ。彼女の心はもう蜂の巣みたいに穴だらけだった。そこに大人たちがよってたかってドス汚い悪意を詰め込んだ」
故人に偏見を述べるのは不謹慎だが、舌が止まらない。ビーの酷い仕打ちは一生忘れない、これから何度も夢に見てうなされる。それでもピジョンは考えずにはいられない。
悪意を向ける人間に倍にして悪意を返す、もし彼女がそういう風にしか生きられなかったのなら……
それはとても、寂しい。
身の裡に冷え冷えした虚無が広がる。
寂寥が積もる胸の底に憐憫めいた感情がこみ上げて、枕に顔を押し付ける。
「考えすぎ。悪党に情けをかけると癖になるぞ」
スワローが首と肩の境目にキスをし、心地よく火照りを吸い取ってくれる。
ピジョンは固く目を閉じ、強張った声をだす。
「約束しろ」
「んだよいきなり」
「ビーの死体にしたこと……俺の目の前で、二度とあんなまねするな」
ピジョンが枕から顔を上げ、後戯を続けようとする弟の顔を至近で真っ直ぐのぞきこむ。
おっかない顔……|鳩の血《ピジョンブラッド》に澄んだ眼差しに乗る、本気の怒りに痺れる。
スワローはまじまじ見返す。
コイツはひとの為に怒る時が一番キレイだ。
たとえそれが代わりに怒ってやる価値のない最低の外道でも、きちんと筋を通そうとする。
赤錆の瞳が純粋な義憤に燃え、毅然と引き結んだ唇が一歩も退かない決意を表明。
優柔不断なピジョンには珍しく断固たる態度で手を掴み、肩からひっぺがす。
「いいだろ別に。もう死んでんだ」
「よくない」
「テメェにしたこと考えりゃツリがくる」
「それを決めるのは俺だ。死んだ人にむかって、あんな……」
「『人』じゃねえ。|ミュータント《バケモン》だ」
刹那、ピジョンは生きながら心臓を貫かれたような顔をした。
愕然と目を見張り、次の瞬間くしゃりと表情を崩す。
悲哀に翳る目に一抹の痛みが走り、握り潰された心臓から滴る最後の一滴のように、繊細すぎる血色が震える。
スワローの暴言に心抉られて、弟を掴む手から諦めて力を抜く。
「……お前が改めなきゃ、一緒にやっていけない」
賞金稼ぎとしてコンビを組めない。無二の相棒として隣に立てない。
ピジョンが口に出さず飲み込んだ本音を汲みとり、スワローは露骨に舌打ち。
「……善処するよ」
兄貴の「目の前」じゃな。
ピジョンががばりと跳ね起きて、至って真剣に問い質す。
「本当?約束できる?ちゃんと俺の目を見て母さんに誓える?」
「るっせェなァ……ヘイヘイ母さんに誓いますよ、もう金輪際死体は冒涜しねーよ、ゾンビッチにまるかじりはたまんねーもんな」
適当にとぼけてはぐらかす弟に詰め寄るピジョンの背後で、猛烈な勢いでドアが連打される。
「起きたのピジョン?上でガタガタ音がして……話し声もしたし」
「母さん!ちょ、待って、四十秒で支度する!」
母がきた。最悪だ。全裸の兄弟は高速で顔を見合わせ、ただちに行動を開始する。
ベッドから這い出て床の衣服をかき集め、慌てふためきパンツに足を通すも、あせるあまり取り違えてパニックをきたす。
「ンだよこのだせーボクサーパンツ!」
「こっちのセリフだ、ピンクと黒の縦縞に髑髏の型抜きトランクスなんて穿くヤツの気が知れない、さっさと脱げ!」
「はァ!?お前が一度穿いたの穿くのかよ、やなこった気色わりぃ!!」
「~~~ッさっきそれ以上のことやってたろ!!?俺のケツや股べたべたさわりまくって手を洗ってないだろ汚い!!」
「毛じらみ引っ越したら責任とれよ!」
「毛なんてそんな生えてないし多分しらみもいない、さっきまでしゃぶってたならわかるだろ!いいからパンツ投げろ、ボクサーパンツじゃないと落ち着かないんだ俺は、あのフィット感が守ってくれてるようで安心するんだ、デリケートなポールとボールにしっくりくるんだ!」
「トランクスのが風通しよくてラクチンだろ、蒸れねーしよ。隙間っから手ェ突っこめるから便利じゃん、ボクサーパンツは脱がす時ひっかかんだよ」
「ねえピジョン、どうしたの?スワローもそこにいるのよね、声がするし……そろそろ起きる頃合いだってお食事持ってたっきり帰ってこないから心配してたのよ、ずっと付き添ってたの?なんかバタバタしてるけど大丈夫?病み上がりで喧嘩なんてやめてちょうだい、母さん泣いちゃう。いざとなったら力ずくでもドアをぶち破って」
「喧嘩じゃないよスキンシップだよ、もうすぐ開けるから!」
低レベルな口喧嘩を繰り広げてパンツを交換、スワローが無造作に丸めて放り投げたボクサーパンツを装着、すっぽ抜いたトランクスを弟の方へ蹴飛ばすもコケて悶絶、「あいだだだ」と呻きがてらボクサーパンツをずり上げる。
間一髪、間に合った。
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