1 / 2
第1話【この世界がクソだって事】
世間は所謂"華金"ってやつで、どこを歩いてもガヤガヤと騒々しい。
繁華街に出ようもんならより一層人の声が頭にガンガン響き渡る。
そんな騒がしい場所も、家で独りっきりになるよりは幾分かマシだった。
特に目的も無くダラダラと重い体を引きずって歩く俺は、目が回りそうな倦怠感に溜め息を吐いた。
「はあっ...しんど...」
俺__支倉秦司 は、今物凄く調子が悪かった。
_______
この世界にはダイナミクスからなる男女以外の性が存在する。
それが"Dom"と"Sub"だ。
Domは"支配したい"欲求が強く現れ、Subは"支配されたい"欲求が強く現れる。
稀に"Switch"と呼ばれるDom性とSub性を両方兼ね備えた性の人も居るそうだ。
これらの性を持つ人口の割合は少なく、一般的には"Normal"__つまり普通の男女が人口の殆んどを占めている。
第二次性を持った人間は"Play"を定期的に行わなければ、体調不良や精神的な疲労により最悪の場合死に至る事もあるらしい。
PlayとはDomとSubの信頼関係からなる欲求の解消行為を意味する。
Domの発する"Command"にSubが従う事でPlayは成立し、お互いの欲求が満たされていく。
上手くPlayが出来れば、いつでも絶好調でいられるって訳だ。
欲求の大きさや方向性は人それぞれで異なる為、Playを行うパートナーは慎重に選ばなければならない。
相性の良いパートナーを見付ける事が、円滑に生きていく上でかなり重要な事になるのだ。
_______
この調子の悪さが、明らかなPlay不足だってのは百も承知だ。
だが相性の良いパートナーなんてそう簡単に見つかるもんじゃない。
それ以前に、自分の性を診断された時から俺はその性を受け入れた事など無かった。
「くそっ...。俺は叩かれて喜ぶMじゃねぇんだよ!」
___"Sub"
それが俺に診断された第二次性だった。
_______
目的が無いとは言っても、気の休まる場所に行きたかった俺は結局いつもの場所に足を運んでしまった。
辿り着いたのは落ち着いた佇まいのBAR。
2年程前から通っているゲイバーで、今では数いる常連客の1人となっている。
店に入ると、中は結構人が多かった。
それでも皆静かな雰囲気で酒を交わしていて、やっぱりここは落ち着くなと胸を撫で下ろす。
「あら、秦 ちゃん!いらっしゃい♪」
「よぉ、マコちゃん」
カウンター席に向かうと、いつもの様にこの店の"ママ"が出迎えてくれた。
御田誠 、年齢不詳。
ロングヘアで体躯の良い男。
最初はヤバそうな人だな...と警戒していたが話してみるとめちゃくちゃ良い人で、今では割と何でも話せる人物だ。
片手を振って挨拶を交し、適当に空いている席に腰掛けた。
俺が腰掛けるや否や、マコちゃんは怪訝そうな顔で詰め寄りヒソヒソと耳打ちをし始める。
「ちょっと、ちょっと秦 ちゃん!アナタまだPlayしてないでしょ!?」
「だから、Playなんてする気無いって」
やっぱり...その話か。
マコちゃんには自分がSubである事を伝えてある。
この店にはSubもDomも通っている為、万が一にも不祥事が起きない様にマコちゃんは無理強いせず客の性を把握している。
まぁ、俺みたいな見た目の人間はSubっぽくないらしく、Subだと思って近寄って来る奴は1人も居ない。
「そんな事言ってたらダメよ!Normalのアタシでも分かるくらい今の秦 ちゃん、欲求不満でフェロモンがダダ漏れよ?よくそんな状態でここまで辿り着けたわね...」
つんつんと頬を突っつくマコちゃんの指を、パシッと払い除ける。
俺にはフェロモンとかよく分からないが、稀にSubとDom同士で匂いや色で分かる奴らも居るらしい。
普通はNormalには感じ取れないはずのフェロモンが分かる程って、それは相当ヤバい事なんじゃないかと思う。
だが、それでも俺は自分がSubだと認めたくないしPlayをする気もさらさら無い。
「そんな心配されなくても、俺は大丈夫だってば」
「何でそう言いきれるのよ?」
マコちゃんは膨れっ面で、信用ならないと疑いの目を向けてくる。
頬杖を付いて「何でも良いから飲み物頂戴」とマコちゃんに注文をして、いつもと同じ答えを口にする。
「俺はSub性が極端に薄いの。実際、Subだって診断されてから1度もPlayした事ないけどここまで生きてこられてるし。だから俺は大丈夫だっつーの」
慣れた手つきでカクテルを作るマコちゃんの動きを眺めながら、何でもない事の様に言い切った。
マコちゃんは出来上がったカクテルを、コースターと共にすっと俺の前に提供してくれる。
「んもう、あのねぇ...。その今までのツケがこーやって表に現れてきちゃってるじゃないの」
グラスの中の液体は眩しいくらいに澄んだ青色をしていた。
マコちゃんの作るカクテルはいつも美しく、荒んだ心も穏やかな気持ちにさせてくれる。
「これまでじゃなくて、今をどーにかしなきゃって言ってるの!」
「薬はちゃんと飲んでるし、生活に支障は無いから」
聞く耳を持たぬ精神でマコちゃんの言葉をバッサリと切り捨てる。
心配してくれるのは純粋に嬉しいが、どうしてもSubとして生きていくのが嫌だった。
この世の中、偏見を持つ奴は少なくない。
俺もその中の1人だ。
偏見は良くない、普通に最低だと分かっている。
けど、それでもSubは受け入れられない。
虐げられて喜ぶ性なんて、気持ち悪いだけだ。
「秦 ちゃん!」
頬を膨らますマコちゃんに笑い掛けながら、俺は目の前に置かれたグラスに手を伸ばす。
___"Stop"
「ッ!」
薄らと聞こえたその言葉に、俺はピタッと動きを止めた。
店内にはそれなりに人が居て、そこそこ近くに居ないと声は聞こえても言葉は聞こえてこない。
それなのに、何処からかハッキリとその言葉は聞こえた。
ザワザワと胸が騒ぎ始め、冷や汗が額に滲んでくる。
それと同時に、ふわふわと全身の力が抜ける様な痺れた感覚が巡っていく。
「あら!悠斗 じゃない!」
マコちゃんが誰かに挨拶をした。
挨拶をするって事は、カウンター席に誰かが来たって事だ。
カタンと隣の席に誰かが座った気配がする。
誰が座ったのか確認したいのに、体が一向に動こうとしない。
「ッ、くっ...」
段々と呼吸がしづらくなる。
グラスへと伸ばしていた手がブルブルと震え出す。
ダメだ...限界だ。
もう正気を保っていられない。
不安で、怖くて仕方ない。
「久しぶりね!」
ちゃんとCommandを聞いているのに、誰も俺を見てくれない。
誰も、俺を褒めてくれない。
誰も俺を___
「お久しぶりです、誠 さん」
「ッ!!」
この声だ。
間違い無い...俺のDomの声だ。
隣に居る。
俺のDomは隣に座っている奴だ。
見たい、顔が見たい、振り向きたい。
早く、早く褒めてくれ...。
早く俺を褒めてくれよっ!
___"Look"
「ハッ!」
言葉が耳に入ると同時にぐりんと首を右に向け、声の主をこの目に捉える。
横に座る男は優しい微笑みを顔に取り付け、真っ直ぐに俺を見詰めていた。
「よく出来ました..."Good boy" 」
優しく愛しむ様な声で囁かれ、ぶわわっと目の前が赤くなる。
それだけじゃない、頭が痺れてどんどん思考が溶けていく。
「ぁ...はっ、はぁ」
先程とは違う呼吸のしづらさに、俺は軽い目眩を覚えた。
「俺、風間悠斗 って言います。俺のパートナーになってくれませんか?」
人畜無害そうな笑顔を向けるその男は、遠慮無く俺の頭を撫で擦りながらそう告げたのだった。
___第1話【この世界がクソだって事】
ともだちにシェアしよう!