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第2話【最悪の出会い】
「コラ、悠斗 !」
永遠に感じた沈黙は、風間悠斗 と名のつく生き物をマコちゃんが叱った事で永遠ではなくなった。
霞み始めていた思考が戻ってくる。
目の前の男はマコちゃんに叱られて、頭を撫でる手をピタリと止めてしまった。
「Playは同意が無きゃしちゃダメだって、授業で習わなかったの!?」
どうやらマコちゃんは結構本気で怒ってくれているらしく、いつもより驚く程声が低い。
Commandの余韻で動けない俺の代わりに、マコちゃんはベシッと風間悠斗 の手を俺の頭から叩き落としてくれた。
叩かれた手を擦りながら、風間悠斗 はそのデカい図体を縮こませる。
「あ、ごっ、ごめんなさい!」
注意を受けた風間悠斗 は、申し訳なさそうに頭を下げて謝ってきた。
その行動が、声が、何となく腑に落ちない。
そう...特に声が違う。
___さっき俺にCommandを出したのは、本当にこの男なのだろうか?
そんな疑問と違和感に、俺は思わず眉間に深く皺を刻み込んだ。
「あの...体調、どうですか?」
「はあ?」
おずおず、と言う言葉が当てはまりそうな切り出し方に、自然と口から「うざい」と感情の乗った声が漏れ出た。
風間悠斗 は凄く心配してますって表情で俺を見詰める。
勝手に命令され、強制的に従わされ、それでよく体調がどうだの聞けたもんだ。
俺はガシガシと頭を掻きむしりながら、苛立ちを隠しもせず返答する。
「ンなもん、最悪に決まって...」
言葉と同時にピタリと体の動きを止めた。
「...嘘だろ」
信じられない物を見る様に、自分の両手を交互に見やる。
あんなにしんどかった体が、幾分かマシになっている。
歩くのも怠かったのに、今から走る事だって出来そうだ。
素性も分からない男のCommandで、俺のSub性は満足してるって言うのか?
___笑えない。
本当、Subは気持ち悪くて笑えない程寒気がする。
「はっ」と乾いた笑いを吐き捨て、飲み損ねていたカクテルを一気に体へ流し込んだ。
大袈裟にグラスをテーブルへ置き、なるべくキツく風間悠斗 を睨み付ける。
「おい、言っとくけど...お前のCommandで良くなった訳じゃないからな。Domなら誰でも良かったんだよ」
「秦 ちゃん...」
言い切ってフイッと風間悠斗 から顔を逸らす。
マコちゃんは少し悲しそうに俺の名前を呟いた。
「良くなったなら...それで良いんです。誠 さん、俺にも支倉 さんと同じものください」
「えぇ、分かったわ」
風間悠斗 の声は明らかに気落ちしているものだった。
何だか調子が狂う。
さっきから、この男が何者なのか全く掴めないでいる。
風間悠斗 って名前の人間だって事は分かっているが、俺が引っかかっているのはそこじゃない。
分からないのは、俺にCommandを出したのが本当にこの男なのかどうかだった。
先程従わされたCommandは、威圧感みたいな強制力がとても強かった。
だが、隣に座るこの男からはそんな大層なもん微塵も感じられない。
穏やかで、見るからに優しそうで、あんな強いCommandがこの男に出せるとは到底思えない。
それとも、DomのCommandは全員同じ様にSubには強烈な威圧感を与えるものなのだろうか。
Playをした事が無い俺にとって生まれて初めて_いや、正確には初めてじゃないが_自分に向けられたCommandだった。
初めて体感する為、Commandが普通どの様なものなのかあまり良く分からない。
良くは分からないが、風間悠斗 のCommandは物凄く危険な気がする。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
風間悠斗 の目の前に、俺が一気飲みした鮮やかな青色のカクテルが置かれる。
同じものを頼むだなんて何てキザな野郎だ。
何となく気に食わないので、俺は上書きする様にマコちゃんに声を掛ける。
「マコちゃん、違うの頂戴」
「はいはい」
俺の意図を汲み取ったのか、マコちゃんは呆れた様に溜め息混じりで返事をした。
「あ、誠 さん!アルコールは弱いやつにしてあげて下さい」
「え?」
「はあぁ?」
風間悠斗 の一言に、俺とマコちゃんは同時に振り返る。
___コイツは今...俺の飲み物に対して言ったのか?
「おい、何でお前に決められなきゃいけねーんだよ」
「貴方の体の心配をしているからです」
「それこそ、何でお前に心配されなきゃなんねーの?」
初対面の...しかも侮辱する様に命令を下した奴に心配されるなんて、不愉快以外のなにものでもない。
風間悠斗 は真剣な表情を俺に向けてくるが、俺にとってはそれすらも苛立ちの材料の1つでしかなかった。
「大体、心配してる奴が無許可でCommand使うかよ」
「心配だからCommandを使ったんです!」
少し煽る様な言い方をしたら風間悠斗 の何かに触れたらしく、さっきよりも強い声で返答してきた。
このDomにCommandを使われたという事実が頭にこびり付いていて、その強い声に少し萎縮してしまう。
「ッ、何言ってんだ...見え透いた嘘言ってんじゃねぇよ!」
「支倉 さんの体がどれだけ危ない状態か分かってますか!?いつ倒れても...いつ、悪質なDomに襲われてもおかしくない状態なんですよ!?」
ガシッと両肩を掴まれ、揺さぶられる。
急に触れられた驚きと掴み掛かられた反射で、拒絶する様に風間悠斗 の腕を跳ね除けた。
俺が襲われると思われてんのも、惨めにDomに心配されてんのも全部___
___ムカつく...ムカつく、ムカつく!
「そんな事言って...お前がその悪質なDomだろうが!無許可でCommand使いやがって!」
___これ以上、俺に踏み入ってくるな!
「俺はッ、俺は命令されて喜ぶマゾじゃねぇんだよ!」
柄にも無く声を張り上げて怒りをぶつける。
頭が真っ白になって、自分が何を言っているのかもあまり理解しないまま言い放った。
「支倉 さ___
___パンッ!___
「そこまでよ!」
不穏な雰囲気が漂っていた場に、仲裁の言葉が鋭く刺さる。
今にも取っ組み合いになりそうだった俺と風間悠斗 は、マコちゃんの手拍子にビタッと体を硬直させた。
驚いてマコちゃんを見るといつものニマニマ笑顔は見る影も無く、険しい表情で俺を見詰めていた。
風間悠斗 の胸ぐらを掴む為に出しかけていた手を下ろし、俺はマコちゃんから目を逸らす。
「2人共、少しは落ち着いて」
「す、すみません...」
すっと頭が冷え、周りがとても静まり返っている事に気付く。
チラリと店内を見れば、ほとんどの客が俺と風間悠斗 のやり取りを見守っていた。
中には悲しそうだったり、俺を睨んでいる奴も居る。
「秦 ちゃんも。うちのお店にはDomの子もSubの子も沢山来てくれるの。秦 ちゃんがSubを嫌っているのは知ってるけど、大切なお客様を傷付ける言動は許せないわ」
もっとずっと怒っているはずなのに、マコちゃんは落ち着いた声で言い聞かせた。
怒鳴られない事があまりにも罰悪く、絞り出す様な声で謝罪の言葉を口にする。
「...悪かったよ」
「喧嘩するなら奥の部屋を貸してあげるから、あんまりここで大きな声出さないでくれるかしら?皆ビックリしちゃってるじゃない!」
いつもの調子で頬を膨らませ、マコちゃんは「もう!」と腰に手を当てた。
そんな大人な対応されると、自分が本当に惨めに思えてくる。
行き場の無い感情をギリッと奥歯で噛み締めて、上着のポケットから握り締めてくしゃくしゃの5000円札を取り出す。
それをトンッとマコちゃんの目の前のカウンターに置き、くるりと踵を返した。
「良いよ...もう萎えたし帰る」
「ぁ、支倉 さ__「秦 ちゃん。そんな状態で帰るのはダメよ」...誠 さん」
風間悠斗 の言葉を遮って、マコちゃんがピシャリと声を低くして俺を制止させる。
出口に向かって歩き始めていた足を止め、上体だけでマコちゃんを振り返った。
「何でだよ」
「そのまま帰ったら、アナタ絶対Sub dropに陥るわよ」
______
"Sub drop"とは、Subが不安定な状態に陥る事だ。
強烈な不安や緊張等から、虚無感や倦怠感等を引き起こしてしまう。
気を失ったり、酷いと死んでしまう事もあるそうだ。
Sub dropを抜け出すにはパートナーであるDomにケアしてもらうか、薬で精神を落ち着かせるくらいしか方法が無い。
______
「...なんねぇよ」
Sub dropなんて、脅えたSubがなるもんだ。
俺はそんなに弱くも、やわでも無い。
「いいえ、絶対になるわ。大人しく悠斗 と奥の部屋に行きなさい」
有無を言わさぬ様なマコちゃんの声に、少しだけ怯んでしまった。
不安感が胸の奥で渦巻いているのは気付いている。
だがそれを表に出そうとも思わないし、誰かにケアしてもらおうとも思わない。
今までだって自分で...1人で何とか生きてこられた。
今更、誰かに胸の内を見てほしいなんて微塵も考えていない。
だから、俺の事は放っておいてほしいのに...。
「くそっ...何で俺が...」
マコちゃんには本当に世話になっている。
自分の性を打ち明けている数少ない友人ってのもあって、マコちゃんとは割と何でも話が出来た。
気分が沈んだ時、ここに足を運んでしまうのもマコちゃんが居るからに他ならない。
自分でも気付かぬうちに、マコちゃんを心の支えにしていたのかもしれない。
「つべこべ言わない。悠斗 を部屋まで案内してあげて」
「...チッ、分かったよ」
出口とは反対の方向にある扉を指さし、マコちゃんはニッコリと嘘臭い笑顔を向けてくる。
俺だって店の中で揉め事を起こしたい訳じゃない。
正直、本当に萎えたし早くこの場から消え去りたかったが、マコちゃんが本気で怒鳴ってきそうだったので大人しく従う事にした。
ガシガシと頭を掻きながら、俺は奥の部屋へと向かう。
「ま、誠 さん...」
「大丈夫よ!悠斗 、秦 ちゃんのこと任せたわね」
「...はい!」
背後から2人の会話が聞こえてきたが、聞こえぬフリをして扉をガチャリと乱暴に開けた。
______
「わぁ...凄い、立派なオフィスですね」
店の奥の部屋は従業員用の休憩フロアになっている。
真ん中に長机があって、その周りに高そうなソファが並べられている為、まるでヤクザの事務所みたいな印象の部屋。
そんな部屋に入った風間悠斗 の第一声は、気が抜ける様な間抜けな声だった。
「じゃ、帰るわ」
「えっ」
マコちゃんに言われたから仕方なくここまで連れてきたが、こんな得体の知れない奴と2人きりなんてゴメンだ。
Sub dropに陥らないように、まずはこのDomから離れるのが得策に決まっている。
初対面なのにも関わらず無許可でCommandを出すようなDomは、例え俺がSubじゃなくても願い下げだ。
「もう興醒めだし、何も話す事なんか無いだろ」
1秒でも早くこのDomから離れたかった俺は、早口にまくし立てて部屋から出る。
「"Stay" 」
「ぐっ、ぅ...」
___俺の、Domの...Command...
耳にその音が入った瞬間、体がピタリと動かなくなる。
部屋から出ようとした俺の体は、ドアノブを持って扉を開けた所でフリーズした。
また、無許可でCommandを使われた。
じわじわと色んな感情が滲み出し、ぐっと唇を噛み締める。
「お前...いい加減にしろよ」
「ごめんなさい。でも、ちゃんと話を聞いて欲しいんです!」
「だから、嫌だって言ってんだろ!」
風間悠斗 のCommandを振り切り、俺は勢いを付けて振り返る。
ズシッと体が重くなった感覚に、よろめいて壁に手を付く。
「ダメです。聞いてください、支倉 さん。貴方にとって悪い話じゃないんですから」
視界に捉えた風間悠斗 は、ギラリと瞳の奥を光らせて俺を射る様に見詰めていた。
その視線を浴びてぐらっと頭の中が揺れる。
再び霞み始めた思考を何とか保ち、風間悠斗 に睨みを利かす。
「そんなもん関係無ぇ、俺は帰る!」
「"Shush" 」
「ッ...ッ!」
少し強めに出されたCommand。
目の前のDomの命令通り、俺は口を閉じて押し黙るしか出来ない。
___あぁ、やっぱり違和感がある。
会話をする時の穏やかな声と、Commandを発する時の声に微妙だが確実に違いがあった。
風間悠斗 は、その体の内に何かを飼っている。
表に出ている無害な男は偽物だ。
もっと凶暴で、危なくて、大きすぎる何かを秘めている。
今すぐこの場から立ち去りたい衝動の隅で、冷静に目の前の男を観察している自分に驚く。
俺に遠慮無く命令する最悪な男に、本能なのか...少し興味が湧いていた。
「支倉 さん"Listen" 」
「くっ、ぅ...」
「最後まで聞いてくれたら...沢山、褒めてあげますから」
___誰がそんなもんで喜ぶか!
そう叫んでやりたいのに、口が全く動かないし喉も声を出そうとしない。
さっきのCommand...Shushがまだ効いているんだ。
そう思わないとダメだ。
ダメなのに...
___違う。
Commandが効いてるんじゃない。
"褒める"
その単語を聞いた時、狂おしい程に褒められる事を期待したんだ。
「"Come" 」
___風間悠斗 の傍に居てはいけない。
理性は強くそう告げている。
傍に居たら暴かれてしまうから。
卑しい自分の本当の性を...本来在るべく自分の姿を。
そんなのは嫌だ。
絶対に嫌だ。
「...くっ、そ」
嫌なはずなのに、駄目だと分かっているのに、俺の体は吸い込まれる様に風間悠斗 へ歩み寄っていた。
_________第2話【最悪の出会い】
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