1 / 2
第1話
兄の衛華が両足を失くしたのは八年ほど前のことだ。
失くしたと言っても、凍傷により足指を切り落とす必要があったというだけの話で、膝から下が丸ごとないという話ではない。軽快に歩くことは困難になったが、靴を履いて立ち止まっていると至って健常な普通の男に見える。
しかし戦場へ向かったあの日の兄と今の兄は、全くの別人だ。勇敢で美しかったあの兄は、もう居ない。
もし戦が起きるのがもう少し遅く、或いは俺が生まれるのがもう少し早ければ。隣で俺が戦っていれば、あの人を守れただろうか。俺が代わりに両足を失っていたら、あの人は今も皆から慕われる───勇ましい将軍で在っただろうか。
「阿民、今日は桃を貰ってきたんだ。切ってあるからおいで。一緒に食べよう」
いや、義足で勇敢に戦った武将は存在する。片腕や碧眼でありながら名を馳せた者の記述だって、歴史書に目を通せばいくらでも出てくる。
或いは戦がなくとも、新兵の教育なら出来るだろう。平和な世になったとはいえ、戦が未来永劫起きないだなんて有り得ない。来る日に備えて、兵の訓練をすることは可能だ。
知識や経験を活かし、文官を目指すことだって出来る。都の治安維持に必要な軍人にだってなれたはずだ。
しかし、兄はいずれもやろうとしない。
街の子供達と戯れ、学問を教え、日が暮れたら書を読み、眠くなったら寝る。毎日毎日、そうやって暮らしている。
「あぁ、まだ時季じゃないって思ってるだろう。確かにまだ早い。けど本当に甘いよ。騙されたと思って食べてみろ」
「………………」
要するに今の兄は、ただの腑抜けだ。
国を想い、民を守り、皆に慕われていた───俺の自慢の兄ではなくなった。
見ていると、虚しくなる。どうにもならないとは知っている。
深い深い溜息を吐きながら自分の部屋へと戻る。あの呑気な顔で、口調で、話しかけられるだけで苛々するのだ、出来ることなら顔を見たくない。
いや、出来ることなら……昔に戻りたい。
------------------------
「若様、あと半刻ほどでこちらへ到着するとの事です」
「そうか。分かった。お見えになったらまた知らせてくれ」
「はい」
客人のもてなしなどという慣れない支度に奔走しているにも関わらず、気の抜けた声はお構いなしに聞こえてくる。
「なんだなんだ?この屋敷に誰か来るのかい?……阿民!お前、私に黙っていたな?ははぁ、さては………」
見ているだけで腹が立つ、この笑顔が言い出しそうなことなど分かりきっていて泣けてくる。
「阿民もそうか、そんなお年頃か。仏頂面のお前もようやく……」
「…………何か勘違いしているようだが、お前の想像しているような客人では絶対にない」
「そうなのかい?どこぞの可憐なお嬢さんかと……」
「あり得ない」
「あり得ないって、お、お前なぁ……。それはそれで、何というか些か不安な……」
睨みつけると、軽口は喋るのをやめた。
「わかった、わかった。どなたがいらっしゃるのかは分からないが、私はお邪魔にならないよう部屋に籠っているよ」
「違う。お前が会うんだ」
「私が?その客人に?どうして?」
「…………」
半刻後、俺は西域からはるばる来てもらったその技師と兄の衛華を会わせた。
かなりの熟練と評判の技師で、異国の技術を取り入れながら極めて精巧な義手を手掛けたこともあるらしい。
正直、見た目はその辺にいる爺さんにしか見えなかったが、傍らに立つ弟子達が皆きりりと背筋を伸ばし、師の呟きを聞き逃さんとしているのを見る限り、尊敬されている事は確かだろう。
「宋先生、どうですか?兄は健常者と同様に……歩けるようになりますか?」
「ええ、勿論。お任せ下され。時間は要しますが、いずれ楽に歩けるようになりましょう」
「それは頼もしい。何卒、よろしくお願いします」
「………………」
衛華は、俺が技師に色々と尋ねている間、ずっと黙り込んでいた。
その晩、彼ら一行に酒と食事を振る舞ったのだが、兄は軽い挨拶をした後さっさと自室へ帰ってしまった。
技師らは早速作業に取り掛かると言い、翌々日にはここを離れていった。見送りを終えた俺が屋敷に戻るやいなや、衛華は盛大な溜息をついて文句を言ってきた。
「阿民……何を考えているんだ、お前は」
「何って、お前が歩けるようにしてやりたかっただけだ」
「歩けているよ!私は……何ひとつ不自由なく生活出来ているじゃないか。この屋敷の中なら自力でどこへでも行けるし、馬に乗り街へ行くことも出来る。それなのに今更、あんなに高価な義足をつけろだなんて……。お父様やお爺さまの遺産は、そんな無駄遣いをするためにあるんじゃないんだぞ」
無駄遣いと聞いて、俺も黙ってはいられなかった。
「無駄だと?……衛華!!お前の今の暮らしぶりの方が無駄なんじゃないか!?毎日毎日毎日好きなことばかり、ガキどもと遊んでばかり……。時間の浪費も甚だしい、自分の醜態を見てみろ!!貴様の方こそ、ご先祖様に顔向けできる見てくれか!?」
「なっ…………………」
日頃思っていたことを真正面からぶつけると、衛華は黙って俯いた。己を省みる気に、ようやくなったのだろうか。
「庭民」
愛称ではなく名前を呼ばれたのはいつ以来か。
その声はどこか冷たく深刻で、暗い。一瞬、胸が苦しくなった。
「お前がもし、生涯私の面倒を見なくてはならないと思い込んでいるのなら、それは間違いだ」
「……なに?」
あまりに見当違いな言葉が出てきたものだから、反応が遅れた。
「お前が日々身体を鍛え…自分の実力を試したがっている事は知っている。戦のない今の世では、武功はあげにくいだろうが……都へ出て志願すれば研鑽することは可能だろう。軍には親しい将軍もいる。必要であれば私から推薦状も書いてやろう」
「……都に?俺が?なぜ……」
「私に構わず、お前の生きたいように生きたらいい。私は一人でも平気だ」
何を言われているのか分からない。そう思っているうちに奴は背を向け、自室へ向かおうと歩き始めてしまった。
「待て、おい………衛華!」
待てと言っているのに聞かない。歪な両足で、のろのろと遠ざかっていく背中を見ているうちに、心が重く、苦しくなった。待て、ともう一度言いたいのに、気道が狭くなったようで声が出てこない。
「………さん………兄さん!!」
そして絞り出したわけでもなく、一つの言葉が外に出た。殆ど無意識だった。
都に行きたいだなんて一言も言ってない。面倒を見たくないだなんて思ったことはない。一人でも平気だなんて言葉、聞きたくない。さっきは……言いすぎた。
何一つとして表に出てこない言葉の代わりに、ぼろぼろと涙が零れる。
「……………あ、」
衛華が振り返り、驚いた顔をしている。涙など見られたくないと思い顔を背けたが遅かった。すぐさま駆け寄ってきた奴の手が、俺の顔に触れる。
「阿民〜〜!!!ああ、ごめん。ごめんよ。お前はお前なりに、私のためを想ってしてくれたというのに……どうして私は、あぁ……。言いすぎてしまった。阿民、泣かないでくれ。兄さんが悪かった……」
「………………」
「お前には私しか、私にはお前しか……もう家族と呼べる人はいないんだ。ちゃんと話し合おう。お前が思っていることを、もっとよく聞かせておくれ。ね?」
考えを聞かせろと言われても、何もかもが分からなくなった。俺も自分がどうしたいのか分からず、この男に何をして貰いたいのかも分からない、それらは言葉で言い表せそうにない。
ただ普段は鬱陶しくて堪らない子供扱いが、この時は無性に心地良かった。
------------------------
「つまり、お前が毎日稽古に励んでいるのは、武勲を得たいから……ではないというのか?」
「……ああ。別に、興味はない」
「うーん。分からないな……ならなぜ励む?私のようになりたくないからか?」
「それは…………」
兄の姿に目をやる。昔と比べるとかなり痩せたように思う。俺よりも一回り小さくなったその身体に、かつての凛々しさはない。
その身体が嫌だというわけではない。ただ、理想としていた男がこうも変わってしまったことは悲しく、寂しい。
しかしこれを言葉にするのがどうにも難しかったので、適当な返答で片付けてしまった。
「そうかもしれない」
「おいおい………そこは、そうじゃないって言うところだと思うんだけどな……。でもな、阿民?私は今でこそ惰民に見えるかもしれないが、かつてはそれなりに働いたし、国にも貢献したんだぞ」
「知っている」
「ならば……もういいだろう?情勢も私の身体も、以前とは変わった。私の役目は……」
「終わったなどと言うには、早すぎるのではないか?」
「阿民……。お前は私に、少しの安らぎも、穏やかな日常すらも与えてくれないというのか?こんな身体になったというのに、まだ馬車馬のように働けというのか」
「……都合の悪い時だけ怪我人ぶるな。先程自分の口で何一つ不自由なく暮らせていると言っただろう」
「お、お前っ………!!」
衛華は声を荒げて立ち上がったが、すぐに座った。そして落胆した様子で小さく、
「………やはりお前が分からない」
と呟いた。その声色があまりにも悲しげであったので、また胸が苦しくなった。
「衛華。俺だって分からない。ただ、今のお前を見ていると……昔と違いすぎて、苛々するんだ」
「昔と違う、か……。そう言われてもなぁ。人は生きていれば変わるものだろう。お前も随分と変わったよ。昔の阿民はさぁ、たまに帰るとずっと嬉しそうに私の後をついてまわって、布団の中まで……」
「俺の話はいい」
「自分は良くて、私は駄目なのか?やれやれ……」
衛華は少し黙って、何かを考えているようだったから、俺も自分自身のことを少しだけ考えた。
確かに俺は昔、兄が大好きだった。年に一度だけ帰ってくる兄とは話したいことが山ほどあって、眠る時間も惜しかった。
たまにしか会えないから、好きだったのだろうか。いや、そうではない。衛華の帰りを、父も母も下働きの者も、街の者たちも、皆が楽しみにしていた。冬が終わり春に近づく頃の、あの浮ついた雰囲気が好きだったように思う。
皆が慕う自慢の兄。俺は、恐らく………
「阿民。お前はさ、誇れるものが何もなくなった私を見ているのが辛くて……嫌なんじゃないか?」
丁度同じような事を考えていたであろう衛華からそのように言われ、なんだか気味が悪かったが素直に頷いた。
俺自身の事であれば他人からどう思われようと構わないのだが、今の兄を見た誰かに───落ちぶれた男、と思われるのは嫌だ。
「朝から晩まで鍛錬に明け暮れているお前には分からないかもしれないがね、これでも私は世の中に貢献しているのだよ?子供たちには薬学や古典を教え、時々街に出ては困り事はないか聞いてまわって……」
「…………」
「納得出来ない?分かった。じゃあ、こうしよう!お前が私のために誂えてくれたあの義足がこの家に届いたら、その日に勝負をしよう」
「勝負?……何のだ?」
「何って、真剣勝負だよ。まぁ槍でも鉾でも、何でもいい。もしお前が勝ったら、その時はお前の理想の兄君となれるよう、私は何だってしよう。お前が望むなら都へ行き、軍に入隊してもいい。私が勝てば、これまで通りに暮らすだけだ」
その提案は正直、衛華にとっては分が悪すぎるように思えた。それに、退役後ろくに体を動かしていない男に勝ったところで……俺とて別に嬉しくはない。
「受け取ったその日にか?慣れる時間も必要だろうが」
「はははっ!!阿民、お前は負けたいのかい?私に気を遣ってどうする。馬上であればさほど慣れずとも問題ないよ」
それに、と付け加えてこちらを見る。
この時の衛華の顔がなぜだか別人のように見えて、一瞬、思考が止まった。
「万が一にでも勝てると思うのなら……それが夢だと分からせてやろう」
この誰だか分からぬ者の瞳に、俺は吸い込まれていた。丸く開いた瞳孔をどのくらい眺めていたか分からないが、気が付いた時には衛華はいつもの調子に戻っていた。機嫌よく笑って「格好いい足になるといいな」などと言っている。
───先程見た、俺の知らない表情は一体何だったのだろう。
柔和で明るく人懐こい、或いは緊張感のない、俺のよく知る兄とはまるで違う。あれは一体、何なのだ。
胸が騒ついて妙に高揚して、勝ち負けがどうなどという話はすっかりどうでもよくなってしまった。
この騒めきの正体が何であるのか、結局この日は分からなかった。
------------------------
「ま、待っ………………………」
まさか武器を持った相手を前に、待ってくれだなんて情けのない言葉が自分の口から出てくるとは思わず、心底驚いた。
二月前のあの日、俺と衛華は勝負をすると約束した。
自分が有利であると知ってはいたが、すると決まった以上手を抜くつもりはなかった。衛華が呑気に中庭で茶を啜っている間も、俺は鍛錬を重ねた。
かつて奴が愛用していたという大刀は客間に飾られたきりで、あの大層な代物を今の衛華が扱えるとは到底思えなかった。細身の刀でも持ち出してくるのだろうと踏んでいたため、俺は馬上で槍を振るう訓練を重ねた。俺に稽古をつけてくれる師は間合いに入られたら不利になると言っていたが、今の衛華の腕力であれば俺でも充分いなせると思っていた。
迂闊だった。まさかあの大刀を持ち出してくるとは思わなかった。
衛華は鎧を身につけていなかった。そのためかは分からないが、信じられないほどの速さで大刀を振るう。師からは僅かな好機を見逃さぬようにと教えられたが、一分の隙もありはしない。迂闊に近づけば、首が飛ぶ。
一本取ろうなどという意識は俺の中から消えていた。出来るだけ奴の間合いに入らぬようにと、少しずつ後退していたように思う。
衛華の一撃は重く鋭い。受け流すのは到底不可能だ。避ける事に専念していたが、ある時玉のような汗が瞼に乗って、一瞬反応が遅れた。そして遂に、
「───あっ!!!」
咄嗟に受けてしまった。雷のような衝撃に耐えられなかった槍は一瞬にしてくの字に折れ曲がり、やがてパキンという音と共に切先が落ちた。
あの兄のことだ。勝負にならないと分かった時点で、笑って「終わろう」と切り出してくると思っていた。
しかしそうはならなかった。俺の槍が折れたにも関わらず衛華は依然として俺に切先を向けている───この男は、続ける気だ!目だ、目を見れば分かる。殺気を孕んだ、虎か蛇のような冷たい目。
この瞬間、確かな恐怖を覚えた。衛華にもそれが伝わったのだろう。木偶と化した俺の脇腹に、奴はとどめの一撃を入れた。
俺の身体は馬上から離れ、吹き飛んだ。
草叢に落ちる。崖から落ちたような衝撃が全身を包む。遅れて激痛がやってくる。腹がひどく痛い。骨は折れたのか?分からない。分からないが、何やら燃えるように熱い。四肢は……幸い胴体と繋がっているようだ。
そうか、柄か、柄の部分で横から殴られ吹き飛んだのか。刀が腹に直撃していたら俺の身体は真っ二つになっていただろう。兄なりの、情けか。
馬の駆け寄る音が聞こえる。衛華だ。衛華がこちらに向かって来る。
───やられる。今度こそやられる。
俺は必死で身体を起こそうとした。しかし起こせなかった。痛みは確かに感じるのに、自分の肉体ではなくなったかのように少しも動かない。死ぬ気で踏ん張るも、上半身を少しだけ浮かせるのがやっとだった。
「意外だな、動けるのか。……無闇に鍛えているだけはある」
やっと口を開いた兄は、普段の声色とはまるで違った。ぞくぞくした。兄はまだあの目をしている───いよいよ俺の身体は、木っ端微塵に砕かれてしまうのか!
急に、視界が霞んだ。衛華の顔もぼやけていく。
「お前に指南している者はきっと大した腕ではないね。阿民、私より強くなりたいのならもっと良い師を見つけた方がいい」
その言葉は辛うじて耳には届いたが、俺の意識は途切れる寸前だった。
兄より強く、か。
それは俺の目指していた事だろうか?
俺はもしかすると、こんな風に一度……誰よりも強い自慢の兄に、負けてみたかったのかもしれない……。
------------------------
目が覚めると、自室の天井が見えた。
下働きに聞くと、帰宅してから一日も経っていないと言う。どうやら半日ほど気絶していたらしい。身体中のあちこちが、まだ痛い。痛むだけではなく……何か、妙だ。
夕食を運んで来た者に衛華はと尋ねると、一刻ほど前に夕食を済ませたと言い、変わったところはなかったかと更に尋ねると、特にないと答えた。どうやら普段の調子に戻ったようだ。
俺はというと、とても普段通りではなかった。食事をとっている間も頭がぼうっとして、衛華のことを思い出すたびに胸がどくどくと鳴る。全身が熱い。
そして───どういうわけか、勃起が治まらない。
衛華なら、この火照りを鎮める術を知っているかも知れない。
奴の部屋へ行くと、寝床でごろごろとしているところだった。目が合った瞬間いつも通りの笑顔が浮かび上がって、少しほっとした。
「阿民、今日は疲れただろう。こっちにおいで。脚を揉んであげよう」
「衛華………」
俺はこの男のように前置きをくどくどと並べるのは苦手だ。服越しでも分かるほどにはっきりと勃ち上がった自身のそれを、衛華の正面に差し出した。
「わお」
「どういうわけかこれが治まらない」
「あ〜……成程。まぁなんというか、よくあることだよ」
「よくあること?」
「うん……阿民は実戦をしたことがないし、命のやり取りをしたのは初めてのことだったからな。身も心も興奮してしまったのだろう」
「……………」
「怖かった?」
「……分からない」
馬鹿みたいに膨れ上がったそこに、衛華の手が触れる。あやすような優しい手つきで輪郭をなぞられた瞬間、燻っていた熱が一気に沸き上がった。顔も、首筋も、爪先も、触れられているそこも───全てが、燃えるように熱い。
「どうにかしてくれ、頼む」
寝床に入り、辛抱堪らず兄の身体に覆い被さる。
「もう立派な大人なのに、人に頼むだなんて……随分な甘えん坊さんだなぁ。阿民は……」
小言とは裏腹に、慣れた手つきで服を解いていく。俺の素肌に触れる衛華の手は、ひんやりと冷たく心地が良い。
「すごいね。阿民のここは、こんなに立派だったんだ。はは、ほら見て……私の腕より太いよ」
「っふ………早くっ…………」
「分かった分かった。もう……こんなにぐしょぐしょにして……わっ、すごい。どんどん溢れてくる」
「………華っ、衛華………ハアッ………うっ、衛華ッ…………」
もうこの男の事しか考えられない。うわ言のように兄の名前を呼びながら、その手捌きに目をやった。
ぐちゅぐちゅという音に合わせて衛華の手が上下に動く。細く骨張った指先に先走りが絡みついて、妖しく光っている。俺はこれから───兄の手元を見るだけで、この光景を思い出すようになるのだろう。そうだ、もう戻れない。俺の心を満たせるのは、こいつしかいない。
「ふっ………うう、衛華っ…………」
「阿民、こういう時は何も考えるな。生殖本能というやつだろうから、恥だと思わなくていい」
「……お、お前も………あったのか?」
「ん?うん……。あったよ。私はね、身の危険を感じた時よりも、寧ろ命を奪う瞬間に高揚することが多かった」
「えっ……」
俺のモノを鮮やかに扱きながら、衛華は淡々と話した。
「私のひと振り、ひと突きで……目の命がぱっと散る。燃え盛っていた命の灯火が、突然消し飛び、塵になる。……私が奪った。そう思うと……何だろうな。上手く言い表せないが、高揚して堪らなかった」
心なしか、いや、間違いなく……普段の衛華ではない。
昼間やり合った時と───同じ目をしている!
瞬間、びりびりと痺れるような悪寒が背筋を駆け巡る。これだ。俺はこの男のこの眼が好きだ、この男になら全てを奪われてもいい───いや、奪われたい!
「哀れな命が、私の手の中で散っていく、あの瞬間は正に………」
「──────ゔっっっ!!!!」
激情は頂点に上り詰め、俺は兄の手の中で果てた。勢いが良いのが何発か飛び出た後も、兄は扱く手を一向に緩めなかった。搾り取られている間、俺は全てを委ねるように身体を預けた。
「……まともじゃないだろう?場の空気がそうさせたのか、元々の自分がそうだったのかは分からない。けどそんな男でも、ひとたび戦場に立てば英雄だ。ある時までは本当に自分を誇らしいと思っていたし、それでいいと思ってた。けれど、幼かったお前が私に心酔するのを見た時……怖くなった。私はただの人殺しなのに、それが受け入れられていくのが怖かった」
「…………っ衛華………なぜ、黙ってた」
「え?」
「俺は……っ………お前がっ、ただ戦場で臆したのだと思った。だから責任ある職務から逃げ、怠けるようになったのだと」
「うん……まぁ、似たようなものだろう」
「全然違う」
一旦吐き出したせいか、衛華の心の内を知ったためか、両方なのか分からないが───この時、心底安堵した。
この男は落ちぶれてなどいなかった。臆病者になった訳ではなかった。
喜びが込み上げ、本能のままに衛華の唇を貪ろうとした。が、
「……!?お前っ、な、何を………」
「え?……いや、ははは……阿民のは、どんな味なのかなと思って」
先程掌にぶち撒けた俺のものを、卑猥な音を立てながら舐め取っている。おかげで唇を奪ってやろうなどという欲求はどこかに吹き飛んでしまったが、代わりに別の欲望が再び熱を持ち始めてしまった。
この欲を、先程衛華は「よくある生殖本能だ」と言ったが、本当にそうだろうか。実の兄の一挙一動に、こうまで反応してしまうのは……よくある事なのだろうか。
俺は心の中でお前のせいだ、と唱えながら、再起した塊を衛華の脇腹に擦り付けた。
「まだ足りない?」
「…………」
「ふふ、困った子だ。まぁ、お前を興奮させてしまったのは私だしね。今夜はとことん付き合おう。さて……どうしたい?」
訊かれて瞬時に思い付いたのは、この男を滅茶苦茶に抱き潰すことだった。身体に溜め込んだ火照りが抜け切るまでひたすら欲望をぶつけ、この男の中で果てたい。俺がどれだけ動こうが、この男なら受け止めきれる筈だ。
「………。お前は、何もしなくていい」
それだけ告げて奴の服を脱がしていく。改めて確認してみるが、肌は白く胸板もかつてより薄く、まるで文官だ。女のそれとも違うのに、今はこの身体が欲しくて堪らない。
尻の窄まりに指を挿れると、衛華は軽く呻いて身動いた。
「ま、まぁいいけどさ……。阿民、他の人とする時はしっかり慣らすとかした方が……」
「他の人?……衛華。俺はこの先、お前以外の誰かを抱くつもりはない」
「うん?えっ?」
「先程の昂りは……確かに、今日お前とやり合ったことがきっかけで生じたものかもしれない。けど今は、これは違う。これは生理現象などではない……」
「阿、阿民、待って」
「衛華。俺にはお前しか考えられない。お前が好きだ。お前の全てが欲しい………」
解した穴に身体の疼きをあてがい、ずぶずぶと埋めていく。気を抜くと押し返されそうな狭さだったので、ひと思いに捩じ込んだ。
「うぁああっ………!!♡あ、阿民っ………!!」
指も頬も冷たい衛華だが、体内は流石に熱かった。初めて味わう兄の中は信じられないほど気持ちが良く、それでいて何故だか無性にしっくり嵌まるような気もした。
俺は一呼吸置いた後、衛華の身体をゆっくりと抱き起こした。座したまま軽く下から突いてやると、中の柔肉はぎゅっと収縮した。今からここを心ゆくまで抉ってやれるのだと思うと……嬉しくて堪らない。
「ゔっ………♡大きいっ、な………」
「………ハアッ、はっ、………衛華っ………」
「……あ、ああっ!あっ………奥っ、擦るのっ、駄目…………」
聞いたことのない、湿り気のある嬌声。頭がくらくらする。駄目だと言う割に、肉襞はしっかりと絡みついてくる。トントンと小刻みに突くのをやめ、徐々に激しくしていくと、喘ぎ声も大きくなっていった。
「あっ、アアアッ♡深いっ、深っ、あ、阿民…………」
衛華の孔は俺のモノを根元まで咥え込み、グポッ、グポッと妖しい音を立てている。大分馴染んできたようだから、もう好きなように暴れてもいいだろう。
「───衛華っ!!!」
締めあげるように強く、衛華の身体を抱きしめた。そして自身の身体に溜まった熱をいよいよ発散するように───思いきり貫いた。衛華の身体はびくりと跳ねた、跳ねようとした。しかし俺が固定していたため腕の中で少しだけ震える形になった。
間髪入れずに一撃、また一撃とお見舞いしてやると、
「!!!お゛ッ♡♡お゛……ッ!♡阿民゛ッ♡これっ、これ、ゔっ♡!やばいっ………!!♡」
腕の間からくぐもった声が漏れ出してくる。
抱き締めたまま床に押し倒し、無我夢中で獣のような抜き差しをした。衛華の身体も、繋がっている部分も、自分の身体もとろけるように熱く、汗でぐしょぐしょに濡れている。衛華、きっとお前も俺も、とっくにまともではない。
中を抉っている肉棒の尖端に、本能とやらが集まってくる。限界が近い。俺は必死で叫んだ。
「衛華っ!好きだっ、好きだ!!♡好きっ………ぐっ!!♡フッ♡お、おお゛ッッ♡♡衛華♡衛華っ♡!!好きだ、ぐうぅッ♡♡全部、受け止めろっ……!!、〜〜〜ッッ!!!♡♡」
「あ、ああぁ……ッッ、っは、っあ、民ッ……………!!♡♡」
「〜〜〜〜〜〜ぐっっ!!、おおおおお!!!!」
昇り詰めた愛欲が弾けた。これまでに全く感じたことのない快感だった。この世にたった一人の───愛おしい兄の中に撒き散らす背徳感と、生涯敵わないであろう相手を征服する、刹那的な満足感。様々なものが入り混じったそれは強烈な麻薬のようで、一度知ったら後戻りができなくなる代物のように感じた。
薄く平らな衛華の腹が膨らめばいいと思い、一滴残らず注ぎ込んだ。
俺の出した大量の子種は衛華の中を泳ぎ回り、衛華の中で死んでいくのだ。何とも気分が良い。他の誰にも渡したくない。この男にしか、渡したくない。
「………お前の愛は、激しいね」
ふと見下ろすと、汗に塗れ、くったりと力なく笑う兄の姿があった。
「俺も、初めて知った」
「ははは、そっか」
身体の騒めきは収まり、すっかり忘れていた腹部の痛みが徐々に復活してきた。それすらも愛おしくなり、この晩、俺は痛みを噛み締めながら微睡みの中に落ちた。
------------------------
「阿民、いいところに来たね。丁度お茶を淹れたところなんだ、一緒に……」
「いらん。それよりも……やりたい」
「えっ、今日もするの?うーん……どうしてこんな事に。私はあの世でお父様やお母様に合わせる顔がないよ……」
翌日の夜。俺が誘うと衛華は白々しくぼやいた。昨晩、あれだけ愉しんでおきながら今更何を言うのかと、俺は呆れた。
「期待している癖に、何を」
「それは……だって、阿民が可愛いから」
「何だと?」
冷え切った指が俺の頬をなぞる。衛華はにやりと笑って言った。
「お前が必死に生きているのが可愛くて、つい」
「……………」
やはり、この男は人を苛つかせるのが上手い。
確かに俺は奴に惚れているし、心底憧れている一面もある。しかし、だからと言って苛つかない訳ではない。
「阿民は私のことが好きで好きで仕方がないんだね。本当に可愛いよ。こんなことするのは駄目だと分かっているのに……阿民が可愛いから、全てを許したくなってしまう」
「黙れ、もう……」
「はいはい、じゃあ黙らせておくれ」
口付けを強請られたが、それに今応えてやるのも癪だったので無視して服を脱がしていった。
後で、その気になったらしてやってもいい。
ともだちにシェアしよう!