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第2話
「衛華兄さん、さようならー!」
「さようなら!」
「はいはい、さようなら。また来週ね」
子供は良い。まっさらで、何にだってなれる素質があって。彼らと接していると、己の心まで澄んでいくような気がする。
「衛華」
そんな心安らぐ時間に、水を差す男がいる。
───阿民だ。
険しい表情を浮かべ、背後から突然声を掛けてくるこれは、私の実の弟。訳あって最近は少し、まぁなんというか……とても接し辛い。
「な、何だい?まさかずっとそこに居たの?」
「あの呼び方、何とかならないのか」
「呼び方?」
「あのガキ……、お前の教え子達のあれだ。なぜ兄などと呼ばせている」
「なんだ、そんなことか?呼び方なんて何だっていいじゃないか」
「良くない。お前は奴らの兄ではなく師なのだろう。正しく呼ばせ、立場を理解させるべきだ。あのような言い方を許していては、道理の分かる大人にならない」
「お、お前、それ………」
まさか、とても日頃兄を呼び捨てにしている者の発言とは思えない。至って真剣な顔をしているこの男は、最近どこかで冗談の言い方でも会得したのだろうか。
「……気の利いた突っ込みが欲しくなったのか?」
「はっ?」
「違うか。なんとたちの悪い……。はぁ……どうしてこんな子になってしまったのか……」
「何をぶつぶつ言っている。とにかく、明日から改めさせろ」
「やだね。お前が私を"お兄様"って呼ぶようになったら、考えてもいいけど」
「なっ、貴様っ……!!」
言い返してやると、阿民は顔を真っ赤にした。憤慨しているような口ぶりだが、本当に機嫌を損ねている時はこのような愛らしい反応をしないことを私は知っている。
そう。これでも以前と比べれば、この子はかなり丸くなったほうなのだ。
母と父を亡くしてからの私と阿民の関係は、決して良いとは言えないものだった。
我が家は代々、武人の家系だ。活躍次第で富と名声を得るが死んだらそれまで、戦がなくてもそれまでだ。
幼い頃から面倒を見てくれている者たちや、田畑を耕してくれている者たち。私だけではなく、彼らと一緒に豊かになるのが私の夢だった。そして戦を経験すればするほどその想いは強くなっていった。人殺ししか能がない自分に嫌気が差していたのかもしれない。
国が平定し、時流も幸い味方した。さて、私には私なりの考えがあってこの家の当主になったのだが、阿民の目には、戦えない無能な兄が当主の座に付いたようにしか見えなかったのだろう。あの子はいつしか私に冷たくなった。赤の他人に接するよりも酷い、苛立ちを含んだ態度だ。
年が明けても、その次の年も、翌年も翌年も阿民の態度は変わらなかった。私も、彼に好かれようとすることをすっかり諦めていた。
お互い、相手に期待しないというのは決して悪いことではない。衝突もなく平穏で、毎日健康に過ごすことが出来るのならばそれでいいと思っていた。
しかし「あの日」を境に私たちの関係は一変した。
正直、健全な関係とは言い難い。というかどう考えても不健全だろう。けれどもあの日以降、阿民は私によく話しかけてくるようになった。不満や小言ではなく他愛もない話ができるようになったし、これまで別々の部屋で取っていた食事も同じ部屋で取るようになった。
こうやって向かい合って食事をしているのは何だか奇妙な気がするけれど、弟が私の存在を認めてくれたようで、それは素直に嬉しい。……まぁ厄介な事に、寝室まで共同になってしまったわけだけれど。
私は汁物の中から、馴染みのない根菜を取り出した。異国ではよく食べられているというその作物を育ててはみたが、どのように食せば良いのか分からず、炊事担当の者たちに任せてしまった。
ほどよく煮込まれたその根菜は、汁物に甘みを添える愉快な存在に化けている。
「阿民、これは初めて食べるだろう?どうかな。中々美味いと思わないか?まぁ、汁物じゃなくても良い気はするけど……」
「味はともかく、小さい。食べた気がしない」
「うん、そうなんだよなぁ。収穫する時期が早かったのかもしれない。葉はものすごく立派だったから充分育ったと思ったんだけどな。根菜は難しい」
「葉にばかり栄養が行ったのではないか」
「あぁ……そうかもなぁ。上っ面だけ立派でも駄目ってことか」
食事の時間は、一日の中では比較的穏やかなひとときだ。阿民の眉間の皺もそこまで深くないからこうして他愛もない話だって出来る。
問題なのは───あぁ、考えるだけで胃が痛い。考えないようにしよう。
食事と湯浴みを終えていよいよすることがなくなると、阿民は必ず私を求めてくる。ここ数日間、ずっと。毎日だ。どう考えてもおかしいだろう。やりすぎだ。
今日は先手を打ってやろうと、晩酌を用意してみた。酒に弱い阿民なら一杯で眠ってしまうに違いない。
「阿民、今日は月を眺めるのに最高の夜だ! たまには二人で酌み交わさないか?」
「月? ………隠れているように見えるが」
「雲に隠れて控えめな月明かりもまた一興じゃないか」
「いや、全く見えな………」
「いやいやいや、暦の上では最も良い日なんだってば。ほら乾杯」
強引に酒器を手渡すが、口をつけようとしない。いい子だから大人しく飲んでくれ。何も入っていないから。
「衛華」
「ん?他の酒がいいかい?だったら……」
「俺はいい。………それよりも………」
熱っぽい視線。嫌な予感がする。このままでは───
「!! あっ……おい、ちょっ……!!」
やはりと言うべきか何なのか、あっという間に床に押し倒されてしまった。こうならないことを期待していたけど、こうなってしまうような気もした。
「まっ、待て待て待て待て!!ここのところ毎日してるじゃないか!!流石にちょっと、どうかしている!!」
慌てて拒むと、弟は露骨に不満げな顔を見せた。
「どうかしているのはそっちだ。どうせ最後には満足そうな顔をする癖に……毎回小芝居を挟むな」
「いや、小芝居じゃない!!本心だって……!!」
そう、本心だ。こうも毎日求められては私の身体が持たない。というか相手が乗り気かどうかくらい、きちんと見極められるようになってくれ。将来が不安すぎる。
はっきりと否と伝えたせいか阿民は黙り込んでしまった。多分きっと、食事の前とか、日中とか───随分前からその気だったのだろう。突然興を削がれて機嫌の直し方が分からないのだ。
「何も……服を脱いでする事だけが全てじゃないだろう?ほら、よしよし」
私は、私を押し倒したまま不貞腐れている阿民をぎゅっと抱き寄せ、なだめるように背中を撫でた。
愛情を確かめ合うなら、こんな方法だってある。それを教えてやりたかったのだ。
「ねっ、ほら。これだけでも満たされていく感じがしないか?」
「つまらん」
「…………………」
両耳をつねって引っ張ってやりたい気持ちをぐっと堪えた。私は大人だから、心を無にしてこの皇帝様の機嫌を取ることくらい、造作もない!
「……まぁお前がそう言うのは分かっていたさ。分かっているけど……たまにはぐっすり眠らせておくれよ」
「しょっちゅう昼寝しているだろうが」
「あー……言い方を変えよう。私の尻を休ませてくれ」
阿民はむくりと起き上がり、眉間の皺を残したまま考え込むそぶりを見せたあと、のそのそと寝床へ行き布団を被ってしまった。そこは謝るところじゃないか? それは私の布団だし……。
まぁ、諦めてくれただけ良しとしよう。
明かりを消し、私も布団の中に潜り込んだ。おやすみと声をかけ少し経つと、阿民が私の身体を抱き寄せてきた。まだ諦めてないのか?───と、一瞬警戒したが、どうやらそうではないらしい。まるで玩具を抱えて眠る犬のように、阿民は私を抱きしめたまま寝息を立て始めてしまった。
ただの触れ合いを、さっきは「つまらん」なんて一蹴したけれど、案外気に入っていたりして。
(時々可愛いからたちが悪いんだよな)
私だって馬鹿じゃない。阿民が毎晩何を求めているのかは、おおよそ見当がついている。
この子が生まれて初めて抱いた、愛欲の対象というものが───私の中の暗くて冷たい部分だったのだろう。そして、私がそれを日常では隠していることに気がついている。性交という非日常のひとときに垣間見える、それを求めているのかもしれない。
(そんな得体の知れないものに執心されるくらいなら、ただ性欲の捌け口として使われる方がずっと気が楽だったのに……)
そうして微睡んでいるうちに、この夜は終わっていった。気のせいかもしれないけれど、目を閉じている間ずっと阿民に見つめられているような気がした。
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「あら、今日は汚れてないんですねぇ」
「………………」
朝、寝台の敷き布を取り替えに来た青ばあやがそんなことを言うので、居た堪れなくて、消えたくなった。
「す、すまないね………本当………」
「いえいえ!私はいいんですよお。旦那さま達が元気なのはいいことですから。でもほら、最近は雨が多いでしょう、今日みたいな日は中々乾かないからねぇ、いつもいつも晴れてる日に干せたら良いんですけどねえ!」
「…………………………」
そりゃあ、屋敷の者たちにも気づかれているだろうな、とは思ったけど……。後片付けをする者の事など少しも考えていなかった。申し訳ない、というか死にたいほどに恥ずかしい。
「青ばあや。次に、その……汚してしまったら、私が洗うよ………」
「いえいえ。これも私のお仕事ですから」
「いやいや……」
そんなやり取りが繰り広げられているとも知らずに、阿民が厠から戻ってくる。呑気に欠伸なんかしている。あぁ腹が立つ。
「なんだ、その顔は」
「べつに………」
そうだ。布が汚れたら阿民に洗わせよう。そうしよう。
この日は街へ行こうと思っていたのだが、雨が止む気配がなかったので日を改めることにした。
畑が潤うのは嬉しいことだ。しかし水を撒く手間が省けてしまったので、手持ち無沙汰になってしまった。私が暇を持て余していることを阿民が知ったら、何を言い出すか分かったもんじゃない。
なんとか忙しいふりをしようと、私は以前からやりたかった事に取り掛かった。
「……何を書いているんだ?」
「あぁ、これかい? 野菜の指南書に注釈を入れているんだ。異国の言葉から訳されたものなんだが……なにしろ文字数が少なくてね。後世のためには細かく記しておく必要があるだろう? いやぁ、今日は忙しい日になるぞ〜! わははは!」
ちらりと阿民の様子を伺う。つまらないと顔に書いてある。この子は本当に、図体がでかいだけの幼児のようだ。いや、幼児の頃はもっと愛らしかったような……。
私は宣言通り作業に取り掛かった。しかし背後には阿民がいる。何をするわけでもなく、興味なさそうに私の仕事を見ている。
これでは集中できない。
「……阿民? そういえばお前、鍛錬はしなくていいのか?」
「………しない」
「うん?どうして。あんなに励んでいたのに」
「徒に時間をかけても無駄だと分かった。お前から教わった方がいい」
「え? 私から!? お前の口からそんな言葉が聞けるだなんて。一体どういう心境の……」
「とぼけるな」
阿民の両腕が、いつの間にか私の腰を抱え込んでいる。耳のすぐ後ろから声が聞こえる。近すぎて、振り向いても表情が分からない。
───私に負けたことを、まだ引き摺っているのだろうか。
「ま……まぁ、なんだ。経験。経験の差だよ、それだけだ。私から教えられることなんか無いに等しい」
「…………………」
服の隙間から、阿民の手が入ってくる。素肌の感触を確かめられているようだ。無骨な男の掌が、私の腹部をするするとなぞっていく。
あぁ……どうしてこんなことに。
「阿民?? 元気出して、ほら。もっと楽しいことを考えようよ。あっ、一昨日もらったお茶を淹れようか? 今年のものは特に芳しいと評判らし………〜〜〜っ!!」
突然耳の後ろを舐められて、身体が反応してしまった。私が僅かに仰け反ったのを阿民は見逃さない。好機と言わんばかりに押し倒してくるこの貪欲な図体を、私は跳ね除けることができなかった。
「んっ……………んんっ…………!!」
即座に口が塞がれ、舌が捩じ込まれていく。吐息のこもった濃艶な口付けを受けているうちに、私の下半身も俄かに熱を持ち始める。全く、色恋とは無縁のこの子が……どこでこんなやり方を覚えたのか。
昨夜のお預けのせいで、これ以上の我慢ができないのだろう。やり方がいつにも増して強引だ。こうなってしまっては、もう受け入れるしかない。
「………今日は忙しいって言ったのに」
唇が離れた瞬間に不満を漏らすと、阿民は私から目を逸らした。
「お前が………そうさせた」
「はい?」
「あの日のことを思い出させるから……」
「なっ!!? お、お前な〜〜っっ!! いい歳して、何でもかんでも私のせいか?」
「………違………自分でも、抑えようとはしている…………」
らしくない、弱々しい声色。目は潤み眉尻は下がり……余裕のなさが見て取れる表情。
普段は偉そうな癖に、困った時や戸惑った時───そういう時だけ、兄に縋るような瞳をするんだ、この子は。
「…………困った弟だ」
雨脚が強くなってきた。今なら少しばかりみっともない声を上げても、誰にも気づかれないだろう。
一回だけ。
そう呟いた瞬間、足の古傷が少しだけ痛んだ。
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阿民は私の身体を寝台へ運ぶと、すぐに衣服を脱ぎ捨て、自身のものを露出させた。
情緒も何もあったものじゃない、あまりに性急で無粋な動作だが───この必死さは、私の心をやたらとくすぐる。挿入を許さずこのまま焦らし続けたら……そのうち泣き出してしまうんじゃないか? そんな妄想をして、私は一人、面白おかしくなっていた。
入り口に己の先をあてがい、挿入に意識を集中させている。
この瞬間のお前は無防備で可愛い、などと言ったら機嫌を損ねるだろうな。
「んっ…………んぁっ…………♡」
昨晩はなんとか逃れることが出来たが、ここのところ毎日この子の相手をしてやっているせいか、私のそこもすっかり阿民の形になってしまった。欲を露わに膨らんだ男のそれが、ずっぽりと体内に埋まっていく。どうしようもなく、気持ちがいい。
待ちきれないと言わんばかりに、阿民が小刻みに動き始める。ぐちゅぐちゅと、控えめな水音が鳴り始める。
「んっ♡……アッ、あっ、あ♡アッ、あ、はあっ…はっ♡」
「っ……………っく…………はあッ」
阿民の表情がよく見える。まだ挿入れたばかりだというのに、随分と蕩けた顔をしている。
幼かったあの子が、誰よりも真っ直ぐで可愛かったあの子が……どういうわけか道を誤り、私に欲情するような男になっている。
───あぁ、私はこの子をどうしたいのだろう。
正せるものなら正してやるべきなのだろうか。それとももう手遅れか? 私が一切の責任を負い、生涯連れ添ってやるべきなのだろうか。
私は………
「───!!! くッッ……!! あっ………!?♡」
阿民が突如、私の弱いところを目掛けて捩じ込んでくる。熱い塊が思考を穿つ。何かを乞うように、何度も何度も責めてくる。
「あ!! そこ、駄目、アッ!♡ あ、♡」
「っ…………、衛華ッ………何を、考えている」
「え? あっ……」
「くだらないことを……、っ……考えるな」
「ど、どうして……っ、あ、っく……んんぅッ♡」
「眼で、分かる」
いつもは他人の心の機微などお構いなしのくせに、こういう時だけ妙に鋭い。
阿民は下半身を繋げたまま、私の上半身を抱き起こした。抜き差しは先程よりぎこちなくなったが、この体勢は心地よい。身体同士が密着して、否が応でも愛おしく感じてしまう。
何より……目の前に阿民の顔がある。私の身体を抱きかかえながら、ゆるゆると腰を動かし、玉の汗を流している。何かを待っているような、そんな目つきだ。
こんなに懸命な様子を間近で見せられたら、それだけでも腰が砕けてしまうというのに、
「……………っ、衛華っ………衛、華ッ………好き……好きだっ…………華………」
「!!」
「その眼だ……その眼が好きだっ、衛華。俺は、俺は……お前になら───」
などと言うものだから、私は殆ど無意識に唇を塞いだ。
「わかってるよ」と呟き頬を撫でてやると、ぼんやり開いていた唇がきゅっと横に閉じた。
「いいよ……阿民。全部貰ってあげるから……おいで」
───そうか、私はこの子を見ていたいんだ。
未熟で、愚かで、直情的で、わがままで、面倒臭くて、けれどもこの世で一番大切なこの弟を……ただいつまでも眺めていたい。
阿民は再び私の身体を押し倒すと、ありったけの体重を乗せて抱き潰した。甘く緩やかだった戯れが、剥き出しの肉欲に変わっていく。
重くて厚い肉体に抱かれていると、なんだか嬉しくなってしまう。結局私はこの子に甘い。
「〜〜〜衛華っ!! 衛華っ、衛華ッ!!♡」
抜き差しが激しくなり、ぐぽっ、ぐぽっという音が雨音を消す勢いで部屋に響く。私の中で果てようと懸命に動く熱の塊が、鬱陶しいほど愛らしい。
「───っ、ああッ!!!」
私は阿民に何かを言おうとしたが、一番好いところを突かれてしまい、思考が止まる。
身体をよじって快感を逃そうとすればするほど、阿民は益々そこを狙ってくる。諦めて絶頂を受け入れると、強烈な痺れが結合部から始まり、やがて全身に波及していく。
中を擦られて達する時は始めと終わりが曖昧で、驚くほど長い間、ふわふわと幸せな心地になる。
「〜〜〜〜んっ♡ んん゛っっ♡♡ 阿民、あっ………んッ♡ あ、あ、あッ♡ あ、はぁっ………!!」
尋常ではないほどの汗が噴き出ているのが自分でも分かる。達し続けている身体が幾度となく突き上げられ、揺さぶられ、もう自分のものかどうか分からない。頭の芯まで綿花で覆われているみたいだ。
「あっ………あ゛、っ………… ………!!」
何の断りもなしに熱いものがビュッ、と放たれたかと思えば、立て続けにビューッ、ビューッと排出されてゆく。一晩溜めさせてしまったせいか、心なしか回数も量も多い。阿民は深い呼吸を吐きながら私の身体を力いっぱい抱きしめ、長い長い射精を続けている。
私は愛おしさに少しだけ震えながら、まるで男の子みたいだな、などと妙なことを考えていた。
「んっ……♡ すごいっ、沢山、出てるっ……」
「……………
「………満足、した?」
「………まだ………」
「え゛」
「まだ、したい………」
「あっ、ん、待っ…………もう…………」
結局この日、陽が沈むまで私は弟に抱かれ続けた。わがままなのは今に始まったことではないが、この日は特に子供のようだった。
ふと、阿民が言った「どうせ満足するくせに」という言葉を思い出した。確かにそうかもしれない。
この暴君が私の身体を使って喜んでいる時、私も心の底から喜んでしまうのだ。
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普段ならとっくに支度が済んでいる時間だというのに、一向に夕食が運ばれてこない。これは、あれだ。完全に……気を遣われてしまっている。
「阿民? ちょっと厨房の様子を見てきてくれないかな」
「………そのうち運ばれて来るだろう」
「腹が減っただろう? お前が取りに行けばその分早く食べられるぞ〜」
阿民は気怠そうに上半身を起こしたが、何故か服を着ようとしない。そして暫しぼうっとしていたかと思えば、また身体を横にしてしまった。
「おいおい……。何だい? 疲れちゃったの?」
「…………」
「私はもう腹ぺこだよ〜、阿民〜〜」
無言で横たわる図体にねだると、小さな溜息が聞こえてきた。うるさい、なぜ俺が、自分で行け。さしずめ、そのような言葉を吐くことすら面倒だという意思表示だろう。
再度起き上がった阿民が、今度は雑に服を羽織り始める。やれやれ、どうやら行ってくれる気になったようだ……と思っていたら。
「…………………」
頬に柔らかい何かが降ってくる。えっ、と声を上げた時には、それはもう離れていた。
「阿民? 今………」
まさか、口づけを?───と思ったのはどうやら勘違いではなかったようだ。ぱっと目を逸らした阿民は顔を赤くしたまま、何も言わずに出て行ってしまった。
「嘘ぉ………なに、いまの」
どうしたものか。あんな一面があるなんて、知らなかった。一生負けることはないと思っていた相手から思わぬ反撃を喰らった私は、呆然と固まるしかなかった。
あの子は確実に変わっている。ならば私も変われるだろうか。いつの日か自分の中の薄暗い部分を、追い出すことが出来るだろうか。
阿民は、そんな私に魅力を感じなくなるかもしれない。それならそれで構わない。私は私で、彼は彼。なりたい自分になることを応援してくれるのは、結局のところ自分しかいないのだから。
「……腹、減ったなぁ」
いつの間にか虫の声が聞こえるようになっていた。
今頃、阿民は部屋に戻ろうにも戻りづらくて厨房をうろついているのかも。そんな姿を想像したら少しおかしくて、仕方がないから迎えに行ってやることにした。
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