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第1話

 ノックを三回すると、部屋からは何の返事もなかった。念のためもう一回してみたが、やっぱり返事はない。留守なのかと思い諦めて自室に戻ろうとしたが、それも何となくつまらなくて、試しにドアノブを回してみると、鍵はかかっていなかった。 「大和(やまと)さん……」  蒼(あおい)は一応声をかけながら部屋の中を伺った。もしかしたらベッドで昼寝なんかしているかもしれない。でも、やっぱり部屋には須田大和(すだやまと)は居らず、ゲーム好きな蒼と大和が使っているPCが、存在感を持って二つ並んでいるだけだった。 「いないのか……」  蒼はそう独り言を言うと、寝慣れた大和のベッドに、引き寄せられるように横になった。  別に用事があった訳ではない。退屈だったからゲームでもしようと部屋を訪れただけ。主が留守の部屋に入り込みベッドに横なっていると、昔読んだ、女の子が熊の家族の家に勝手に上がり込んでしまう絵本を思い出す。とは言ってもこの部屋は半分蒼の部屋のようなものだから、罪悪感など勿論ないのだけど。  ベッドで寝返りを打つと、大和の香水がほんのりと香る。蒼はその香りを思い切り吸い込むと、大和が部屋に居ないことを寂しく感じた。 「ブーブー」  その時、蒼の頭の上あたりで振動を感じた。何かと思い体を起こすと、そこには大和のスマホがあり、今正にそのスマホに電話が掛って来ていた。ここにスマホがあるということはトイレにでも行っているだけだろうか。それとも意外とおっちょこちょいの大和のことだから、忘れて出かけてしまったのか。 「あれ?……」  画面には見覚えのある名前が表示されている。 「この人……」  この人は多分大和の元カノだ。付き合っていたのは1年ぐらい前のはずだ。お互いに忙しすぎて自然消滅だった気がする。彼女のことは良く覚えている。同じ事務所のアイドルグループのメンバーの子で、大和にずっと片思いをしていた。付き合うきっかけになったのは彼女からの告白で、大和も彼女をかわいいと思っていたから晴れて交際をスタートしたわけだけど、所詮アイドル同士の交際なんて長続きするわけがない。それは蒼たち自身が一番良く分かっていることだけど。  しばらくスマホ見つめていると、それが中々鳴りやまない。もしや、二人よりを戻したんじゃないかと蒼は急に不安になった。やっと人気が定着してきた蒼たちグループに、下手なゴシップなんてスクープされたらたまったもんじゃない。  蒼はスマホを手に取ると、躊躇わずタップした。 「もしもし」  相手が蒼の声を聞いて息を飲むのが分かった。 「……大和?」 「違います。残念だけど」 「え? 誰?」 「蒼です。木崎蒼(きざきあおい)」 「え? 何で蒼君が大和の電話に出るの?」 「……いや、俺今大和さんの部屋に居るんですけど、大和さん居なくて。そしたら大和さん、スマホを部屋に忘れてったみたいだから、俺が代わりに電話に出ました。ずっと着信鳴ってるから気になって、つい……」  蒼はしごく当たり前のようにしれっとそう言ったが、流石に彼女の方は、電話越しでも分かるほど驚いているのが伝わって来る。 「あ、あのね、普通出ないよ。人の電話に。蒼くんらしいって言えばらしいけど、こんなことして大和に叱られない?」 「いや、多分叱られないと思います。大和さんは俺に甘いから」 「ふーん。そうなんだ」  彼女は少しイラついたようにそう言った。 「あの、ぶしつけな質問しますけど、大和さんとはより戻したんですか?」 「……ほんとぶしつけだね。うーん。私はよりを戻したいんだけど大和がね。彼真面目でしょ? リーダーだし。なかなかうんと言ってくれなくて」  彼女はわざと軽そうな口調で話すが、それが強がりなのが自分には分かる。多分、彼女の方が大和に未練があることを悟られたくないのだろう。 「ねえ、蒼君」 「何ですか?」 「蒼君が電話に出たのも何かの縁ね。あのさ、私に協力してくれない?」  ほら来た。本当にあつかましい。この人はこういう人だ。人の懐に入るのが旨い甘え上手な人たらし。そんな所に大和は惹かれたのだろうけど、余りにも健気さというものが皆無で蒼は納得できない。まあ、電話に出た自分も悪いのだけど。 「嫌ですよ。そんなの」 「そんなこと言わないでよ。蒼君からも大和に言ってよ。私があなたとどうしてもよりを戻したがってるって。きっと蒼君から言われたら、大和の気持ち変わると思うし」 「何を根拠にそんなこと思うんですかね。あのですね。俺たち今大事な時期なんですよ。こんな時に下手なゴシップなんてスクープされたら、俺たちグループにとっては非常にいい迷惑なんですよ」  蒼は相手の神経を逆撫でさせないよう、穏やかな口調の中に、絶対に譲らないという強い意志を込めて彼女に伝えた。 「大丈夫よ。ばれないようにうまく付き合うから。私そーゆうの自信あるし」 「はあ~。自分だって芸能人なのに、自覚がなさ過ぎます」  電話の向こうから、嫌味がたっぷりこめられた彼女の溜息が聞こえる。蒼も同じ気持ちだと言ってやりたいがぐっと我慢する。 「じゃあ、私がこう言ってたって大和に伝えて。来週の土曜日の十九時に行き付けのバーの個室を予約しとくから、そこでちゃんと話をしようって。私の気持ちは絶対変わらないって強く伝えてね」  蒼はうんざりしながらも、彼女の大和を好きな気持ちが正直分かってしまう。大和の洗礼を一度でも浴びた女性は、他の男じゃあ多分満足出来ないのだろうから。 「分かりました。伝えます。でも期待しない方がいいですよ」 「もお~、蒼君ってさ、女性にもてないでしょ?」 「……さあ、どうだろう。多分……そうでしょうね」  余計なお世話だよ。と心の中で彼女に悪態をつきながら、蒼が電話を切ろうとした時、 「バタン」 と勢い良く部屋のドアが開いた。血相を変えた大和がドアの入り口に立ち、蒼を見ている。 「あれ? 蒼何してんの?」  蒼は大和のスマホをタップし電話を切ると、何事もなかったようにベッドに置いた。 「あっ、あった! 俺のスマホ! 良かった~。ジムに行ったらバッグに入ってなくてさ~、落としたかと思って超焦ったわ~……っておい、お前何で俺のスマホで電話してんの?」  大和は安堵の表情から、驚きと不思議さが混ざったような顔に急変させると、その大きな瞳を見開きながら蒼をじっと見つめた。その目まぐるしさがまさに須田大和って感じでおかしい。  「電話来たよ。元カノから。あんまり着信長いから、俺が代わりに受けといた」 「うっ、まじ? つーか普通出るか? 人の電話に」 「ごめん。着信画面見たら彼女だったから、何かまずいと思って出ちゃった……ねえ、より戻す気なの?」  大和は少し悲しげに眉尻を下げると、ベッドに座る蒼の隣に腰かけた。 「どうしよう……何回も断ったんだけど、俺も彼女のこと嫌いなわけじゃないから」 (ったく、男らしい一面とは裏腹に、女性に対してはかなり優柔不断だな。) 「あのさ、俺さっき電話してる時、彼女から伝言もらったんだけど、今度の土曜日の十九時に、いつものバーの個室で会おうって。そこでちゃんと話がしたいんだって」 「マジ?」  大和はベッドから立ち上がると、頭を抱えながらうろうろと部屋を歩き回った。 「ねえ、何でそんな慌てるの? 答えは決まってるよね? まさか」 「うっ、そ、そうだな。決まってるよ。言える。俺はちゃんと言える……」  後半はごにょごにょと何を言っているのか分からない。本当にこの人はグループのリーダーなのかと疑いたくなる。  蒼たちはデビューして三年目になる七人組アイドルグループだ。もちろんただのアイドルではない。メンバー全員、長い練習生期間を経て、ハイレベルな歌とダンスの実力を身に着けたプロ集団だ。自分たちでダンスの振り付けもするし、作詞や作曲もする。セルフプロデュースができるアイドルとして今世間から注目されている。  この須田大和という男は、蒼の一個上の二五歳。グループのリーダーで、リーダーに選ばれるだけあって、責任感のある男らしい人間のはずなのだが。 「なあ、蒼」 「何?」 「……一緒に来てくれないか?」 「はあ??」  この人はリーダーの誇りをいとも簡単に捨て去ってしまった。蒼は驚いてそう聞き返した。 「頼むよー、蒼がいると安心するんだよ。そしたらちゃんと強い意志で彼女に伝えられると思うんだ。もちろん一緒の部屋じゃあれだから、俺が隣の個室を予約しとくよ。カーテンで仕切られた半個室だけどな」  大和はいきなりとんでもないことを蒼に言ったが、何となく予想できる行動パターンではある。大和は蒼に少し甘えがちな所があるから。 「はあ~、分かったよ。ただ、あんまりにも彼女と話が付かなかったら、俺乗り出すよ? 覚悟いい?」 「ま、待って、それって俺格好悪くないか? 蒼が隣にいたなんて、流石に偶然を装ってもバレるよな」 (呆れる。ホントこの人は自分の体裁しか考えていない。自分がどれだけ格好良く見られているかばかり気にする。まあ、そんな完璧じゃない大和さんが俺は可愛くて好きだけど。) 「そうならないように頑張れば?」  蒼はぴしゃりと言い返した。 「……はあ、分かったよ。頑張るから、一緒に来てね」  大和は甘えるように蒼の肩に頭を載せると、上目遣いで微笑んだ。    二人の行きつけだというバーは、都内にある有名ホテルの地下にある隠れ家的なダイニングバーだった。有名人も多く利用するらしく、店側のプライバシーに対する意識は高く、安心して酒が呑めるというメリットがある。店内は品があり静かな雰囲気が蒼の好みだが、大和の好みでないのはすぐに分かった。多分彼女の趣味なのだろう。大和は店に入るなり落ち着きなく挙動不審な態度を取るからだ。 「どうしたの? 何度も来てるんだよね?」  蒼はソワソワしている大和にそう言った。 「ああ。そうだよ。でも何度来ても落ち着かない。俺は安い居酒屋でレモン杯を飲んでる方が好きだよ」 「知ってるよ。そんなの。でも、いつも安い居酒屋じゃ、女の子は満足しないよね?」 「そうだよ。だから頑張ってここに連れてきたら、莉子(りこ)がえらく気に入っちゃってさ」  大和から莉子という名前を久しぶりに聞いて、蒼は急にドキッとした。 (そうだよ。二人は恋人同士だったんだよな……。)  蒼はしみじみとその事実を噛み締めた。 「あ、莉子もうそろそろ来るかも。蒼は隣でスタンばってて。多分、否、絶対蒼が登場するなんてことにはならないようにするから! ありがとう蒼。本当に恩に切る!」  大和は早口で蒼の手を取りそう言うと、いそいそと個室の中に入っていった。  蒼たちは彼女との待ち合わせ時間より三〇分早く店に来ていた。蒼は軽く溜息を吐くと、二人の隣の部屋に入った。  部屋の中には木製のテーブルと、その脇に洒落たコーナーソファーが置かれていた。えんじ色カーテンは厚めに作られているが耳を欹てると意外と隣の部屋の声が聞こえる。流石に会話の内容までは理解できない。二人の世界に没頭してしまえば、隣の声など全く気にならない程度の絶妙な個室感だ。  ソファーの上には色とりどりクッションが置かれ、ラグジュアリー感が嫌みなくらい施されている。間接照明も暖色系な光彩を放ち、スタイリッシュというよりは癒し的な雰囲気を演出している。 (なるほどな。これは女子が気入るわけだ。)  蒼は一人納得すると、メニュー表を手に取り、ここのバーおすすめのハイボールを頼んでみようと決めたが、結構いい値段だ。 (大和さん、この店に彼女連れてくるの勇気要っただろうな。)  蒼は大和が彼女をどれだけ大切に思っていたのかを知ったような気がして、少し胸が痛くなった。  今から二人がすることは別れ話だ。そうすることが蒼たちグループにとってベストだからだ。蒼たちグループはこれから先、更に上へと上り詰めるチャンスを絶対に逃しちゃいけない大切な時期にある。そんな時に少しでも躓いてしまったら、芸能界という荒波に簡単に足を掬われて、一気に奈落の底へと転げ落ちる可能性だってある。 (だから、俺は間違っちゃいない。)  そう強く心に刻まないと、蒼は少しの罪悪感に心が揺らいでしまいそうになる。だからもう高くても構わないから、やっぱりハイボールを男らしく頼もうと決めた。  蒼はテーブルの上の呼び出しボタンを押すと、素早く表れたウエイターにハイボールを迷わず注文した。  ウエイターの所作は躾が行き届いていて、自分が芸能人だということを忘れるぐらいの自然な対応にひどく感動する。徹底的にシンプルに、客対ウエイターというスタイルをプロ意識を持って貫いてくる。  ウエイターは注文を取ると、ひらりとカーテンを開けた。その時、その隙間に足早に歩く彼女の姿が目に留まった。 (来たな。)  蒼は少しだけ緊張すると、意味もなくソファーに姿勢を正し座り直した。  ハイボールが届き、それを飲んでいると、お腹が空いて来たので、パスタを注文して、それを一人黙々と食べた。隣は特に変わった様子はなく、時折楽しそうな笑い声が聞こえたりする。  蒼は不安になって大和にラインで進捗状況を尋ねてみた。すると、「まだ。もう少し待って」という情けない文字が返ってきた。蒼はそれにヤキモキすると、つい、ハイボールをおかわりしてしまった。  2杯目のハイボールを呑み干そうとした時には、蒼なりに結構酔っぱらっていた。酒は大和に比べたら蒼は全然強くない。だから普段呑み慣れないウイスキーを飲んだのと、二人の進展しない別れ話に、余計蒼の酔いが回るのが早くなったのかもしれない。  酔ったと言っても、デロデロになって千鳥足とかいうのではなく、心が大きくなって、大胆になって、怖いもの知らずになるって感じだ。蒼はその普段の自分とは違う感覚が割と好きだったりする。それで失敗したことも今まで無かったし。  その時、蒼のスマホに大和からラインが入った。慌てて内容を見ると、蒼はこの状況に、ついに自分の出番を確信した。 「蒼! ちゃんと自分の気持ち伝えたら、彼女が急に泣き始めちゃって! どうしよう?!」  蒼はカトクに返事をしないで立ち上がり、躊躇いなく部屋を出ると、「失礼します」と声をかけて、大和達の部屋に堂々と入った。  二人は蒼の姿を見て、相当驚いたのか目をまん丸くさせている。 「蒼! な、何で、こ、こに?」  大和のその不自然な言い回しに蒼は思わず吹きそうになる。彼女の方も涙で濡らした顔を蒼に向けて固まっている。 「たまたま隣で飲んでたんだよ……って、そんなこと言って信じると思う? 信じないよね? 普通」  蒼はそうわざと陽気に言うと、大和の隣に弾みを付けて腰かけた。 「あ、蒼君……やっぱり私を助けに来てくれたのね?」  彼女は縋るような目で蒼を見つめて来た。流石にアイドルだけあってその表情の作り方は見事に男心を擽る。でも、今の蒼にその魅力は全く通用しないけど。 「え? 逆ですよ。その逆、俺は大和さんに心細いから付いてきてくれって頼まれて、隣にいただけ」  蒼は彼女にそうはっきりと伝えた。隣で大和はひどく決まりの悪そうな顔をしているがもう気にしない。でも彼女は蒼の言葉に悲しくなったのか、更に涙をポロポロと零し始めた。 「ひどいよ、蒼君まで。私の気持ちどうして分かってくれないの?」  彼女はテーブルに突っ伏すと、肩を揺らしながら嗚咽を漏らした。 「だ、だから莉子、分かってくれ。俺はお前を嫌いになったわけじゃないんだ。今俺たちはどうしても付き合えないんだよ。お互い大切な時期だろう? 莉子も来月歌番組が控えてるじゃないか」  そんな相手に気を持たせるような言い方じゃ埒が明かないし、彼女も可哀そうだ。大和は女性に優しすぎる格好つけマンだ。それに対して自分が無自覚だという残酷さをもっとちゃんと理解した方がいいのに。 「莉子さん。顔上げて」  蒼は彼女に優しくそう言ったが、彼女は顔をテーブルに突っ伏したまま頭を横に振るだけで、意地でも顔を上げようとはしない。 「蒼……ごめん。俺やっぱり無理だわ……」  大和は眉根を寄せながら、彼女に聞こえない声で苦しそうにそう言った。 「だいたい予想はしてたよ。大和さんのことだからね」 「はあ、俺って最高に格好悪い男だな……」  大和は自分でもテーブルに突っ伏したいような気分なのだろう。両肘をテーブルに付きながら頭を抱えている。蒼はそんな大和の耳に顔を寄せると、素早く耳元に囁いた。 「あのね、大和さん。やまとさんは今から、俺のすること、言うことに素直に従うこと。あたかもそれが真実であるかのようにね」 「はあ? どういう意味だ?」 「いいから。分かった?」 「あ、ああ、それで上手くいくなら……」 「いくよ。絶対」  蒼は自信を持ってそう言うと、彼女に向かってもう一度声を掛けた。 「莉子さん。今から俺の言うことをちゃんと聞いてほしい。お願い。顔を上げて俺たちを見て」  蒼は丁寧にそう言うと、彼女は躊躇いながらも、ゆっくりと頭を上げた。 「……何? どうせ同じこと言うんでしょ? 別れるのが賢明だって。もう聞き飽きたわ」 「違う。そうじゃない」  蒼はそう言うと、大和の肩に素早く腕を回した。 「もっとそれ以前のことだよ。実はね……俺たち……付き合ってるんだ。ね、大和さん」  大和は蒼の言葉にこれでもかと目を見開いて驚いている。その顔があまりにも無防備に可愛くて、蒼は茶番だと分かっていても胸がドキドキときめいてしまう。 「えっ……えーと、そ、そうなんだ……じ、実は俺たち、つ、付き合ってるんだよ」  棒読みに近い大和の台詞がおかしい。これでは流石に彼女を信じさせるのは厳しいかと案じていたら、案の定彼女は今にも吹き出しそうな顔をしている。 「ぷっ、ふふ、ちょっと、いくら何でもそれはないでしょう? ねえ、私のことバカにしてるの?」  彼女は笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか、そのすべてを混ぜたような顔で自分と大和を交互に見ている。 「バカになんてしてませんよ。真実です」  蒼は大和の肩に回した手に力を入れて、大和に同調しろと合図する。 「あ、ああ。そうだよ。真実なんだ。莉子」  大和は少しだけ声を震わせながらそう言った。どうやらこの茶番劇に徐々に慣れてきたみたいだ。 「嘘、嘘、嘘よ~。私、そんなの信じない。絶対に信じない!」  彼女はそう言いながら、子どもみたいに首を左右にブンブンと振った。 「じゃあ、こうすれば信じるかな」  蒼はそう言うと、大和の肩に回していた自分の手を、大和の後頭部に添え直した。 「好きだよ。大和さん」  蒼は、その言葉で大和の思考を急停止させた隙に、素早く大和の頭を引き寄せて、その形の奇麗な唇にそっと口づけた。 「やっ、え?!」  彼女はそう叫ぶと、あんぐりと開けた口を両手で抑えている。  大和は思考停止がまだ続いているのか、口を半開きに開けたまま呆然と蒼を見つめている。蒼はその目にもう一度強く合図を送った。まだ足りない。あと一押しだと。 「ねえ、大和さんも、俺を好きだって言ってよ。」    蒼はわざと甘えるようにそう言うと、大和の頬を両手で優しく包み込んだ。 「あ、ああ、す、好きだよ。蒼……」  その言葉を聞いて、蒼は茶番だと分かっていてもおかしなくらい胸がときめいた。今自分がしていることは本当に信じられないことなのに、何故か大和とだったら、それはとても自然で美しい行為のような気がしてしまう自分は、少し頭がおかしいのだろうか。 「キスしてよ」  蒼は大胆にもそう言うと、大和からのキスを、心を震わせながら待った。 「ああ、待ってろ」  大和はそう男らしく言うと、蒼の顎を持ち上げて、さっきとは比べ物にならないぐらいのディープキスを浴びせてくる。 「ふっ、んんっ」 (やばい、やばい、やばい!)  蒼は軽く意識が飛びそうになるのをぐっと堪えた。この刺激は、蒼の酔いなど簡単に蹴散らしてしまうほどの威力がある。 「わ、分かったから! 分かったからもうやめて! お願い!」  彼女はそう懇願すると、何かを決心するような顔をして蒼たちをまっすぐ見つめた。 「う、うちの兄がそうなの……分かってる。同性愛者はとても生きづらいわ。だから私、その大変さを理解できるの……大丈夫。二人のことは絶対に誰にも言わない……今はまだ大和が好きだから辛いけど……多分私、乗り越えられると思う」  彼女は、混乱しているはずの頭でそう必死に言うと、すくっとソファーから立ち上がり、「さよなら」と言って個室を出て行った。 「あ、ああ……なんてこった!……莉子! 本当に、本当に、ごめん!」  大和はソファーにだらしなく体を預けながらそう叫ぶと、蒼をきつく睨みつけた。 「蒼、お前ってホント怖い奴だな……俺、何か上手く乗せられて段々エスカレートしちゃってたよ……まさかお前とあんなキスしちゃうなんて……ああっ、マジ、信じらんね!」  ソファーの上でゴロゴロと悶える大和は、本当に子どものように可愛い。 「どうして俺が怖いんだよ。逆に感謝してほしいよ」  蒼は不貞腐れたようにそう言うと、自分も脱力したようにソファーに寝ころんだ。 「……なあ、蒼、まさか……俺を好きって、本気じゃないよな?」  大和は急に思い出したように体を起こすと、恐る恐る蒼に尋ねた。その目は不安気に揺れている。 「本気って言ったらどうする?」 「え?」  大和はその芸術的なまでに美しい瞳を更に大きくさせた。 「あはは、嘘だよ、嘘!」  蒼はそう言ってソファーの上で頬杖を突いた。 (どうだろう。嘘かホントか自分でも分かんないけど。まっ、どっちでもいっか)  蒼は曖昧にそう心の中で呟くと、まだひどく混乱している大和の綺麗な睫毛を、下からゆっくりと眺めた……。

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