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第12話

 別荘に行った日からずっと大和と蒼は二人きりになれていない。年末から年明けにかけてのスケ―ジュールがひどく密だったからだ。休暇を得ることも儘ならなくて、正月休みは家族と過ごさなければならないから、流石にそれをお互いの時間にしてしまうのは罪悪感でできなかった。  一日貰えた休暇は本当に貴重で、何故あの時もっと別な形であの一日を大切に過ごすことができなかったのか。そんなことを今更後悔しても既に遅い。  あの日、蒼の性急な行動に大和は応えられなかった。でもそれは当たり前だ。大和はゲイではないのだから。自分の中に隠されていたセクシャリティがたまたま蒼という男によって目覚めさせられただけだし、それは蒼によってしか開けられない扉だったからだ。  蒼に開けられた扉の奥にある世界は、想像以上に魅力的で、蒼という男は、大和を見えない縄で甘く縛るように捕らえて離さない。確かに、この関係に戸惑いを感じないわけはない。でも、戸惑い以上に、蒼との恋にとても満たされ幸せだということを、自分はもう認めざるを得なくなってしまっている。  ただ、蒼に抱かれることは、男としての自分のプライドを壊されるような不安があるし、自分の中の大切な何かを失ってしまいそうな恐怖がある。その恐怖に大和はあの時勝てなかった。それ以前に、別荘に行く前から、大和はその覚悟などなかったし、自分がどう蒼の気持ちに応えるべきか何も考えられなかった。ただ、蒼を好きな気持ちは変わらず大和の中心にあって、蒼と一緒に過ごす時間が本当に幸せだという事実が揺るぎなくあるだけだった。それに、大和たちは既に自分だけの人生を生きてはいない。大和たちグループとそれに関わる多くの人間たちの人生も背負い生きている。瑞樹とのこともそうだ。あの時、蒼の機転で、瑞樹を傷つけずに済んだことに大和は一時的には安堵したが、結局ひどい罪悪感に心が疲弊してしまった。多分そんな大和の気持ちを、勘のいい蒼は感じ取ったはずだ。今も時々、大和の気持ちを探るように不安気な目を向けてくる。  こんな不毛な自分たちの関係など、今すぐにでも終わりにすべきなのだろう。でも、それはそんな簡単なことではない。何もかもを捨て蒼と共に生きていく覚悟など大和にはないのに、蒼が恋しいという気持ちはおかしなくらい日に日に増していくからだ。  このひどい焦燥感はなんだろう。心の中に大きな空洞があるこの寂しさは。忙しくグループとして働く充実した喜びの反面、蒼と自由に会い、自由に愛情を表現できないもどかしさは大和をこんなにも苦しませる。その両方の幸せを手に入れることなど虫の良すぎる道理なら、大和はどちらか一つを選ばなければならないだろうか。だとしたら大和は今迷わず蒼を選びたい。 (はあ、バカだよ俺……冷静になれ。)  大和は冷静さを失いそうになる自分に冷ややかに突っ込んだ。そんな我儘な話あるわけがない。その時の情動に流され蒼を振り回し傷つけたら、大和は自分を許さない。 (真剣に考えないと。俺が取るべき行動を真剣に。)  自分たちが共に納得し、明るく前を向いて生きて行ける方法を考えないと。それが一番自分たちにとって幸せだという形を早く見つけないと。そうしないと大和たちはもっとお互いを傷つけてしまうかもしれない。でも、自分がその答えを見つけられる自信など本当は全然なくて、大和はそんな情けない自分から目を背けるように、スポーツジムに汗を流しに来ている。  一通り筋トレを済ませると、シャワーを浴び、宿舎に戻ろうと大和はロッカーからカバン取り出した。蒼を誘っても良かったが、別れ際が狂おしいほど切なくなるから、その辛さを味わいたくなくて、それをやめた。  普段大和たちはメンバーにこの関係を気づかれないようカモフラージュしている。目が合えば胸の奥が熱くなり、ダンスなどで触れ合えば、触れ合った部分が熱を持つ。それを繰り返していると、大和は二人きりになれないもどかしさに心が壊れそうになる。  たまに大和は、徹に自分の思いをぶちまけるたりする。大和は徹を信頼しているから、徹の前では、リーダーの仮面を捨てた素の自分になれる。きっと徹は蒼からも、大和と同じように悩みや苦しみを聞かされているに違いない。 (ああ、徹……本当にありがとう。)  大和は心からそう呟きながらジムの玄関で靴を履いていると、突然背後から声を掛けられた。 「大和……」 「え?」  驚いて振り返ると、そこには莉子が立っていた。 「莉子!」  大和は靴紐を結ぶ手を止め、慌てて立ち上がった。  「どうしてここに?」 「ああ、私も筋トレに来たのよ。ここ芸能人の間でいいって噂だから」  莉子はとても自然に大和と会話をした。気まずさみたいなのは皆無で、明るく真っ直ぐに大和を見つめてくる。 「ねえ、今から少し時間ある?」 「え? 今?」   大和は莉子の言葉に驚いて、かなりでかい声でそう聞き返した。 「何でそんなに驚くのよ。もう! 大丈夫よ。前みたいにヨリを戻そうなんて言わないから」  莉子はおかしそうにそう言うと、大和の肩をバシバシと叩いた。  奇妙だ。元カノを前にして大和はとても落ち着かない気分になる。この子とは男女の関係にあったのに、そんな過去が本当にあったのか俄かに信じられない自分がいる。蒼とのことが嵐のように大和に襲ってきたから、今ではそれが大和の中心になってしまっていることに改めて驚く。 「あるけど? 何で?」 「良かった。ここの近くに居酒屋があるの。そこでちょっと話がしたいんだけど、いいかな?」  莉子はそう言うと、大和を上目遣いで見つめた。 「ああ、まあ。お互い遅くならないように気を付ければ」 「ふふ、大和らしいな、その真面目な言い方。じゃあ、今すぐ行ける?」 「ああ。行けるよ」 「じゃあ、私に付いてきて」  莉子はそう言い、下駄箱から靴を取り出し素早く履くと、自動ドアを開け玄関から出た。大和は莉子の後姿を見つめながら、少し距離を置きつつ後を付いて行く。  2月に入ったと思ったら、大通りに並ぶ店たちは早くもバレンタインデー商戦に切り替わっている。大和はそれをぼんやりと見つめながら莉子の後を歩いた。 「今から行く居酒屋量が多くて安いの。大和そういう店好きだよね?」  莉子は大和に振り返ると、そう大きな声で言った。 「はは。まあ、確かに。でも莉子はそれが嫌だったんじゃないのか?」 「そんなことないけど、毎回は嫌だっただけだよ」  莉子は大通りから路地に入り少し歩くと、いきなり足を止めた。 「ここよ。あ、今日は空いてる。ラッキーだわ」  莉子は勢い良く居酒屋のドアを開けると、店員にすかさず挨拶をし、案内された席にずんずんと進んで行く。  至って大衆向けの昔からある居酒屋。これといった特徴もない。客層は仕事帰りの会社員が多い。大和と莉子は共にキャップを被りマスクをしているし、ジャージ姿でいるから芸能人のオーラなどないはずだ。大和たちはそう都合良く考え席に着いた。 「何飲む?」  莉子は素早くメニュー表を手に取るとそう言った。 「ああ、今日は生ビールかな」 「ジムで汗を流した後はやっぱり生よね。私もそうしよう」  莉子はそう言うと、店員を呼びビール二つと、適当に何品かつまみを注文した。  ビールとつまみが届くまで、大和たちは他愛のない自分たちの近況を話した。年末は仕事が忙しくて死にそうだったとか、お正月は家族とちゃんと過ごせたかとか。   ビールとつまみがテーブルに置かれ、大和たちはそれを飲み、つまみを食べた。大和はビールを飲みながら莉子を伺う。何故大和と話がしたいのか。普通ならもう二度と大和と顔を合わせたくないはずだ。大和はあの時蒼とした茶番を思い出し、胸がズキズキと痛くなる。 「あのね、大和……私知ってるんだ」  突然莉子が意味深なことを言った。大和は莉子の言葉にドキッとし、思わず持っていたビールジョッキを落としそうになる。 「は? な、何をだ?」 「蒼君とのこと……」 「え?……ああそれは蒼が大和の代わりに莉子に謝りに行ったことだろう? 俺は蒼に任せちゃったから……あ、改めて莉子。あの時は本当にすまなかった」   大和はビールジョッキをテーブルに置くと、深々と頭を下げた。 「何を今更。大和のことなんかもうどうでもいいわよ」  莉子は眉間に皺を寄せながら、そう明るく言った。 「……じゃあ、何を知ってるだ?」 「あの時ね、蒼君私に言ったのよ。大和のことが芝居じゃなく本当に好きだって」 「え?」 「私、驚いたけど、それは自分の心の中に良い記念としてしまっておけばいいって言ったの。それをわざわざ大和に伝えることはしないでって。でも、蒼君、大和も自分のことを好きだっていう自信があるから、思いを伝えるかもしれないって言ったのよ。私それがずっと気になってたから……」   あの時の蒼の行動を想像すると、大和の心臓の鼓動が徐々に早くなる。あいつはそんなことまで莉子に話したのだ。蒼はあの時既に、自分を好きだと確信していたなんて。 「でね。大和」   莉子はビールジョッキを両手で持ったまま大和を真っ直ぐ見つめた。 「今あなたたちはどういう状況にあるの?」 「え?」  大和は強く動揺してしまいあからさまに目を泳がせた。 「ど、どういうって……べ、別に何も」 「何もないって? あ、嘘だな。大和ってそういうとこ全然変わらないね。すぐ顔に出ちゃう」   莉子は苦笑いをしながら唐揚げに箸を伸ばす。 「莉子……蒼は俺を好きだって、あの時莉子に言ったのか?」  大和はそれが気になり莉子に尋ねた。 「そうよ。はっきり。大和みたいに目を泳がせずにね」 「……そんな、何でそんなこと……」  大和は蒼の行動が理解できず頭を抱えた。 「それは多分、私に大和を完全に諦めさせるためじゃない? まあ、私についた嘘を謝るついでに、自分の気持ちを私を使って確かめたかったってのもあるだろうけど……あ~、ねえ、大和。この話聞いても全然驚かないのね。っていうことは、蒼君と大和は今そういう仲になっちゃったってことなのね?……あいつ、マジやりやがったな」  莉子は乱暴な言葉を使うと、残っていたビールを一気に飲み干した。 「はあ~、すみませーん。生ビールおかわり~」  莉子は大きな声で店員を呼ぶと、ビールを二杯注文した。 「大和も飲んで……ふう~、さあどうしよう。困ったな」  莉子は大和に向き直ると、真剣な目を大和に真っ直ぐ向けた。 「優柔不断な大和は、今凄く悩み苦しんでい る。さあ、〇か✕かどっち?」 「は? 何だよそれ」 「何だよじゃない! 〇か✕かどっち? 私さっきジムであなたを見かけた時、そういう風に見えたから心配になって声かけたのよ。私元カノよ? 大和のことこれでも良く分かるんだからね」 「莉子……」  大和は莉子の優しい言葉に、思わず胸に抱えた苦しみを吐き出しそうになり焦る。 「駄目だよ。我慢しないで。苦しかったら私に打ち明けて。少しは楽になるから」 (ああ、そんな優しい誘惑はやめてくれ、莉子……。)  自分はもう限界なのかもしれない。莉子とはあんな形で別れてしまったけど、大和はこの子を嫌いになったことなど一度もない。そのくらいいい子だから。 「……俺は蒼を」 「え?」 「好きなんだ。とても」 「……大和、そうなんだ……やっぱり」 「でも、終わりにしたいんだ。この関係を……でも、できなくて」  大和は二杯目のビールを一気に喉に流し入れると、今自分が口にした言葉は、もう取り返しがつかないことだということを絶望的に悟った。 「終わりにしたいって大和が思ってることは、蒼君は知ってるの?」 「否、知らない。俺が勝手にその方がいいって思ってるだけだよ」 「なるほど。でも多分蒼君はそれを望んではいないわね」 「そうだろうか? やっぱり」  大和はもう、莉子を悩み相談の相手にしてしまっていることへの抵抗が薄れている。そんな自分がすごく格好悪い。 「あのね、こんなこと聞くのすごく抵抗があるけど、私は兄で免疫があるから聞いちゃうね。二人はどこまでの関係なの? その、まさか最後までしちゃったとか?」   莉子はこの質問にはどんな顔をすれば良いか分からなくて困っているような、そんな奇妙な顔で大和に尋ねた。 「してない。最後までは……あいつはそれを望んでるけど」  「え? 待って、その、もしかして抱かれる側って大和の方なの?」  莉子はひどく目を丸くしながらそう言うから、大和は地下深くに潜りたいくらい恥ずかしくて、テーブルに思わず頭を突っ伏した。 「悪いかよ。そうなっちゃったんだよ」 「……全然悪くないよ。ただ意外なだけ。あのね、男と女とか、肉体的にはもちろん区別されてるけど、心の中は自由でいいと思うの。男らしさとか女らしさとか、そんなことに捕らわれず、自分らしくあっていいってこと」   莉子は恥ずかしがる大和の肩に手を置きながら、そう熱く語った。 「どういう意味だよ」 「大和が、蒼君の前では、自然と受け身になる女性的な一面が出てしまうことを否定するなってこと。それを受け入れることは全然恥ずかしいことじゃないし、悪いことじゃないってことよ」  「莉子……」  大和は突っ伏していた頭を上げると、莉子を見つめようとしたが、まだそれは恥ずかしくてできなくて、大和は慌ててつまみに手を伸ばす。 「やっぱり二人は惹かれ合っちゃったか~。あの個室の時からよね。でも、大和は何故関係を終わりにしたいと思うの?」  莉子は心配そうに大和を見つめそう尋ねた。 「莉子はどう思うんだ? こんな関係どう考えても間違ってるだろう? 周りの人間を欺きながらこそこそ関係を続けるのも、俺が蒼に抱かれるのもすべて現実的じゃない。やっぱり無理なんだよ。俺たちは覚めない夢の中にいるみたいに、現実を見て生きていないんだ」   大和はもう酒の力を借りるように、胸に痞えた思いを莉子に吐露した。莉子の優しさに甘えながら格好悪い自分を曝け出す。 「そうか……そうだよね。大和みたいな真面目な人はすごーく悩んじゃうよね。じゃあ、どうしよう。どうしたら二人の思いが一つに納得できる形にできるんだろう」 「分からない。分からないから苦しいんだよ。どうすることが自分たちにとって一番幸せなのかが分からないんだ」  大和は両肘をテーブルに付くと、両手で頭を抱えた。 「うーん、この関係を続けたいけど、バレたらおしまいの恐怖と、蒼君は大和を抱きたいけど、どうしても抵抗がある大和の葛藤。この二つから導き出す答えって何だろう?」   莉子はまるで自分のことのように真剣に思い悩んでいる顔をして天を仰いでいる。大和たちのことを心配し、何か良い方法がないかを懸命に考えている。その姿に、大和は本当にこの子を好きになって良かったと心から思えた。 「大和……これはあくまでも私の提案よ。決めるのは大和だからね。確かに二人の関係はとても危険だわ。特にこの世界ではね。だから私はやっぱり無責任なことは言えないの。ただ、二人が嘘偽りなく愛し合っている証拠を作ればいいと思うの。大和が蒼君の思いを受け止めて、抱かれるの。一度でいい。それがお互いに深く刻まれれば、それを胸に、この関係を終わりにできるんじゃないかな……でも、その二つを大和ができるならだけど」 「刻む?」  「そう。蒼君は大和の覚悟に納得してくれるんじゃないかな。あの人は大和のことが本当に好きよ。大和を傷つけるようなことはしたくないだろうし」 (ああ、そうか。俺が蒼の思いを受け入れればいいんだ。それで終わりにすればいい。二人で本当の恋をした記憶を刻めば、それを胸に前を向いて生きて行ける……。) 「多分。凄く辛いと思うの。だって大和たちは同じグループにいるから。でも本気で愛し合った記憶がお互いに深く刻まれていれば、それを乗り越えられるんじゃないかな。その後、例え別な相手と付き合うことになっても、ずっと忘れないの。ずっとずっとお互いを忘れない……ああ、そんなの綺麗ごとよね……」  莉子は眉間に皺を寄せながら頬杖を突き大和を見つめた。  「ごめんね。大和。勝手なことばっかり言って。でも私は二人には幸せになってほしい。それだけは確かよ。どんな形であれ、二人が苦しむのだけは絶対に嫌……」   大和は悲しくなる。大和たちは莉子を傷つけたのに。それでも大和たちの幸せを願ってくれる莉子の気持ちに、大和は泣きたくなる。 「ありがとう。莉子。今日は俺に声を掛けてくれて、本当に感謝してるよ」   「大和? 答えが出たの?」  莉子はキョトンとした顔で大和を見つめた。 「ああ。そうだね。出た……かもしれない」  「……そうか。じゃあ、私はいつでも二人の見方だから。何かあったらまた相談に乗るわ」  莉子はそう言うと、男らしくビールを一気に飲み干した。  莉子と会った日から二週間が過ぎていた。それまでの間も、大和と蒼はいつものように二人きりになることができず、お互いに心の中にある恋情を燻らせていた。でも大和は既に覚悟を決めていたから、目が合えば思いが募り、キスをすることもできない状況に胸を掻き毟りたくなっても、大和は自分の心を氷のように冷ややかに俯瞰することで、自分の判断は正しいと納得する努力をしていた。 (それでいい。否、それがいいんだ。)  大和は何度も自分にそう言い聞かせると、今日が良いタイミングだと思い、蒼にラインを送った。   大和は今トーク番組のゲストに呼ばれていて、収録の空き時間を利用して、テレビ局のすぐそばにあるカフェでコーヒーを飲んでいる。今日のメンバーはランダムに選ばれていて、蒼もその中にいる。次の収録まで二時間以上あるから、大和は蒼にカフェに来るようラインで呼び出した。  しばらくして寒そうにダウンを着込んだ蒼の姿をカフェの入り口付近で見つけた。大和はわざと自分の存在を教えず、大和をキョロキョロと探す蒼を見ていた。蒼は苛立ったように大和を探すから、その必死さに大和は胸の奥が疼いた。  入って一番奥の目立たないボックス席にいる大和は、蒼から目を反らすと、今日のトーク番組の台本に目を落とした。 「はあ、はあ、いた! 探したよ」  蒼は大和の肩を叩くと、ここまで走ってきたのだろうか、息を切らしながら大和にそう言った。 「ああ、蒼……お疲れ」  大和はそう言うと、蒼は大和と向かい合うように腰かけた。  「ここ初めてだよ。中々雰囲気がいいね」   蒼は楽しそうにそう言うと、メニュー表を手に取り、いつもそうするようにアメリカンコーヒーを注文した。 「なんか予報通りじゃないか? 今にも雪降りそう……空曇ってきたし」  大和は窓に目を遣ると、少し憂鬱な気分でそう言った。 「確かに。都心で雪なんて予報、かなり珍しいよね。大雪になるのかな?」  蒼はダウンを脱ぎ無造作に自分の脇に置くと、笑顔で大和に向き直る。  「はあ、嬉しいな。まだ収録まで二時間以上もあるよ」 「そうだな。ここのテレビ局毎回時間にルーズで嫌だけど、こんな空き時間も悪くない」 「そうだね。本当に」   大和たち二人は見つめ合うと、共に天気が気になるのか、自然と窓の外の景色に目を遣った。 「冬って寂しいけど好きだよ。こんな風に雪が降りそうな空気感が俺は特に好きだな」   蒼はロマンチストの片鱗を伺わせるような言葉をさらっと吐くと、店員が置いたコーヒーを熱そうに啜った。 「……なあ、蒼」 「ん? 何」 「俺が今から言う話を、ちゃんと聞いてほしいんだ」 「え? 何? そんな改まって」 「何とく想像は付くだろう?」 「……は? 分かんないよ。全く想像できないな」  蒼は何かを察したのか、さっきまでの機嫌の良さが嘘のような、険しい表情を作った。  「……別れてほしいんだ」  「え?……ちょ、待って、どういう意味?」 「言葉の通りだよ……でも、おかしいよな。良く考えたら、俺たちまだ何も始まってないんだよな……」  蒼は唇を小刻みに震わせると、それを制するようにぎゅっと下唇を噛んだ。 「何を、言ってるの? 大和さん。それを言うためにわざわざ俺をここに呼んだの?」 「そうだよ。丁度いいチャンスだと思ったんだ。ごめん。蒼。俺の方からこんな勝手なこと言って……」 「いや、謝らないでよ! 謝らなくていいから、今の言葉取り消せよ!」 「あ、蒼、声が大きいっ。頼む。落ち着いて俺の話を聞いてくれ」 「嫌だ! 聞きたくない……くっそ、嫌な予感的中だ。大和さんはやっぱりずっとそんなこと考えてたんだ……だからか、俺がこんな風に暴れないようにわざと周りに人がいるカフェを選んでこんな話するんだ……はっ、最低だな。絶対に聞かない」  蒼は耳を塞ぐような仕草をすると、テーブルに顔を伏せてしまう。 「頼むよ、蒼、聞いてくれ……俺もすごく悩んだんだ。簡単に出した答えじゃないんだよ」  大和は蒼の腕を掴むと、優しく揺り動かした。蒼はそれでも顔を上げようとはしてくれなくて、大和は途方にくれながらも言葉を続けた。  「別れようと思ったのは、俺たちが幸せになるためだよ。今のままじゃ多分、俺たちは絶対に不幸になる。この関係を続けていくなんて始めから無理だったんだよ。それは蒼だって、分かってたことだろう?」  耳を塞ぐ仕草をしているが、蒼は大和の話を多分聞いている。蒼の雰囲気がそれを醸し出している。大和はそう確信すると、話を続けた。 「でも、俺たちはお互いを好きだ。これは紛れもない事実なんだよ」 「……そうだよ。当たり前じゃないか、そんなの……じゃあ、何で? 何でそんなこと言うんだよ」  蒼は大和の言葉に反応すると、むくりと頭を上げて、大和を鋭く睨んだ。 「当たり前……そうだな。俺と蒼がこうなるのは、必然だったのかもしれない。そのぐらい自然で、運命みたいなもんなら、それをお互いに深く刻めばいいんじゃないのかな」   「刻む?」   蒼が怪訝な顔をして大和を見つめた。その瞳は、辛い感情を表すように赤く充血している。 「俺を抱けよ。蒼……一度だけ。それがお互いを心から好きだっていう証になる。それを胸に刻めば、俺たちは前を向いて歩いて行けるんだよ……別に離れるわけじゃない。俺たちがどこまでも一緒なのは何も変わらない……そうだろう? 蒼」  「大和さん……」  蒼はくしゃりと顔を歪ませると、またテーブルに頭を伏せてしまう。 「嫌か? 蒼。俺はお前に抱かれても平気だよ。っていうか、お前だからだよ……俺はお前にしか抱かれないんだからな……」 「こんな場所でする話かよ……もうやめろよ」  蒼は目頭を押さえながら頭を上げると、大和を真っ直ぐ見つめた。その目は僅かに潤み、充血が更に濃くなっている。 「それが……大和さんが出した答えなんだね?」 「ああ……そうだよ」 「俺はそれを……受け入れないといけないんだね?」 「……そうだよ。蒼。受け入れろ」   蒼は観念したように皮肉めいた笑みを浮かべると、目の前のコーヒーを煽るように飲み干した。 「いつ? どこで?」 「え?」 「俺は大和さんを抱いていいの?」 「……ああ、宿舎で、俺たちが二人きりになれた時。俺の部屋で」 「了解……土壇場で嫌って言われても、俺絶対やめないから。覚悟してね」  蒼はそう言うと、ダウンを乱暴に掴み取り、大和の前から姿を消した……。   

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