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第14話

 あの桜が満開だった春の日から随分時間が経った。あの日、大和の部屋で初めて蒼と繋がったことを、大和は今でありありと思い出すことができる。時々、フラッシュバックのようにその記憶が頭に浮かぶと、大和は一瞬であの時の感覚に引き戻されてしまい、狂おしいほどの切なさに胸が張り裂けそうになる。もう一年以上も前の記憶なのに、大和は今でもそれがつい最近の事のように瑞々しく、鮮やかに脳内を埋め尽くしていて、途方もない気持ちにさせられる。  それは蒼も同じだろうか? 大和たちはあの日を境に、一切お互いに対する恋情も、性的な欲望も完全に封印してきた。同じメンバーとして活動する限り、目が合うことも、肌が触れ合うことも日常茶飯事として常に有る。それでも大和たちは自分の感覚を麻痺させるように、お互いの心の中に相手が入り込む余地を必死で作らず、この一年あまりを、ひたすら仕事に打ち込むことだけに生きてきた。  そうは言いつつも、大和も男だから、女性から好きだと言われれば、特に断る理由もなければ、寂しさを紛らわすように一度だけ付き合ったりもした。でも、いざ身体を重ねても、あの時の蒼との行為を上書きできるような鮮烈な感動もなければ、胸が熱くなるようなときめきも有りはしなかった。  多分、蒼は女性にもてるから大和以上にそんな機会があっただろうと思う。たまに耳に入る女性との噂に、大和の心がその度に鋭く抉られ、深く傷ついたことは言うまでもない。でも、時が経てば経つほど、そんな嫉妬心も徐々に薄れていくと思っていた。もうあれから一年以上も経つというのに、大和はまだ蒼とのあの濃密だった時間を、いくらも消化できず、こうやってまだ燻っている。  大和は、蒼への思いを断ち切れると高を括っていた。蒼との思い出をすべて自分の中に刻み、それを糧に強く前を向いて生きていけるとそう信じていた。でもそれは思った以上に簡単ではなくて、自分から出した決断に、大和は迷い引きずり後悔していることを、ただ我武者羅の仕事に打ち込むことで、ずっと誤魔化してきたのだと思う。 「俺はね、大和さんの判断は正しかったと今でも思ってるよ。だって俺たちこの一年で、アイドルだけじゃなくアーチストとしても成長することができたんだから。これはね、二人がグループを優先に考えて別れてくれたからなんだよ。そのおかげで俺たちは心を一つにして頑張って来られたんだから」  徹がワインを片手に饒舌に話している。既に酔いが回っているのか、ひどく上機嫌に見える。  大和と徹は、ダンス練習の帰りに、久しぶりにあのメキシカンレストランで夕食を食べている。ここに来ると、否が応でもあの時の記憶がまざまざと蘇るから落ち着かない。でも、徹がどうしてもここのタコスが食べたいと駄々を捏ねるからしょうがなく付き合っている。 「でもね……」  徹が急に真面目な顔を作り、ワイングラスに目を落とした。 「本当にこれでいいのか……良く分からなくなるんだ」 「は?……どういう意味だよ」  大和は、徹の意外な言葉にカクテルを飲む手が止まる。  「……二人が、全然幸せそうに見えないんだよ。勘の良くない人間は気づかないかもしれないけど、俺には分かる。特に蒼さんは……ひどい。同室だから分かるんだ。あの人目の奥が死んじゃってる」 「し、死んじゃってるって、そんな大袈裟な」  大和は徹の言葉をどう受け止めて良いか分からず、混乱する。その言葉を意味することを考えるのを、大和の脳が拒否している。 「大和さんもだよ。表面上は平気な顔してるけど、俺には分かるんだからね。ねえ、二人ともどうしたら前のような二人に戻れるの? もう一生二人の心からの笑顔は見られないの?」  徹は悲しげに大和を見つめると、はっと短く溜息を吐いた。 「あのさ、この間瑛太さんからから聞いたんだけど、蒼さん女性にしつこく絡まれて大変だったみたいだよ。何か、一度だけデートしたら相手がかなり本気になっちゃって……つーか、瑛太さんが蒼さんらしくないって言ってた。蒼さんは女性に対して淡泊な筈なのに、何で簡単に誘いに乗っちゃったのかなって……ねえ、大和さん! 聞いてる?」  片桐瑛太は俺の同い年のメンバーだ。勘が鋭く面倒見がいい。  大和は動揺してしまい、テーブルに目を落としたまま固まった。蒼の取った行動がもし大和のことを未だに引きずり、それを誤魔化すための投げやりな行動なのだとしたら、大和の選択はやっぱり間違っていたということになるのだろうか。でも、これでいいはずだ。そんな考えはおこがましい。きっと蒼は前向きに大和とのことを忘れるために女性と付き合おうとしただけだ。その子とたまたま上手くいかなかっただけの話なのだから。 「し、知らなかったな。噂では聞いたけど……それなりに上手く行ってるのかと思ってたよ」  大和は平静を装いながらそう徹に言った。 「本当にそう思ってるの?」  「え?」 「自分もそうだから? 大和さんこそあの女の人とはどうしたの?」  「……あ、か、彼女とは直ぐに、終わった……かな」 「はあ~、二人とも無駄に女性を傷つけてホント最低だな。もう、どうしてこうなったんだよ」  徹はボトルからワインを継ぐと、それを一口飲みながら大きな声でそう言った。 「あのさ、俺だけには本当の気持ちを伝えて欲しいんだよ。大和さん」 「は? どういう意味だよ」 「韓国に行くの、そろそろだよね? 再来月だっけ? 瑛太さんと一緒に」 「……ああ、そうだよ。やっとな」  大和と瑛太が韓国の新人アイドルグループのメンバーに加わり、期間限定で活動するという企画はもう二年も前から計画されていた。こっちのグループの大和と瑛太が抜けたポジションには、日本で行われたオーディションで選ばれた韓国人のメンバーが加わる。こうやって日本人と韓国人の混合グループを作り、両国の力を結集しながら、更に市場の大きいアメリカやヨーロッパでの成功をともに目指す。それに、韓国には兵役制度がある。兵役で抜けたメンバーの穴埋めに、日本人のアイドルを利用するという目的も兼ねている。お互いの国の事務所との契約が難航していてしばらく滞っていたが、つい最近その計画が始動し始めた。 「韓国での活動が二年ぐらい。大和さん。蒼さんとは二年も会えないよ……どう? 大丈夫?」 「大丈夫って、何がだよ」  大和は徹の話の内容を改めて思い知らされ、心が凍り付くように冷えていくのを感じた。もう二度と自分の心には熱い血が通わないのではないかと不安になり、誰かに縋り付きたいような気持ちに強く捕われる。 「大和さん……大和さんの正直な気持ちを聞かせて」 「え?」 「大丈夫だよ。蒼さんには言わない。俺だけの胸に留めておくから」  徹は真剣な顔で大和にそう言った。 (賢い徹。周りを良く見て、さり気ない優しさを与えられる徹。俺はそんなお前が、本当に大好きだよ) 「……俺は蒼を、まだ今必死に忘れようとしてる。完全に忘れたって徹に言いたいけど、それはやっぱり嘘になるんだ」 「うん。そうだろうね」 「どうしてだろう。何で忘れられないんだろう。俺から別れようって言ったんだ。俺が、蒼を……もし、立ち直れないくらい傷つけたんだとしたら、俺はどうすれば良かったんだろう……なあ、徹、俺は……どうすれば」  涙が恥ずかしいほど溢れてきて止まらない。まさか徹の前でこんな醜態を晒すなんて、そんな自分が信じられない。 「……本当に二人はお互いを好きなんだね。俺が想像してた以上に。はあ~、俺も甘かった な。まさか本当にここまでとは」  徹は呆れたように天を仰ぐと、頭が重いのか左手の甲に頬を乗せて大和をじっと見据えた。 「けじめをつけないと」 「は? けじめ?」 「そうだよ。もうこれは腹を括るぐらいの覚悟で」 「腹を括るって……どんなけじめだよ」  大和は、徹の言っている意味が分からずそう問いかけた。 「大和さんが日本に戻ってきた後も、まだお互いを好きだったら、メンバー全員に正直に話して、二人の関係を理解してもらえばいいと思う」 「え?」 「その勇気が大和さんにあればだし、二人が、全く会えない二年の間に心変わりしなければ、その恋は正真正銘本物だって証拠になるだろう?」 「徹……」  大和は徹の提案を想像すると、ひどく胸が熱くなる反面、本当は情けないくらい優柔不断でビビリで、意気地のない自分が大嫌いだということを思い知らされる。確かに、蒼との始まりは大和の不甲斐なさにあった。でも、大和はもうそんな自分で後悔などしたくない。 「……蒼は、どうだろうか。そこまで俺を、好きでいてくれるだろうか」 「さあ、それは分からないな……まあ確かに蒼さんも大和さんのこと今でも忘れられてはいないと思うけど、時間が人をどう変えるか分からないし。意外と蒼さんの方があっさり心変わりするかもしれないしね。でも、可能性はもちろんゼロじゃない」  徹は傾けていた頭を起こすと、グラスの中のワインをゆっくりと飲み干した。 「……そうだよな。ダメな場合もあるよな。でも、俺はその賭けに挑戦したいよ、徹。例えダメだったとしても、俺は多分、それできっぱりとケリを付けられると思うんだ……それにもし、蒼も同じ気持ちでいてくれたら、俺は今度こそ俺たちの関係を隠さずメンバーに話す。例えその先に困難があったとしても、俺はもう逃げない……」 「ああ。そうだね。それでこそ須田大和だよ」  徹は何かを決意するような表情を作ると、思い切り大きな口を開けてタコスに齧り付い た……。      この二年間という韓国での活動を、大和は、アイドルの自分として生きることにひたすら没頭しようと思っている。蒼のことを考えない日など多分一日もないだろう。でも、自分を磨けるこのチャンスを絶対に無駄にしないという気持ちで頑張ろうと心に決めている。日本に戻ってから、もし蒼が完全に大和との関係を絶ったとしても、また、その逆に、大和たちの関係をメンバーに公にすることで予想される困難が待ち受けていたとしても、そのどちらにも強く立ち向かえる自分になるために。  大和は出国する前に蒼と二人きりで会いたくて、初夏の日差しが眩しい、昼下がりの屋上にラインで呼び出した。 『最後の挨拶がしたい』  大和は部屋からそう送った。 『ラインで?』 『違う。屋上に来てくれないか?』  大和はそう送り返した。蒼は少し間を空けてから『了解』と返事を寄こした。   久しぶりに屋上に上がったかもしれない。どこの場所に行っても、蒼との思い出がまるでキラキラと光るシースルーの生地のように景色に纏わりつき、大和を困惑させる。  蒼は暑そうに長めの髪を無造作にしたまま、気だるげに大和の前に現れた。着ているティーシャツもどこかよれよれで、確かにオフの日の蒼は最近いつもこんな感じかもしれない。 (勿体ないな。何を着ても様になる男なのに。)  大和は蒼見つめ、もどかしいような残念な気持ちに胸が痛くなる。 「挨拶って? 韓国行くから?」  蒼はぼそっとそう言うと、屋上の手摺まで歩いた。足元は履き古したアディダスの青いサンダルを履いている。 「そうだよ」  大和も手摺まで歩くと、蒼の隣にそっと近づいた。 「眩し、今年の夏は暑いかな」  大和は眩しさで顔を顰めると、蒼を見ながらそう言った。 「さあ、どうだろう。俺、暑いの嫌いだから」 「ははは。そうだな。嫌いだったな」  大和は蒼のそんな好き嫌いを自分がちゃんと覚えていることに新鮮に驚いた。それは大和たちが長く付き合ってきた証拠でもあり、大和が蒼に関心があった証拠なのだ。 「……韓国での活動……二年間だっけ?」  蒼が眩しそうに目の前の景色に眼を細めながらそう言った。 「そうだよ。俺と瑛太が行く」 「……やだな。俺だったら耐えられない」 「大丈夫だよ。国は違っても同じアイドルなんだから。志は一緒のはずさ」 「そうだけど、また違うじゃん。あの国の行き過ぎたプロ根性ってちょっと……自由なさそうだし」 「ああ。蒼にはそれが一番キツイよな」  大和は蒼が韓国で活動する姿を思い浮かべると、おかしくて思わず笑った。 「何がおかしいの? 俺変なこと言った?」  蒼が少しイライラしたように大和を見て言った。 「はは、ごめん……言ってないよ、何も」  大和は蒼の肩をさり気なく抱くとそう優しく言った。久し振りに触れた蒼の体は、以前よりも少し痩せたような気がするのは大和の気のせいだろうか。 「もう一回確認するけど、俺たちって二年間会えなくなるよね? そうだよね?」  急に蒼が真剣な目で大和を見つめそう言った。 「そうだな。こんな長い間お互いに会えないの、初めてだよな」 「……大和さんは辛くないの? 俺に二年間もずっと会えなくて」  蒼は大和に肩を抱かれたまま、甘えるように、自分の頭を大和の肩にさり気なく載せた。久し振りの蒼とのスキンシップに、大和の全身がざわっと粟立つ。 「辛いよ。凄く。でも、俺はこの期間を利用して、自分をもっとしっかり見つめ直すって決めたんだ」  「見つめ直す?」 「そうだよ。自分の気持ちに正直なるために」 「……どういう意味?」  蒼が不思議そうな顔で大和を見つめた。その顔がとても蒼らしくて、ナチュラルに格好良くて、大和の胸がドキドキと高鳴る。 (大好きだ。蒼……今まで苦しませて本当にごめん。でも俺は敢えてここで賭けの話しはしないよ。言ってしまったら意味がないだ。) 「大和さん? ねえ? 大丈夫?」  蒼の顔を自分に焼き付けるように見つめていると、蒼がそんな大和を不安げに見つめた。 「ああ。大丈夫だよ……行ってくるよ。蒼。今度会える日まで、絶対に元気でいろよ」 「大和さん……俺」  蒼は悲しげに目を潤ませると、何か言いたげな表情をしたが、思いを変えたのかすぐに下を向いてしまった。  「うん。元気でいるよ。絶対に……」 「ああ。蒼。ありがとう……またな」  大和はそう言うと、蒼の頭を軽く2回ポンポンと叩いた……。  韓国での活動を終え、大和たちが日本に戻ってきた時には、蒼の姿はなかった。日本のメンバーたちは、大和たちが戻って来る前のメンバーでの記念アルバムを作成するために、イギリスにあるスタジオでレコーディングをしていた。帰国日は明日だ。大和は蒼に会える嬉しさに胸が高鳴る反面、会うことへの緊張と少しの恐怖に、やはり同じくらい胸がじりじりと苦しくなった。  今日のスケジュールの締めは瑛太と二人で出演した音楽番組の収録だった。大和はそれを無事済ませると、イギリスからオフを兼ねて、直接実家に帰宅したばかりの蒼に会いに行こうと、朝から決めていた。行く前にラインを送ろうかとも思ったが、結局収録が忙しくて送る暇がなかった。  いきなり押しかけたら蒼は驚くだろうか。大和はそんな心配もしたが、早く蒼に会って思いを伝えたい気持ちが逸ってしまい、結局心配など数秒で忘れた。  蒼の実家まで深夜に車を走らせていると、自然と大和の頭の中を、蒼との思い出がぐるぐると駆け巡っていく。蒼に恋をしていた時の大和は、戸惑いや罪悪感に苛まれていても、とても幸せだった。蒼との日々が自分にとってどれだけかけがえのないものだったかを、大和は知っている。それが確かな事実であることを大和は既に認めているから、それを解放する勇気を持つと、大和は強く心に決めていた。  蒼の実家近くの有料駐車場に車を止めると、大和はそこから、閑静な住宅街を十分ぐらいかけて歩いた。十一月の終わりの夜は少し物寂しくて、既に空気は冷たく、冬の気配を漂わせている。月日が経つのは恐ろしく早くて、気が付くとあっという間に十二月になってしまう。 蒼と別荘に行ったのは確か十二月だった。また行けるだろうか。あそこへ。大和はあの時の美しい湖の景色が、瞼の裏に鮮やかに蘇る。  蒼の実家の前まで来ると、家の二階に明かりが灯っていることに気づいた。何度か来たことがあるから分かるが、あの部屋は蒼の部屋だ。大和は手ごろな石ころを見つけると、二階の窓に向かってそれを軽く投げた。  窓に上手く当たり、コツンと音を立てたが、部屋からは何の反応もない。大和はもう一度石を窓に投げようと構えた時、ガラッと窓が勢い良く開いた。 「……誰?」  蒼は少し怯えながらキョロキョロと外を伺っている。視力が悪いからか目を細め睨むような目をしているのが可笑しい。蒼は、普段はコンタクトを利用しているが、実家にいる時は眼鏡をかけている。  すると、いきなり部屋の方に振り返ると窓から姿を消した。数秒も経たずに窓に戻ってきた蒼は丸い縁なし眼鏡を掛けていた。 「え? あれ? うそ! 何でいるの!」  蒼は大和の姿に気づくと、そう大きな声で言った。  「しっ、声大きい……蒼、下まで降りて来られるか?」  大和はジェスチャーを交えてそう言った。  蒼はしばらく呆然と大和を見ていたが、ふと我に返ったように「待って!」と返事をすると、乱暴に窓を閉めた。  しばらくして玄関のドアが開くと、上下スウエットにジャンパーを羽織った蒼が姿を現した。久しぶりに会った蒼は、以前よりも男らしさが増したような気がして、大和は変にドキドキとしてしまう。大和は、今まで割と落ち着いていたのに、蒼を目の前にした途端、地面から数センチぐらい足が浮いているようなおかしな感覚を味わった。 「……大和さん、いきなりどうしたの?」  蒼は露骨に戸惑いを滲ませた顔しながら、大和にゆっくりと近づいた。 「俺たちが韓国にいる間、グループを守ってくれてありがとう。大変だっただろう?」  大和は、蒼を労うようにそう言うと、近づいて来た蒼に、握手を求めるように手を伸ばした。 「それを言いにわざわざ実家まで来たの?」  蒼は大和と握手をしながらひどく驚いた表情を大和に向けた。 「まあ、そうかな……あ、いや、違うかな」 「……は? 何それ? 俺のことからかってんの? 意味分かんないよ」  蒼はイライラしたように手を離そうとするから、大和はそれを力を入れて制した。 「何だよ。離してよ」  蒼は大和を睨みつけると、大和の手を解こうとする。 「歩かないか?……少しだけ。いいだろう?」  大和は蒼の手を引くと、自分勝手に歩き出そうとした。でも、蒼は中々動こうとはせず、大和を探るようにじっと見つめてくる。 「頼むよ、蒼……俺の車、ここから十分ぐらいの場所に置いてあるんだ。そこまででいいから、歩こう」  大和は、ここに来た理由も説明せず自分勝手なことばかりを言っている。蒼が困惑するのは当たり前の話だ。 「……大和さん、おかしいよ。何なんだよ、これ」  蒼は思い詰めたようにそう言うと、渋々大和に手を引かれながら歩いた。  駐車場までの距離を大和と蒼はずっと手を繋いだまま歩いた。真夜中だから人通りは少ないが、何人かにおかしな目で見られたりもした。高台にある有料駐車場からは綺麗な夜景が見渡せる。車を止めた時には大和はそのことにまったく気づかなかった。大和は寒いのと、話したいことが溢れるようにあることを理由に、蒼に車に乗るよう促すと、蒼は躊躇いながらも助手席に乗り込んでくれた。  大和も運転席に乗り込むと、大都市ほどではないが、品の良い落ち着いた夜景のきらめきが目の前に穏やかに広がっている。 「夜景綺麗だな。この駐車場気に入ったよ」 「はっ、ここに止めたの初めてじゃないじゃん。俺んち来た時何度か使ってるよ?」 「あれ? マジで? そうだったか?」   大和は自分の記憶の曖昧さに可笑しくなって、思わず笑ってしまった。でも蒼はそんな大和をただ無表情に見つめてくる。 「はあ~、ごめん。そんな怖い顔しないでくれよ」   大和は蒼にそう言うと、蒼の服の袖を掴んだ。 「……させてるのはそっちだろう? 俺に大事な話でもあるの? だからこんな時間に、こんなとこまで来たわけ?」   蒼は大和を真っ直ぐ見つめると、苦しそうにそう言った。 「……ああ、そうだよ。大事な話があって来たんだ」 「何だよ、大事な話って、どうせまた、俺たちが付き合ってたこと絶対口にするな、とかそういうことだろう?」  蒼は大和の手から腕を引くと、そう吐き捨てるように言った。 「違う。そうじゃない」 「は? じゃあ何?」  「……俺はもう逃げないって、決めたんだ」 「逃げない? 何から?」 「お前からだよ」  「俺?」 「そう。お前から逃げない。俺は蒼が好きだ……今でも何も変わらず、俺はお前が好きなんだよ……」  シーンという音が聞こえそうなほどの静寂が流れた。多分たった数秒間のはずなのに、大和にとってはその静寂が恐ろしいほど長く感じる。 「……バカだよ。それ何で今言う?」  蒼の震える声が大和の耳を掠める。その悲しみを滲ませた声質に、大和は既に手遅れなのだと絶望的に悟った。でも、それは当たり前だ。大和は蒼に自分の選択を一方的に押し付け、悲しませたのだから。今更こんなことを言われても、蒼にとってはただのいい迷惑に過ぎない。  「……聞いてくれ、蒼。手遅れだって分かってても、伝えたかったんだ。もし、蒼がまだ俺を好きでいてくれるなら、俺はもう二度と同じ過ちはしないって、そう決めたんだ」  「ま、待って! ちょ、どういう意味? 同じ過ちをしないって、それどういうこと? ごめん。俺今、頭パニックになってる」  蒼は自分の頭を抱えながら下を向き動かなくなった。でも落ち着きなく小刻みに体を揺らしている。 「もし、俺たちがまだ愛し合っているなら、俺はこの関係をメンバーに話すよ。ちゃんと心込めて話して、絶対認めてもらう。俺が、何が何でもそうする」 「……ああ、ホントバカだ……大和さんなんか、大嫌いだ……」  蒼は力を込めて自分の膝を何度も叩いた。それがあまりにも痛々しく見えて、大和は蒼の腕を掴むとそれを止めさせた。 「蒼? 駄目か? 俺やっぱり、遅かったよな……」 「……きだ」  「え?」 「……好きだ! 好きだよ! 今でも1ミリも変わらず愛してるよ! くっそ、悔しいな、多分俺の方がいつも、好きって気持ちが大和さんより一歩勝ってるんだ!」 「蒼……」 「……俺がどれだけ辛かったか分かる? 本当に分かる? 俺が、どれだけ、大和さんを求めていたか……本当に分かってる?」  蒼は大和の両腕を掴むと、強く揺さぶり、そう叫んだ。蒼の目は赤く潤み、今にも溢れそうな涙がきらりと目元に光っている。  大和は蒼の言葉に喜びと罪悪感で胸が張り裂けそうになる。でも、喜びの方が圧倒的に強くて、大和はその感動に、全身に熱い血が一気に漲るのを感じた。 「ああ、分かってるよ。蒼は俺を好きだよ。そして俺もお前が好きだ。それはずっと変わらない。何があっても……」 「本当に? その言葉信じていいの?」 「ああ。信じろよ。蒼……これからお前は、俺だけを信じて生きていけばいいんだよ」  恥ずかしいほど格好付け過ぎた言葉だけど、大和はそれを絶対に取り消さない。大和は二度と蒼を傷付けたりしない。それが、大和が一生守るべき約束であり、蒼と共に生きる運命を、大和はこれからもずっとずっと信じ続ける。 「……いつ話すの? メンバーに」   蒼は不安そうに、恐る恐る大和に問いかけた。 「そうだな。できるだけ早急に……メンバーなら理解してくれるはずだよ。俺たちの絆は、こんなことで壊れたりしないしな……」 「……そうだね。そうだよ……大和さん、怖がらず前へ進もう、一緒に……ずっと」  蒼は男らしく大和の頬に手を伸ばすと、そっと引き寄せキスをした。数年ぶりの蒼とのキスは、一瞬であの頃の官能的な熱を蘇らせる。  大和と蒼の絆は深い。練習生時代から支え合ってきた信頼関係も含めて。でも、それだけではないはっきりとした事実がある。大和たちは、お互いの体に触れ合えば、強い幸せを手に入れられることを知ってしまったのだ。それが大和たちを離れなくさせる理由のひとつであることも。ひどく遠回りをしてしまったが、それは大和のせいでもあるが、大和はその事実が、蒼からのキスによって今愚かなほど胸に突き刺さる。 「はあ、どうしよう。俺、大和さんがいない間、かなり体鍛え上げたから、今度こそ大和さんを壊しちゃうかもしれない……」  蒼は、しつこいくらい大和にキスをしながら、切なげな目をしてそう言った。 「……壊せよ。蒼になら何をされても平気だ……」  大和は蒼を強く抱きしめるとそう言った。 「ああ。ここじゃ無理に決まってる。どうしよう、今すぐ大和さんを抱きたいけど……我慢するしかないよな」  「またあの別荘に行こうぜ……いつか、必ず」  大和たちは見つめ合うと、離れていた時間を埋めるように、飽きるまでキスをし続け た……。  後日、メンバーをミーティングルームに集め、大和と蒼は重罪人にでもなったような気持ちで、自分たちの関係を話そうとした。大和たちはメンバーの反応を想像し、もし、どんな蔑みや軽蔑の言葉を浴びせられても我慢しようと覚悟をしていた。確かにとても都合の良い話だからだ。大和たちの関係を理解し、受け入れてもらうということは、そんな危険因子な大和たちを守ることを強要するのと同じだから。そんな負担をメンバーに与えてしまうことにひどく胸が痛くなる。でも、大和はそれでも蒼との関係を続けていきたい強い意志を示そうと心に決めている。メンバーも蒼もどちらも大和にとってかけがえのないものだということを、心を込めて伝えよう。でも、ミーティングルームに現れたのは何故か瑞樹一人だった。 「あのね。大和さん。実はさ……」  部屋に入って来るなり、瑞樹が困ったような顔をして大和を見た。  「……実は、知ってたんだ。二人のこと」 「え?!」  大和と蒼が顔を見合わせながら、素っ頓狂な声を発した。 「何でかっていうと……徹なんだ」  「徹?」  大和はそう聞き返した。 (え? まさか! あいつ……。) 「徹がね、大和さん戻ってきたら、多分メンバーの前で蒼さんとの関係を話すと思うから、お願いだから二人を受け入れてくれって、メンバー1人1人に根回ししてたんだよ。あの二人は必死に別れようとしたけど、絶対にそれができないってことを、俺は二人それぞれから思いを聞かされてたから良く分かるんだって……あいつ、随分と大変な役回りをしてたんだね」 (ああ、ああ、そんな、徹……。)  大和は徹に対する感謝の気持ちに涙が自然と溢れ、慌てて両手でそれを隠した。 「でも、それはやっぱり確実じゃないから、メンバーに話すのはリスクが高くないか? って俺徹に聞いたんだけど……」  瑞樹がその先を勿体ぶるように言葉を詰まらせた。 「徹はさ『大丈夫。あの二人は大和さん次第だからって。大和さんが俺にちゃんと言ったから。蒼さんが好きだって。俺はその言葉を信じたまでだよ』ってね」 (そうか、あの時徹は既に俺たちの行く末を分かっていたんだ。俺はまんまと徹に上手く乗せられ……ああ、徹、ホントにお前って奴は……。)  大和は今ここで徹を抱きしめられないことをとても残念に思った。あいつのすべてを包み込むように強く、強く抱きしめたい。 「大丈夫だよ。大和さん、蒼。俺たちは二人を守るよ。この世界にある偏見や差別から。もし最悪二人の関係がバレて引退なんかさせられても大丈夫。そしたら、俺たちも辞めるから。俺たちはずっと一緒だし、何があってもこの絆は変わらないんだからね」  瑞樹がそう言った。真っ直ぐに大和と蒼を見つめながら。 (ああ、随分と遠回りをしてしまったな。俺ってつくづく情けない男だったな……。)  大和は蒼の手を握ると、瑞樹に深々と頭を下げた。 「ありがとう。本当に。こんな俺たちを受け入れてくれて。心から感謝しても仕切れない」 「……俺もだよ。本当にありがとう。今感動でヤバい……泣きそうだよ」   蒼が大和の手を痛いくらい強く握りながらそう言った。 「瑞樹、俺からリーダーとして改めてメンバーにちゃんと話しをするよ。そこで蒼と一緒に感謝を伝えたい。その機会を近々作ってくれないか?」 「ああ、了解だよ。……よし! 早速今日からまたダンスの練習漬けの日々だよ。今回の振り付けは相当ややこしいから、大和さん! 特に気を付けて」  瑞樹は気合を入れるように大きな声でそう言うと、大和と蒼を残し、ミーティングルームを後にした。  「徹……あいつ、格好つけ過ぎだよ……でも、マジ嬉しかった……」  蒼は声を詰まらせながらそう言うと、大和の手を一旦離し、いきなり大和の正面に立つと、今度は大和の両手を取り優しく握った。 「大和さん……改めて言うよ。俺は一生、大和さんを愛することを誓います」 「……はっ、蒼、な、何だよ、急に」 「言って。大和さんも。お願い」  大和の両手を握る蒼の手は僅かに汗ばみ、大和は蒼の情熱をその手から強く感じ取る。 「ああ。分かったよ。言うよ……めっちゃ恥ずかしいけど……は~、俺も蒼を、一生愛することを誓います」  大和はやっぱり基本的な性格は全然変わってなくて、顔から火が出るような思いでそう言った。 「うっ、うう」  蒼は泣いてるのか笑っているのか良く分からない複雑な表情を大和に向けると、膝を抱えるようにその場にしゃがみ込んでしまった。 「あ、蒼……泣いてるのか?」  大和はそんな蒼の姿に胸が苦しくなってしまい、蒼の腕を掴み強引に立ち上がらせた。 「……残念だね……嘘泣きだよ」  そう言って大和に顔を向けた蒼の目は完全に涙で濡れている。大和はそんな蒼の強がりが心の底から愛おしくて、ありったけの思いを込めて、強く、強く抱きしめた……。                                                             了                    

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