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10:海って知ってるか?
「……あれは、確かに飯塚さんの声だった」
ヴィタリック王の定期演説は、年に数回、不定期に行われるモノらしい。
この長きに渡る太平の世を作り上げた賢王ヴィタリック。
初代セブンスナイトでも、彼は人間達の最大の敵として玉座に君臨していた。強大にして、不動の敵キャラ。だからこそ、セブンスナイトの物語の始まりは、いつも飯塚さんによるナレーションから始まるのだ。
そう、全シリーズを通して、全ての物語は彼の声から始まる。
彼は、このファンタジー世界を、俺達の目の前までどっしりと落とし込んでくれる、言わば――。
「飯塚さんの声は、重し、だもんな」
そう、彼が亡くなったとニュースで報道された時、声優界では「この世界の“重し”が無くなってしまった」と、多くのベテラン声優たちが、口を揃えて言った。
俺のような若造でも、その言葉の意味は十分に理解できた。
「でも、あの声……少し、なんか。ちょっと」
違和感があった。
ただ、それを言葉にして表せと言われても、なかなか難しいのだが、ただ、そう。ナニか、耳に引っかかるのだ。
「……でも、やっぱ凄かったなぁ。飯塚さんの声」
俺は久々に聞いた生の飯塚さんの声に、胸の奥がうち震えるのを感じた。
震える、痺れる、イかされる。
「心がイッちまう声だった……そう、仲本聡志は、未だにドクドクとうるさい心臓へと手を当て、深呼吸をした」
さて、落ち着かなければ。
いつもの誰も居ないガランとした廊下。夕刻も差し迫った時間。今日も、俺はイーサの部屋守になる。
「お疲れ様です」
「……」
俺の代わりに部屋守をしていたエルフに声をかけた。小さく頭を下げるのも忘れない。
「交代で、」
「……」
今回のエルフは、俺の顔を見ると、人間との会話など求めていないとでも言うように、無言で俺の隣を通り過ぎていった。
「はぁっ」
まぁ、いつもの事だ。
この世界で、俺は馬鹿にされるか、無視されるか。そのどちらかが殆どだ。まぁ、所以相手にされていないのである。
だからこそ、この世界にきて最初の十日間は本当にシンドかった。
「……でも、向こうでも大差なかったのかもしんねーな」
飯塚さんの声で痺れていた心が、じょじょに落ち着いていく。冷え切る、と言った方が良いかもしれない。
「バイトで忙しい毎日、落ち続けるオーディション、“仲本聡志”の代わりなんていくらでも居る」
--------オレも、サトシみたいになりてーなぁ。
「取るに足らない自分の存在」
そう言って、俺の声を聞いてくれていたのは、そういえば金弥だけだったのかもしれない。ただ、それも今となっては本心だったのかすら危うい。
「仲本聡志は思った。でも、山吹金弥という俺の声を聞いてくれるヤツがたった一人だけでも居たからこそ、俺はこれまで諦めもせず、声優の夢を追い続けられたのだ、と。しかし、」
皮肉な事に、夢を追う手を引いてくれた金弥こそが、俺を崖底に落っことしてきた張本人になってしまった。
「でも、手を引いて貰わねーと目指せない夢なんて、そもそも本気じゃなかったんだよな」
だから、金弥のせいにするのはお門違いだ。
そう言い聞かせてみても、まだ本心からはそう思えない。俺は、まだまだ納得していないらしい。
「さて、と……」
誰も居なくなった空間で、俺は滑稽なまでに荘厳な扉を見上げた。
「……俺だよ。聞こえてるか?」
俺が扉に向かって問いかけると、その瞬間、部屋の中からドタドダと激しい足音が聞こえてきた。そう、最近、俺が扉越しに声をかけると、必ずこの足音が聞こえてくるようになった。
どうやら、ベッドの上から降りて、この部屋の入口まで駆け寄って来てくれているらしい。
「ははっ」
ドンッ。
目の前の扉に軽い激突音が走る。
厚い扉越しにも関わらず、相手がピタリと扉に向かって体を預けているのが分かった。
「今日も元気があって何よりだな」
イーサ王子。
一度、扉から吹っ飛ばされた時に微かに見えたその姿は、ベッドの上で、毛布にくるまっているという、なんとも格好のつかない姿だった。
きっと、これまでは、一日の大半をベッドの上で過ごしていたに違いない。
さすがは引きこもりの王子様だ。
「さぁて。今日はお話に入る前に、いくつか質問をさせてくれ」
そして、そんな引きこもりの王子に対して、今日は一つ、新しい試みを試してみる事にした。
「これは、物語をより楽しく、面白くするために大事な事だ。だから、出来れば答えてくれると嬉しい」
物語はまだ始まらない。だから、扉を背に俺はその場に腰を下ろした。扉の向こうからは、何も聞こえない。
「…………」
答えようとする気配すら感じられない。扉越しとは言え、それくらいは分かる。ここに通い始めて一カ月程度は経過した筈だ。しかし、その間、イーサの声を聞いた事は、本当に一度たりともなかった。
あぁ、やっぱりそうか。
「なぁ、イーサ」
扉越しに、小さく息を呑むような声が聞こえた気がした。この厚い扉越しだ。絶対に聞こえる筈なんてないけれど、俺には、確かにそう感じたのだ。
「海って知ってるか?知ってるなら、一回。知らなければ二回、扉を叩いてくれ」
イーサは、声を出したくないんだ。
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