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23:戸惑いという共有

「……おはようございます。部屋守の仕事は、どうされたんですか」 「あ、お、おは」 「軽蔑します」  ハイ、会話終了。  目の前でバタンと勢いよく扉が締められた気がした。  寝ぼけた頭が一気にクリアになる。  いつの間にか、俺は床に丸くなって眠ってしまっていたようだ。もうこれは「ちょっと仮眠しようと思って」という言い訳が通じるような体勢ではない。  というか、いつの間にこんな格好で寝た!?俺! 「……あ、あの」 「……」 「えっと、ほんと……ちょっとしか、寝るつもりなくて」 「……」  最早、“取り付く島が無い”という言葉を擬人化したかのような無視っぷりである。いやぁ、無視って、言葉だけでなく全身全霊でやるものなのかーー。 『軽蔑します』  あの、メイドが最後に吐き捨てた言葉が、まるでエコーがかかったように、俺の脳内に反響する。あぁ、そんな「軽蔑」なんて言葉を言われたのは、生まれて初めてじゃないだろうか。  あぁ、そうだろうとも。そんな言葉、そうそう言われるモンじゃない。 「……仲本聡志は、思った。こんな初体験、人生で一度だって経験したくはなかった、と」  そうやって、俺は必死にセルフ語り部を駆使し、脳内にかかる「軽蔑します」のエコーを消しにかかる。そんな中、視界の端では、メイドがいつものようにイーサの部屋に向かって、二度のノックを放った。  コンコン。  その瞬間、俺は信じる神など居ない癖に、完全に神様とやらに祈った。  頼む、イーサ!起きててくれ!!  あぁ、ここで、更にイーサが寝坊などしてみろ。 この女の目には、俺が無駄話でイーサの生活習慣を乱した挙句、当の俺は部屋守という仕事を放棄し、寝こけていたように映るだろう。 つーか!実際そうだしな!?そうですとも!俺が全部悪いんだよ!チクショウ!昨日も結局、アイツは全然寝付かなかったしな!? 「そう、仲本聡志は一足早く、絶望しておく事にした。メイドの後ろ姿。それが次の瞬間に、此方を振り返り、きっと軽蔑以上のナニかを含んだ目で此方を見てくるに違いない、と――」  しかし、次の瞬間。俺とメイドは、同じ表情を浮かべる事となった。  がちゃ。 「へ?」 「は?」  扉が微かに開いた。呆ける俺とメイド。そして、開いた扉の隙間から、ヌルリとイーサの手だけが出てきた。 「っひ」  機械人形だと思っていたメイドの女から、急に生っぽい女の声が漏れた。突然出てきた腕に、完全にビビッているようだ。それにしても、このメイドの声……感情が籠るとヤバイ。 何がって?そりゃあ、イロイロだよ!? 俺だって男の子なんだよ!分かって!? 「あ、え……イーサ王子?」 「……」  ソロリと出てきた手が、今度は流れるような動作で床を指さした。それに対し、更に戸惑うメイド。お似合いのポニーテールが、ユラリと揺れる。その様子を後ろから見れば、金色の髪とのコントラストの素晴らしかった白いうなじが、ほんのりと色付いていた。  えらく、生っぽい。人形が、生き物になった瞬間だった。 「ぁ」  ヤバ。と思った瞬間、俺はその自分では制御できない熱を振り切る為に、声を上げていた。 「床に置けって、ことじゃないか」 「え、あ……そうなのでしょうか。王子」  メイドが出てきた手に問いかける。 なんだこの滑稽過ぎる光景。美人と、手。それも、とびっきり美しく、完成されたルネサンス彫刻のような、男の腕。その腕が、まるでそうだとでも言うように、床を指さし続けた。 「おかし過ぎるだろ」  思わず漏れた言葉は、セルフ語り部でも何でもなかった。純粋に、俺の感想。すると、それまで背中越しに戸惑いを露わにしていたメイドが、チラと此方を振り返った。 その目は完全に機械人形のソレではなく「本当に、置いていいのかしら?」と、俺に向かって戸惑いの感情を露わにしている。  その目が、その仕草が、その放たれていない筈の声が。 「完全に、可愛すぎた……」 「へ?な、なに?」 「いや、イイと思います」 「そ、そう。そうね……わかりました。王子、御無礼を失礼いたします」  俺の、欲望に忠実に放たれた「いいと思います」という言葉が、奇跡的に会話の流れとガチ合う。しかし、そんな俺の事など一切気にした様子も、余裕もなく、メイドの女は、そっと膝を床につけ、食事の乗った盆を床に下ろした。 「これで、よろしいでしょうか」  床に盆が置かれる。  メイドの問いかけに、その美しい手が、少しばかり偉そうに手の甲でメイドを払う仕草をした。どうやら、下がれという事らしい。面白い事に、手の動きだけにも関わらず、何となくわかる。分かる俺、ちょっとキモい。つーか!  え?なんかちょっとキャラ違くない? 「いや、手にキャラもクソもねぇんだろうけど。そう、仲本聡志は自らを諫めつつ、扉から顔を出すイーサの腕を見つめた」  謎に偉そうな手と。かしずく美人。  何だコレは。 俺は、目の前の滑稽極まる構図に大いに戸惑った。戸惑い果てる程に戸惑う。一生分の戸惑いを、ここで使ってしまわん勢いだ。 「…ぁ、えっと」 そして、それはメイドの女も同様のようで、イーサの仕草の意味が理解できないのか、膝をついたまま、全身でイーサの腕を見上げていた。 いや、可愛い。ほんとに可愛い。特に声。ほんと、速水さんの声に似てる。ファンです。ずっと好きでした。華沢さんと同じくらい好きです! 「……下がっていいって事だと思うけど」 「え、あ。そう。はい」  俺の言葉に、メイドがそのポニーテールをひょこと揺らしながら立ち上がる。あーーっ!可愛い!可愛すぎるだろ! そして、残ったのは不自然に床に置かれた食事の盆と、少しだけ開いた扉。そして、そこから差し出される美しい腕。  可愛い&滑稽―――!! 「……イーサ、王子。これ、どうするんですか」 「……」  余りにも滑稽過ぎて、思わず素直に尋ねた。だってそうだろ。 これまでの、扉すら開けずに食事を受け取る己の行いを恥じ、今更ながらに扉を開けたにしては、その手は一向に床の盆に手を触れようともしない。  すると、俺の言葉にそれまで静かだったイーサの手が動いた。 「え?俺?」  戸惑い過ぎて、かろうじてくっついていた敬語が、ポロリと取れる。けれど、もうこの時の俺にとっては、そんな事を気にしている余裕は、欠片もなかった。 「こっちに来いって?」  広げられ、床に向けた掌が、上下にヒラヒラと揺れる。俺に向かってハッキリと表現されるソレは、「手招き」という、原始的なボディーランゲージの一つだった。 来て、こっちに。はやく、来て。 「……わかったよ」  それは、先程メイドに対してすげなく成された「シッシッ」という、手の動きとは違い、何やら妙な“幼さ”を感じるモノだった。俺のよく知るイーサは、完全にこっちだ。 さっきの偉そうな手は、俺の知らない“イーサ”。 「来たぞ」  俺が短く言うと、その手は俺の前でユラユラと揺れる。これに関しては、本当に意味が分からない。さすがの俺も、全部分かる訳じゃないんだが。  そんな気持ちを込めて「なんだよ」と口にしそうになった時だ。 「あ、え?取れってこと?」  その手が、今度はハッキリと床に置かれた盆を指さした。 指の指し方も、先程メイドにしていたような命令するようなモノではなく、まるで子供のするような……何と表現すればいいのだろう。 ギュッと握りしめられた掌に、人差し指が、ピンと力強く床に置かれた盆を一心に示す。そんな幼い子供が、大人に対して必死に意思表示をするような、そんな指の指し方だった。  とって!!とって!! 「わかった、わかった。何だよ。意味わかんねー。なになに」  俺は実際に口に出して言われている訳ではないが、まぁ、半ば言われた通り、床に置かれた盆を持ち上げた。持ち上げ、イーサの手の前へ差し出す。 「で、コレをどうすんの?何がしたいんだ?」  まるで小さな子供に話しかけるような口調になってしまう。だって仕方がないだろう。実際そう見えちまうんだから。 「お?」  すると、俺の持ち上げた盆に満足したのだろう。盆の下に自らの腕を滑りこませると、そのままイーサは、食事の盆ごと部屋へと持って行ってしまった。  バタンと、何事もなかったかのように締まる扉。 「え?」  取り残される俺と、メイドの女。  俺は自身の広げた掌を思わずジッと見つめた。イーサが盆を引く時に、一瞬だけイーサの手が俺の手に触れていった。盆の下なので、彼女には見えなかっただろう。  ヒヤリとしたその手。  その手に、俺は妙に覚えがあるような気がした。そう、それはなんとも心地良い手だった。 「……なんだったんだ」 「……なんだったのでしょう」  ともかく、俺とメイドは一つも理解出来ぬまま、目の前で繰り広げられた“戸惑い”という、この場に居なければ決して誰とも共有できぬであろう、特殊な感情を共有する仲として、謎の連帯感を……感じていたのだった。

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