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56:三つ目のごほうび
「……」
俺の言葉に、弾かれたように顔を上げたイーサが、じょじょに俯いていく。その姿に、俺は思わず自身の口に手をやった。
しまった、余計な事を言ってしまった。
「……ごめん。俺、意地悪な事を言ったな。今の忘れてくれ」
「……」
「ごめん。そんな顔をさせたかったんじゃないんだ……ほんとに、ごめん」
俯くイーサに俺は、自分を殴りたい気分になった。
目の前に、イーサの美しい髪の毛がサラリと流れた。あぁ、綺麗だ。
そう、思わずそのキラキラと光る髪の毛に手を伸ばした。物凄く指通りの良い髪の毛だ。触っていて気持ちが良い。最早、撫でるというより手触りを楽しんでしまっている。
「聞いたぞ。イーサ。お前、第一王子だからって、昔はよく怖い目に合ってたんだろ?」
尋ねるというより、確認の想いを込めて問いかける。
イーサが部屋に閉じこもり、声も上げなくなった理由。
それを、俺はテザー先輩から、先程の買い物の最中に聞いた。今更ながら。本当に、今更だ。
『イーサ王子が引きこもっている理由?あぁ、暗殺者に誘拐されたのさ。声を上げるなと脅され、連れ去られた挙句、数日間監禁されたらしい。まぁ、別に王族の暗殺計画など、珍しい事でもあるまい。公務を百年も放棄して良い理由にはならん』
ひどく簡単に、でもそれが全てだと言った理由を。
「嫌だよな。たまたま王様の子供に生まれたってだけで、暗殺者が来るのが当たり前の毎日なんてさ。どんな罰ゲームだよ。つーか、王族だったら暗殺者に命を狙われるのが当たり前?だから耐えろって?バカバカしいっ」
「……」
「守ってくれる筈の部屋守は、イーサを置いて逃げたらしいじゃん」
「……」
「普通にトラウマもんだよ。そりゃあ部屋に引きこもりたくもなるさ。それで平気な顔してるヤツが居たら、むしろ俺はソイツが怖いわ。俺だったらもっと早くに引きこもるね」
第一王子だったイーサは、何度も何度も殺されかけた。
連れ去られそうになった。
見ず知らずの相手から、王子というその“生まれ”だけで、知らぬ間に恨まれる。権力とは時として、赤子をも平気で殺すのだそうだ。その中を、懸命に王子として生き残ってきたところに、守ってくれる筈の相手すら、自分を捨てて逃げた。
そんなモン、もう何の為に自分が頑張っているのか、見失うのも当然だ。
「だから、イーサ。無理に外に出る必要はない。何も変わらない、自分の好きなモノに囲まれた変化のない世界を望むのは、子供でも、大人でも、王様でも、人間でも……皆一緒だ。それを悪いというなら、この世界は悪者だらけだぞ」
その悪者の中には、もちろん俺も居る。
なにせ、声優になりたいという、俺自身の望みを追いかけてきた俺ですら、変化の波に立ち尽くし全てを投げ出したのだ。
そんな俺が、よくもまぁイーサに対し「王様になれば?」なんて簡単に口に出来たモノだ。甚だおかしい。何も変わろうとしなかったお前が言うなって話だ。
【オレ、こないだ受けたイーサ役受かったみたいなんだ!】
金弥からのメッセージが頭を過る。
こっちに来て、俺はよく思うのだ。
「仲本聡志は声優になりたかった訳ではなく……。本当は、山吹金弥と一緒に声優を目指すという、変化のない生ぬるい毎日を、手放したくなかっただけなんじゃないか、と」
そして、それはきっと間違いではない。
------サトシ。一緒に住も。ずっと、一緒に居ようよ。
------うん。
もし、“あの時”頷いていたら、何かが変わったのだろうか。けれど、俺は頷かなかった。俺はどの変化にも、飛び込めなかったのだ。
そんな俺に、最後に金弥から突きつけられたのが、あのメッセージだ。俺の大好きな日常と、二人の関係の“終わり”を告げる言葉。
「大丈夫だ。イーサ。変わらなきゃいけない時は、目の前に選択肢なんて現れない。否応なしだ。そうなれば、迷う必要もない。だから、それまではいいよ。変わらなくていい」
「……どうして」
「ん?」
「サトシは……死ぬのが、怖く、ないのか」
イーサからの問いに、俺は少しだけ考えた。
多分、普通だったら怖い。そう間髪入れずに答える。けれど、この世界の“サトシ・ナカモト”に関しては少し特殊なのだ。
この世界での“サトシ・ナカモト”の死に、“仲本聡志”は興味がある。
「わからん」
とっさに嘘をついた。否、あながち嘘ではない。死への抗いようもない恐怖と、死へのとてつもない興味が俺の中でせめぎ合っている。どちらが強いのかは、今の俺では分かりかねるのだ。
「……サトシ。お前は先程、変わらなければならない時は、目の前に選択肢なんて現れないって言ったな」
「あぁ、言った。だからそれまでは、イーサはここに居たら……」
「たった今、俺に選択肢が無くなった」
「へ?」
それまで俯いていたイーサが、ゆっくりと顔を上げた。ハッキリと、目が合う。キラリと輝く金色の瞳に、より強い光が宿った気がした。
「サトシ。お前はどこかで、自分は死んでも構わないと思っているな」
「……いや、別に死にたい訳じゃねぇよ」
「ああ。死にたい訳じゃないと思う。でも、サトシに命の危機が訪れた時、サトシは『まぁ、いいや』と、命にしがみつかないだろ」
「……」
驚いた。まさか、イーサに言い当てられるとは。
「そんなの、せっかく、ネックレスを与える相手が出来たのに、当の本人がそれでは……あんまりだ」
「イーサ?何を……」
「生き物としての本能である、命への執着がサトシにはない。俺は、それが怖い。あぁ、うん。そうだ。いま、一番怖くなった。自分が死ぬより何より。こんな風に思うなんて、驚いた。何故か、理由は分からないが……一つだけ、分かった」
「え?」
「俺にも選択肢がなくなった……そろそろかとは思っていたから、ちょうど良かった」
色々と付いていけない。イーサが何を言っているのかサッパリ分からない。
自分が死ぬより?選択肢がなくなった?そろそろかと思っていた?なんだ。一体、イーサは何を言っている。
「サトシ。もう一つ、ご褒美を寄越せ」
「え」
「二つでは足りぬ。あと、一つ要る」
「な、何だよ……もう、俺には、何も」
声が震える。
“今”のイーサはどちらだ?
幼く、癇癪玉を腹に溜め込む、精神年齢五歳児のイーサか。それとも、一国の王としての風格を纏うイーサ王か。
俺は目の前で静かに目を細め、此方を見つめるイーサに、ただただ混乱した。
「生きろ」
「っ!」
イーサの必死な声が俺の耳を撫でる。やっぱり、どこか懐かしさを感じる。ピタリと俺にくっついて離れない。俺の思い出の随所に、この声があった気がする。
「そして、コレを、ネックレスを……絶対に外すな」
そう言って、膝の上のあもごしに、イーサは俺の首元からネックレスを掴んだ。これまでのどの瞬間よりも、イーサを近く感じる。酷く濃い、お日様のにおいがした。
「ぁ」
イーサの唇がクリプラントの国章へと落とされた。それと同時に、イーサの長い長い髪の毛が、俺の体と、膝の上のあもを周囲から覆い隠すように流れ落ちてくる。
「イーサ?」
「これでいい」
まるで、神聖な儀式を間近に見たような気分だ。イーサは満足気に、俺のネックレスを眺めるとスルリと俺から離れて行った。
「あとは、サトシが命を諦めなければ……大丈夫だ」
「何を、したんだ?」
「マナを込めた。サトシが何モノにも冒されぬようにと」
「え?え?マナ?お、お守りって、ことか」
「うん」
イーサの言葉に、俺はソッとネックレスに触れてみた。特に、何か変わった様子は見受けられない。
ただ先程まで、イーサの唇がここに触れていたと考えると、何か変な感じだ。何者にも冒されないように。“健康成就”みたいなモノだろうか。
ネックレスを眺めながら、俺がそんな事を考えていると、頭上から一気に幼さを帯びたイーサの声が降ってきた。
「だから、絶対に外したらダメだ。外したらゆるさない。外したらサトシなんか嫌いになる」
出た。五歳児イーサの十八番。「嫌いになるぞ」。まったく、俺は一体何回イーサの口らか嫌いという言葉を聞かされれば気が済むんだ。
「……サトシ、俺から嫌われてもいいのか?」
俺の返事がないせいだろう。じょじょに、イーサの勢いが弱まっていく。
俺はヘタリと眉を落としたイーサに微笑むと、イーサの頭をグシャグシャと撫でた。その瞬間、イーサの目がパチリと見開かれる。
「……分かったよ。イーサには嫌われたくないからな」
「そうだろう。そうだろう!」
「死なないように頑張るよ」
俺に頭を撫でられて頷くイーサの、なんと歪なことか。けれど、その歪さこそ、イーサの魅力であるようにも思えた。
-------サトシ。オレの事、嫌いにならないでよ。
「……うん」
俺は耳の奥にフワリと現れた幼馴染の声に小さく頷くと、一度静かに目を閉じた。
こちらで死んで、元の世界に戻れるのかどうかは分からない。分からないが、ひとまず心の中で謝る事にした。
-------キン。俺がお前の事を嫌いになる筈がないだろ。けど、ごめん。しばらく会えそうにないや。
「さぁ、イーサ。まだまだ時間はたっぷりある。これから何を話そうか?あもを主人公に、お話を作ってもいい。何でも好きな話をしてやるよ」
「ほんとうか!じゃあ、あもをしゃべらせろ」
「お安い御用です、王子様」
俺はイーサの髪の中で、イーサの両頬を手で挟み込むと、そりゃあもう“あも”が主人公のとっておきのお話を頭の中で考えながら笑った。
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