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55:手紙と言う名の
「これが、手紙?」
鋭い声が、俺の耳の奥を刺した。
「えっと……」
あぁ、またイーサが、“イーサ王”になってしまった。歪だ。なんて、歪なんだ。
イーサの中には、幼い暴君のような五歳児のイーサと、高貴で気高い国王のイーサの二つが眠っている。
俺は、目の前で再びガラリと雰囲気を変えたイーサに思わず目を逸らした。
「……手紙だろ?」
イーサからの少しだけ責めるような問いかけが気まずくて、俺は膝の上のあもを少しだけ抱きしめてみた。少しだけ、落ち着かない気分が薄まった気がした。
……いや。本当に、ほんの少しだけだが。
「サトシ、どうしてこんなモノを書いた」
「……いや、だって」
「悪い冗談?それともふざけている?まさか、本気か?」
「……いや、隊長に書けって言われて」
「ほう。隊長が?」
「う、うん」
イーサの、唸るような声が俺の耳に響く。イーサは、怒っていた。しかも、いつものように感情を爆発させるような子供の癇癪ではない。
これは、王の怒りだ。イーサの纏う空気が鋭利に尖り、それは余りにも研ぎ澄まされて、清廉とすら感じられる。
「隊長が、お前に……“遺書”を書けと、そう言ったのか」
イーサからの問いに、俺は腕の中のあもを更に強く抱き締めた。
あぁ、これはあもの中の綿が歪に寄ってしまうのも分かる。ごめん、あも。
「……っていうか。今回の、この訓練の時は、みんな書くのがしきたりだって……言ってたけど」
「訓練の前に……遺書を書く事がか?」
「うん。たまに死ぬ奴も出るらしくて。なんか、人間の俺は、マナも使えないし一番死ぬ可能性が高いから……絶対に書いとけよって。それだけは……隊長も最初に教えてくれて」
そう、そうなのだ。
あの掲示板の文字が読めない読めないと悩んでいる時。唯一、ソレだけは隊長が俺に直接教えに来てくれたのだ。
どうやら“遺書”の事だけは、通達で上からお達しが来るものではなく、現場のエルフ達だけに言い伝えられている、言わば「暗黙の了解」というモノらしい。
「先輩も、一応書いたって言ってたし。今回の訓練ってやつ……まぁ、ちょっと危ないヤツなんだろうな」
そう、テザー先輩に尋ねたところ、先輩も念のため書いたと言っていた。どうやら、先輩も人づてに聞いて知った事らしい。
だから、別に遺書を書くのは俺だけではないのだ。
『訓練の内容?……さぁな。俺も参加するのは初めてだ。これは、どうやら四百年に一回行われるモノらしい。前回の訓練の時は、俺はまだ生まれてすらいない』
そう、テザー先輩は言っていた。
前回の訓練の実施日が、四百年前。それを聞いて、さすがは長命なエルフの国だと思ったものだ。だから、俺も訓練の内容は未だによく分かっていない……どころか。一切分かっていない。
「……マナも扱えぬ人間をわざわざ連れて行く。危険な……訓練。まさか、」
すると、イーサは俺の記録用紙を器用に親指だけでサラサラとめくると、とあるページで再びパタリとその手を止めた。
「……大規模軍事演習並びに結界保護強化に掛かる辞令」
「イーサ?」
「森の薫り始める季節。重く渦む大気のヴェールをめくり、喜びと共に、女神リケルは今年も我らの元へとくだった……」
「……」
イーサは先程まで露わにしていた怒りを一気に消し去ると、その落ち着いたその低い声で、掲示板に書かれていた序文を読み上げ始めた。イーサの声で奏でられるその詩のような一文は、酷く重みがあり聞き心地が良かった。
「前回の女神リケルは……今から……四百年、前」
「なぁ、イーサ。どうした?」
俺はじょじょにイーサの表情が引きつっていくのを間近に眺めていると、次の瞬間、ヘタリと眉を寄せ、此方を見て来たイーサに、思わず息を呑んだ。
「サトシ。ダメ」
「え?」
また、イーサが変化した。
余りにもコロコロと変わるイーサの雰囲気に、俺はどうしたらよいのか分からなくなっていた。
「サトシ。これには、行ってはいけない」
「は?」
「こんなのに行く必要はない。お前は残って俺の部屋守をしていればいい」
「いや、そんな事言ったって」
いくら、イーサが自分の側に居て欲しいと口にしたところで、俺も好きで訓練に行くわけではない。全部、上からのお達しでそうなっているだけだ。
「そりゃあ、俺も思ったさ。どうせ、イーサの部屋守って……その、さ。えと、その」
「わかっている。俺の部屋守などやりたがる者は居ない。知っている。それはいい」
そんな事はどうでも良いと言わんばかりに言ってのけるイーサに、念のため「俺は、そんな事思ってないからな」と、付け加えておいた。まぁ、それすら今のイーサにとってはどうでも良さそうではあったが。ともかく、今のイーサは何かに焦っている様子だ。
「サトシ。ダメだ。お前は俺の部屋守をするんだ。どこへも行かせない」
「……だから、それがダメなんだって」
「なぜ。俺は王子だ、だから……」
「いや。なんか、この通達の内容は、誰が何を言っても絶対に覆らないって隊長は言ってたぞ」
「だからっ!俺は王子でっ」
俺はイーサの持つ手帳をひょいと取り上げると、それをそのままテーブルの上へと置いた。そして、ある一点に向かって指を指す。
「ほら、ここ」
「う」
指さした先にある言葉に、イーサの表情が一気に歪んだ。
「我らが偉大なる父ヴィタリック王の命により、震え漂うマナの集積任務と、汝らが兵者として、我が国の一片の側壁とならんとする為の場を設ける」
俺もイーサに負けじと、声を整えて読み上げてみる。ここは詩のような文章ではないので、多少テンポを保ち、淡々と。ただ一文だけ。“ヴィタリック王の命により”の部分だけは、イントネーションを強めながら。
「この訓練は、ヴィタリック王直々の勅命だから、絶対に例外はないんだってさ。隊長も俺が居なくなると、部屋守のローテが崩れるから、本当は行かせたくないって言ってた。ただ、人間の俺も、今度のコレは絶対なんだって」
「……勅命か」
そう、その言葉の重みが、イーサも十分に分かるのだろう。イーサは俺の指さした“ヴィタリック王”の名前を、それこそ穴が開くほどジッと見つめていた。
「俺ってさ、今まで本当にイーサの部屋守しかしてこなかったんだよ。だから、兵役に就いてはいるけど、訓練とか、他にも色々な事が免除されてた。でも、これは絶対なんだって。俺が行く事に、何か意味があるんだろうなぁ」
正直、俺だって嫌な予感しかしない。だって、遺書だぞ。遺書。しかも、マナも使えない人間の俺は、他のエルフ達より脆弱な筈だ。もしかしたら、本気で死ぬかもなって、頭の片隅には常にあった。
だからこそ、こうしてイーサに対して“遺書”も書いたのだ。
「もう寿命か。仲本聡志は、何度も聞かされてきたその言葉を、“死”という実感の沸かぬ言葉と共に、静かに胸の中に反芻した」
ただ、少しだけ興味もあった。
コッチで死んだら、“俺”はどうなるのだろう。そう、こちらでの生活は、常にその疑問と隣り合わせだった。不謹慎だが、そこには抗えない強い興味が、常にある。
「……サトシ。行くな」
「じゃあ、イーサ。お前にどうにか出来るのか」
「……」
答えはない。
絶対王政を敷くこのクリプラントで“勅命”より先んじられるモノはないと、イーサが一番分かっている筈なのだ。
ただ、「お前にどうにか出来るのか?」と尋ねた俺の問いに対し、イーサが余りにも悔しそうな表情を浮かべるモンだから、俺は思わず口にしていた。
「じゃあ、イーサが王様になるっていうのはどうだ?」
「っ!」
俺の言葉に、イーサが弾かれたように顔を上げる。パチリと音を立てるような勢いで交じり合う視線。
そもそも、俺の知っている【セブンスナイト4】の世界では、当たり前のようにイーサは王様だった。手渡された台本の台詞も、それを物語っている。
「王様の命令は絶対なんだろ?だったら、イーサが王様になるのが一番早い。凄く良い考えだと思うな、俺は」
俺の中では、最初から最後までイーサは、このクリプラントの“王様”だ。
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