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60:メイドは見た!
◇◆◇◆
その日、そのメイドはいつものように食事を第一王子であるイーサの元へと運んでいた。その顔は、終始無表情だ。
個性を出さない事。それが、彼女の使命である。
ただ、いくら表情を表に出しておらずとも、頭の中で何も考えていない訳ではない。彼女は今、今日の部屋守は誰なのだろうと、そんな事を、思案しながら盆を運んでいた。
しかし、「誰かしら」と思案しつつ、思考の先に居る人物は一人だけだ。
「今日は、サトシかしら」
少し変わった、人間の男。
そして、最近、少しだけ言葉を交わすようになった男。そして、直接は呼んだ事はないのだが、こうして裏では名前を呼ぶようになっていた男でもある。
なにせ、あの人間の男の存在は、メイドと、彼女の主の中では酷く注目を注ぐ存在となっているのである。
そして更には、主にも内緒でこっそりとメイド“個人”としても、接点を持つようになった。
強い個性を出さぬ事を使命として生きて来た彼女にとって、そんな事は生まれて初めての事だ。
まぁ、接点とは言っても、軽く二言三言言葉を交わす程度なのだけれども。しかし、それだけでも、彼女にとっては非常に大きな変化だ。
ほんの数言とは言え、不必要に言葉を交わしている。しかも、主にも内緒で。
故に、彼女はこの件に関してだけは、常に後ろめたさを抱えていた。しかし、だ。
-------昨日、声が違ってたけど大丈夫でした?
言葉を交わす事は止めなかった。そう、メイドにとって、あの男と会話をするのは、純粋に、愉快だった。どうやら、彼女の主はあまり彼をお気に召さないようだが。
まぁ、それはそれだ。
「あら」
第一王子の部屋の前に到着した。するとどうだろう。予想に反して、部屋の前には誰も居なかった。寝ていた事はあっても、居ないなんて事は、これまで一度たりともなかったというのに。
「どうして」
メイドはその金色のポニーテールの髪を揺らめかせると、盆を持ったまま周囲を見渡した。すると、部屋の入口の近くに何やら大量の荷物らしきものが置かれているのが見える。
「これ、なにかしら」
チラと覗いてみると、それは男物の日用品のようだった。両手が塞がっているせいで、手で中を掻き分けて見る事は出来ない。しかし、何故かその荷物にメイドが思い浮かべるのは、やはり一人の人物だけだ。
「……何か、変」
口にしてみたが、誰も居なくとも一旦、自分は戸を叩くより他ない。反応がなかったり、何か異常があれば、主への報告義務が発生する。
「え」
しかし、戸を叩く前にメイドの手はピタリと止まった。
「……開いてる」
そう、少しだが戸が開いていたのだ。その瞬間、メイドはいけない事だと分かりつつ、盆を片手で支え、開いた扉をゆっくりと押していた。音もなく、扉が開く。普段はこんな事、絶対にしない。
おかしい。おかしすぎる。
部屋守が居ない。さらには、百年もの間、ずっと扉を頑なに閉ざし続けた第一王子の部屋の戸が開いている。
この時点で、メイドはまず自身の主の元へ報告に向かわねばならなかったのに――。
「……少し、だけ」
確認せずにはおれなかった。特に、居る筈の部屋守が居ない。この点がメイドにとっては大きく引っかかった。
「……サトシ?」
メイドはいつもの鉄仮面を揺らがせた。ドクドクと心臓が嫌に大きな音を立てる。もちろん、彼女がこの部屋に入るのは初めてだ。
部屋の奥に人の気配を感じる。
「……」
ここは第一王子であるイーサの寝所。この明け方、気配があるとすれば、あの大きなベッドより他ない。そして、それを証明するように、ベッドの上には大きな膨らみが見える。
途中、テーブルの上に食事の盆を置いた。両手が塞がっている事が、落ち着かなかったのだ。
再び、メイドは一歩一歩、誘われるようにベッドへと近寄った。
「……!」
そこで見た光景に、メイドは息を呑んだ。
「ぁ、うそ」
そこで、此方に背を向け寝息を漏らすあの人間の男と、第一王子が身を寄せ合うようにして眠っていた。王子の長い長い髪の毛が、まるで人間の男を守るようにゆるりと巻き付いている。金色の長髪、それはまるで二人だけの美しい繭のようだった。
「……なに、これ」
「んんぅ」
ベッドの上を覗き込んでいると、部屋守の人間が身じろぎをした。その拍子に、メイドの女に背を向けて丸くなっていた人間が、ゴロリとメイドの方を向く。
「っ!」
その瞬間、メイドはハッとした。男の首には、自身もよく見慣れた、あるモノが身に付けられていたからだ。
「どうして……サトシが」
そう、呟いた時だった。
人間の体が、ヌルリと動いた逞しい腕によって再びメイドに背を向けさせられた。今や、人間は再び金色の髪のヴェールの中である。
「っひ」
いつの間にか、金色の瞳がメイドを見ていた。
「でていけ」
「ぁ、ぁ」
腹の底から湧き上がってくるような、ズシリとした低い声が、メイドの耳をつく。その声は、明らかに深い怒気を含んでいた。
「も、申し訳、ございません。戸が開いて、いたもので」
「きこえなかったのか」
「っ」
「でていけと、おれはいった」
「っはい」
見つかってしまった。自身の抱いた要らぬ欲のせいで、最悪の事態に陥ってしまったのだ。そう、メイドは自身の行いを悔いながら、一歩また一歩と後ろへと下がる。早いところ、ここを出なければならない。
「王子……。あの、食事はあちらに、ご用意しておりますので」
「……ああ」
「御無礼を、お許しください」
そう、メイドが鳴り響く心臓の音を聞きながら深くお辞儀をすると、そのまま踵を返して部屋の入口へと向かった。早く、早くこの事を主へと伝えなければ。
一刻も早く!
「おまえ」
「っ!!」
メイドが、入口の戸に手をかけた時。再び背後から、あの低い声が響いた。今度は何だと言うのか。あの王子は一体何を怒っているのか。
「は、はい」
振り返る。既に、鉄仮面など、とおの昔に脱ぎ捨てた。今や彼女の表情は、泣きそうに歪んでいた。
「なん、でしょう。王子」
「なまえを呼ぶな」
「は?」
「だから、さとしの名を、おまえが呼ぶな」
「……は、はい」
「わかったのなら。さっさと出ていけ」
「は、い」
〇
気付けば、メイドは部屋の外に立って居た。
大変な事が、たくさん起きてしまった。急いで、主に報告をせねば。そう、頭では分かっているのに、メイドの足は動こうとしない。ただ一つ、言えるのは、最後の“アレ”は一体何だったのだろうという事だ。
「なぜ、名を呼んではいけないの?」
メイドは、その問題としては最も小さな、けれど彼女の中では比較的大きな問題を抱え、しばらくその場を動く事が出来なかった。
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