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61:先輩は見た!

◇◆◇◆  その日、美しい銀髪を携えた兵士の男は、普段はあまり訪れる事のない王宮の離れを歩いていた。  何故か。  それは、つい先程の事である。目当ての人間の部屋を訪れたら、その部屋がもぬけの殻だった為だ。 「アイツ、今日の部屋守は昼からだった筈だが」  長期の外部兵労を翌日に控え、男にはあの人間に言うべきか迷い続けてきた事があった。そして、伝えるかどうか答えの出ぬまま、昨日の夜は別れてしまったのだが。 今朝、男は目覚めると共に、改めて伝えておこうと決意したのだ。 「炭鉱のカナリヤ、か……」  年配の騎士に聞いた。四百年に一度。女神リケルの周期に行われるこの『震え漂うマナの集積任務』における“人間”の役割について。  昨日は、任務について人間から問われ「さぁ」と言葉を濁した。自分も初めて参加するため知らないと、そう答えたのだ。 なにせ、今回の外部兵労に関しては、参加する“人間”に対して強い戒厳令が敷かれている。  そう、任務の詳細について、人間には伝えてはならぬと言われているのだ。 「……話した事がバレでもしたら、どんな処罰が下るか」  きっと詳細を話し、あの人間がこの兵役から逃げ出しでもすれば、男にも手酷い処罰が下るだろう。しかし、それでも男はこうして任務についての詳細を、あの人間に対して伝えようと、朝から、こうして動きまわっている。 「どうか、しているな……」 人間の事など、すぐ寿命を迎える脆弱な存在として捉えていたのに。 -------名前を!呼ばれたのが!嬉しかったんだよ! 「名前など、呼んでしまったから……」  だからこそ、人間には関わらないようにしていたのに。  関われば、いち種族としての目線を越えて“個人”として見てしまう。“個人”として見てしまえば、情が沸く。  寿命の圧倒的に短い生き物に対し、情が沸くというのは、非常に危うい。なにせ、寿命の長い自分達が、必ず“見送る側”に立つ事になるからだ。 そう、男は知っていた筈なのに。 -------まぁ、生い先短い人間からの、人生への助言だと思って、素直に聞いてみてくださいよ。 「これだから、人間と関わるのは嫌なんだ」  男は呻くように呟くと、あの人間の居る可能性が一番高い第一王子の部屋へと急いだ。ともかく第一王子の寝所は王宮の外れにあるせいで、行くのにも手間がかかる。そうして、男が中庭の脇の戸を開き、後は部屋まで一本道となる廊下へと体を滑り込ませた時だ。 どんっ。  男の体に衝撃が走った。 「っ!」 「きゃっ!」  見てみれば、ぶつかってきたのは第一王子の部屋に食事を運ぶ、例のメイドだった。しかし、自身の胸のあたりにある彼女の顔を見てみれば、いつもと様子が大分違う。普段は一切表情を表に出さないメイドが、この時ばかりは血相を変えていたのだ。  何かあったのだろうか。 「おい、どうした」 「すみません!急いでいますので!」  男がメイドに尋ねてみるが、既にメイドは男の前からスルリと抜け出していた。そして、そのまま中庭へと続く外扉を開け駆け抜けて行く。 「一体、何だと言うんだ」  男は駆け抜けて行った女の背を見送りながら、ただ、強い胸のざわつきも同時に感じていた。メイドが走って来た場所にあるのは、もちろん第一王子の部屋だ。もしかしなくとも、何かあったとすれば、“あの”場所しか考えられない。  そして、部屋に不在の人間。 -------昨日のテザー先輩の声も、なかなか良いと思います。俺は好きです。 「サトシ・ナカモト……」  そう、軽く笑って来た人間の顔が、未だに頭からこびりついて離れない。  これだから情というヤツは、やっかいだ。特に、今回はあの人間への情が、下手に男の記憶と結びついてしまっているせいで、よりやっかいさに磨きがかかっている。  あの人間は、少しだけ似ているのだ。  まるで、幼い頃に男を抱き締めてくれた“彼”に。 「…………バカバカしい」  男は、まっすぐと廊下を進んだ。しばらくすると、すぐにいつもの扉が目に入る。ただ、どうした事だ。部屋の前には誰も居ない。 「おかしい」  そう、思わず呟いた男の視界に、ふと入り込んでくるものがあった。 「これは、昨日の……」 それは、紙袋に入った複数の荷物だった。それらが、扉の脇に乱雑に置きっぱなしにされている。 「やはり、ここに来ていたのか」  それは、昨夜、人間から「任務に必要なモノは何か」と問われ、街で買い込んだ商品に他ならなかった。ここに、人間の買い込んだ荷物があり、本人の姿は此処には無い。だとすると、あの人間が、今どこに居るかなど明白であった。 -------俺は、イーサの声が……聴きたいんだ 「……うそ、だろ。おい、まさか、サトシ・ナカモト。お前……中に、居るのか」  閉ざされた扉の向こうを思い、男はゴクリと唾を呑み下した。ここは仮にも尊い方の寝所である。それを、自分のような者が勝手に足を踏み入れて良い筈がない。 「しかし、しかし、だ」  けれど、これは緊急を要する事態かもしれない。なにせ、居る筈の部屋守が居ないのだ。何かあってからでは遅い。確認が必要なハズだ。  そう、内心酷く焦りながら思ってしまう男は、一体ソレを“誰”に言い聞かせているのか。  気付いた時には、男の手は扉にかかっていた。  ガチャリ。  扉を押す音がハッキリと響く。そして、男は扉を開いた先に広がる光景に、その瞬間、目を奪われていた。 「……またか」 「っな」 「そのかっこう、お前は……へいしか。そうか、ならば」 「イーサ、王子」 「……そこのお前、きけ」  広い部屋の中。 その奥に位置する大きな寝具の上に、艶のある長髪をかき上げる高貴な生き物が男を見ていた。目があった瞬間、その相手は、まるで何かを守るように体をしならせ毛布の中で丸くなる人物へと覆いかぶさる。 そこに誰が居るのかは、明白だ。 「これは、おれのだ。いいだろう」 「……ぁ」 「こういうのが、ずっと欲しかったんだ。待っていたんだ」  心臓が嫌な音をたてる。たて続ける。  ここは、王子の寝所だ。居るのが当たり前なのに、こうして、百年ぶりに目にして、やっと此処が「クリプラント国の第一王子の寝所」であった事を認識したのだ。  目の前に居るのが、希代の名君と謳われるヴィタリック王の正当後継者第一位。  イーサ王子だ。 「……イーサ、王子。あの、」 「こうして、部屋に、こもり。俺のしゅういから父の代の者が居なくなるのに、そう、じかんはかからなかった。しかし、」 「……なにを、言って、いらっしゃるのですか」 「俺のへやの戸を叩く者が、こうしてあらわれるのに……ひゃくねん、かかった。ながかった。もう、だれも来ないとおもった。だから、おれも、どうでもよくなっていた。どうでもいいとおもった」 「……」 「こんな国、滅びてしまえ、と。そうおもった」  静かに、しかしハッキリと口にされた言葉に、男は息を呑んだ。 「滅びてしまえ」と、そう口にした時のイーサ王子の雰囲気が、それまでの気だるげなダラリとした雰囲気から、一気に姿を変えた。 「そう、おもっていたのだが、」 「んぅ」  その瞬間、イーサ王子の下で「んぅ」と、モゾモゾと動き出した相手に、男も王子本人も目を向けた。  そして「やはり、」と男は思った。小さな呻き声ではあったが、聞き覚えのある声。 「……サトシ・ナカモト」  男は認めるしかなかった。あの脆弱な人間が、完全にイーサ王子の懐に入ってしまった事を。そして、それは男自身が、家から任されていた唯一の役目をまっとう出来なかった事を意味する。 「サトシ」  イーサ王子は、モゾモゾと動く相手に、まるで野生動物の雄が雌を囲うような仕草で、その身を眠る人間へと寄せた。  そして、自身の頬を寄せ、スリと頬ずりをする。たったそれだけの行為が、男にとっては、まさに“性行為”のようにも見え、思わず目を剥いた。  目を奪われ、魅入った。 「なぁ。そこの、へいし」 「……っ、ぁ、な、んでしょう」 「この国を滅ぼしたくなかったら、おれに、この国を生かしてほしいのであれば」 「……は」 「今度の任。サトシを必ず……生きて連れて帰らせろ」 「っ!!」 「サトシが死んだら、お前など家ごと嫌いになってやる。ただ、無事に帰ってきたら……嫌いには、ならないでおいてやる」 ――いいな?  子供のような暴君が、男の目を見て笑った。         〇  男は気付いたら部屋の外に居た。いつの間に出たのか、どうやって出たのか。記憶がない。 「おい、どうする……テザー・ステイブル」  未だに震える体を抑え込み、男は自問した。その問いに対する答えを、必死に頭の中に巡らせる。  自身に問いかけながら、男はハッキリと理解した。 自分が完全に出遅れてしまった事を。  そして、あの王子がただ単に愚かな王子であるが故に、百年間引きこもっていた訳ではない事もまた。 「サトシ・ナカモトを死なせるなだって?無茶を言う」  人間に対し、いらぬ情を抱いてしまったせいで、本当に面倒な事になった。今回の任務、人間は“ほぼ確実に”死にに行かされているようなモノなのに。それを、死なせるな、と。  ただ、男は自問を続ける。 「……しかし、これは“機会”でもあるのではないか」  そう、この面倒極まりない、ともすれば崖際に追い詰められてしまったかのような状況は、見方によれば、絶好の“機会”だ。 現状、イーサ王子がただの愚子ではない事を知る者は、さほど多くない筈だ。そして、そのイーサ王子の行動の鍵を握る者が誰であるかを知る者は、より少ないに違いない。 「サトシ・ナカモト。俺は、今度はお前に取り入らせてもらうぞ」  男は、ハッキリと自答した。 それは、今、己がすべき最適解を導き出せた瞬間でもあった。  一度沸いてしまった情だ。 とことん育てて、使えるだけ使い倒してやろう。 また、死んでしまったら、たくさん泣けばいい。  男は静かに呼吸を繰り返した。朝の空気が気持ちが良い。 「……ずっと俺んこと、雑に扱いやがってさぁ。ありえねっしょ。ホントさぁ」  普段は夜にしか口にしない口調で、敢えて喋ってみる。すると、なんだか胸がスッとした気がした。それどころか、気分が乗ってきた気さえする。 「見てろよ……兄貴たち全員、親父も含めて、俺が下から捲し上げてやっからさぁ。危ない賭けでも何でもやってやんよ。だってぇ、人生いつ終わるか、わかんないんだからさぁ」  男は肩を鳴らしながら、それまでとはまったく違う雰囲気をその身に纏わせ、王子の部屋に背を向けた。 -------普段から、あのくらい声を張ったらいいのに。それだけで、意外とスッキリするかもしれませんよ。 「あぁぁぁっ。イイ女と酒が飲みてぇー!」」    男は耳の奥に聞こえる声に従うように、少しだけ声を張ったのだった。

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