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73:第十六話「遠い過去の自分を」

---------- ------- ----  昔は、そうでもなかった筈なんだ。 俺だって、昔からそうだった訳じゃない。女の子にも、普通に話しかける事が出来ていた筈だ。 でも、いつからだろう。 話しかけるのが、怖くなった。 『あ。あの子、可愛いな』 『……どれ』  養成所の入口に見慣れない女の子が居た。どうやら新しく入った子のようで、入口で何をどうしたらよいのか分からないのか、戸惑っている様子だ。 『可愛いかぁ?』 『可愛いじゃん、声が』 『声、ねぇ』  俺の答えに、隣に居た金弥が、どこか納得のいかないといった声を上げる。別にいいじゃねぇか。好みは人それぞれだ。 『初めての子だろうな』 『だろうね』  女の子はきっと俺達と同い年か、ちょっと年上くらいだろうか。ただ『えっと、えっと』と口にしながら、キョロキョロと周囲を見渡すその様子は、少し幼く見える。 『……』 染めた事など一度もなさそうな黒髪に、まだ化粧のしなれていない顔。よく言えば純朴、悪く言えば野暮ったい感じの子だ。  確かに、金弥の言うように見た目が物凄く可愛いかと言えば、そうではないかもしれない。 でも、俺にとっては、聞こえてくるその女の子の“声”の方が重要だった。 『金弥。俺、あの子に部屋とか教えてきてあげるから、先行ってろよ』 『そんな事してたら、レッスンに遅刻するぞ。別にいいじゃん。そのうち誰かが教えてやるって』 『“その誰かは、俺でいいだろ?”』 『っ!』  俺はここぞとばかりに、その台詞を口にする。  これは、俺が昔からずっと好きなアニメ【自由冒険者ビット】の主人公である、ビットが言った台詞だ。そして、特に俺が好きなヤツ。  自由冒険者ビット。第十六話。「遠い過去の自分を」  ビットは国からの追手に逃げながら、それでも立ち寄った村で困っている親子を助けようとする。それに対し、親友のブテリンがビットを止めるのだ。まさに、さっきの金弥のように。 ------ほっとけ、ビット。俺達には時間がないんだ。そのうち他の誰かが手を貸すさ。 ------その誰かは、俺でもいいだろ?  そんなさりげない一言と共に、ビットはその親子を助けに走った。自分が大変な時でも、いつものスタンスを崩さない。そんなビットの姿が、俺には格好良く見えて仕方がなかった。 『俺はさ、金弥と二人で此処に来たから大丈夫だった』 『……』  俺は此方を静かに見下ろしてくる金弥に向かって言った。そうだ、俺にはいつも金弥が居たから、あんな不安や戸惑いとは無縁だった。  でも、それは俺が恵まれているからだ。金弥が居なければ、きっとあそこに居るのは、俺だった筈だ。 『けど、一人だったら、俺も誰かに声をかけて欲しかったと思うんだよ』 『サトシ』 『だから……まぁ、な。お前は先に行ってていいから』  そう、俺が金弥から、再び彼女へ視線を戻した時だった。 『……じゃあ、二人で行こう』 『え?』 『声かける時も、俺達二人で行けばいい』  気付けば、俺の視線の前には、既に金弥の背中があった。  あれ、どうしてそうなった? 『あ、あぁ』 『行こうぜ!サトシ!』  先程までの気だるげなテンションから一変して、金弥はいつもの主人公みたいな笑顔で俺の先をずんずんと歩いて行った。そして、気が付いたら女の子に話しかけているのは、俺ではなく“金弥”だった。  金弥お得意の笑顔で、なにやら色々と教えてやっている。 『……ぁ』  女の子も、突然話しかけてきた金弥に、最初こそ戸惑っていたようだが、金弥の人懐っこい笑みに、すぐに警戒心を解いた。二人は楽しそうに笑い合っている。それを見ているだけの俺。  いつの間にか、俺の大好きなビットは、金弥に取られていた。  また、だ。 『山吹君、ここ。教えてくれる?』 『いいよ!どこ?』  そして、その女の子は養成所に来るたびに、少しずつ、少しずつ変化していった。有り体に言えば、“可愛く”なっていったのだ。真っ黒だったその髪の毛は、程よく明るい茶髪に染められ、ぎこちなかった化粧は、サマになっていた。 『……そっか』  女の子は恋をすると可愛くなるというのは、こういう事だったのか、と。俺はストンと心の中に何か落ちてきたような、妙な納得感を得たのだった。……あぁ、落ちてきたのは、一体何だったのか。  多分、俺自身。  モヤモヤとした何かを抱え始めていた俺に、金弥はあくまで“いつも通り”だった。それが、更に俺を惨めにして仕方がなかった。         〇 『あの、仲本君』 そんなある日の事だ。 あの女の子から、何故か“俺”だけが呼び出された。嫌な予感しかしない。だって、こういうの学生時代から、よくあるシチュエーションだったから。 『なに』 『仲本君って、山吹君と仲が良いよね?お、幼馴染なんでしょ?もし知ってたら、教えて欲しいんだけど』  ほらな。彼女は、“山吹君”の事が知りたいのだ。 ここで『俺が告白されるかも』なんていう、淡い期待を抱けるような時代は、とっくの昔に終わっている。 『山吹君って、彼女とか好きな子とか……居る、のかな?』 頬を染め、最初に見た頃とは随分と変わってしまった見た目の彼女に、俺は、静かに首を横に振った。 『今、金弥には好きな子も、彼女も居ないと思うよ』 『ホント?』 『うん。まぁ、俺が知ってる限りは……だけど』  居ないさ。居る訳がない。だって、金弥はずっと俺と一緒に居る。何かあれば、何でもすぐに俺に報告してくる。“俺の知ってる限り”が、金弥の全てだ。 そう、傲慢でもなんでもなく、思う。 『そっかぁ。良かった』 『うん。頑張ってね』 『……あ、ありがとう』  俺の言葉に、ほんのり頬をそめつつ俯く彼女は、本当に可愛かった。  金弥の為に、凄く可愛く変化を遂げた女の子。 その子を前に、俺は心をヒヤリとさせながら思う。俺は、最初からそう思ってたよ、と。口に出しはしない。言った所で仕方がない。でも、本当にそうなのだ。俺は“最初”から、そう思っていたのだ。  俺の方が、最初から――。  そして、更に、それからしばらく経ったある日の事だ。 『あ』  バイトの帰り、金弥と“あの子”が一緒に歩いてるのを見た。  とうとう、見てしまった。  あの子は凄く笑っている。楽しそうだ。でも、金弥の方は分からない。なにせ、二人を見つけた瞬間、俺は来た道を急いで戻っていたから。 『……はぁっ、はぁっ』  そのまま先になんて進める筈ないだろう。だって、二人の向かう先と、俺の行こうとしていた場所は同じなのだから。  すぐそこの角を曲がると見えてくるのは、金弥のアパート。 『あーあ。……貰い過ぎちまったな。焼き鳥』  金弥の分もと思って、店から貰ってきた焼き鳥。勝手知ったるなんとやら。今まで金弥の家に行く時に連絡なんてした事が無かったのを、その時、俺は酷く後悔した。  もう子供の時とは違うのだ。  顔を出して『キンー!あそぼー!』と呼べば、いつでも遊べていたあの頃ではない。行く時は、事前に連絡をして、許可を取って。 『……めんどくさ。そう、仲本聡志は吐き出すように言った』  こういう時こそ、セルフ語り部の出番だ。嫌な気持ちを、俺の存在ごと切り離さないと。そうでないと、苦しくて仕方がない。 あぁ、大人になるって面倒だ。ずっと一緒って言ったけど、そんなのは無理じゃないか。 『もう、アイツの家に行くのなんてやめた。仲本聡志は不貞腐れたように、足元に落ちていた小石を蹴った』  蹴った小石が側溝に落ちる。  どうせ、金弥もしばらく俺の家になど来まい。なにせ、彼女が出来たのだから。もしかしたら、もう来ないかもしれない。  丁度良かった。 焼き鳥も、全部自分で食える。しばらく食費が浮いていいじゃないか。 『……変なの。俺、どっちに嫉妬してんだろ。仲本聡志は、そう言って思わず笑ってしまった』  笑え、笑えよ。セルフ語り部がそう言ってるんだから、笑え。  けれど、どうやら俺の心は上手く切り離せていないようで、俺は笑うどころか鼻の奥がツンとするのを感じた。ズズと、鼻の奥から流れてくる鼻水をすする。  一人ぼっちだった女の子を助けに行こうとして、最後は俺が一人ぼっちになってしまった。 『キンのバカ野郎。可愛くないって言った癖に。ずっと一緒に居ようって言った癖に』  バカ野郎、バカ野郎、バカ野郎、バカキン。  俺は止める事の出来ない嫌な感情のうねりを抱えたまま、自分の部屋に戻った。 そして、貰って帰った焼き鳥をたくさん食べて、そのままソファの上で不貞寝してしまった。 すると、どういう事だ。 『サトシー、サトシ』 『……んんぅ』 『お、なんか焼き鳥がいっぱいある』  声が、聞こえた。  山吹 金弥の声が。

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