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朱夏 5

「続きのこちらは自室としてお使いください」  新しく敷き直されたのだと分かる畳の青さに、くらりと目が回るようだった。 「畳は換えておきました」 「……こんな待遇をされてしまっては、下手な絵は描けないな」    今更ながらにひしりと感じる重圧感にたじろぐ。  南川氏の目に留まることとなった先の作品展、その最優秀を取った絵が脳裏をかすめた。  竹に絡む藤、  そして、その下に伏す女、    ──多恵 「風呂と厠は……こちらです」  動く空気に含まれる香が思考を現実に引き戻す。 「あ、ああ」  再び廊下に出た翠也は突き当りに見えていた引き戸へと向かった。 「開けて右が厠に、左が風呂になります。こちらは離れのものなのでお好きな時にお使いください」  指示された先からする水音に怪訝な顔をしていると、俺の様子に気付いたのか微かな笑みを口に乗せる。 「この屋敷は母方の曽祖父が旅館を買い取って改装したもので  」  指が戸に掛かる。 「かけ流しの温泉になっているんです」 「えっ⁉」  道楽ですよ と、微かな笑みが苦笑に変わった。  ふっと漂ってくる硫黄と水の臭い、それから湯気に含まれる温もりは初夏の今でも心地よく感じる。 「これは……すごい」 「それでは家の者を紹介します、行きましょうか」  工房と自室を用意してくれただけでも驚きだと言うのに、このような贅沢なものまで見せられている俺の内心の驚きにまったく頓着せずに、翠也はくるりと母親同様の滑らかな動きでまた母屋へと引き返した。    庭師の蒔田辰彦(まきた たつひこ)、家政婦の(なか)みつ子、同じく家政婦である澤田(さわだ)志げ、調理人の田口安治(たぐちやすじ)、そして下男の橋田清二(はしだせいじ)を次々と紹介され、その名前を一通り口に出すもこの場で覚えきる自信はない。 「あとは出入りの人間が何人か……画材屋もいますからまた機会があればその時に」 「あ、あぁ」  まだ増えるのかと曖昧に頷いて返すも、翠也は特に気にしていない様子で母屋の案内をし始める。  造りは昔ながらの日本建築に近く、平屋造りの大半を畳からなる部屋と襖が占めていた。  幾つかある小部屋のような部屋が峯子の部屋や主の書斎なのだと説明を受ける。 「広いとは言え造りは簡単でしょう?」  その言葉にも曖昧にしか返せない。  確かに単純なと言ってしまえば言える造りではあるが、見慣れぬ者にとってはどの角も同じように見えて今ここがどこなのか分からなかった。 「分かりにくければ庭が目印になるので……」  すぃ と彼の袂が動いて、繊細な作りの指先が庭を指した。

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